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第十九章 狂信者のカタリ
第394話 薔薇色の人生
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幼子を慰めるかのような、優しげな声をモルヒネが発した途端、モルヒネに手を差し伸べられた研究員は膝を付いた。
その研究員に続き、また一人、また一人と廊下の床にへたり込み、電気銃を手から落とし、呆けた顔でただただモルヒネを凝視している。
「な、何だ!? どうしたんだ、お前達っ!」
無力化されていく部下達を前に困惑する室長。おれ自身、何が起きたかわからず唖然とした。
だが、ある程度推測はできる。この美しい人造人間の宿す毒素は、名の通り《モルヒネ》。鎮痛作用の他、せん妄状態に陥らせる事ができる。
手を伸ばしただけで対象を中毒にしてしまったのならば、この症状も納得できる。
「うふふふ。あはははは」
加えてこの世のモノとは思えない程の美貌。
微笑み一つ、流し目一つで老若男女問わず陥落させ、周囲の人間を跪かせてしまう。
まさに『魔性』。と呼ぶのが相応しいのだろうが、モルヒネに神々しさを覚えるおれとしては『神性』と呼びたい所だな。
「素敵な夢、見ましょう?」
モルヒネは電気銃を向けてきた研究員達を残らず地に伏せさせると、最後にぺたぺたと足音を立てながら室長へ歩み寄った。
おれが「危険だ」と制止しても構わず、白い手を伸ばし、室長の頬を両手で包むように触れ、
「おやすみなさい」
吐息を一つ、吐いた。普通の吐息ではない。薄桃色をした、吐息。
直後、室長は目を回し後ろに倒れ込む。そして床に突っ伏していた研究員を下敷きに、眠ってしまった。
恐らくあの吐息で、毒を吐いたのだ。
あぁ、クソ。モルヒネに直に注がれるなど羨ましい。しかしモルヒネを安全な場所へ連れて行くまで我慢しなければ。
「皆んな眠ってしまったな、モルヒネ」
「そう、ね。ぼくも……眠い、わ」
「そうか! では君に相応しい寝所を用意しよう! おれについてきて、くれるか?」
「……えぇ」
モルヒネは控えめに頷くと、ぺたぺたと足音を立て、おれの手に引かれるまま歩いてくれた。
彼の導き手になれるなど、何と光栄な事か!
そうだ。室長達が眠った事だし、研究所の金を持ち出しておくか。これでモルヒネの環境をよりよく整える事ができる。
おれは早速、セキュリティルームに向かうとロックを解除。中に入ると、部屋に置かれていたコンピュータを弄り、研究所の予算として保存されていた電子通貨金庫をハッキング。その場で作った適当な電子口座に丸ごと突っ込み、さっさと研究所を出て行った(出資先である国連に目を付けられると面倒なので、足が付かないよう後で現金化もした)。
研究所から出たおれはモルヒネに相応しい環境を求め、各地を転々としたものだ。
金持ちの集う石油の国が良いだろうか? それとも芸術が盛んな国? 大自然が美しい国?
しかし紛争の跡地という荒廃した景色でさえ、モルヒネが踏み入ると聖地へ変えてしまう。悩ましいものだ。
だがこの悩ましささえ愛おしい! 日夜モルヒネの事を考えられる! 側に居られる! 声を傾聴できる! 尽くす事ができる!
何と甘美で満ち足りた日々か!
――薔薇色の人生!!
