毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第十五章 平和が終わる日

第310話 《ジエチルエーテル(C4H10O)》

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「にっ、二酸化炭素が危険値に達している……!?」

 それも屋内ではなく外廊下で。モーズはマスクの下でぎょっと目を見開いた。
 安全値を超える二酸化炭素を人間が吸ってしまえば頭痛、眩暈、吐き気、痙攣のみならず、失神や呼吸困難からの呼吸停止も引き起こす猛毒。
 モーズは慌てて警報音が鳴らない位置まで後退った。フェイスマスクを付けている間は多少の毒素が漂っていても耐えられるとはいえ、過信は厳禁。これによってモーズは、アセトアルデヒドとニコチンの向かう部屋に行けなくなってしまった。

「すまない、2人とも。私はそちらに行けないようだ」
「はぁ? こんぐれぇの毒素も駄目なのかよ」
「あぁ~。人間は二酸化炭素だめなの忘れてたよぉ。ごめんねぇ、モーズ先生ぇ」

 呆れるニコチン、謝罪の言葉を告げるアセトアルデヒド。
 人間ならば失神してもおかしくない二酸化炭素濃度空間でも平然としている辺り、2人は毒耐性が高いウミヘビである事をまざまざと見せ付けられる。

「モーズ先生ぇが来られないなら、呼ぶしかないかぁ。~。~」

 アセトアルデヒドは目的の部屋のインターホンを押し、中の住人――《ジエチルエーテル(C4H10O)》の名前を呼ぶ。
 しかし応答はない。もしや寝ているのかと携帯端末も鳴らしてみるが、そちらも反応がない。

「あれぇ? おかしいなぁ。今日は非番でいると思うんだけどぉ」
「ケッ。どうせ居留守だろ」

 ガンガンガン!
 戸惑うアセトアルデヒドの隣で、ニコチンは扉を思い切り叩き、大声で呼び掛け始めた。

「おいジエチルエーテル! 出てこねぇなら扉蹴破るぞ! 風穴空けられたくなきゃさっさと出てきな!!」
「ニコ物騒ぅ」
「うるせぇええよ!!」

 すると中から男性の声が聞こえたと同時に、バンッ! と勢いよく扉を開け放たれる。
 なお扉が開く直前、ニコチンはさっと横に回避したので扉がぶつかる事はなかった。

「このクソ暑い時期に俺を外に出させるんじゃぬぇっ!!」

 部屋から出てきたのは水色の髪を持つ美青年、《ジエチルエーテル(C4H10O)》だ。
 しかし見目の良さ以上に、彼は特徴的な格好をしている。

(ド、ドライアイスを抱いている……)

 白い水蒸気を漂わす、真っ白い塊。それも枕と同じサイズをした大きなドライアイスを、ジエチルエーテルは左腕に抱き抱えていたのだ。
 ドライアイスは二酸化炭素を固体化したもの。マンションの廊下に危険値を超える二酸化炭素が充満しているのは、彼が抱えているドライアイスの他、室内にも大量のドライアイスが置かれているからだろう。

「なら通信に出ろ馬鹿」
「非番に呼ばれるとかどぉおせロクな用じゃぬぇだろ!! 俺は! 今日! 休み!! !!」
「でもジエチル、モーズ先生ぇ……クスシがお話あるんだってぇ」
「……あ?」

 アセトアルデヒドに指摘され、ジエチルエーテルは中央階段近くに立つモーズの存在にようやく気付き、大袈裟な程に仰け反った。

「は!? クスシ!? 何で!? 俺は規約違反なんざ犯してぬぇぞ!?」
「いや、そういう訳ではなくてだな。私は君と話を……」
「あっ! もしや二酸化炭素をどうにかしろってか!? ああクソ! いるってわかってりゃ言われずともやったってぇのに!!」

 モーズの言葉を無視し、ジエチルエーテルは右手を差し出す。
 するとモーズの足元が薄らと水色がかり、水色の色をした気体――恐らく二酸化炭素が、ジエチルエーテルの右手へと集っていく。同時に冷気も移動し、ジエチルエーテルの部屋周辺を瞬く間に冷やし、廊下や手摺り、扉に霜が発生した。
 これによって腕時計型電子機器が計測する酸素濃度は規定値内へ収まり、ニコチン達の方へ足を進めても警報は鳴らない。モーズはマスクの下で目を見開いた。

「す、すごい。君はジエチルエーテルだというのに、二酸化炭素を操れるというのか!」
「ジエチルエーテルの毒素は二酸化炭素とくっ付けれられるからねぇ。ある程度はコントロール出来ちゃうんだぁ」
「あと気化熱を利用して氷も作れるよな。おら出してみろジエチルエーテル」
「うぉおおい! カツアゲに来たのかお前達ィッ!?」

 ニコチンにげしげしと足を蹴られ、ジエチルエーテルは戸惑いながらも右の手の平の上に、水色がかった氷を、製氷する。
 ジエチルエーテルは気化する際、辺りから大量の熱を奪い周囲を冷却する。この性質を利用し、世界で初めて作られた冷凍機械にはジエチルエーテルが使われた。
 その事はモーズも知識として持っている。だがまさか、ジエチルエーテルがここまで緻密に冷気のコントロールができるとは、想像だにしていなかった。

(――いける!)

