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第十九章 狂信者のカタリ
第395話 ガス抜き
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おれが『赤化現象』の抹消を決めてから間もなく。イギリスの医師の尽力により、『赤化現象』は『真菌の胞子による感染症』と判明したらしい。
新種の真菌。つまり超常現象でも何でもない、生き物だ。
殺せる。
やがて『赤化現象』は『珊瑚症』として名を改め、寄生菌は『珊瑚』と呼ばれるようになった。粘膜を経由して胞子感染をし、寄生。ステージが進む毎に宿主を蝕み主導権を奪っていく。
世間は恐ろしい人食い菌かのように扱っているが、感染対策が確立するレベルまで解析が進んだものに対し、恐怖を抱く意味がわからん。
殺せるんだ、殺せばいい。
焼くのでも殺菌するのでも何でも、それで死ぬのならば! 人間に寄生した場合も同じこと! 宿主ごと寄生菌を殺せば脅威でも何でもない!
これでモルヒネの気に入っている棲家を移動する必要もなくなった。
おれは『珊瑚』を見付けては殺し、感染者を見付けては殺し、時には近場にできた菌床へ足を運んで丸ごと死滅させた。国連軍の到着など待っていられるか。モルヒネに降りかかる火の粉はおれが全て払う。
だから安心して眠ってくれ、モルヒネ。
……モルヒネ?
◇
「う、うぅ……」
ルクセンブルクにも『珊瑚』が蔓延り、街中が戦時下のように鎮まりかえってから早半年。
窓の外の景色が『珊瑚』によって赤く染まってなお、豪邸の中では変わらない生活を送れていたのだが、ある日突然、モルヒネが胸を押さえて苦しみ始めた。
「モルヒネ? モルヒネ……!?」
どうしたのだと、おれは必死にモルヒネが苦しむ原因を探った。呼吸は荒く、体温も高くなっている。人間が風邪を引いた時と似た症状。しかし彼は人造人間、原因も対処も異なる事だろう。
何より目が、充血している。網膜が、真っ青になってしまっている。モルヒネの身体に流れる青い血が、目視できるようになってしまった。
今までこんな事、一度も起きなかったというのに。
おれは困惑しながらもありとあらゆる手段を模索した。まずは人間と同じ対処法を試した。解熱剤や血管収縮剤、鎮静剤といった薬の投与だ。
だが何一つ効果がなかった。
モルヒネはありとあらゆる薬が効かなかったんだ。人造人間だからか何なのか、耐性が強すぎる。
(薬が効かないとなれば、運動療法をさせるか? もしくは身体を開いて、原因の切除を模索するか……。いいや、駄目だ! モルヒネの身体に傷を付けるなどと!!)
どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい!!
「……ねぇ、フリードリヒ」
天蓋付きベッドの側でおれが頭を抱えていると、モルヒネはつらそうにしながらも顔をあげ、声をかけてきた。
「あっ、あぁ! どうした、モルヒネ!」
「お外、行かせて?」
そして外出を強請ってきた。
モルヒネは『珊瑚』が蔓延って以降、一度も外出していない。危険に満ちた外を出歩かせる訳にはいかなかったからだ。その思いは今も変わっていない。
だがモルヒネの頼みだ。彼の願いは最大限、尊重したい。
「……わかった。ただ靴を履いてくれ。あとガスマクスの着用も。外には寄生菌が」
「いや」
モルヒネの身を守れるようにと、おれは感染対策の装備の着用を願ったが、彼はそれら全てを拒否した。
次いで唐突にベッドからむくりと起きがり、いつも通り靴下さえ履かずに歩き出し、窓へ向かって歩き出す。
「モルヒネ、待ってくれ! そのままじゃ危険なんだ!」
おれはモルヒネの腕を掴み、必死に呼びかけるが、彼は聞く耳を持たず、いとも簡単におれの手を振り払う。
ビスクドールのような細腕に見合わない、非常に強い力で。おれの力では止められない。どうすれば、と戸惑う間にもモルヒネは窓を開け放ち――ひらりと蝶のように華麗に飛んで、外へ出てしまう。
ここは2階だというのに。
「モルヒネ! モルヒネ!!」
おれは無我夢中に走ってモルヒネへ手を伸ばした。しかしあと一歩間に合わず、モルヒネは庭へ落ちていく。
頭を打ったら、足が折れたら、身体を打ち付けてしまったら。
最悪な予想が頭の中をぐるぐると巡る中、モルヒネは……鳥の羽根が水面に着水するかのように、庭へ優雅に降り立つと、何事もなかったかのようにすたすたと歩き始めた。
彼がここまで運動神経に優れている事を知らなかったおれは、ぽかんと眺める他できなかった。
まるで天使が地上へ降臨したかのような光景。おれは映像保存できなかったことを思わず悔やんでしまった。着地できたとはいえ、『珊瑚』の胞子や感染者といった危険は残っているというのに。
おれは直ぐに寝室を飛び出し階段を下り、モルヒネの後を追う為に豪邸の庭へ出た。感染者の侵入に備え、ライフルや火炎放射器、ガスマクスの装備も忘れずに。
幸い、モルヒネは庭の外には出ていなかった。彼はぼんやりと空を見上げ、赤い胞子が風に乗って運ばれていく様をただ眺めている。
そして、
「ふー……」
大きく深呼吸をした後に、息を、吐いた。
普通の吐息ではない、薄桃色の吐息だ。研究所を出る時、室長に向け吐いていたあの吐息と同じ。
毒の息。
それを長く長く、数分にも及ぶ長い間、モルヒネは吐き続けた。庭全体に薄桃色のフィルターがかかる。間もなく、庭を彩っていた草花は萎れ……枯れた。魚群のように空を飛んでいた胞子も死滅したらしく、赤黒い灰の雨となって降ってくる。
「すっきり、した」
毒の息を吐き終えたモルヒネは柔らかく微笑み、枯れた草花を蹴りながらくるくるとその場で回る。
目の充血は治っていた。視診だがもう熱もなさそうだ。
(もしや、毒を溜め込み過ぎていたのか?)
