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第十八章 序曲の不協和音
第372話 《アセトン(C3H6O)》
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「タリウム~。今日はキッチン使わないの? 空けといたんだけどぉ」
戦績表を3人で眺めていた所に、食堂の奥から黄白色の髪を持つウミヘビがやってくる。
タリウムの側に来た彼からは林檎の果実に似た甘酸っぱい香りが漂ってきて、モーズはそれに釣られ、何となく甘いものを口にしたくなってきた。
「あっ、すみません《アセトン》。ちょっとクスシに呼び出されたもので」
「おお。そりゃ外せないね~」
(……アセトン?)
その名は確か以前、ニコチンの口から聞いた名前である。
冷気を操れるウミヘビの名前として。
*
*
*
「クスシ同伴のご飯とか初めてだぁ」
タリウムの隣の席に座り、モーズが「お近付きの印に」と注文した林檎パフェを食べるウミヘビ《アセトン(C3H6O)》。
引火性がとても高い事で知られる危険物であり、除光液や溶剤、食品添加物やカップリング剤など幅広く使われる他、ドライアイスと混ぜる事で寒剤を作る事もできる。
「デザート奢ってくれるのは嬉しいけど、研究の協力はできないからね~?」
「安心してくれ、無理強いをするつもりはない。今日はただ、君の人となりを知りたくてな。名前だけ聞き及んでいる状態だったものだから」
「そっか~」
アセトンはフリッツが凍結実験の協力要請をしていた内の一人で、「一人は報酬次第でやる気を出してくれそうなんだけど、もう一人は厳しいかもしれない」と言っていた内、「厳しい」方である。
モーズもそれは理解しているので、ただ純粋に話をしたいという旨を伝えた。
「俺は毒素のコントロール下手だし、運動神経も悪いからね~。前線出たくないんだぁ。食堂で料理している時が一番好き」
「いい趣味だな。日常的な事に楽しみを見出せるのは素晴らしい事だ。私は手段としてしか料理をしないからな……」
「ウミヘビもそんなもんだよ。俺みたく料理好きな奴のが稀。料理当番嫌がる奴多いのなんの」
アセトンは細長いスプーンを指先でくるくると回しながら、テーブルを挟んだ前の席に座るニコチンをじとりと睨み付ける。
どうやらニコチンは料理をしたくないタイプらしい。
「まぁでも最近はチェリーパイ限定とは言え、タリウムが食に目覚めてくれたのは嬉しいね~。しかもあの口煩いトルエンのしごきに耐えて!」
「え。あっ、いや、俺は」
「ネグラに来たばっかのタリウムなんて、栄養剤しか食べていなかったのにねぇ。感慨深ぁい。今だから言うけど、あの頃カリウムが心配して心配して、俺に何度も相談しに来てたんだよ~? たまにナトリウムも引きずってね」
今日は他の当番があるという事で姿が見えない、カリウムとナトリウム。
タリウムとよく似た見目を持つその2人は、暇があればタリウムと行動をしているのだが、それは昔からの事なのだと知って、モーズは微笑ましく思った。
「タリウムは彼らと、とても仲が良いのだな」
「一応、俺の教育係でしたからね。特にカリウムは付きっきりで世話をしてくれた時期があったっス。別に放っておいても日常生活を送るのに支障はなかったのに、不思議っスねぇ」
「なぁにが『日常生活を送るのに支障はなかった』だ。お前ぇ、誰かの指示がなきゃ微動だにしなかったじゃねぇか」
「はい? あれ、そうでしたっけ?」
「飯どころか排泄さえ指示待ちだったんだぞ? 覚えてねぇのか?」
「えーっと……。あんまり……」
「カーッ! こりゃカリウムも浮かばれねぇな」
記憶が抜け落ちている事をニコチンに指摘され、タリウムはこめかみを右手で押さえ「うぅん」と悩ましげな声を出している。
モーズは6月の海辺で、タリウムは味覚が機能していない事や趣味という趣味がない、という話を監視という名目で聞いて知っていた。
が、生理現象さえ指示がなければ実行に移さない(移せない?)程だったとは知らず、大いに戸惑う。
(ニコチンの依存症状の酷さに目がいっていたが、もしやタリウムも大分不安定な精神状態なのでは……?)