 冷気放射器の欠点である操作性の悪さが、ジエチルエーテルによって一気に解消されてしまう。また効率よく対象を冷却する事で、冷気放射器を扱うに必要な人数もグッと減らせる。下手をすれば、ジエチルエーテル一人で凍結実験が完結できるかもしれない。
 そうすれば、念願のステージ5感染者保護が、達成できる。
 モーズは興奮気味にジエチルエーテルの元へ歩み寄った。

「ジエチルエーテル! 是非とも君の力を借りたい! 私達の研究に協力してくれないだろうか! 無論、対価に見合った報酬の用意も……!」
「…………。あづぅうう」

 がしかし、モーズが目の前に来る前に、ジエチルエーテルは非常に怠そうな顔をし、部屋の中に引っ込んでしまった。
 バタンと、無情にも扉が閉められる。

「あぁ~。ごめんモーズ先生ぇ、駄目だったみたい~」
「いっ、一体どうしたんだ」
「あいつ極度の暑がりなんだよ。基本的に夏場は使いものにならん」

 アセトアルデヒドとニコチン曰く、ジエチルエーテルは非常に暑がりで、夏場は持ち回りの仕事を最低限まで減らし、大量のドライアイスを抱え込んで自室に引き篭もるのが恒例の過ごし方なのだという。
 涼を求めジエチルエーテルの部屋に駆け込むウミヘビもそこそこいるそうで、溜まり場になる事も多いのだとか。しかし「人が増えれば部屋が暑くなる」とジエチルエーテルは溜まり場になる事を嫌い、面会拒絶をしがち。先程、アセトアルデヒドの呼び出しに全く応じなかったのも、この辺りが関係している。と教えてくれた。

「クスシの言う事なら聞くかなぁ、って思ったんだけどねぇ。暑さに負けちゃったねぇ」
「そうなのか。だが確かに、夏場に凍結実験をするのは向かないかもしれないな。とは言え、シミュレーターでの検証は重ねたい。どうにか訓練場に行くだけでも叶わないだろうか? あそこならば快適なのだし」
「うぅん。僕も頑張って説得……」

 ピピピピ
 その時、ニコチンとアセトアルデヒドの携帯端末に無機質な着信音が鳴る。電子メールが送られてきたのだ。送ってきた相手はフリードリヒ。内容は「他のウミヘビのメンテナンスが終わったから来い」という、医務室への呼び出し命令である。

「フリードリヒもしつけぇな」
「ごめんねぇ。僕達行かなきゃだぁ」
「身体のメンテナンスも大切だ。それに時間も時間だ、解散するにいい頃合いかもしれない」

 日が長い夏場なのでわかりにくいが、時刻は既に夕方を過ぎている。これ以上、2人を付き合わせるのはやめた方がいいだろう。

「今日はジエチルエーテルを紹介してくれて、本当にありがとう。お陰で光明が見えた」
「このぐらいお安い御用だよぉ。あっニコ、僕が先に医務室に行っているからさぁ。モーズ先生ぇを外まで送ってあげてぇ?」
「俺が? 餓鬼じゃねぇんだ、見送りなんざ……」
「お願い、ニコ」
「……チッ。おいモーズ、さっさと行くぞ」
「あっ、あぁ」

 アセトアルデヒドに頼まれたニコチンは非常に不服そうにしつつ、すたすたと廊下を足早に移動し始めた。モーズも慌てて彼の後を追い、階段を降りていく。
 そして途中でアセトアルデヒドと別れ、2人はネグラの出口へ向かったのだった。



 ▼△▼
補足

ジエチルエーテル(C4H10O)
日本では危険物第4類に分類される、特殊引火物の内の一つ。
「エチルエーテル」や単に「エーテル」と呼ばれる事も。

特徴的なのは引火点の低さ。なんと-45℃。
市販の冷凍庫の温度はおおよそ-20℃なのだが、ジエチルエーテルの引火点はそれよりも低いので、冷凍庫に保管していても何かの拍子で引火からの爆発も大いにあり得るという怖いやつ。また摩擦熱でも簡単に引火するので、ジエチルエーテルを入れた古い容器を開けようとしたら容器ごと爆発した、という事故も起きるそう。

用途としては試薬、麻酔薬、燃料、冷媒や寒剤とさまざま。
世界で初めて作られた冷凍機械の冷媒に使われた毒素でもある。
なお引火性を除いても普通に人体に有害だから、皮膚についたら洗い流そうね。
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