毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第七章 死に損ないのフリードリヒ

第122話 滅菌

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「はぁっ、はぁっ、はぁっ」

 感染病棟の東棟3階を、フリードリヒは走る。
 しかしあまり遠くには行けない。鎮静剤が切れて制御が効かなくなった感染者が現れた場合、その感染者を閉じ込める為、階段や窓など彼方此方のシャッターが閉められるからだ。火災が起きた際に炎と煙を封じ込めるのと同じように。
 ここ東棟3階は、珊瑚症の中でも重い症状であるステージ4だけが入院する階層。他の隔離病室に患者はおらず職員の人数も最低限。
 万が一に備えた階層の隔離が、迅速に行えるように。

 その為、感染者であるシャルルの近くに居たフリードリヒも一緒に閉じ込められてしまい、逃げ場がなかった。
 廊下を走った先にあるのは、隙間なく閉じられたシャッターのみ。

「シャ、ルル、シャルル……! シャルル……!」

 閉じられたシャッターを背に、フリードリヒは必死に声をかける。

『ほら、人の身体で最後まで機能しているのって聴力だっていうでしょう?』
「僕だ、だよ、シャルル……!」

 友人の言葉を思い出し、奇跡的に正気に戻らないか信じて、異形となってしまったシャルルに向けて何度も名前を呼ぶ。
 しかし群青色の瞳は依然として虚ろで、足状の菌糸を獲物を狙う肉食昆虫のように動かし、フリードリヒを機械的に襲う。

「うっ!」

 血を吸って肥大化した影響か、天井のスプリンクラーから散布される鎮静剤の影響か、目覚めたばかりの時よりは動きが怠慢で、フリードリヒは頭を貫こうとしてきた菌糸をギリギリの所で躱す。
 菌糸はそのまま、シャッターに穴を空けて突き刺さった。そして中で引っかかったらしく、ガタガタと身体ごと大きく揺らして引き抜こうとしている。

(どうしよう、どうしよう……!)

 その隙にシャルルの脇を走り抜け、思考を巡らせるフリードリヒ。

(鎮静剤、もう一度鎮静剤を打ってあげなくちゃ)

 再び眠らせさえすれば、シャルルの災害化は収まる。そして予定通りオフィウクス・ラボへ移送される筈だ。
 しかし隔離された階層には感染者鎮圧の為、現在進行形で天井のスプリンクラーから鎮静剤が散布されている筈なのだが、動きが鈍くなりはしているもののシャルルは眠る気配がない。
 フェイスマスクを付けたフリードリヒも今は起きているが、その内、皮膚から薬が浸透して眠ってしまうだろう。そしたら無防備になる。
 その前に、何かしらの手を打たなくては。

(受付の近くに幾らか資材がある筈! そこなら鎮静剤だって……!)

 フリードリヒは廊下の角にある受付に向かい、受付の奥にある資材置き場で鎮静剤を探した。ステージ4の入院患者にしょっちゅう使う事になる鎮静剤は薬品棚に目立つようにしまわれている。直ぐに見付けられた。
 棚の鍵を持っていないフリードリヒは悪いと思いながらも、受付のカウンターに置かれていた置き時計を持って棚のガラスを破り、割れた箇所から鎮静剤の瓶を取り出す。

(注射器、注射器は)

 次いでフリードリヒは資材置き場の引き出しを片端から漁り、注射器を見付けると鷲掴む。
 これで必要な器具が揃ったと思ったその時、
 目と鼻の先に真っ赤な菌糸がかすり、手に持っていた鎮静剤の瓶が割れる。

「う……っ!」

 その衝撃に後ろに倒れ込んでしまうフリードリヒ。菌糸の先に視線を向ければ、受付のカウンターの向こう側に見える、シャルルの脱力した姿。
 寄生された『珊瑚』に引き摺られるようにして動く、痛々しい姿。

(……僕、ここで死ぬのかな?)

 狭いカウンター内。機敏な感染者。逃げ切るのは絶望的で、僅かな希望だった鎮静剤の瓶は割れてしまった。
 もう一度取り出そうにも薬品棚には菌糸が刺さっていて、手を伸ばせば今度は自分が貫かれるだろう。
 焦りと恐怖と絶望で、汗が滝のように流れる。

『君もまた、いつかオフィウクス・ラボに迎えられる人間だと確信している。これはその礎にして欲しい』

 ずりずりと床を這うよう後退する中、フリードリヒはふとユストゥスに言われた言葉を思い出した。
 つい30分前に言われた言葉だ。

(そうだ。『鎮静剤』ならもう一つ、ある)

 壁際まで後ずさったフリードリヒは、そこで肩にかけていた鞄を素早く開き、中からインスリンケースを取り出す。そして蓋を開けて中の、水色の新薬が詰まった試験管を手にする。
 そのまま震える手で試験管のゴム栓に注射器の針を突き刺し、中身を吸い上げ、注射器の中身を水色で満たす。
 ドスッ
 その直後、脇腹にシャルルの菌糸が、突き刺さった。

「ぁあああああ!」

 途端、脇腹から走る激しい痛み。
 このまま血を抜かれるか。それとも胞子を植え付けられるか。どちらになるかなんて、わからない。考えている余裕なんて、もっとない。
 だがどちらにせよ、自分は死ぬ。

 ――どうせ、死ぬのならば。

 フリードリヒは痛みで気を失いそうになりながらも、注射器を持つ右手を掲げ、
 自身の腹部の血管に突き刺し、中身を全て注いだ。

「シャ、シャルル……」

 血を吸うにしても『珊瑚』を感染させるにしても、身体に繋がった菌糸から新薬は注がれる。
 感染者は菌糸を目標ターゲットの血管の一部と同化する事で、感染や吸血を成しているのだから。

「……一緒に、眠ろう、か」

 そしてこの新薬の主成分には、鎮静の効果がある。シミュレーターが計算した結果を印刷した分厚い資料には、成分表も書かれていたのだ、間違いない。だから自分を通して少量を摂取すれば、きっとシャルルには眠る効果が強く出るはず。
 そう信じてフリードリヒは新薬を打った。
 だが朦朧としてゆく意識の中フリードリヒが見たのは、菌糸がボロボロと繊維が壊れた布のように崩れていく様と、それに比例するようにもがき苦しむシャルルの姿。

 フリードリヒは知らなかったが、有毒人種《ウミヘビ》の血は『珊瑚』を、全ての病原菌を容赦なく死滅させるの作用を持つ。
 多少、希釈しようとも。多少、中和しようとも。無毒化するレベルでない限り。
 故に身体の大半を『珊瑚』に蝕まれたシャルルを壊すには、十分な効力を持っていた。
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