毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第二十章 真っ赤な嘘

第413話 開いた蓋

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「治療が終わった後……」

 モーズが話した言葉を、タリウムはどこか噛み締めるように反芻した。

「タリウム? どうした?」
「いえ、その。……俺、戦闘に支障が出ると困るから治療をお願いしたんスけど……。生活とか、考えた事なかったなぁと」

 まして彩りなんて。とタリウムは呟く。
 自分は辛味以外の味を認識する事ができず、食事を楽しめない。これといった趣味もない。ただ命じられた役目をこなすだけ。
 機械のように。

「しかし君は最近、チェリーパイ作りに熱心なのだろう? それを趣味と言っていいのでは?」
「楽しむ為にやっているんじゃないんで、趣味とは違う気がするっス」
「そうなのか? では何故、繰り返し作っているんだ? 自分では楽しまないが、人に振る舞う事に喜びを覚える……。とかだろうか?」
「それも、違うっスねぇ」

 ふと、タリウムは自身の手を見下ろした。戦闘時はダガーナイフを握っている、黒く細い指先を。

「作って食べようと思ったのは、人間の事がもっとわかる気がしたからっス。……でも何も、わからなくって」

 ――その自分が握っていたダガーナイフで命を絶った、女性の面影を、無意識に求めている。

「カリウムとナトリウムのお墨付きが出た物を作れるようになっても、よくわからなくって。でも何か、やめたくなくて続けているんス。不毛っスよね」

 そう言って、タリウムは黒いマスクの下で自嘲した。

「不毛だなんて。継続は素晴らしい事だ、誇ってもいい」

 しかしモーズに思わぬ方向から否定され、タリウムはぱちりと瞬きをする。

「ただの作業でも?」
「あぁ。得る物は必ずある」
「まぁ、食感に関しては新しい知見を得られたと言えなくもないスけど……。もっとこう、踏み込んだ何かが欲しいような気が、するんスよねぇ」

 ぽつりと漏らした彼の言葉には、感情の濁りが微かに混じっていた。
 焦がれるような、掴みきれない虚しさのような。

「その姿勢がまず讃えられる行為だ、タリウム。過程にだって価値がある」

 少しタリウムの方へ身を寄せて話すモーズの声は柔らかく、それでいて真っ直ぐだった。形式的な励ましを送っている訳ではない。彼は心の底から、価値があると思っているのだ。
 それはタリウムにも伝わっている。

「君はずっと、思考し続けているんだろう? 例え答えがわからずとも、成長……いや変化か? それは確かに得られている筈だ」
「ウミヘビに成長とか変化とか、あるんスかね」
「あるだろう。見た目は変わらずとも経験を学習し、蓄積し、血肉にしているじゃないか。それから、君の場合は『回帰』もあり得るか?」
「『回帰』?」
「タリウムは幾らか記憶が欠落しているんだろう? もしかしたら無意識に、思い出したい事があるのではないかと思ったんだ。記憶がなくとも身体が覚えている事は多い。可能性はゼロでは……」

 言いかけたモーズの声が、ふと途切れた。
 タリウムの様子が明らかに変わっていたからだ。銀白の瞳を見開いたまま瞬きもせず、手は震えながらズボンの布をぎゅっと握り締めている。
 その指先は、まるで刃を握るかのように硬直していた。
 何かが、彼の内側で裂けたような――そんな、緊張と沈黙。
 モーズはそっと息を呑み、彼の顔色を窺う。しかし、タリウムの瞳はモーズを映していない。

「タリウム?」
「思い出す……」

 タリウムの視線は、もっと遠く、暗く、過去の底へ向けられていた。

『この毒素はだ』
『仕込みをしよう』
『思考は要らない』
『言葉は要らない』
『聞く耳さえあればいい』

 直後、タリウムの頭の中で冷たい声が絶え間なく響く。
 ガラス越しに、檻越しに、散々聞いた声。その声の主である『博士』は、タリウムを兵器としての価値しか求めておらず――指先一つ動かしただけで、痛みを与えてきた。
 焼いて、殴って、刺して、斬って、千切って、締めて。他にも、ありったけの拷問を実行してきた。しかもタリウムは、ウミヘビは失血さえ避ければ何度でも再生する身。その気になれば何時間も、何日も、絶え間なく続ける事ができる。できてしまう。
 強い痛みの錯覚を伴って、記憶が断片的にフラッシュバックする。

 ――クッキー、好き?

 ふと、瞼の裏に、どこか懐かしい光景が過る。記憶の奥底から浮上してきたらしき光景が。
 博士とは異なる、白衣を着た線の細い誰か。顔も名前もわからないけれど、思い出せないけれど、栄養補給役として檻の中にやってきて、無味無臭の栄養剤とは別に、こっそり菓子を差し出してきた人。
 柔らかく笑っていた。温かい声をしていた。『』を教えてくれた。

 その人は、胸にナイフが突き刺さった状態で事切れた。

『殺したか』

 他の誰でもない、タリウムが殺したからだ。博士に命じられて。
 博士が求めていたモノは兵器。誰が相手だろうと、粛々と命令を実行できる機械。顔見知りだろうがそうでなかろうが、関係なく、平等に、分け隔てなく。

『これからも、殺しなさい』

 白衣が赤く染まっていくのを見て、事切れるその時まで死に恐怖し足掻いた姿を見て、結局、どれも同じなのだと。変わらないのだと。思うようになった。思うようにした。思い込もうとした。
 虫も獣も人間も一様に死を恐れ、どんな手を使ってでも避けようとするのが常で、そこに種の隔たりなぞない、と。
 死を前にすれば理性なんてなくなる。本能だけが残る。
 虫を殺すのもヒトを殺すのも、同じだと――

 だから、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して。
 機械的に、無心に、他意なく。雑草を抜く時と同じように、ただの単純作業として。
 言われるがまま命じられるがまま、昼もなく夜もなく、ターゲットの喉笛を引き裂いて心の臓を貫いて……殺していた。

「タリウム、どうした! 大丈夫か!?」

 必死に呼び掛けてくれるモーズの声が、どこか遠くに聞こえる。

「……俺」

 しかしその声で意識が引き戻されたのも確かで。
 タリウムはふらりと、身体を前に倒しそうになりながらも、口を開いた。

「俺、殺したく、なかったんスね。誰も」

 張り詰めていたものが崩れ、まるで蓋が開いたように、次の言葉が溢れる。

「ずっと、ずっと……」

 閉め切っていた蓋の下にあったのは、甘くて柔らかなひと時だったのを、自覚しながら。
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