毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第十二章 日本旅行編

第231話 チェリーパイ

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「俺は聞いてねぇぞ……!?」

 右手に持っていたタバコをへし折り戦慄くニコチン。
 ニコチンはアセトアルデヒドと自分、それから監視役のクスシ、あと精々そのクスシの付き添いのウミヘビが同行するぐらいだろうと想定していたのだ。
 なのに同行者が増える、しかもネグラどころか【檻】の中に押し込められている癇癪持ちパラチオンを連れ出すなど、とても許容できる内容ではなかった。

「恐らく、伝えたら文句が来そうで面倒だから言わなかったのでしょうね」
「そりゃ文句言うわ! 【檻】から出すだけに飽き足らず島外に出すなんて飛躍してんだろ! 誰があいつの制御すンだよ!!」
「それはアトロピンさんでしょう。そもそも青洲さんの里帰りの話が先にあって、アトロピンさんの同行は決まっていて、それに便乗して追加の方を入れたんですって」

 アトロピンの毒素はニコチンやパラチオンといった、殺虫剤系の毒素を中和する解毒剤となる。
 もしもパラチオンが毒素を撒き散らしても中和が事ができ、また毒素の相性からパラチオン自身の動きも封じられるのだ。お目付け役としてはこれ以上ない適任である。

「今回の旅行はただ旅行に行くのではなく、パラチオンさんのも含めているようですね。……あとモーズ先生も同行すると聞きました」
「はぁっ!? あいつも来るのかよ! 何だってそんな事になってんだ!」
「里帰りにに研修に、纏めて消化するつもりなのでしょう。とても合理的です。……私が同行できない点を除けば、納得できます」

 眉間にシワを寄せむすりと機嫌な顔をしつつ、セレンははむはむとパンを食べている。
 モーズが同行すると聞いて、内心ついて行きたい気持ちでいっぱいなのだが、此度の日本旅行はニコチン達の功績を元とした褒美。パラチオンとの試合に参加していなかったセレンはどう足掻いても対象になれない。

「私もパラチオンさんの試合に参戦していれば、ワンチャンありましたかねぇ?」
「けどセレンさん、毒素は強いし戦闘力もあるけど、決定打には欠ける印象なんだゾ。パラチオンに勝つには厳しいんじゃないか?」
「それはそうなんですが……。ここのところ感染者の毒耐性が増してきていますし、モーズ先生をお守りする為にも、私も力を付けたいのですよね」
「ハッ! そりゃお前ぇいつまでも中途半端だろが」

 ミシ。ニコチンの指摘に、ラタトゥーユを食べようとスプーンを握ったセレンの手に力が籠る。

「猫を被る……?」
「あっ! タリウムさんこんばんは! 美味しそうな物をお持ちですねっ!」

 次いでセレンは不思議そうにするペンタクロロの声をかき消すように、食堂のキッチンからケーキを乗せたトレイを持って出てきたタリウムを大きな声で呼んだ。

「はぁ……。味見します?」
「えっ、いいんですかっ!?」

 タリウムの持つトレイに乗ったケーキはチェリーパイである。焼き立てのようで湯気が出ていて、見るものの食欲をそそる。
 それをタリウムは惜しげなく、ニコチン達の座る長テーブルに置いてくれた。

「はい。ただ美味いかは保証しないっス。今日はいつも毒味……いえ味見してくれていたカリウムとナトリウムがいないっスから」
「今、毒味っつったな?」

 ちなみにカリウムとナトリウムは現在、各々小規模菌床処分に貸し出されている。
 タリウムのパイ作り初期時は今まで使った事のない砂糖ではなく、料理当番時の癖で塩を使用、味見係を申し出てくれた二人を撃沈させてしまった事もあったが、今日のは大丈夫だろうと思うこととしている。
 なのでニコチンの怪訝そうな目をスルーしつつ、タリウムはナイフとフォークでチェリーパイを四等分に切り分け、皆に分け与えてくれた。

「パラチオンの話していたスよね? 俺、彼との試合に参加した報酬として再教育の終了と、レシピ本を貰ったんスよ。そしたら水銀さん材料も幾らか融通してくれて、何度か作ってみたんス」
「それは素敵な事ですが……。タリウムさん甘い味、わかるようになったんですか?」
「いえ、わからないっス」

 タリウムは黒マスクを外すと四分の一サイズとなったチェリーパイを直接手に取り、鋭い歯で端を齧る。
 味覚が機能していないタリウムは、チェリーパイの甘酸っぱさなど一切伝わらない。レシピ本通りに作れているのか、作れたとしても美味しく仕上がっているのか、確かめようがない。

「作る前は食べたらわかるような気がしていて、でも結局何も……」

 それでもタリウムが栄養補給とは関係のない嗜好品、しかも自分が楽しめる事のない菓子作りを作るのは、人間を知る足掛かりになるのではと彼なりに考えての事だった。ラボの方針的にもウミヘビは人間を知ることを推奨されている。
 しかし本当の所は、タリウムの理解の及ばなかった一人の女性の事をわかりたかった思いがあった。尤もタリウムはその事を自覚していないが。

「いや、パイというサクサクした食感は初めて味わったので、これはこれで新鮮な体験ができたっス。キッシュのパイ生地とはまた違うっスから」

 チェリーパイの話はそこで切り上げ、タリウムはペンタクロロに彼の防腐剤仲間であるホルムアルデヒドの事を話した。

「新鮮な体験といえば最近、ホルムアルデヒドと試合で対戦したっスよ。ずっと戦闘訓練してこなかった彼がいきなり現れたのに、びっくりしたッス」
「へぇ。タリウムと対戦するとか、あいつなりに頑張ってんだナ。で、どっちが勝ったんだゾ?」
「それは俺が。けど数年振りの試合にしちゃ強かったっスねぇ。回数をこなしてきたら楽な相手じゃなくなる。そのうちペンタクロロも負けるかもしれないっス」
「ハハッ! それはそれで楽しみなんだゾッ!」

 特殊学会から帰還後、散々な目にあったからか島外の現状に思う所があったのか、資料室にこもってばかりであったホルムアルデヒドはたまにであるものの戦闘訓練に参加するようになり、同じ第二課であるタリウムとの試合もこなしたのだ。
 ただし第二課の中でも指折りの実力を持つタリウムが相手では、戦闘訓練を再開して間もないホルムアルデヒドは流石に白星は取れなかった。だがペンタクロロはそんな友人の成長を聞いて、嬉しそうに笑いながらチェリーパイを頂戴する。そして上出来な味だったので、甘い物をあまり好まないニコチンの分まで食べていた。

「私もモーズ先生の為に戦闘訓練を積み重ねていきたい所ですね。今回はどうしてもついて行けませんし、その間にでも。そして先輩、先生は危なっかしい所があるお方ですから、私の代わりに頼みましたよ~っ!」
「俺かよ」
「駄目ですか? では今からでも飛行機に乗り込んで、こっそり日本へついて行きますか……」
「やめろっ! 連帯責任で俺に罰則が来るだろが! わかったわかった、善処してやるよ一応」

 ――そんな会話を交わすニコチン達の席から、長テーブル二つ挟んだ先の席。

「……へぇ。ニッポンねぇ」

 そこに座っていた一人のウミヘビは、ニコチンの向かう国、日本の名を聞いて、ひっそりとほくそ笑んでいた。
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