毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第二十章 真っ赤な嘘

第414話 夢のような、未来を

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 沈黙の中、黒いマスクの奥から微かに、溜め息のような笑いが漏れる。

「こんなこと思い出すなんて、俺、馬鹿っスね。もしも、これでまともに戦えなくなれば、役目を果たせなくなれば……廃棄、なのに」

 タリウムは数多の人間を殺した。国連が廃棄処分を求めてくる程に。それを免れる為には『契約』を守らなくてはならない。
 『珊瑚』に纏わる戦闘をこなし続けなくてはならない。

 ――お前のお役目は殺しだけや。もしもその役目を放棄したら廃棄になる。
 ――ゆめゆめ忘れるな。

 超規模菌床を処分し終えた後、アメリカでを殺めた後の飛行機の中で、シアンに言われた言葉が耳の奥で響く。
 もしも、もしもタリウムにヒトゴロシ以外にも役に立てる事があったのならば、違う生き方を選べたのならば、押し潰されそうな自分の心が、どれだけ救われただろうか。
 けれど、そんなものはどこにもない。
 造られたその日から、いやその前から、兵器としての在り方を望まれ、訓練され、調整され、幾度となくこなしてきた。
 殺すことしか、できない。

「そんな事はない! させない!!」

 その時、モーズの声が、空気を裂く。平素は穏やかで理性的な彼にしては珍しい、強い語気。
 タリウムの肩がぴくりと動く。見上げると、モーズが真っ直ぐにこちらに顔を向けていた。
 怒りでも憐れみでもない、揺るぎない意志がフェイスマスク越しに伝わってくる。

「タリウム、聞いてくれ。もう直ぐ、誰も殺さなくていい時代が来る。来させる。私が作ってみせる!!」

 彼の言葉には熱が宿っていた。口先だけではない、心の底から放った宣誓。

「ステージ4の施術が成功すれば、ステージ5へ進行する者はぐっと減る。そのステージ5も凍結の試みが成功すれば、誰一人殺す必要がなくなる!」

 断定的な口調には、揺るぎない自信と切実さが滲む。
 ――誰も。
 そう、誰一人として、殺さなくていい未来。役目に、契約に縛られなくていい未来。
 タリウムの中で何かが音を立てて軋んだ。彼の指先がわずかに震える。堅く握った拳が、わずかに解ける。

「……夢みたいな、話ですねぇ」

 次いで絞り出すように呟いた声は、どこか怯えていた。
 本心を押し殺し、感情から目を逸らし、記憶に蓋をして、数え切れない程に命を断ち、全身が真っ赤に染まる事に慣れ、常に血の臭いを感じる程の事をしてきた自分が、そんな未来希望に縋っていいのか、と。
 銀白の瞳が潤む。
 間を置かずして、黒いマスクの縁から透明な滴がぽたりと落ちた。それは一雫の、涙。
 それが伝えるのは、未練か、苦痛か、悔恨か、それとも――

 モーズは言葉を返さなかった。ただタリウムの横顔を見詰め、深く決意する。

(冷弾を完成させる。一刻も早く)

 そう強く念じた後、モーズはタリウムを「自室で休むように」と帰宅を進めた。記憶の回帰によって乱れた精神状態で、菓子作りなどできないからだ。
 マンションまで送る為、モーズがタリウムと共に広場を出てると、

「タリウム、今日暇になった感じ?」
「ならゲームでもするか、バーチャルゲーム」
「……そう、っスね」

 白壁の建物の陰からひょっこり現れたカリウムとナトリウムが、タリウムの手を引き、モーズにかわってマンションへ向かって行った。
 2人共、こっそりタリウムの様子を見ていたのだろう。
 彼の事はカリウムらに任せる事にしたモーズは、広場の木製椅子に座り直すと深呼吸をし、焦燥感に駆られる胸中をどうにか落ち着かせようとする。

(いけない、ここで焦っても空回りするだけだ。まずは9月29日の菓子の日への準備を整え、次に臨床試験の資料の読み込み学習をする。冷弾の着手はその後だ。電子機器に触れられない私に、出来ることは限られているのだから……)
「お、いたいたモーズ~」

 ぐるぐると思考を巡らせていた所に、緊張感のない声が届く。
 声をした方を向いてみれば、小走りでこちらに向かってくるフリーデンの姿を確認できた。彼はモーズの前に辿り着くと、緩い声とは対照的に、何やら落ち着きのない所作で喋り始める。

「ちょっと急ぎの相談なんだけどさぁ」
「どうしたんだ?」
「ほら、ちっこいアトロピンいんじゃん? 外見も中身もチビのさ」
「あぁ、それが?」
「アコニチン以外に面倒みてくれそうなウミヘビ、知らねぇ?」

 ◇

 森は深く、昼でも薄暗い。陽の光が木々の葉に遮られ、揺れる影が鶏血の足元を不規則に染め上げていた。
 その中で、鶏血は一歩ごとに落ち着きなく辺りを見回す。

「怖い、怖いヨ……。どぎまぎするネ……!」
「おい、俺が付き添えるのはここまでだぞ? 大丈夫か?」

 隣に立つラリマーの冷たい声に、鶏血は忙しなく、大袈裟な程に手を振った。

「もう行ってしまうのカ!? アタシ不安でいっぱいヨ!?」
「十分だろう」

 宣言通りと言うべきか、約束通りと言うべきか。
 怯える鶏血に慈悲をかける訳でもなく、ラリマーはあっさりと彼の元を離れ目的地とは反対方向へ行ってしまう。

「ううぅ……。心細いネ……」

 名残惜しげにラリマーの背中を見送る鶏血。
 そしてラリマーの姿が木々の向こうに完全に消えた、その瞬間。まるで仮面を剥いだかのように、鶏血の声色が変わる。
 仮面の下の口元を歪め、母語である中国語を吐き捨てるように呟く。

【確かに十分、ラリマーは役に立ったか。認識阻害装置はステージ6に対しても正しく機能している】

 目の前の空間が揺れたような錯覚。直後、何の前触れもなく、その“気配”が現れる。風の動きも、気温も、音すら変わらぬまま――
 いつの間にか、ユワが鶏血の隣に立っていた。
 だが鶏血は驚くでもなく、赤い扇子を広げ仮面越しに顔を扇ぐだけ。
 何故ならばユワは突然現れたのではなく、最初からずっと居たからだ。森の中を進む時……いやそれ以前、ラリマーとルチルとホログラム画像越しに交信を交わしていた時から、彼は鶏血の直ぐ側に控えていた。
 黒服を身に纏い、フードを目深に被り、面頬を顔に付け、極力容姿を隠したユワの姿は人目を引くだろうが、それでも2人は終ぞ彼に気付く事はなかった。

【あいつはこれからも使えそうだ。泳がせておこう】

 画面越しではなくとも認識阻害は機能する。それを知れた事は鶏血にとってこの上ない収穫だ。
 上機嫌な足取りで、彼は森の奥へ迷いなく進んでいく。

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