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第十三章 朝顔の種編
第279話 鎮静剤
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「ごっ、御母堂! 御母堂!」
「静かになさい。いくら呼びかけても聞こえていないわ」
室内をあてもなく彷徨う母上の姿を見て、朝顔は必死に呼びかけるが、その声は届いていないようだった。
「ねぇ、この家に他に人間はいるのかしら?」
「もう2人暮らしておりますが……。奥方は買い物に、青洲先生は大学におります」
「そう。つまり居ないのね。それじゃ気兼ねなく使えるわ」
そこで水銀は座敷から立ち上がり、右手を掲げたかと思えば銀色の液体金属を手の平から生成した。
最初は手の平サイズの球体として現れたそれは、瞬く間に形を変え細剣へ変貌する。
「お、お待ちください! 何を……!」
「処分よ」
その液体金属で生成した細剣の矛先を、母上に向ける水銀。
「生物災害が起きたのだもの。鎮めるのよ」
「ま、待ってください! どうか、どうか待って!」
「待って、どうするの? このまま放置して、あの感染者が貴方のいい人を殺す所を見る?」
「そ、それは……っ」
朝顔は言葉を詰まらせる。放っておいた所で、母上はもう人に害をなす存在にしかなり得ない。何なら帰宅した青洲と加恵を真っ先に襲うだろう。
そんな事、彼女させられない。
しかしこのままただ見殺しにするのも、朝顔にはとても出来なかった。
『ア、ア、ァアア……』
母上は意味をなさない鳴き声を発するばかりで、まるで獣のようだ。
世界ニュースで連日報道されている、末期患者の言動そのもの。ここから更に症状が進行すると身体よりも大きな硬質な菌糸が生えて、辺りを破壊し尽くす異形と化してしまう。
「まだ人の形を保っている内に、眠らせてあげた方がいいんじゃないかしら?」
正しい。水銀の言うことはどこまでも正しい。
だが朝顔の感情は、その正しさを拒絶した。
故に水銀の細剣が母上の身体を貫く前に、朝顔は必死に母上の元へ走り彼女の細身を抱き締める。
そして、己の毒素を持ってして……鎮静した。
「ちょっと、いきなり前に出るだなんて危ないわね」
幸い、水銀の優れた反射神経により、彼の細剣は朝顔と母上を貫く前に止められた。
母上は無傷だ。そして朝顔の毒素『アトロピン』の鎮静効果によって、眠る事ができている。
一時凌ぎだとしても、とっさの行動が成功した事に朝顔は肩を震わせた。
「ふぅん。効くのねぇ、鎮静剤。新しい発見だわ。坊ちゃんに報告しなくっちゃ」
細剣を持ったまま、しかし構えることはなく、水銀は朝顔の腕の中で眠る母上を興味深そうに観察している。
「けど、いつまでも眠らせられないでしょう? どっちにしろ、中毒になるわよ」
「……わかって、おります。ただもう少しだけ、このままに……」
「もう少しって、いつまでかしら」
「今夜」
朝顔は紫色の瞳からぽろぽろと涙を流しながら、そう言った。
「青洲先生と加恵殿にお別れの挨拶を、させてあげたいのです」
◇
「母上……っ!」
「お義母さん……!」
帰宅した青洲と加恵の前には、座敷の上に静かに横たわる、もう目覚める事はないと告げられた母上の姿。
鎮静剤によって一時的に眠っているが、次に目覚めたら生物災害として処分される。別れを終えたら速やかに安楽死をさせる為、専用の施設に搬送するように、と行政に伝えられた体で、朝顔はその場を取り繕った。
「そんな、今朝はお喋りできるぐらい、元気だったのに……っ」
「母上、母上……っ! あぁ、畜生……っ!」
悲しみと悔しさに包まれる中、朝顔は一人裏口から外に出ると、そこで待っていてくれた水銀と合流をする。
「……半刻もあれば、心の整理が付くと思われます。その後はどうぞ、ご随意に」
「そう。別にこっちは急いでいないから、いいのだけれど」
水銀は両腕を組んで淡々と言う。
彼は朝顔の頼みで、母上の安楽死を請け負ってくれている。朝顔にも青洲にも、出来ないからだ。
「そういえば、坊ちゃんという方が未だ到着していないようですが」
「それがねぇ。何だか研究所の後始末に手こずっているみたいで、今日は来られないみたい」