毒を吐いて症状が改善したとなると、体内で作られていた毒がモルヒネに悪さをしていた事になる。人間の排泄と同じく、定期的に体外へ出さなければ不調をきたすと考察できる。
つまり目の充血は、中毒症状の証。
今までそのような症状が出なかったのは、定期的に行っていた散歩でこまめに吐き出していたからかもしれない。しかし『珊瑚』が蔓延って以降、「外は危険だから」の一点張りで閉じ込めてしまっていたから、出せなかったんだ。
いやしかし、外でなければ駄目という訳ではないだろうに。いつだかは研究所という屋内でも毒を使っていたんだ。何故、我慢をしていた?
「モルヒネ……」
「……あら、あら、あら。いた、の? ごめんなさい。体、くらくら、してしまった?」
モルヒネは庭に出たおれに気が付くと、首をこてんと傾げ、白い手を伸ばしおれのガスマクスへ触れてきた。
「これ。着けているから……大丈夫、だった?」
――まさか。
モルヒネはおれがいるから耐えていたのか? おれの言う事に従い、窓を閉め切り外に出ず、けれどおれに毒の影響が及ばないようにと、我慢をしていたと?
何と言う事だ!!
嬉しさと尊さと申し訳なさと不甲斐なさで感情がごちゃ混ぜになる。
モルヒネは、人造人間は、定期的に毒を出さねば自滅してしまうのか! 知らなかったでは済まされないぞ!? おれこそ毒に蝕まれ枯れ葉と化してしまえばよかったんだ!!
だがモルヒネは、こんなにも無力で無知なおれの身を慮ってくれた。その気持ちは尊重したい。そうとなれば解決策を編み出さなければ。
もっと安全に気軽に、毒を抽出する方法を、作る。
新種の真菌。つまり超常現象でも何でもない、生き物だ。
殺せる。
やがて『赤化現象』は『珊瑚症』として名を改め、寄生菌は『珊瑚』と呼ばれるようになった。粘膜を経由して胞子感染をし、寄生。ステージが進む毎に宿主を蝕み主導権を奪っていく。
世間は恐ろしい人食い菌かのように扱っているが、感染対策が確立するレベルまで解析が進んだものに対し、恐怖を抱く意味がわからん。
殺せるんだ、殺せばいい。
焼くのでも殺菌するのでも何でも、それで死ぬのならば! 人間に寄生した場合も同じこと! 宿主ごと寄生菌を殺せば脅威でも何でもない!
これでモルヒネの気に入っている棲家を移動する必要もなくなった。
おれは『珊瑚』を見付けては殺し、感染者を見付けては殺し、時には近場にできた菌床へ足を運んで丸ごと死滅させた。国連軍の到着など待っていられるか。モルヒネに降りかかる火の粉はおれが全て払う。
だから安心して眠ってくれ、モルヒネ。
……モルヒネ?
◇
「う、うぅ……」
ルクセンブルクにも『珊瑚』が蔓延り、街中が戦時下のように鎮まりかえってから早半年。
窓の外の景色が『珊瑚』によって赤く染まってなお、豪邸の中では変わらない生活を送れていたのだが、ある日突然、モルヒネが胸を押さえて苦しみ始めた。
「モルヒネ? モルヒネ……!?」
どうしたのだと、おれは必死にモルヒネが苦しむ原因を探った。呼吸は荒く、体温も高くなっている。人間が風邪を引いた時と似た症状。しかし彼は人造人間、原因も対処も異なる事だろう。
何より目が、充血している。網膜が、真っ青になってしまっている。モルヒネの身体に流れる青い血が、目視できるようになってしまった。
今までこんな事、一度も起きなかったというのに。
おれは困惑しながらもありとあらゆる手段を模索した。まずは人間と同じ対処法を試した。解熱剤や血管収縮剤、鎮静剤といった薬の投与だ。
だが何一つ効果がなかった。
モルヒネはありとあらゆる薬が効かなかったんだ。人造人間だからか何なのか、耐性が強すぎる。
(薬が効かないとなれば、運動療法をさせるか? もしくは身体を開いて、原因の切除を模索するか……。いいや、駄目だ! モルヒネの身体に傷を付けるなどと!!)
どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい!!
「……ねぇ、フリードリヒ」
天蓋付きベッドの側でおれが頭を抱えていると、モルヒネはつらそうにしながらも顔をあげ、声をかけてきた。
「あっ、あぁ! どうした、モルヒネ!」
「お外、行かせて?」
そして外出を強請ってきた。
モルヒネは『珊瑚』が蔓延って以降、一度も外出していない。危険に満ちた外を出歩かせる訳にはいかなかったからだ。その思いは今も変わっていない。
だがモルヒネの頼みだ。彼の願いは最大限、尊重したい。
「……わかった。ただ靴を履いてくれ。あとガスマクスの着用も。外には寄生菌が」
「いや」
モルヒネの身を守れるようにと、おれは感染対策の装備の着用を願ったが、彼はそれら全てを拒否した。
次いで唐突にベッドからむくりと起きがり、いつも通り靴下さえ履かずに歩き出し、窓へ向かって歩き出す。
「モルヒネ、待ってくれ! そのままじゃ危険なんだ!」
おれはモルヒネの腕を掴み、必死に呼びかけるが、彼は聞く耳を持たず、いとも簡単におれの手を振り払う。
ビスクドールのような細腕に見合わない、非常に強い力で。おれの力では止められない。どうすれば、と戸惑う間にもモルヒネは窓を開け放ち――ひらりと蝶のように華麗に飛んで、外へ出てしまう。
ここは2階だというのに。
「モルヒネ! モルヒネ!!」
おれは無我夢中に走ってモルヒネへ手を伸ばした。しかしあと一歩間に合わず、モルヒネは庭へ落ちていく。
頭を打ったら、足が折れたら、身体を打ち付けてしまったら。
最悪な予想が頭の中をぐるぐると巡る中、モルヒネは……鳥の羽根が水面に着水するかのように、庭へ優雅に降り立つと、何事もなかったかのようにすたすたと歩き始めた。
彼がここまで運動神経に優れている事を知らなかったおれは、ぽかんと眺める他できなかった。
まるで天使が地上へ降臨したかのような光景。おれは映像保存できなかったことを思わず悔やんでしまった。着地できたとはいえ、『珊瑚』の胞子や感染者といった危険は残っているというのに。
おれは直ぐに寝室を飛び出し階段を下り、モルヒネの後を追う為に豪邸の庭へ出た。感染者の侵入に備え、ライフルや火炎放射器、ガスマクスの装備も忘れずに。
幸い、モルヒネは庭の外には出ていなかった。彼はぼんやりと空を見上げ、赤い胞子が風に乗って運ばれていく様をただ眺めている。
そして、
「ふー……」
大きく深呼吸をした後に、息を、吐いた。
普通の吐息ではない、薄桃色の吐息だ。研究所を出る時、室長に向け吐いていたあの吐息と同じ。
毒の息。
それを長く長く、数分にも及ぶ長い間、モルヒネは吐き続けた。庭全体に薄桃色のフィルターがかかる。間もなく、庭を彩っていた草花は萎れ……枯れた。魚群のように空を飛んでいた胞子も死滅したらしく、赤黒い灰の雨となって降ってくる。
「すっきり、した」
毒の息を吐き終えたモルヒネは柔らかく微笑み、枯れた草花を蹴りながらくるくるとその場で回る。
目の充血は治っていた。視診だがもう熱もなさそうだ。
(もしや、毒を溜め込み過ぎていたのか?)
毒を吐いて症状が改善したとなると、体内で作られていた毒がモルヒネに悪さをしていた事になる。人間の排泄と同じく、定期的に体外へ出さなければ不調をきたすと考察できる。
つまり目の充血は、中毒症状の証。
今までそのような症状が出なかったのは、定期的に行っていた散歩でこまめに吐き出していたからかもしれない。しかし『珊瑚』が蔓延って以降、「外は危険だから」の一点張りで閉じ込めてしまっていたから、出せなかったんだ。
いやしかし、外でなければ駄目という訳ではないだろうに。いつだかは研究所という屋内でも毒を使っていたんだ。何故、我慢をしていた?
「モルヒネ……」
「……あら、あら、あら。いた、の? ごめんなさい。体、くらくら、してしまった?」
モルヒネは庭に出たおれに気が付くと、首をこてんと傾げ、白い手を伸ばしおれのガスマクスへ触れてきた。
「これ。着けているから……大丈夫、だった?」
――まさか。
モルヒネはおれがいるから耐えていたのか? おれの言う事に従い、窓を閉め切り外に出ず、けれどおれに毒の影響が及ばないようにと、我慢をしていたと?
何と言う事だ!!
嬉しさと尊さと申し訳なさと不甲斐なさで感情がごちゃ混ぜになる。
モルヒネは、人造人間は、定期的に毒を出さねば自滅してしまうのか! 知らなかったでは済まされないぞ!? おれこそ毒に蝕まれ枯れ葉と化してしまえばよかったんだ!!
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