毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第十四章 煙草の灰

第285話 弟妹

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 見慣れない天井が視界に入る。
 大理石をモチーフにしたトラバーチン模様がついた、真っ白い天井だ。しかし見慣れてはいないが、知ってはいる。
 日本感染病棟の天井に、間違いない。
 そう認識したモーズはゆっくりと上体を起こし、身体の状態を確認した。モーズが横たわっていたのは寮の和室の布団ではなく、病室の個室のベッドだ。着ている衣服も浴衣ではなく患者服へと変わっていて、状況だけ見れば入院している状態になっている。

(……? 私は昨晩、災害鎮圧を見届けた後に救急車へ乗って、それから……)
「おはよう。気分はどぎゃんね?」

 その時、真横から声をかけられて、モーズははっとして顔を横に向けた。

「し、柴三郎……」

 そこには白虎がデザインされたフェイスマスクを付けた、日本感染病棟の院長たる柴三郎が、丸椅子に座っている。
 モーズが目覚めるまで本を読んでいたらしく、彼の右手には医学書が握られていた。

「戻る途中で眠って、しまったのか。私は」
「ぐっすり。疲労がピークやったんやろう。あと身体が濡れてたからか、発熱もしとる」
「は、発熱……!?」
「正確には38度んなっとるね。やけん寝とけ」

 柴三郎は医学書をサイドテーブルに置くと、空いた両手でモーズの肩を押しベッドに横にさせる。

「そっ、そうだ、青洲さん! 青洲さんの容態は!」
「落ち着いて」

 しかし瀕死の状態だった青洲の事を思い出し、再び起きあがろうとしてきたものだから、柴三郎は少々呆れながらもぽんぽんとモーズの胸元を軽く叩き宥めた。

「峠は越えた」

 心配する必要はない、と。
 それを聞いて、モーズは安堵の息を吐くと共に脱力し、ベッドに身体を沈める。

「あの状態から、持ち直すとは」
「がっはははは!」

 柴三郎は豪快に笑った後、

「わいの部下たい。舐めんことや」

 淡々と発した言葉は、鋭さを孕んでいた。
 どこかおちゃらけた印象を覚える潔と佐八郎だが、彼らも日々災害化の危険のある患者を相手どる、感染病棟勤務の医師。
 生半可な腕では務まらない。それを突き付けられた気がした。

「ばってん、青洲先生が起きるには流石にまちっとかかるやろう。モーズも万全じゃなか、ゆたーっとしていくとよかと」
「あ、あぁ。……そうだ、ウミヘビ達は」
「寮で待機さているばい。それから、アトロピンの遺体は転送装置でラボに送らせて貰うた。クスシば立ち合わせんで済ませてしもうて、すまんね」
「いいや。本来は私達がやるべき事をして頂き、感謝する。手間をかけさせてしまったな」
「こんぐらい気にせんで」

 そう言って、柴三郎はひらひらと手の平を軽く振る。
 それで伝えるべき要件は済んだだろうに、彼は席から立つ事なく留まり、マスク越しにじっとモーズを見詰めてきた。
 マスクに覆われていないモーズの顔を。

「浮かん顔やね、モーズ」
「……失態を、犯してしまった。悪意を持つ相手の言いなりになり、ウミヘビの管理を放棄。油断から意識も奪われ、殺されかけた。しかも救出に向かったアセトアルデヒドに逆に助けられ、菌床発生後に至っては何の役にも立てなかった」

 目が覚めて意識がはっきりしてくる度に思い起こされる、昨晩の惨事。

「……何も、何も、できなかった。アトロピンも、私が見ていなくてはならなかったのに。青洲さんの無茶を、止める事も……。私に、力も判断力も、なかったから……」

 ああすればよかった。ここすればよかった。
 たらればばかり脳内に巡って、モーズは震える両手で顔を覆い隠した。

「あぁ、クソ! 悔しいなぁ……っ!」

 努力を積み重ね医師となったのに。がむしゃらに可能性を求めクスシとなったのに。
 結局、目の前の命1つ救えていない。
 そんな無力な自分に腹が立つ。自己嫌悪に陥る。子供のように泣き出してしまいたくなる程に、悔しい。

