毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第十四章 煙草の灰

第286話 やるべき事

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 ◆

 孤児院の共同寝室、そこに置かれた自分のベッドの上で、幼いモーズは膝を抱えて子供達が戻って来るのを待っていた。
 感染爆発パンデミックが幾らか落ち着き、生物災害バイオハザードも減ってきた、モーズが8歳となる年。政府の援助金目当てもありつつ、子供や家族を失った大人達が孤児を求め、養子に迎える事が増えた。
 ただしその対象は『災害孤児』で、モーズは求められていない。
 だから廊下に立たされる事はなく、寝室で一人追いやられるように待ちぼうけを受けていた。

(……養子になって、ここを出て行ったら、あの子も、あの子も、いつかぼくのこと、忘れちゃうのかな。いや、忘れちゃった方が、いいんだ、よね。忘れるべき、なんだよね)

 シスターの言い付け通り、災害孤児は孤児院での思い出は忘れるべきなのだと、つまりモーズとの思い出はなかった事にした方がいいのだと、それが正しいのだと、寂しい思いを押し殺して必死に言い聞かせる。

(キコにもそんな日が、来ちゃうのかな)

 けれど孤児の中でも特別、仲のいいフランチェスコまで引き離されてしまう事を想像すると、胸が締め付けられ、モーズは膝を抱える手に力を入れ身体をもっと小さくする。
 その時、ふと何処かから視線を感じて、モーズは顔をあげる。寝室の扉は固くしまっていて誰かが入ってきた形跡はないのに。
 虫でもいるのかなと、モーズは上を見上げて、身体を硬直させた。

 真っ赤な虹彩を持つ一つ目が、天井に浮かび上がってモーズを凝視している。
 “それ”と目が合った途端、モーズは全身から汗が吹き出し恐怖に駆られた。得体の知れない何かに認識されている恐ろしさ。
 その視線から少しでも逃れる為、モーズは毛布を頭から被って縮こまった。

(なに、あれ。こわい、こわい……)

 “それ”が何なのか、モーズには理解できないけれどだという事だけはわかる。
 口なんてないのに、自分を骨の髄まで食い尽くそうとしている、怪物だと、本能的にわかった。
 逃げ出したい。泣き出したい。
 しかし幼いモーズはどこに逃げればいいのかも、誰に泣き付けばいいのかもわからない。
 ただただ身体を震わせ、やり過ごす他なくて、もういっそ自棄になってしまった方が楽なのでは、と思う程に――

『ばぁ』

 突然、光が差した。

『ぬけだしてきちゃった』

 モーズが被っていた毛布を、廊下の待機列にいた筈のフランチェスコが捲り上げたのだ。
 悪戯っぽく笑いながら。

『……ぬ、ぬけだした。って、シスターに、怒られちゃうよ』
『別にいいよ。あそこにいても、つまんないだけだし。モーズとあそべるなら、怒られてもへっちゃらだよ』

 シスターの言い付けを無視して、フランチェスコはモーズの元に来てくれた。
 他の何よりも優先してくれた。

『それとも、えっと、モーズは怒られるの、いやだった?』
『ううん』

 言い付けを破るだなんて、悪い事だとわかっていのに、シスターに怒られてしまうのに、それが酷く嬉しくって、目玉も視線も怖くなくなって、モーズは力の抜けた笑みを浮かべてしまう。

『へっちゃら』

 だからモーズは何の憂いもなく、差し伸ばしてくれたフランチェスコの手を取って、ベッドから飛び降りたのだった。

 ◆

 ふ、と。モーズは病室のベッドの上で瞼を開ける。夏の日差しは強く、窓のカーテン越しに差し込んだ光も眩しさを覚えた。
 そこで床頭台に置かれたデジタル置き時計を見てみると、自分が丸一日寝ていた事を教えてくれた。
 昨日は柴三郎と話した後、張り詰めていた気が緩んだ所為か、更に体温があがって40度に達してしまい、解熱剤を投与しても下がらない熱に苛まれ、頭痛と倦怠感から、ベッドから降りるどころか、身体を起こす事もろくに出来なかった。
 水分補給も栄養補給も点滴ですます始末。これだけ体調を崩したのは久しぶりであった。

(熱は……下がって、いるな)

 モーズは額に手を当て、自身のおおよその体温を計る。ようやく薬が効いたのかたっぷり寝たからか、もう健全な状態だ。動くのに支障はない。思考を働かせるのも支障はない。
 モーズはむくりと上体を起こした。

(振り返るだけで終わらず、『次』を考える。次、そう次だ。次に私がやるべき事はなんだ。できる事はなんだ。考えろ。考えろ)

 人間の“手”のように変異した菌糸に、〈根〉へ毒素が回らないよう立ち回ってきた菌床。アトロピンが【壊れた】こと。青洲の容態。それら一昨日起きた出来事はラボへ報告済み。しかしその後は意識が朦朧として確認ができていない。
 そこで床頭台に柴三郎が置いておいてくれた携帯端末を操作してみた所、フリッツから『モーズくんもゆっくり休んで』と綴られた電子メールが送られてきていたのを知った。他に伝言はない。誘拐騒動で負ったモーズの心身の負荷を鑑みて、気を遣ってくれているのだろう。

(優しい方だ。取り敢えず私の体調は回復した、と伝えなければ)

 モーズはフリッツへの返信をすませると、携帯端末を床頭台に置き直す。その床頭台に、柴三郎が用意してくれた薬袋やくたいも置かれている事に気が付いた。「時間来たら点滴する予定やけど、飲めそうやったら飲んで」という書き置き付きで。
 薬袋の中身は珊瑚症の症状抑制剤だ。点滴投与もできるが、経口摂取をした方がより効果を発揮する代物。故に可能な限り自分で服薬する事が推奨されている。
 モーズはベッドから降りると履き慣れないスリッパを履いてから洗面台まで歩き、備品のコップを借り水道水で薬を飲み込む。日本の大抵の水道水は飲水できて便利だな、なんて考えながら。
 考えながら……青洲の顔が、脳裏に浮かんだ。

(私が今、物を考えられるのは誰のお陰だ? 不自由なく動けるのは誰のお陰だ? 死なずに済んでいるのは誰のお陰だ?)

 今、服薬した症状抑制剤。その礎を作ったのは、青洲に他ならない。モーズはそれを、彼の綴った数々の論文を読んで知っている。知り尽くしている。
 モーズはオフィウクス・ラボに来る以前から、珊瑚症の研究に没頭していたのだから。
 コップを洗面台に戻すと、つかつかと足音を立ててベッドの側に戻り、床頭台の引き出しを開ける。
 そこに仕舞われていたのは、蛇のフェイスマスク。病室を訪れた看護師に、寮の部屋から持ってきて欲しいとモーズが頼んでいたもの。

「行かなくては」

 そのマスクを被って、モーズは病室の外へと向かった。
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