「左様ですか」
「まぁ近日中には来るでしょう。違法薬物の件はその時に話しましょうか」
「……御母堂が亡くなったのです。対応できるか、わかりません」
「対応してくれるわよ」
水銀は何故かわかりきった事のように断言をした。
「早くしないと、あの小さなお嬢さんの方もああなるのよ? 休んでいる暇なんてないって事、貴方のいい人は理解しているでしょう」
「そう、ですね。あのお方は、そういうお人です」
朝顔は目を伏せ、疲れた表情を浮かべる。
「何を沈んでいるのかしら。貴方ついさっき、凄い発見をしたのよ?」
「はぁ、何がでしょう?」
「鎮静剤よ、鎮静剤。効いた所を見るのはこれが初めて。今後、大きな影響を及ぼすわ」
「影響、と言いましても、わたくしはあくまで先延ばしをしただけでして……」
「でも本格的に災害化する前に鎮静ができるのなら、『コールドスリーブ』が施せる」
そう言って、水銀は勝気な笑みを見せてくれた。
「前から検討はしていたけど、正気のままの感染者全員をコールドスリープにするのは現実味がなくって、どうしようか議論されていたのよ。けど正気を失った感染者に限定すれば対象を減らせるし、不満も出にくい。坊ちゃんに報告すれば褒めてくれるかしら? 褒めてくれるわよね? えぇ、きっと褒めてくれるわ! うふふ、楽しみねぇ」
「そうですか」
上機嫌に語る水銀の姿を、朝顔は他人事のように眺める。
確かに正気を失っても処分を先送りにできる術があるのは喜ばしい。
その対象に、母上も入って欲しかった。その無念さが、朝顔の胸中を蝕む。
後日。
約束通り水銀の話していた坊ちゃんは青洲の元へ訪れ、違法薬物を合法に昇華する為の話し合いを重ねた。
話し合いを終えた青洲曰く、坊ちゃんは非常に聡明で、自分など足元に及ばない程の才覚を持っていた。よって今までの研究の成果を全て明け渡し、症状抑制剤及び治療薬の完成を彼に託したと言う。
その坊ちゃんこそ、後にオフィウクス・ラボの所長として君臨する男であり、朝顔ことアトロピンや水銀を含む全ての人造人間、いや《ウミヘビ》の父と言えるレシピ創造者であった。
彼は青洲に言った。
――近々、『珊瑚』を撲滅する研究所を作る。そこに君も来て欲しい――
魅力的な誘いではあったが、関係者以外の立ち入りを厳重に制限される規約も設けるらしいその研究所では、加恵の側にいられない。
青洲はその旨を話し、丁重に断りを入れた。
その際、朝顔の正体も聞いた青洲であったが、彼が望む限り共に居たいと伝えてみたところ、快諾。何かあった時用にと連絡先だけ寄越し、朝顔の滞在に口出しする事なく帰っていった。
その年の内に、彼が開発したワクチンと完成させた症状抑制剤が世界へ普及。
年末には感染爆発の出口が見えてきた。
翌年となる西暦2302年には感染病棟が日本に設立。更に翌年の西暦2303年。無事に医大を卒業し、医師免許を取得した青洲はそこへ配属される運びとなり、珊瑚症の症状が進行してきた加恵の入院も約束させた。
そうして青州達は、住居を富士の麓へ移す事になったのだ。
「静かになさい。いくら呼びかけても聞こえていないわ」
室内をあてもなく彷徨う母上の姿を見て、朝顔は必死に呼びかけるが、その声は届いていないようだった。
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そこで水銀は座敷から立ち上がり、右手を掲げたかと思えば銀色の液体金属を手の平から生成した。
最初は手の平サイズの球体として現れたそれは、瞬く間に形を変え細剣へ変貌する。
「お、お待ちください! 何を……!」
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その液体金属で生成した細剣の矛先を、母上に向ける水銀。
「生物災害が起きたのだもの。鎮めるのよ」
「ま、待ってください! どうか、どうか待って!」
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そんな事、彼女させられない。
しかしこのままただ見殺しにするのも、朝顔にはとても出来なかった。
『ア、ア、ァアア……』