表面上は正常に見えてその実、心には深い傷が残っている。というのはセレンの件で味わったばかりである。
よってタリウムの事も注意しておこう、とモーズは心に決めたのだった。
「ウケる。それじゃ世話になった分、デザートでご機嫌取ればいいよ~。充分、いけるでしょ」
マスクの下で堅い顔をしているモーズとは反対に、アセトンはパフェのアイスクリームを味わいながら笑い飛ばしている。
別に珍しい話でもない、と言うかのように。
「あっ。そうだ、モーズサンも料理できるんだよね?」
「えっ? あっ、あぁ」
「じゃあちょっと作ってみてよ~! クスシなら材料購入し放題だしっ! 気になるぅ」
「作る? あ、いや、私が人前で料理をするのは……。珊瑚症の懸念が、」
ない。
ウミヘビには感染を心配しなくていい。手袋をして料理をする必要も、味見の過程を省く必要もない。
その事を思い出したモーズは言葉を飲み込み、暫し思考を巡らせる。
(ニコチンは甘い物が苦手。タリウムは味覚に障害があるものの、アルコールは好きだと言っていたな。アセトンはパフェを所望した通り、甘い物が好みなようだ)
そんな3人を満足させられる料理。
それを実現できるレシピを、頭の中にあるレパートリーから引っ張り出せたモーズは、席から立ち上がった。
「わかった。キッチンを借りさせて貰う」
▼△▼
補足
アセトン(C3H6O)
引火性の液体。日本では消防法で『危険物第四類』の『第一石油類水溶性』に指定されている。ちなみに同じ第一石油類にはガソリンが並ぶ。
引火性が高い面は危なっかしいものの、毒性は低く、食品添加物や除光液に使われたりする。作中のアセトンが料理好きなのはこの辺りから。
またほとんどの液体に混ざるので、本来混ざらないものを混合させるカップリング剤としても優秀。これも食事という避けて通れない栄養補給を介して人(ウミヘビ含む)を繋げる面として、作中のアセトンに反映されている。
戦績表を3人で眺めていた所に、食堂の奥から黄白色の髪を持つウミヘビがやってくる。
タリウムの側に来た彼からは林檎の果実に似た甘酸っぱい香りが漂ってきて、モーズはそれに釣られ、何となく甘いものを口にしたくなってきた。
「あっ、すみません《アセトン》。ちょっとクスシに呼び出されたもので」
「おお。そりゃ外せないね~」
(……アセトン?)
その名は確か以前、ニコチンの口から聞いた名前である。
冷気を操れるウミヘビの名前として。
*
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「クスシ同伴のご飯とか初めてだぁ」
タリウムの隣の席に座り、モーズが「お近付きの印に」と注文した林檎パフェを食べるウミヘビ《アセトン(C3H6O)》。
引火性がとても高い事で知られる危険物であり、除光液や溶剤、食品添加物やカップリング剤など幅広く使われる他、ドライアイスと混ぜる事で寒剤を作る事もできる。
「デザート奢ってくれるのは嬉しいけど、研究の協力はできないからね~?」
「安心してくれ、無理強いをするつもりはない。今日はただ、君の人となりを知りたくてな。名前だけ聞き及んでいる状態だったものだから」
「そっか~」
アセトンはフリッツが凍結実験の協力要請をしていた内の一人で、「一人は報酬次第でやる気を出してくれそうなんだけど、もう一人は厳しいかもしれない」と言っていた内、「厳しい」方である。
モーズもそれは理解しているので、ただ純粋に話をしたいという旨を伝えた。
「俺は毒素のコントロール下手だし、運動神経も悪いからね~。前線出たくないんだぁ。食堂で料理している時が一番好き」
「いい趣味だな。日常的な事に楽しみを見出せるのは素晴らしい事だ。私は手段としてしか料理をしないからな……」
「ウミヘビもそんなもんだよ。俺みたく料理好きな奴のが稀。料理当番嫌がる奴多いのなんの」
アセトンは細長いスプーンを指先でくるくると回しながら、テーブルを挟んだ前の席に座るニコチンをじとりと睨み付ける。