「わいらは人間なんや。常に最善ば取るる訳じゃなか。あまり思い詰めなすな……といったっちゃ、簡単には切り替えられんやろうけれど」

 柴三郎はサイドテーブルに肘を置き、少し思案した様子を見せた後、不意に両手を上げて指を立てた。
 ただし左手の小指だけ、折りたたんで。

「モーズ。わい実は9人兄弟ん長男なんや」

 そして唐突に家族構成をモーズに伝えてきた。
 戸惑いつつも、モーズは腕を下ろし彼の話に乗る。

「きゅ、9人。大所帯だな。とても賑やかそうだ」
「そうやろう! 実際、昔はチャンバラごっこで窓ガラス割ったり、田んぼで泥だらけになったり、作業小屋半壊させて大目玉食ろうたり、山ん中でキャンプファイヤーして小火起こしたりとまぁ、たいぎゃ馬鹿ばしとったばい! がっはははは!」
「豪快だな……」
「その弟妹ていまいん内、5人、亡くなった」

 そこで柴三郎は、4本の指を立てていた左手を下ろしてしまう。
 残ったのは、5本全ての指を立てた右手。

「一人は感染者に襲われて殺された。一人は災害現場から逃げ遅れ焼却作業に巻き込まれて死んだ。一人は感染者にステージ5んされて処分された。一人は知らん内に菌床に近付いてもうて養分にされた。一人は珊瑚症が進んだのを見て、家族の判断で、安楽死させた」

 だがその指は柴三郎が淡々と、感情の乗っていない声音で死因を話す度に一本一本折り畳まれ、最後には拳を握る形で締めくくられた。
 彼が語ってくれた弟妹の死因は、全て『珊瑚』に起因する死因である。

「安楽死させたんは次男でなぁ。コールドスリープのシステムが確立する、少し前に死なせてしまった」

 もう僅かでも判断を待てば、希望を捨てなければ、可能性を求めれば――死なせずに済んだ。
 その後悔が柴三郎の中に渦巻いている事は、ありありと伝わる。

「ばってん。どれだけ後悔しても、時間は戻らん」

 過去を踏まえた上で、柴三郎は感染病棟の院長にまで登り詰めたのだ。

「モーズ。わいはぬしが後悔ばするとも思い悩むとも止めんばい。そもそも止めらるるもんじゃなか。ただ一つ、忘れんでいて欲しか事があるたい」

 そこでふと、柴三郎はマスクの金具を外し、

「『次』を、どう動くか。考ゆる事」

 素顔を晒し、真剣な眼差しでモーズを見詰めた。
 猛獣のように鋭く力強い、柴色ふしいろの瞳で。

「振り返るだけじゃ、先に進めんやろう? できなきゃ、犬死するだけや。……ぬし、学会ん時よりし」

 彼の言う「進んでいる」は、珊瑚症の進行の事だ。モーズもそれは自覚している。
 右腕を見れば、昨日よりも皮膚の変色範囲が広がっている事が一目でわかるのだから。
 だが柴三郎はそこで真摯な表情から一変、ぱっと柔らかな笑みを浮かべると、モーズの金髪をわしゃわしゃとなでくり回してきた。まるで幼子を揶揄う時にするような、雑な手付きで。

「一人じゃ無理そうなら誰かと相談するとよか。わいもお喋り好きやけん、いつでも話に乗ると~」
「あっ、あぁ、ありがとう」

 髪が乱される事に戸惑いつつ、モーズは柴三郎に礼を告げる。

「ありがとう……」

 それによって与えられる、優しさと、安心感と、温かさと、嬉しさから――堪えきれなかった涙を左眼から一筋、零しながら。
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