毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第十三章 朝顔の種編

第259話 沈没

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(マズい)

 面頬の男の手によって水槽の中に落とされたモーズは、焦っていた。

(水槽の水は海水を再現している。海水の浮力はおおよそ1.03。比重が平均1未満、0.98である人間ならば浮かぶが……っ!)

 物体は浮力の数値より低ければ沈み、高ければ浮かぶ。そしてモーズの体重の比重は、海水の浮力を超えてしまっている。
 よって何もせずにいれば、沈んでいくのみ。

(息が続いているうちに上がらなくては、溺死する!)

 迫り来る死の影から逃れようと水中を蹴るものの、ただでさえ重い身体に加えて、今着ている面積の多い浴衣が水をよく吸う。容易にあがってはくれない。

(灯りを消された。何も見えない。焦るな。肺から空気を吐いてしまえばより浮力が落ちてしまう。息も続かなくな……)

 その時ガシリと、何かに足を掴まれる感覚を覚えて、モーズはぎょっとした。人の手の形状に似ているが、酷く冷たい。そんな手が一つ、二つ、三つと増え次々と足を掴んできて、このままでは凍えてしまうのではないか、と危惧してしまう程の寒さを覚えた。
 モーズはすかさず蹴って振り払おうとしたが、感覚は残ったまま。と言うより、そもそも実態がない。冷たい手に掴まれている感覚を覚えているだけで、手を伸ばし指先で足に触れてもそこには何もない。

(パニックに陥って、幻覚でも発症しているのか?)

 心理状態が感覚に反映されているのかもしれない。
 だから、大きな目玉が一つ、こちらを凝視している感覚を覚えてしまうのも、きっと死に直面している精神の乱れから来ているのだろう。

(ともかく上に、早く、上に)

 ――上は、どこだ。
 幻覚の影響か上下の感覚がわからない。暗闇で一寸先も見えない中、正しい方向に進んでいるか判断がつかない。
 ゴボリ。肺の空気が気泡となって口の端から漏れ、モーズは更に焦りを募らせた。

(駄目だ。ここで終わる訳にはいかない。ようやく、ようやく新しいフランチェスコの手掛かりを得られたんだ。私は、私は……っ!)

 モーズは手を伸ばす。何かを掴もうと。無数の手から、一つの目玉から逃れようと。
 しかしその手が何かに届いてくれる事はなく、ただ虚しく水を切るだけ。

(……、は)

 ガシッ
 意識を失いかけたその時、モーズの手を、誰かが握ってくれた。
 直後、強い力で引っ張られて、一気に身体が移動させられる。そのまま水面の上、地上まで引き上げられた。

「ゲホッ! ゴホ、ぅ、ゲホ……ッ!」

 幾らか飲み込んでしまった水を吐きながら、モーズは幾度となく呼吸を繰り返す。その最中にも誰かは水槽の外、部屋の床までモーズを引き上げてくれる。

「はっ、はぁ、はっ」
「大丈夫ぅ?」

 力が入らず床に横たわるモーズに向け話しかけてきたのは、聞き覚えのある、ゆったりとした声。

「よかったぁ。ちゃんと意識、あるねぇ」
「アセト、アルデヒド……」

 その声の主はアセトアルデヒド。皆が探し求めていた彼の手によって、モーズは助けられたのだ。
 するとモーズが引き上げられた事に気付いた信者達の手により灯りが付き、部屋の全貌が顕になる。装飾性のない、真っ白い部屋だった。その中央に床を抉る形で大きな水槽が設置されていて、そこにモーズは沈められたらしい。
 底が見えない、深い深い水槽に。

「こいつ! いつ逃げ出したんだ!?」
「いやそれよりも、奉納の邪魔をするとは……っ!」
「洗礼が、《不老不死》が遠退いてしまった!」
「ならばもう一度!」

 目的を邪魔されたとして、信徒達はモーズとアセトアルデヒドを取り囲もうとする。アセトアルデヒドは身体を起こす事も儘ならないモーズを抱き上げ、隙を付いて逃げられるよう身構えた。
 それに対して信徒達はテーザーガンを構え、再びモーズの意識を奪いにかかろうとしたが――

