毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第十九章 狂信者のカタリ

第390話 真っ直ぐ歩く人

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「以前よりモルヒネは度々、貴殿の名を口にする事があったが、ギリシャから戻って以降は毎日のように話しておったな。彼奴は真っ直ぐ歩ける人間への関心が強いゆえ」
「真っ直ぐ歩ける……? 健全者ならば皆同じ事では?」
いな

 モーズの言葉を、ストリキニーネは即座に否定をした。

「人間とは脆く儚く、容易く折れるモノ。モルヒネが在るだけで、立つことさえままならぬ人間の何と多きこと」

 彼の言う通り、モルヒネは人の美醜に若干疎いモーズから見ても、息が詰まるほど美しい見目をしている。
 人間社会には見目を売りとした生業があるほど、『美しさ』には価値がある。実際、モルヒネは廃教会で周囲の人々を圧倒していた。
 例えモルヒネが毒素を使わなかったとしても、あの場にいた人間の大半は膝を付いていた事だろう。酩酊してしまう程の美に、直面していたのだから。

「しかし貴殿は違った。易きに流れず夢に溺れず、甘言を突き放したと言うではないか。モルヒネが大層、感心していたぞ」
「廃教会での話か? あの時は無我夢中だったからな、他に意識を向ける余裕がなかったというか……」

 モーズとて、モルヒネの圧倒的な美しさに何も感じなかった訳ではない。
 だがあの時の優先順位は、フリーデンの生存だった。それだけしか、考えられなかった。

「私はただ、フリーデンに死んで欲しくなかった。親しい人に生きて欲しい。それは誰でも抱くありきたりな願いだ、特別な事ではない」
「左様か」

 ストリキニーネはクツクツと喉を鳴らし笑う。

「難儀よな。人間もウミヘビと同じ造りならば、死の恐怖に蝕まれる事もなく、思うがまま生きられた事だろうに。某から見ると何と惨めで哀れな……」
「? ウミヘビも不死ではないだろう」

 モーズは不思議そうに言った。
 老いず、傷は再生し、病に罹る事もないウミヘビ。しかし痛みは感じるし、精神的な傷から生じる疾患を罹患する事もある。何よりウミヘビもまた人間と同じように、『死』が存在する。
 差異は多くあれど根本は人と変わらない。モーズはウミヘビの存在を知った時から今まで、その見解を変える事なく抱いていた。

「直近ではアトロピンも。そしてウミヘビの情緒は人間と大差ない、と私は思っている。にも関わらず……ニコチンが言っていたのだが、“昔はよくある事”だったというじゃないか。半ば強制的に前線に投入されるウミヘビは人間よりも別れが多く、息苦しい事も多いのでは?」

 あくまで私の想像だが、と付け加えて、モーズは言葉を締める。
 ふと、ストリキニーネが口角を上げた。

「成る程、貴殿はそのように添え木の如く身を寄せるのだな。分け隔てなく」

 そこでストリキニーネの足が止まる。モーズも少し遅れて足を止めた。
 直後、ストリキニーネは右手をモーズの方へ伸ばし、人差し指を首筋へ触れさせた。

ウミヘビ我らの、ただ一呼吸で命が潰える脆弱さで、対等であろうとしておるのだな?」

 皮膚に触れた状態で、指先から僅かでも毒素を注げばモーズは息絶える。
 人間に対する致死量が一キログラムに対し僅か一ミリグラムという、高い毒性を誇るうえに即効性もあるストリキニーネの毒素ならば、解毒も間に合わない事だろう。
 側から見れば危機的でしかない状況。だがモーズは動じずに淡々と言葉を紡いだ。

「対等? それこそ実現困難だろう。人は誰しも、立場も価値観も能力も異なるんだ。ウミヘビとなれば種族も違う。対等になろうなど、烏滸がましい」

 モーズは、己の無力さを知っている。
 己の手が届かぬものがあると知っている。

「私は医師としてクスシとして、ウミヘビを少しでも理解したい。少しでも公平フェアでありたい。だから考え続ける。……つまるところ、不器用なだけだ」

 相手の機微を読み取るのが下手だと自覚しているからこそ、あらかじめ沢山の可能性を考えるように努める。繰り返し、繰り返し、模索する。
 繰り返す事だけは得意だから。
 ズルリ
 その時、ストリキニーネの指が触れていたモーズの首筋から、アイギスの触手が生え、バチンッ! と、触るなと言わんばかりに強く振り払ってきた。

「あぁ、すまない。痛くなかったか?」
「なんのなんの。寧ろ貴殿に許可なく触れた某が悪いのよ。失敬した」

 ――ストリキニーネの指先が触れた箇所、薄皮一枚の下にあったのは血管でも筋肉でもなく、アイギスの触手だった。
 モーズが動じていなかったのは、アイギスに守られていたからだ。危機感が欠如している訳でも、ただのお人好しという訳でもないらしい、と察したストリキニーネは顎に手を当て目を細める。

「ふむ。モルヒネが関心を抱いた訳が、些かわかった」
「そうなのか? 大した事は話していないが……」
「なんのなんの、貴重な話を聴かせて頂いた。礼をするとしよう」
「礼? いいのか?」
「勿論。そうだ、貴殿はフリードリヒ先生に関心を抱いていたな。某でわかる事ならば答えよう。何でも訊くとよいぞ」

 助力を承諾して貰う為の説得が課題となっている、フリードリヒ。彼を『先生』と慕っているストリキニーネの話ならば、何か突破口を得られるかもしれない。
 そう思ったモーズはお言葉に甘える事とした。

「ありがとう。ええと、では……君がフリードリヒさんを慕う理由を訊ねても?」
「よいぞ。と言っても特別な理由はないがな。フリードリヒ先生の博識さ、愛情深さ、勇猛さ、動じなさ、どれも惹かれる。それはモルヒネも同じ事」
「モルヒネはフリードリヒさんが献身してくれているから慕っている、という訳ではないと?」
いな

 ストリキニーネは一切の迷いなく否定をする。

「モルヒネにとって献身を受ける事は、大気と同じように当たり前に存在するもの。それっぽっちの事で特別視などしない」
「そ、そうなのか」

 献身されるのが当たり前、という環境がさっぱりわからないが、モーズは取り敢えず飲み込む事した。

「で、では逆に、フリードリヒさんがモルヒネに傾倒している理由は知っているだろうか?」
「知っているぞ。尤もそちらも特別な理由はないがな」

 寧ろこれ以上なく単純シンプルだ、とストリキニーネは言葉を続け、

「平たく言えば一目惚れ。それだけの事よ」

 そこに至るまでの経緯を、モーズに語ってくれた。
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