母上は意味をなさない鳴き声を発するばかりで、まるで獣のようだ。
世界ニュースで連日報道されている、末期患者の言動そのもの。ここから更に症状が進行すると身体よりも大きな硬質な菌糸が生えて、辺りを破壊し尽くす異形と化してしまう。
「まだ人の形を保っている内に、眠らせてあげた方がいいんじゃないかしら?」
正しい。水銀の言うことはどこまでも正しい。
だが朝顔の感情は、その正しさを拒絶した。
故に水銀の細剣が母上の身体を貫く前に、朝顔は必死に母上の元へ走り彼女の細身を抱き締める。
そして、己の毒素を持ってして……鎮静した。
「ちょっと、いきなり前に出るだなんて危ないわね」
幸い、水銀の優れた反射神経により、彼の細剣は朝顔と母上を貫く前に止められた。
母上は無傷だ。そして朝顔の毒素『アトロピン』の鎮静効果によって、眠る事ができている。
一時凌ぎだとしても、とっさの行動が成功した事に朝顔は肩を震わせた。
「ふぅん。効くのねぇ、鎮静剤。新しい発見だわ。坊ちゃんに報告しなくっちゃ」
細剣を持ったまま、しかし構えることはなく、水銀は朝顔の腕の中で眠る母上を興味深そうに観察している。
「けど、いつまでも眠らせられないでしょう? どっちにしろ、中毒になるわよ」
「……わかって、おります。ただもう少しだけ、このままに……」
「もう少しって、いつまでかしら」
「今夜」
朝顔は紫色の瞳からぽろぽろと涙を流しながら、そう言った。
「青洲先生と加恵殿にお別れの挨拶を、させてあげたいのです」
◇
「母上……っ!」
「お義母さん……!」
帰宅した青洲と加恵の前には、座敷の上に静かに横たわる、もう目覚める事はないと告げられた母上の姿。
鎮静剤によって一時的に眠っているが、次に目覚めたら生物災害として処分される。別れを終えたら速やかに安楽死をさせる為、専用の施設に搬送するように、と行政に伝えられた体で、朝顔はその場を取り繕った。
「そんな、今朝はお喋りできるぐらい、元気だったのに……っ」
「母上、母上……っ! あぁ、畜生……っ!」
悲しみと悔しさに包まれる中、朝顔は一人裏口から外に出ると、そこで待っていてくれた水銀と合流をする。
「……半刻もあれば、心の整理が付くと思われます。その後はどうぞ、ご随意に」
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彼は朝顔の頼みで、母上の安楽死を請け負ってくれている。朝顔にも青洲にも、出来ないからだ。
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「それがねぇ。何だか研究所の後始末に手こずっているみたいで、今日は来られないみたい」
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「まぁ近日中には来るでしょう。違法薬物の件はその時に話しましょうか」
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「対応してくれるわよ」
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「そう、ですね。あのお方は、そういうお人です」
朝顔は目を伏せ、疲れた表情を浮かべる。
「何を沈んでいるのかしら。貴方ついさっき、凄い発見をしたのよ?」
「はぁ、何がでしょう?」
「鎮静剤よ、鎮静剤。効いた所を見るのはこれが初めて。今後、大きな影響を及ぼすわ」
「影響、と言いましても、わたくしはあくまで先延ばしをしただけでして……」
「でも本格的に災害化する前に鎮静ができるのなら、『コールドスリーブ』が施せる」
そう言って、水銀は勝気な笑みを見せてくれた。
「前から検討はしていたけど、正気のままの感染者全員をコールドスリープにするのは現実味がなくって、どうしようか議論されていたのよ。けど正気を失った感染者に限定すれば対象を減らせるし、不満も出にくい。坊ちゃんに報告すれば褒めてくれるかしら? 褒めてくれるわよね? えぇ、きっと褒めてくれるわ! うふふ、楽しみねぇ」
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