◇
それはおれがモルヒネと運命の出会いを果たした、翌年の事だ。
『24世紀の始まりとなる今年。パラス国で発生した生物災害を皮切りに、《赤化》現象は瞬く間にヨーロッパ全土へ広がり、各地で混乱が巻き起こっております。更にこの現象はユーラシア大陸にまで拡大しているとみられ――……』
買い出しの帰り道。街頭テレビから流れる《赤化現象》の報道を目にし、おれは眉をひそめた。
人間を赤い異形へ変えてしまう《赤化現象》の影響は拡大しているようで、おれが今、棲家としているルクセンブルクに蔓延るのも時間の問題に思える。
――赤化した人間が、モルヒネに牙を剥くかもしれない。
その可能性がチラつくだけで、背筋が凍り付く。どうにか安全地帯を用意しなければ。人間の立ち入らない森の中や山奥へ移るか? いっそ無人島を購入するか? 金はヤクでも売って工面すればいい。
おれは様々な案を脳内で巡らせながら、一等地に建てられた城と見紛う豪邸、その中の寝室で待つモルヒネの元へ戻った。
「モルヒネ、今帰ったぞ」
「うぅ~ん……」
声をかければ、天蓋付きベッドで寝ていたモルヒネはもそもそと身体を起こし、寝ぼけ眼を擦りながらおれへ視線を向けてくれる。
心臓が高鳴る。いつ見ても、彼は美しい。
おれはベッドの脇に跪き、モルヒネを見上げる形で話を続けた。
「モルヒネ。実はまた拠点を移さないといけないかもしれないんだ」
「お引っ越し? いや」
「すっ、すまない! ここを大層気に入っているのはわかるのだが……! 建物は同じデザインの物を用意できるよう、尽力しよう!」
「いや」
モルヒネはむくれて、おれからプイッと顔をそらした。
揺れる髪の毛一本一本の動きにさえ見惚れてしまうが、鑑賞している場合ではない。おれはどうにかモルヒネを説得させようと言葉を重ねる。
「今年に入ってから赤化による生物災害が頻発しているんだ。簡単に言えば、人間が凶暴化する災害だな。よって人の多い場所にいるのは危険だ。だからもっと閑散とした場所へ……」
「……ひと。あばれん坊になる、の?」
おれが精一杯現状を伝えた所、モルヒネはきょとんと瞳を瞬かせ、おれを瞳に映してくれた。
「……貴方も?」
そして悲しげに眉を下げた。
おれは雷に打たれたような衝撃を受けた。後頭部を鉄筋で殴られた時よりも重く、痛く、激しい衝撃。
そうだ。おれが正気を失わない保証はどこにある? この手が赤く変質しない保証はどこにある? ましてモルヒネを、傷付けない保証はどこにある?
何処にもありはしない!!
おれ自身の危険性を見逃すなど、なんて愚かな……! 大馬鹿者だ、おれは!
だが慈悲深きモルヒネはおれに天啓を授けてくれた! こうしてはいられない! 今すぐに赤化現象の原因を突き詰め、この世から排除しなければ! 必要ならばおれ含む全人類を滅ぼし、懸念を取り除かなければ!
全てはモルヒネの安寧の為に!!
その研究員に続き、また一人、また一人と廊下の床にへたり込み、電気銃を手から落とし、呆けた顔でただただモルヒネを凝視している。
「な、何だ!? どうしたんだ、お前達っ!」
無力化されていく部下達を前に困惑する室長。おれ自身、何が起きたかわからず唖然とした。
だが、ある程度推測はできる。この美しい人造人間の宿す毒素は、名の通り《モルヒネ》。鎮痛作用の他、せん妄状態に陥らせる事ができる。
手を伸ばしただけで対象を中毒にしてしまったのならば、この症状も納得できる。
「うふふふ。あはははは」
加えてこの世のモノとは思えない程の美貌。
微笑み一つ、流し目一つで老若男女問わず陥落させ、周囲の人間を跪かせてしまう。
まさに『魔性』。と呼ぶのが相応しいのだろうが、モルヒネに神々しさを覚えるおれとしては『神性』と呼びたい所だな。
「素敵な夢、見ましょう?」
モルヒネは電気銃を向けてきた研究員達を残らず地に伏せさせると、最後にぺたぺたと足音を立てながら室長へ歩み寄った。
おれが「危険だ」と制止しても構わず、白い手を伸ばし、室長の頬を両手で包むように触れ、
「おやすみなさい」
吐息を一つ、吐いた。普通の吐息ではない。薄桃色をした、吐息。
直後、室長は目を回し後ろに倒れ込む。そして床に突っ伏していた研究員を下敷きに、眠ってしまった。
恐らくあの吐息で、毒を吐いたのだ。
あぁ、クソ。モルヒネに直に注がれるなど羨ましい。しかしモルヒネを安全な場所へ連れて行くまで我慢しなければ。
「皆んな眠ってしまったな、モルヒネ」
「そう、ね。ぼくも……眠い、わ」
「そうか! では君に相応しい寝所を用意しよう! おれについてきて、くれるか?」
「……えぇ」
モルヒネは控えめに頷くと、ぺたぺたと足音を立て、おれの手に引かれるまま歩いてくれた。
彼の導き手になれるなど、何と光栄な事か!
