毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第十三章 朝顔の種編

第267話 霧雨の中で

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 西暦2297年。秋。

「はぁっ……。はぁっ、はぁ……」

 霧が立ち込める山の中を、ボロ布を纏った一人の青年が走り抜ける。

(もう何刻、もう幾日、歩いたでしょうか……。十日は、過ぎたでしょうか……)

 ざんばらに伸びた白い髪。裸足の足。土に汚れた身体。
 ここに来るまで、何度目かの日の出を見て、何度目かの日没を見た。その間、ずっと足を止める事なく青年は移動し続けた。
 逃げ出した研究所の職員に、見つからないように。

(寒い……。流石に、十日もろくに食べずにいれば、わたくしでも……)

 移動し通しで、睡眠も食事もとらずにいた青年の体力は既に限界で、ぬかるんだ土に足を取られその場で転んでしまう。
 それでも少しでも研究所あそこから遠去かりたくて、青年は這ってでも進んだ。しかしそれも長く保たず、やがて動けなくなる。
 手足が、身体の末端が冷えていくのがわかる。自分はもう長くないだろう。
 そう悟った青年は、そこでようやく周囲へ目をやった。

 そこは辺り一面に桔梗の花が咲き誇る、幻想的で美しい場所だった。

(……ここで命尽きるのも、悪くないのかも、しれませんね)

 自嘲するように微笑んで、青年はゆっくりと瞼を閉じる。

 そうしてどれだけ経ったか。
 霧が晴れ、視界が良好になった頃合いに、背負い籠を背負った一人の少年が山の中に姿を現した。彼の目的は生薬の材料になる桔梗の根で、咲き誇る桔梗の幾らかを採集。籠の中に入れていった。
 その採集作業中に、少年はうつ伏せで倒れている青年を発見する。うつ伏せの彼は裸足で、薄汚れた格好で、所持品も見当たらず、着の身着のままといった風貌だ。
 少年は恐る恐るその青年に歩み寄ると、そっと肩を揺すって声をかける。

「おい、おい。お前、生きているか? 借りている敷地で、行き倒れは勘弁願いたい……」

 しかし青年は固く目を瞑ったまま、ピクリとも動かない。
 ただ生きてはいるようで、規則的な呼吸音が聞こえてきた。

「……はぁ」

 ◇

「まぁまぁ! 薬草じゃなくて人を拾ってくるだなんて! しかもこんなに可愛い子を!」
「母上、あまり近付かないように……。得体の知れない、男です。目が覚めたら追い出します」
「追い出すだなんてっ! 青洲ちゃんは冷たいわねぇ。拾ってきたのならちゃんと責任取らないと!」
「犬猫じゃないんですから……。連れ帰ったのは、借りている敷地で警察沙汰を起こして欲しくなかったからです。余所なら幾らでも倒れて構わない。ただ小生が余所に捨て置けば、遺体遺棄になる可能性を懸念して……」
「もう! 貴方それでも医者の卵? もっと優しさと思い遣りを持ちなさいっ!」
「母上がお人好し過ぎるだけです」

 賑やかな声で目が覚める。瞼を開けた瞳には、木の板が張られた見慣れない天井が映った。

(ここは……?)

 固く湿った土ではなく、柔らかい布団の上に寝かされている。どうやら自分は畳が敷き詰められた部屋にいるらしい。段々と現状を把握してきた青年は、ゆっくりと上体を起こした。
 すると賑やかな声を発していた女性がずいと身を寄せてきて、青年はギクリと身体を強張らせる。その女性は、確か『着物』と呼ばれる日本の民族衣装を着ていた。青年にとって初めて見る衣服である。

「まぁまぁ! 起きたのね可愛い人。お腹空いているでしょう? ちょっと待っていてね、今からお粥を作るから」
「母上、ですからあまり関わるのは……」
「青洲ちゃんは黙ってなさいっ!」

 着物の女性に『青洲』と呼ばれたのは、二次性徴は終えているものの、まだ幼さが残る少年であった。利発そうな顔をしている、と青年がぼんやり思っていると、青洲はじとりと青年を睨んできた。

「お前。少しでも怪しい動きをすれば……わかっているな?」

 よくわからないが、ただならぬ気配を感じ取った青年は取り敢えず頷く。
 それから間もなくして着物の女性、『青洲の母上』がお粥とお絞りを持ってきてくれて、青年の土で汚れた手を拭かせて貰った上で、湯気の立っているお粥を口に運ぶ。

(温かい……)

 温かい食事など、いつ振りだろうか。
 基本的に栄養剤しか与えられてこなかった青年にとって、このお粥は身体だけでなく、心も温まる食事であった。

「そうそう! お名前聞いていなかったわねぇ。何て呼べばいいのかしら?」
「……あ、ええ、と」

 母上に訊ねられた青年は紫色の目を泳がす。名前はあるにはあるが、人名とはかけ離れた名前で、とても伝えられない。
 馬鹿正直に『アトロピン』など名乗ってしまえば、彼女達は訝しむだろう。だから誤魔化す事にした。

「わか、わかりま、せん。記憶が、なくて」
「お前、そんな嘘が通用すると……」
「まぁまぁ! それは大変ねぇ!」
「母上っ!」

 ぱっと偽名が思いつかなかったので記憶喪失を装ったところ、青洲は信じなかったが母上はあっさりと聞き入れてくれた。

「何よぉ。困った時はお互い様って言うでしょ?」
「素性のわからない人間にする事では、ありません」
「その素性のわからない人間を連れ込んだ子に言われたくありませ~ん。貴方だってどうせ放っておけなかった、が本音でしょうに」
「ぐ……」

 母上の指摘に青洲が押し黙っている。図星らしい。

「それじゃあ『朝顔』。『朝顔』ちゃんて、呼んでもいいかしら?」
「『朝顔』……」
「えぇ! 貴方の瞳、朝顔の花みたくとっても綺麗だから。それに青洲ちゃん曰く、桔梗畑の中にいたって話じゃない。桔梗も昔は『朝顔』って呼ばれていたのよ? ほら、ぴったりでしょう?」

 母上は青年の紫色の瞳を見て、そう提案してきた。
 日本人離れした容姿に色素だというのに、ありのままを受け止めてくれる。それが無性に嬉しかった。

「……はい。わたくしは、『朝顔』です」

 だから青年は『アトロピン』ではなく、『朝顔』として在る事を決めたのだった。

「それで、落ち着いたら外に……」
「せめてお風呂に入れてあげましょうよ!」
「……。ではその後に……」
「お洋服ボロボロなんだし、着替えも用意しなくっちゃ! 貴方スタイルよくて美人さんだから、何を着せようか迷っちゃうわぁ」
「母上……」

 部屋から追い出そうとする青洲を、何かと理由をつけて先延ばしにしようとする母上。そして青洲は母上の勢いに押されている。

「あっ、心配しないで朝顔ちゃん。うちは呉服屋なの。だから着替えは吐いて捨てる程あるのよぉ」
「母上、商品ですよ」
「は、はぁ。その、よろしくお願いします……?」

 こうして朝顔は、青洲と彼の母上の元で厄介になる事となった。
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