「あ? クラゲ……?」

 テーザーガンの引き金を引く前に、ふわりと、アイボリー色をした小さなハブクラゲが信徒達の目の前を優雅に浮遊する。
 空中に浮かぶクラゲという神秘的な光景に信徒達が一瞬、呆気に取られたその時、ハブクラゲ――アイギスは、容赦なく傘から伸びる触手を伸ばし信徒達の身体に巻き、壁に叩き付けた。

「ぐあっ!」
「ぎゃあっ!」

 容赦なく叩き付けられた信徒の一人は頭を強く打ったようで、床に転がって気絶している。テーザーガンや拳銃を持っていた信徒もいたが、その叩き付けられた衝撃で手中から手放してしまい丸腰だ。
 だからとアイギスは手を緩めず追撃。再び触手を伸ばし信徒達の利き腕を折りにかかる。
 ゴキンという鈍い音と、胴間声が白い部屋に木霊した。

「ア、アイギス! もういい、いい、んだ!」

 そのままトドメを刺そうと思ったのか、信徒達の首を絞め上げ始めたアイギスに対してモーズは慌てて制止を呼びかけ、自身の元に戻ってくるよう手を伸ばす。

「……怒ってくれて、ありがとう」

 守ってくれた事に、礼を伝えるのも忘れずに。それを聞いたアイギスは渋々といった様子で触手を信徒達から離す。
 が、ほうほうの体ながらまだ動く彼等が癪に障ったのか何なのか、最後に彼等の身体に触手を突き刺し“じゅっ”と吸血をし、貧血による気絶を与えた後にモーズの元へ戻ってきた。

「アイギス……っ!?」
「う~ん。やけ吸血ってやつかなぁ。まぁ意識なくさせてくれて有難いけどぉ」

 傘の中を血の赤で満たしたアイギスは満足げにモーズの周りを浮遊した後、手の甲から彼の体内へと収まる。
 これにより、白い部屋で意識のある者はモーズとアセトアルデヒドのみとなった。

「アセトアルデヒド、無事でよかった。救出しに来たというのに、逆に助けられてしまうとは情けない」
「気にしなくていいよぉ~。僕こそ許可なく離れる事になっちゃって、厳罰ものだよねぇ」
「それこそ、気にする必要などない。あと、もう下ろして貰っても……」
「でも新人さん、あんまり上手く動けないでしょ~? このお屋敷、カラクリが沢山あるみたいでねぇ。ふらついてたら危ないから、僕が運ぶよぉ」
「しかし、その、重いだろう」
「別にぃ。僕もウミヘビだよぉ?」

 100キロの成人男性を平然と抱き上げ、涼しい顔で歩ける辺り、戦闘員ではないアセトアルデヒドもまたウミヘビである事がよくわかる。
 未だに麻痺が残る身体で、人の手を借りないと動けない事に情けなさと羞恥心を覚えつつ、モーズはアセトアルデヒドに身を任せる他なかった。

「ニコチンといい面頬の男といい、今日は運ばれてばかりだな……」
「ニコにも運んで貰ったんだぁ。乗り心地はどうだったぁ?」
「悪くなかった」

 素直な感想を伝えれば、アセトアルデヒドはにっこりと上機嫌そうな笑みを浮かべる。

「そういえば、面頬のお兄さんいなくなっちゃっているねぇ。お礼言いたかったんだけど」
「お礼?」
「ちょっと、発破かけて貰ってねぇ。それで逃げてきたんだぁ、僕。お兄さんからすれば、そんなつもりじゃなかったかもだけどぉ……。いないんじゃ仕方ない。行こっかぁ」
「あぁ。電波は……まだ繋がらないか。《原木》の処分もしなくてはならないが、今は合流を優先し、ひとまず地上へ向かおう」
「そうだねぇ」

 そうして2人は白い部屋の外へと出て、地上に向け歩みを進めたのだった。
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