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第十四章 煙草の灰
第287話 やり残した事
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ピッ……。ピッ……。ピッ……。
規則的に発信される機械音で、青洲は目が覚めた。音の発生源は青洲に取り付けられた心電計で、自分の心音が規則正しく動いている事を知らせてくれている。
(……病棟。それも、感染病棟か……)
目が覚めて真っ先に視界に入ってきた、大理石をモチーフにしたトラバーチン模様が施された真っ白い天井。
懐かしい天井である。かつて、青洲が勤めていた病棟の天井。
亡き妻、加恵に会う為に足繁く通った個室の天井。
「よかった。目が覚めたんですね、青洲さん」
不意に横から声をかけられ、青洲は視線を向けてみると、そこにはモーズがベッドの脇に立っていた。
彼も青洲と同じように患者服を着ている。彼も何かしら体調を崩したようだ。
今の青洲にとっては、どうでもいい事だが。
「菌床の処分は無事に終わりました。アトロピンのご遺体と《卵》はラボに転送済み。他のウミヘビ達は今、寮に待機をさせています」
「……そうか。……」
律儀に経過を報告してくれるモーズの言葉を聞き流しつつ、青洲は右手を掲げ、開いて閉じてを繰り返す。
身体は何の問題もなく動いている。動いてしまっている。ギリと、青洲は奥歯を噛み締めた。
「小生だけ、死に損なって、しまったか……」
「青洲さん。容態が回復しましたらラボに帰りましょう」
「……いいや、もう、小生は……」
「帰りましょう、青洲さん。アトロピンの為にも」
「……何故そこで、アトロピンの名が、出る」
「彼は貴方に生きて欲しくて、身を呈したのです。その意思を、【願い】を汲んであげましょう」
「ただ生きて欲しい、というだけならば……場所は、問わないだろう……」
「いいえ。貴方は日本に残れば、きっと死人のようになる。それは生きているとは言えない」
よくわかっている。
愛した女、親しい人が皆亡くなったこの故郷に一人残れば、青洲は墓石の前で自責を繰り返す廃人となる事だろう。
命尽きるまで。
「それが、どうした……。小生の……勝手だろう。そもそも仮に、ラボに戻ったとして、どうする。……小生は、何も成せなかった、救えなかった。戻る、価値など……」
「そんな事はない!」
青洲の後ろ向きな発言を聞いたモーズは突然、ベッドの柵を掴んで語気を荒げた。
「私は貴方がいなければここにいません! 私は貴方がいなければ進行が止まらず、とっくの昔に処分されていた!」
「薬の完成は、所長が……」
「その薬の前身を作ったのは貴方だ! その後だって、多くの薬を作ってきたでしょう! 私は貴方の成した功績を、なかった事にはいたしません!」
ベッドの柵を握り締めるモーズの身体、患者服から露出した右腕の大部分は、薄らと赤く変色している。珊瑚症の症状が進んでいる証拠だ。
それでも彼が歩け、喋れ、考えられるのは、薬で症状を抑え込んでいるからに他ならない。
「奥方の事に必死で、周りが見えていなかったのかもしれませんが、事実は受け止めて頂きたい。それがわからないと言うのならば、わかるまで伝えます。何度だって。私は、繰り返す事だけは得意ですから」
「……。小生に、できる事など、ない。ここにいるのは、死に損なった……無能だ。何処にいても、亡霊のように、ただ悪戯に時を過ごすだけ……」
「そんな筈はない。だって貴方は、ご家族の命を奪った存在を野放しにしたままでいられるような、無感情なお人ではないから」
寧ろ苛烈。
菌床の〈根〉が“彼”の死を嘲笑ったと知った途端、憤り、憎悪し、しかして冷静に、持てる力全てを持ってして叩きのめした。
青洲は決して亡霊などではない。消えない激情を抱いている。モーズはそう確信しているようだった。
「治療薬の確立にはきっと、いえ、必ず貴方の力が必要だ。ここで退場なんてさせません」
「わかったような口を……」
青洲はそこで大きく溜め息を吐き、
「本音は?」
じとりと、狐色の瞳でモーズをねぶるように見詰めた。
ただ尊敬をしているだけで、能力があると評価しているだけで他者を生物災害の渦中に連れ戻すなど、モーズはしない。青洲とモーズが言葉を交わした時間は短いが、それぐらいわかる。
「私には、時間がない」
実際、指摘をされたモーズは一切の誤魔化しをせずに、利己的な、さりとて真剣な本音を語ってくれた。
「利用できるものは、何でも利用させてください」
ただ真っ直ぐに直向きに、手を尽くしたいという本音を。
――時間がありません。利用できるものは、何でも利用しなくっちゃ。
その姿に、亡き妻の姿が、重なる。
「『珊瑚』を、根絶しましょう。青洲さん」
「……ふっ、ふふふふ……」
「せ、青洲さん?」
唐突に肩を震わせ、笑い出した青洲にモーズは戸惑っている。それがまたおかしくて、青洲は口元を手で覆って声を出して笑った。
「とんだ新人が、来たものだ」
次いで青洲はむくりと身体を起こして、自身の五体満足の身体を見下ろした。
身体は動く。頭も働く。手の平を優雅に泳ぐアイギスもいる。
“武器”に、不足はない。
「そうだな。小生には、やり残した事が、あったな……」
母の命を奪ったのは誰か。妻の命を奪ったのは誰か。朝顔の命を奪ったのは誰か。
