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第十四章 煙草の灰
第288話 待機命令
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日本感染病棟の寮。そこの中にある、青洲らが借りている部屋で、ウミヘビ達は一昨日の夜からずっと待機を命じられ、大人しく籠っている。
食事を用意した職員と共に、昨日、部屋を訪れてくれた柴三郎曰く、ウミヘビの監視役たるモーズも青洲も体調が芳しくなく、病室で寝込んでいるとの事だった。流石に明日――今となっては今日に当たるが、その日になれば2人の内、どちらかは動けるようになるだろうから、もう少し待っていて欲しい。と頼まれてしまった。
ロケット弾を放ったヒドラジンも毒の分解と疲労から、部屋の布団にくるまったまま眠っている。ラボからの指示も特にない為、ただ時が過ぎるのを待つのみである。
そんな中、土壁に背中を預け座り込んでいたアセトアルデヒドは、じっと自身の両手を眺めていた。一昨日の夜、転移装置でラボへ送る時まで、アトロピンの《卵》を持っていた両手を。
無事に送り届けられたのを見送ったアセトアルデヒドは、ニコチンに後悔を吐露した。
『僕のせい、だよねぇ。僕が、抵抗しなかったから……。アトロピンが……』
『違う』
しかしニコチンはそれを真っ向から否定し、
『【器】を壊したのは『珊瑚』だ。そんでその『珊瑚』に対処し切れなかったのは俺だ。俺が悪い。お前じゃない』
全ては自分が原因だと、断言をしてきた。
アセトアルデヒドを気遣ってくれているのもあるだろう。だがもしもラボから責任を追及された時は、アセトアルデヒドに告げた言葉を一字一句違わずに伝え、その責を全て負う気に違いない。
今までも、そうだったから。
『帰ったら酒でも飲もう。な、アセト』
そう言って笑いかけてくれたニコチンだが、その酒の席に自分がいるかは考えていない筈だ。
彼は自分の安否など、端から勘定に入れない。アセトアルデヒドさえ良ければそれでいいと、思っているのだから。
その考えを改めて欲しくて、このままではいけないと思って、アセトアルデヒドはモーズに一つ【お願い】をしてしまった。クスシとして新人である彼に。果たしてモーズは叶えてくれるだろうか。
期待と不安がないまぜになっている所に、部屋の扉が開いた。現れたのは丁度、顔を思い浮かべていたモーズだ。
一昨日ぶりに姿を現してくれた彼は、普段通り蛇のデザインが施されたフェイスマスクを付け、勤務服である裏地が蛇の鱗柄の白衣を着ている。荷物が置いてある隣室で着替えたのだろう。自分で動けるぐらいには体調は回復したようだ。
モーズは日本にいるウミヘビが全員、この部屋に揃っている事を確認すると、ニコチンへ声をかけてきた。
「ニコチン、来てくれ」
「あ゙ぁ゙? 何でだよ」
「いいから来てくれ」
「ただの付き添い求めてンなら、パラチオンでも燐でもいいだろが。そうじゃないってんなら先に用件を」
「命令だ」
いつになく強い口調で、モーズは【命令】をしてきた。
「来てくれ」
ニコチンの眉間にシワが寄る。次いで横目でアセトアルデヒドへ視線を向けてきた。気落ちしているアセトアルデヒドの側を離れたくないと、彼の赤い瞳が雄弁に語っている。
よってアセトアルデヒドは手を軽く振る事で、その憂いを払ってあげた。
「ニコ、僕は大丈夫だから。行ってあげてぇ?」
「……チッ!」
それでも納得し切れないようで、ニコチンは盛大に舌打ちをしてから立ち上がり、モーズの元まで渋々といった様子で歩み寄る。
「くだらねぇ用件だったらぶっ飛ばすぞ、てめぇ」
「それは有り難い」
「あ゙ぁ゙……!? ……お前ぇ被虐趣味だったのか」
「それは違う」
そんな会話を交わしながら部屋を出ていく2人。
扉が閉まり足音が遠ざかってから、黙って様子を見守っていた燐が口を開いた。
「何のご指名だろうねぇ。勝手やった罰則ってんなら、アッシに来そうなもんだが」
「多分、僕のお願い、叶えてくれようとしているんだと思う……。先生ぇ、まだ本調子じゃないと思うのに……」
災害が発生した訳でもないのに、わざわざニコチンを名指しで、それも一人だけ呼び付けたという事は、アセトアルデヒドの【お願い】を叶えようとしての事だろう。
もしかしたら推測は外れていて、別の用事があるかもしれないが、何にせよニコチンを気に掛けてくれているのには変わらない。
アセトアルデヒドは目を伏せ、再び手の平を見詰めた。
(アトロピンが壊れた今回の件は、間違いなく僕が原因で、僕が悪くって、僕が怒られるべきで、僕が罰を受けるべきで……。でもねぇ、ニコ。僕はねぇ、ちょっとだけ、自分を好きになれたんだよ? だって、守れたんだ。助けられたんだ。……と言っても、僕は手を伸ばしただけだけどぉ)
それでも確かに、一人の人間を死の淵から救い出せた。
ただ手を伸ばす。僅かとは言え毒素を使う。ニコチンを始めとするウミヘビの戦闘員は当たり前のようにこなせる事だが、アセトアルデヒドにとって身体が竦み上がる程の恐ろしい行為であった。実際、顔色の悪さをニコチンに指摘されてしまった。
けれどそのなけなしの勇気で、状況を好転できた。それだけは、ほんの少し、自分を誇れた。
最悪の事態をひっくり返せる程の力は、なかったが。
(……アトロピンが壊れちゃった今、ニコが無茶をしたら、誰が直せる?)