どうやらニコチンは料理をしたくないタイプらしい。
「まぁでも最近はチェリーパイ限定とは言え、タリウムが食に目覚めてくれたのは嬉しいね~。しかもあの口煩いトルエンのしごきに耐えて!」
「え。あっ、いや、俺は」
「ネグラに来たばっかのタリウムなんて、栄養剤しか食べていなかったのにねぇ。感慨深ぁい。今だから言うけど、あの頃カリウムが心配して心配して、俺に何度も相談しに来てたんだよ~? たまにナトリウムも引きずってね」
今日は他の当番があるという事で姿が見えない、カリウムとナトリウム。
タリウムとよく似た見目を持つその2人は、暇があればタリウムと行動をしているのだが、それは昔からの事なのだと知って、モーズは微笑ましく思った。
「タリウムは彼らと、とても仲が良いのだな」
「一応、俺の教育係でしたからね。特にカリウムは付きっきりで世話をしてくれた時期があったっス。別に放っておいても日常生活を送るのに支障はなかったのに、不思議っスねぇ」
「なぁにが『日常生活を送るのに支障はなかった』だ。お前ぇ、誰かの指示がなきゃ微動だにしなかったじゃねぇか」
「はい? あれ、そうでしたっけ?」
「飯どころか排泄さえ指示待ちだったんだぞ? 覚えてねぇのか?」
「えーっと……。あんまり……」
「カーッ! こりゃカリウムも浮かばれねぇな」
記憶が抜け落ちている事をニコチンに指摘され、タリウムはこめかみを右手で押さえ「うぅん」と悩ましげな声を出している。
モーズは6月の海辺で、タリウムは味覚が機能していない事や趣味という趣味がない、という話を監視という名目で聞いて知っていた。
が、生理現象さえ指示がなければ実行に移さない(移せない?)程だったとは知らず、大いに戸惑う。
(ニコチンの依存症状の酷さに目がいっていたが、もしやタリウムも大分不安定な精神状態なのでは……?)
表面上は正常に見えてその実、心には深い傷が残っている。というのはセレンの件で味わったばかりである。
よってタリウムの事も注意しておこう、とモーズは心に決めたのだった。
「ウケる。それじゃ世話になった分、デザートでご機嫌取ればいいよ~。充分、いけるでしょ」
マスクの下で堅い顔をしているモーズとは反対に、アセトンはパフェのアイスクリームを味わいながら笑い飛ばしている。
別に珍しい話でもない、と言うかのように。
「あっ。そうだ、モーズサンも料理できるんだよね?」
「えっ? あっ、あぁ」
「じゃあちょっと作ってみてよ~! クスシなら材料購入し放題だしっ! 気になるぅ」
「作る? あ、いや、私が人前で料理をするのは……。珊瑚症の懸念が、」
ない。
ウミヘビには感染を心配しなくていい。手袋をして料理をする必要も、味見の過程を省く必要もない。
その事を思い出したモーズは言葉を飲み込み、暫し思考を巡らせる。
(ニコチンは甘い物が苦手。タリウムは味覚に障害があるものの、アルコールは好きだと言っていたな。アセトンはパフェを所望した通り、甘い物が好みなようだ)
そんな3人を満足させられる料理。
それを実現できるレシピを、頭の中にあるレパートリーから引っ張り出せたモーズは、席から立ち上がった。
「わかった。キッチンを借りさせて貰う」
▼△▼
補足
アセトン(C3H6O)
引火性の液体。日本では消防法で『危険物第四類』の『第一石油類水溶性』に指定されている。ちなみに同じ第一石油類にはガソリンが並ぶ。
引火性が高い面は危なっかしいものの、毒性は低く、食品添加物や除光液に使われたりする。作中のアセトンが料理好きなのはこの辺りから。
またほとんどの液体に混ざるので、本来混ざらないものを混合させるカップリング剤としても優秀。これも食事という避けて通れない栄養補給を介して人(ウミヘビ含む)を繋げる面として、作中のアセトンに反映されている。
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