そんなのわかりきっている。
『珊瑚』だ。
「根こそぎ、枯らす」
そう宣言した青洲の瞳に、光が、灯った。
規則的に発信される機械音で、青洲は目が覚めた。音の発生源は青洲に取り付けられた心電計で、自分の心音が規則正しく動いている事を知らせてくれている。
(……病棟。それも、感染病棟か……)
目が覚めて真っ先に視界に入ってきた、大理石をモチーフにしたトラバーチン模様が施された真っ白い天井。
懐かしい天井である。かつて、青洲が勤めていた病棟の天井。
亡き妻、加恵に会う為に足繁く通った個室の天井。
「よかった。目が覚めたんですね、青洲さん」
不意に横から声をかけられ、青洲は視線を向けてみると、そこにはモーズがベッドの脇に立っていた。
彼も青洲と同じように患者服を着ている。彼も何かしら体調を崩したようだ。
今の青洲にとっては、どうでもいい事だが。
「菌床の処分は無事に終わりました。アトロピンのご遺体と《卵》はラボに転送済み。他のウミヘビ達は今、寮に待機をさせています」
「……そうか。……」
律儀に経過を報告してくれるモーズの言葉を聞き流しつつ、青洲は右手を掲げ、開いて閉じてを繰り返す。
身体は何の問題もなく動いている。動いてしまっている。ギリと、青洲は奥歯を噛み締めた。
「小生だけ、死に損なって、しまったか……」
「青洲さん。容態が回復しましたらラボに帰りましょう」
「……いいや、もう、小生は……」
「帰りましょう、青洲さん。アトロピンの為にも」
「……何故そこで、アトロピンの名が、出る」
「彼は貴方に生きて欲しくて、身を呈したのです。その意思を、【願い】を汲んであげましょう」
「ただ生きて欲しい、というだけならば……場所は、問わないだろう……」
「いいえ。貴方は日本に残れば、きっと死人のようになる。それは生きているとは言えない」
よくわかっている。
愛した女、親しい人が皆亡くなったこの故郷に一人残れば、青洲は墓石の前で自責を繰り返す廃人となる事だろう。
命尽きるまで。
「それが、どうした……。小生の……勝手だろう。そもそも仮に、ラボに戻ったとして、どうする。……小生は、何も成せなかった、救えなかった。戻る、価値など……」
「そんな事はない!」
青洲の後ろ向きな発言を聞いたモーズは突然、ベッドの柵を掴んで語気を荒げた。
「私は貴方がいなければここにいません! 私は貴方がいなければ進行が止まらず、とっくの昔に処分されていた!」
「薬の完成は、所長が……」
「その薬の前身を作ったのは貴方だ! その後だって、多くの薬を作ってきたでしょう! 私は貴方の成した功績を、なかった事にはいたしません!」
ベッドの柵を握り締めるモーズの身体、患者服から露出した右腕の大部分は、薄らと赤く変色している。珊瑚症の症状が進んでいる証拠だ。
それでも彼が歩け、喋れ、考えられるのは、薬で症状を抑え込んでいるからに他ならない。
「奥方の事に必死で、周りが見えていなかったのかもしれませんが、事実は受け止めて頂きたい。それがわからないと言うのならば、わかるまで伝えます。何度だって。私は、繰り返す事だけは得意ですから」
「……。小生に、できる事など、ない。ここにいるのは、死に損なった……無能だ。何処にいても、亡霊のように、ただ悪戯に時を過ごすだけ……」
「そんな筈はない。だって貴方は、ご家族の命を奪った存在を野放しにしたままでいられるような、無感情なお人ではないから」
寧ろ苛烈。
菌床の〈根〉が“彼”の死を嘲笑ったと知った途端、憤り、憎悪し、しかして冷静に、持てる力全てを持ってして叩きのめした。
青洲は決して亡霊などではない。消えない激情を抱いている。モーズはそう確信しているようだった。
「治療薬の確立にはきっと、いえ、必ず貴方の力が必要だ。ここで退場なんてさせません」
「わかったような口を……」
青洲はそこで大きく溜め息を吐き、
「本音は?」
じとりと、狐色の瞳でモーズをねぶるように見詰めた。
ただ尊敬をしているだけで、能力があると評価しているだけで他者を生物災害の渦中に連れ戻すなど、モーズはしない。青洲とモーズが言葉を交わした時間は短いが、それぐらいわかる。
「私には、時間がない」
実際、指摘をされたモーズは一切の誤魔化しをせずに、利己的な、さりとて真剣な本音を語ってくれた。
「利用できるものは、何でも利用させてください」
ただ真っ直ぐに直向きに、手を尽くしたいという本音を。
――時間がありません。利用できるものは、何でも利用しなくっちゃ。
その姿に、亡き妻の姿が、重なる。
「『珊瑚』を、根絶しましょう。青洲さん」
「……ふっ、ふふふふ……」
「せ、青洲さん?」
唐突に肩を震わせ、笑い出した青洲にモーズは戸惑っている。それがまたおかしくて、青洲は口元を手で覆って声を出して笑った。
「とんだ新人が、来たものだ」
次いで青洲はむくりと身体を起こして、自身の五体満足の身体を見下ろした。
身体は動く。頭も働く。手の平を優雅に泳ぐアイギスもいる。
“武器”に、不足はない。
「そうだな。小生には、やり残した事が、あったな……」
母の命を奪ったのは誰か。妻の命を奪ったのは誰か。朝顔の命を奪ったのは誰か。
そんなのわかりきっている。
『珊瑚』だ。
「根こそぎ、枯らす」
そう宣言した青洲の瞳に、光が、灯った。
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