ニコチンは常々、アセトアルデヒドに言っている。死なないように気を付けている、と。
――嘘だ。
このままでは、いけない。アセトアルデヒドはより一層、そう思うようになった。
「しっかし、そろそろお通夜モードも終わりにしないかい? 辛気臭い辛気臭い! 暗くて湿っぽくて堪らないよ! ヒドラジンは起きないし、パラチオンはずっとだんまりだしアセトアルデヒドも笑顔がないし! 湿気ってアッシにもキノコが生えてきそうだ!」
「……煩い。騒がしくしたいと言うのなら、隣室に行けばいいだろう」
「それだと一人になっちまうじゃないか! ボッチは勘弁願いたいねぇっ!」
その時、部屋の静けさに耐えかね、燐が沈黙を破りにきた。彼は元々、談笑だろうと喧嘩だろうと賑やかな空気が好きなのだ、昨日は自重をして口を閉じていたものの、限界がきてしまったのだろう。
パラチオンにうざ絡みをしている燐の姿に、アセトアルデヒドは屈託のない笑みを浮かべる。
「あははは。……ねぇ、燐」
「おっ、何だいアセトアルデヒド」
「10年前の災害現場って、どんな感じだったぁ? ほら、一昨日みたく街中で災害起きてたのって、10年前はよくあったんでしょぉ?」
アセトアルデヒドが災害現場を実際に見たのは一昨日の事が初めてで、それ以外の災害は資料でしか見た事がない。しかしその災害現場はニコチンが有事に派遣させる場所。日常の一部。
なのでこの機会に知りたいと、ニコチンと同じく菌床処分経験が多い、それも10年前から戦闘員として活躍している燐に訊ねたのだ。
アセトアルデヒドと同じく一昨日の災害対処が初めてだったパラチオンも気になるようで、胡座をかいた姿勢はそのままに耳だけ傾けている。
「10年前の災害かい? そりゃあアレだよ!」
すると燐はアセトアルデヒドの質問に、明るい声音でこう答えてくれた。
「地獄絵図」
食事を用意した職員と共に、昨日、部屋を訪れてくれた柴三郎曰く、ウミヘビの監視役たるモーズも青洲も体調が芳しくなく、病室で寝込んでいるとの事だった。流石に明日――今となっては今日に当たるが、その日になれば2人の内、どちらかは動けるようになるだろうから、もう少し待っていて欲しい。と頼まれてしまった。
ロケット弾を放ったヒドラジンも毒の分解と疲労から、部屋の布団にくるまったまま眠っている。ラボからの指示も特にない為、ただ時が過ぎるのを待つのみである。
そんな中、土壁に背中を預け座り込んでいたアセトアルデヒドは、じっと自身の両手を眺めていた。一昨日の夜、転移装置でラボへ送る時まで、アトロピンの《卵》を持っていた両手を。
無事に送り届けられたのを見送ったアセトアルデヒドは、ニコチンに後悔を吐露した。
『僕のせい、だよねぇ。僕が、抵抗しなかったから……。アトロピンが……』
『違う』
しかしニコチンはそれを真っ向から否定し、
『【器】を壊したのは『珊瑚』だ。そんでその『珊瑚』に対処し切れなかったのは俺だ。俺が悪い。お前じゃない』
全ては自分が原因だと、断言をしてきた。
アセトアルデヒドを気遣ってくれているのもあるだろう。だがもしもラボから責任を追及された時は、アセトアルデヒドに告げた言葉を一字一句違わずに伝え、その責を全て負う気に違いない。
今までも、そうだったから。
『帰ったら酒でも飲もう。な、アセト』
そう言って笑いかけてくれたニコチンだが、その酒の席に自分がいるかは考えていない筈だ。
彼は自分の安否など、端から勘定に入れない。アセトアルデヒドさえ良ければそれでいいと、思っているのだから。
その考えを改めて欲しくて、このままではいけないと思って、アセトアルデヒドはモーズに一つ【お願い】をしてしまった。クスシとして新人である彼に。果たしてモーズは叶えてくれるだろうか。
期待と不安がないまぜになっている所に、部屋の扉が開いた。現れたのは丁度、顔を思い浮かべていたモーズだ。
一昨日ぶりに姿を現してくれた彼は、普段通り蛇のデザインが施されたフェイスマスクを付け、勤務服である裏地が蛇の鱗柄の白衣を着ている。荷物が置いてある隣室で着替えたのだろう。自分で動けるぐらいには体調は回復したようだ。
モーズは日本にいるウミヘビが全員、この部屋に揃っている事を確認すると、ニコチンへ声をかけてきた。
「ニコチン、来てくれ」
「あ゙ぁ゙? 何でだよ」