そうだ。室長達が眠った事だし、研究所の金を持ち出しておくか。これでモルヒネの環境をよりよく整える事ができる。
おれは早速、セキュリティルームに向かうとロックを解除。中に入ると、部屋に置かれていたコンピュータを弄り、研究所の予算として保存されていた電子通貨金庫をハッキング。その場で作った適当な電子口座に丸ごと突っ込み、さっさと研究所を出て行った(出資先である国連に目を付けられると面倒なので、足が付かないよう後で現金化もした)。
研究所から出たおれはモルヒネに相応しい環境を求め、各地を転々としたものだ。
金持ちの集う石油の国が良いだろうか? それとも芸術が盛んな国? 大自然が美しい国?
しかし紛争の跡地という荒廃した景色でさえ、モルヒネが踏み入ると聖地へ変えてしまう。悩ましいものだ。
だがこの悩ましささえ愛おしい! 日夜モルヒネの事を考えられる! 側に居られる! 声を傾聴できる! 尽くす事ができる!
何と甘美で満ち足りた日々か!
――薔薇色の人生!!
◇
それはおれがモルヒネと運命の出会いを果たした、翌年の事だ。
『24世紀の始まりとなる今年。パラス国で発生した生物災害を皮切りに、《赤化》現象は瞬く間にヨーロッパ全土へ広がり、各地で混乱が巻き起こっております。更にこの現象はユーラシア大陸にまで拡大しているとみられ――……』
買い出しの帰り道。街頭テレビから流れる《赤化現象》の報道を目にし、おれは眉をひそめた。
人間を赤い異形へ変えてしまう《赤化現象》の影響は拡大しているようで、おれが今、棲家としているルクセンブルクに蔓延るのも時間の問題に思える。
――赤化した人間が、モルヒネに牙を剥くかもしれない。
その可能性がチラつくだけで、背筋が凍り付く。どうにか安全地帯を用意しなければ。人間の立ち入らない森の中や山奥へ移るか? いっそ無人島を購入するか? 金はヤクでも売って工面すればいい。
おれは様々な案を脳内で巡らせながら、一等地に建てられた城と見紛う豪邸、その中の寝室で待つモルヒネの元へ戻った。
「モルヒネ、今帰ったぞ」
「うぅ~ん……」
声をかければ、天蓋付きベッドで寝ていたモルヒネはもそもそと身体を起こし、寝ぼけ眼を擦りながらおれへ視線を向けてくれる。
心臓が高鳴る。いつ見ても、彼は美しい。
おれはベッドの脇に跪き、モルヒネを見上げる形で話を続けた。
「モルヒネ。実はまた拠点を移さないといけないかもしれないんだ」
「お引っ越し? いや」
「すっ、すまない! ここを大層気に入っているのはわかるのだが……! 建物は同じデザインの物を用意できるよう、尽力しよう!」
「いや」
モルヒネはむくれて、おれからプイッと顔をそらした。
揺れる髪の毛一本一本の動きにさえ見惚れてしまうが、鑑賞している場合ではない。おれはどうにかモルヒネを説得させようと言葉を重ねる。
「今年に入ってから赤化による生物災害が頻発しているんだ。簡単に言えば、人間が凶暴化する災害だな。よって人の多い場所にいるのは危険だ。だからもっと閑散とした場所へ……」
「……ひと。あばれん坊になる、の?」
おれが精一杯現状を伝えた所、モルヒネはきょとんと瞳を瞬かせ、おれを瞳に映してくれた。
「……貴方も?」
そして悲しげに眉を下げた。
おれは雷に打たれたような衝撃を受けた。後頭部を鉄筋で殴られた時よりも重く、痛く、激しい衝撃。
そうだ。おれが正気を失わない保証はどこにある? この手が赤く変質しない保証はどこにある? ましてモルヒネを、傷付けない保証はどこにある?
何処にもありはしない!!
おれ自身の危険性を見逃すなど、なんて愚かな……! 大馬鹿者だ、おれは!
だが慈悲深きモルヒネはおれに天啓を授けてくれた! こうしてはいられない! 今すぐに赤化現象の原因を突き詰め、この世から排除しなければ! 必要ならばおれ含む全人類を滅ぼし、懸念を取り除かなければ!
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