毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第七章 死に損ないのフリードリヒ

第121話 混沌

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 ピッ……。ピッ……。ピッ……。
 感染病棟の東棟3階。そこに設けられた分厚い特殊ガラス窓の奥、隔離病室で眠る青年シャルル。点滴やバイタルチェックをする為の沢山の管に繋がれている、彼の頬や腕からは突起状の菌糸が突き出ていて、痛々しい姿となっていた。
 そのガラス窓の外側で、フリードリヒら4人はこんこんと眠るシャルルへ声をかける。

「シャルル、ルイ先生が教授になってたぞ~」
「ユストゥス教授、こないだクスシに会ったんだって! シャルル先越されちゃったなぁ!」
「オフィウクス・ラボって人工衛星にも映らない所だからさ、向こうで起きたら座標を教えてな~?」

 当たり前だが眠り続けるシャルルからは返事はない。
 病室からは規則正しく鳴る心電図の音が聞こえるだけだ。

「シャルル。今日までよく、頑張ったね」

 それを承知の上で、フリードリヒもシャルルへ声をかけた。

「きっと近いうちに、ユストゥス教授はクスシになる。君が向かうラボに入所するんだ。だから向こうでも寂しくないよ、シャルル。……僕も頑張って、いつか、会いに行くから。それまでどうか、どうか元気でいてね」

 笑顔で見送ろうと思っていたのに、どうしても声が震えてしまう。

『僕はいつか必ず、が病気を治してくれるって思っているよ。だからラボでずっと、君を待っているね』

 ガラス窓越しに彼の顔を見ていると、まだ意識があった療養中に言われた、シャルルの言葉を思い出す。
 長期留学生としてフリードリヒの通っていた大学にやってきたシャルル。彼は温和な性格をしていて、ゼミでの研究を通しフリードリヒと直ぐに打ち解けた。親しげに愛称で呼んでくれた。自分の可能性を誰よりも信じてくれていた。留学を終えた後もドイツの病棟での勤務を希望し戻ってきて、交流をずっと続けていた大切な友人。
 その彼と別れてしまう事に、フリードリヒは泣きそうになるのを堪えて、周囲から顔が見えないよう俯いた。

「ユストゥス教授いつ来るかなぁ。ガラス越しになっちゃうけど集合写真撮りたいんだよね」
「ルイ先生、あ、いやルイ教授って話し長いから結構かかるかも。売店でお茶でも買って待っていようか」
「それなら、僕が買ってくるよ」
「あぁ、じゃあお願いなフリードリヒ」

 フリードリヒは売店に向かう名目でそそくさとガラス窓の前から離れると、真っ先に近場のトイレへ入り、不織布マスクを外すと洗面台で顔を洗う。

(いい年して皆んなの前で泣きそうになるなんて、恥ずかしいなぁ。これで少しはさっぱりしたかな?)

 ハンカチで濡れた顔を拭いて、涙で濡らしてしまった不織布マスクはゴミ箱に捨て、代わりに持ってきていたフェイスマスクを付け直す。
 そして改めて売店へ向かおうと、トイレから出ようとしたその時、

「……嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ! やっぱり、嫌だ!!」

 友人の、ダニエルの悲痛な声が廊下から聞こえた。

「うわぁあああ!?」
「ダニエル!? 何をしているんだよ、ダニエル!?」

 続いてジョセフとアレキサンダーの困惑する声が聞こえる。
 只事ではない様子に、慌ててフリードリヒが隔離病室の方へ戻ってみると、シャルルの病室の、固く施錠されている筈の扉が開いていて、中にダニエルが入っていく所だった。

「未来に託す? そんな不確定な要素で顔を見る事さえ出来なくなるなんて、そんなのおかしいだろ!!」

 ステージ4となった患者が入る隔離病室の管理は厳重で、担当医と院長以外は決して扉を開けられないように設定してある。
 なのにダニエルは何故かそのセキュリティを突破して、シャルルの側に駆け寄っていた。

「シャルル! シャルル! 珊瑚症はステージが進んでも死ぬ事はないんだ! ならこのままでいいじゃないか! 治さなくっても、眠らさせなくっても! 街中に居るのが駄目なら、ここじゃない何処か郊外で、ずっと一緒に……!」

 そして悲鳴にも近い悲痛な声と共に、鎮静剤の点滴を、抜いてしまった。
 直後、シャルルの群青色をした瞳が、見開かれる。
 ガシャァンッ!
 そして響き渡る、ガラスの割れる音。分厚い特殊ガラスが、いとも簡単に破壊され――その前に居たジョセフとアレキサンダーに降り掛かる。

「うわっ!」
「危なっ!」

 反射的に顔の前を腕で庇い、目を閉じる2人。当たり前の防御反応。
 その僅かな隙を縫って、病室から伸びた珊瑚状の真っ赤な菌糸が、2人の腹部を、首を、貫いた。

「ジョセフ! アレキサンダー!」

 フリードリヒが叫ぶ。ジョセフとアレキサンダーの傷口からは止め止めなく血が流れ出て、その血を一滴も残さぬようにと菌糸が突き刺し吸い込んでいる。
 養分を、補給している。
 病室に入り込んだダニエルはとフリードリヒが割れた窓の向こうへ視線を向けてみると、シャルルの一番近くに居たダニエルは既に幾つもの菌糸の突起に突き刺され、ミイラのように干からびていていた。

 そうして血を吸収する度に肥大化していく、赤い菌糸。
 その菌糸を太く束ね、腹部から虫の足のように身体から生やしたシャルルは、菌糸を支えに、ベッドから降りる。

「シャ、シャルル……?」

 次いで割れた窓からぬぅっと這い出てきて、既に出血多量で倒れているジョセフとアレキサンダーから更に血を抜き取った後、虚な群青色の瞳を、フリードリヒへ向けた。

「シャルル、駄目だ。君は病人なんだ、ベッドで、眠っていないと……」

 みるみる異形と化したシャルルを前に思考が追い付かないフリードリヒは、思わず幼い子供に言い聞かせるような言葉をかける。
 しかし既に正気を失っているだろうシャルルの耳には届かず、カサカサと菌糸で作った足を動かして、フリードリヒへ迫って来た――!

 ◇

 ウ~ッ! ウゥ~ッ!
 ユストゥスとルイが感染病棟の入り口にある待合室に足を踏み入れたその時、突如としてけたたましいサイレンが病棟内に鳴り響く。
 次いで電子音がスピーカーから流れ警報内容を告げた。

『東棟3階で珊瑚症患者が隔離病室から脱走いたしました。ステージ5になった可能性あり。直ちに避難してください。繰り返します。東棟3階で……』

 その警告を聞いたルイは「はて」と首を傾げる。

「東棟3階とは、シャルルの病室がある所ではなかったか?」

 その通り。警報の電子音が告げた場所はユストゥスの教え子でルイの後輩、シャルルが眠る隔離病室がある。
 そして現在、この病棟で隔離されているステージ4患者はシャルルだけだったはず。
 その事を知っているユストゥスは、無言のまま走り出した。

「ユストゥス教授!? 災害警報が聞こえぬのか!?」
「貴様は避難していろ! 私だけ向かう!!」
「っ、ええい! 吾輩を置いて行くでない!」

 ほんの少し迷ったルイだったが、結局彼もまたすぐにユストゥスを追いかけ、病棟を駆け出した。
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