「いいから来てくれ」
「ただの付き添い求めてンなら、パラチオンでも燐でもいいだろが。そうじゃないってんなら先に用件を」
「命令だ」
いつになく強い口調で、モーズは【命令】をしてきた。
「来てくれ」
ニコチンの眉間にシワが寄る。次いで横目でアセトアルデヒドへ視線を向けてきた。気落ちしているアセトアルデヒドの側を離れたくないと、彼の赤い瞳が雄弁に語っている。
よってアセトアルデヒドは手を軽く振る事で、その憂いを払ってあげた。
「ニコ、僕は大丈夫だから。行ってあげてぇ?」
「……チッ!」
それでも納得し切れないようで、ニコチンは盛大に舌打ちをしてから立ち上がり、モーズの元まで渋々といった様子で歩み寄る。
「くだらねぇ用件だったらぶっ飛ばすぞ、てめぇ」
「それは有り難い」
「あ゙ぁ゙……!? ……お前ぇ被虐趣味だったのか」
「それは違う」
そんな会話を交わしながら部屋を出ていく2人。
扉が閉まり足音が遠ざかってから、黙って様子を見守っていた燐が口を開いた。
「何のご指名だろうねぇ。勝手やった罰則ってんなら、アッシに来そうなもんだが」
「多分、僕のお願い、叶えてくれようとしているんだと思う……。先生ぇ、まだ本調子じゃないと思うのに……」
災害が発生した訳でもないのに、わざわざニコチンを名指しで、それも一人だけ呼び付けたという事は、アセトアルデヒドの【お願い】を叶えようとしての事だろう。
もしかしたら推測は外れていて、別の用事があるかもしれないが、何にせよニコチンを気に掛けてくれているのには変わらない。
アセトアルデヒドは目を伏せ、再び手の平を見詰めた。
(アトロピンが壊れた今回の件は、間違いなく僕が原因で、僕が悪くって、僕が怒られるべきで、僕が罰を受けるべきで……。でもねぇ、ニコ。僕はねぇ、ちょっとだけ、自分を好きになれたんだよ? だって、守れたんだ。助けられたんだ。……と言っても、僕は手を伸ばしただけだけどぉ)
それでも確かに、一人の人間を死の淵から救い出せた。
ただ手を伸ばす。僅かとは言え毒素を使う。ニコチンを始めとするウミヘビの戦闘員は当たり前のようにこなせる事だが、アセトアルデヒドにとって身体が竦み上がる程の恐ろしい行為であった。実際、顔色の悪さをニコチンに指摘されてしまった。
けれどそのなけなしの勇気で、状況を好転できた。それだけは、ほんの少し、自分を誇れた。
最悪の事態をひっくり返せる程の力は、なかったが。
(……アトロピンが壊れちゃった今、ニコが無茶をしたら、誰が直せる?)
ニコチンは常々、アセトアルデヒドに言っている。死なないように気を付けている、と。
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このままでは、いけない。アセトアルデヒドはより一層、そう思うようになった。
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「……煩い。騒がしくしたいと言うのなら、隣室に行けばいいだろう」
「それだと一人になっちまうじゃないか! ボッチは勘弁願いたいねぇっ!」
その時、部屋の静けさに耐えかね、燐が沈黙を破りにきた。彼は元々、談笑だろうと喧嘩だろうと賑やかな空気が好きなのだ、昨日は自重をして口を閉じていたものの、限界がきてしまったのだろう。
パラチオンにうざ絡みをしている燐の姿に、アセトアルデヒドは屈託のない笑みを浮かべる。
「あははは。……ねぇ、燐」
「おっ、何だいアセトアルデヒド」
「10年前の災害現場って、どんな感じだったぁ? ほら、一昨日みたく街中で災害起きてたのって、10年前はよくあったんでしょぉ?」
アセトアルデヒドが災害現場を実際に見たのは一昨日の事が初めてで、それ以外の災害は資料でしか見た事がない。しかしその災害現場はニコチンが有事に派遣させる場所。日常の一部。
なのでこの機会に知りたいと、ニコチンと同じく菌床処分経験が多い、それも10年前から戦闘員として活躍している燐に訊ねたのだ。
アセトアルデヒドと同じく一昨日の災害対処が初めてだったパラチオンも気になるようで、胡座をかいた姿勢はそのままに耳だけ傾けている。
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