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13. 最初に知った日
しおりを挟む季節は秋になった。もう九月だというのに、真夏のように暑い。日本の秋はどこに行ったんだ。
帰宅してリビングに入り、クーラーをつける。もう夕方なのに暑さは収まらない。
夏の間は電気代を節約するために、寝る時以外はリビングで過ごそうという話になった。でも、今までも大体そうだったなと思い出して、二人して笑ってしまった。
聖凪さんとずっと一緒にいても、居心地が悪いと感じたことはない。それぞれ別のことをして、時々一緒に話しをする。そのタイミングが同じなんだと思う。
ただ、一人じゃないとできないこともあった。
「あー……涼しい部屋で食べるアイス最高……」
タンクトップとパンツ姿になって、背中に冷風を浴びながら、立ったままソーダアイスを食べる。
男同士だし聖凪さんも気にしないだろうけど……いや、なんだかショックを受けそうだけど、何よりこのだらしない姿を見せるのは俺が嫌だった。
台所のゴミ箱に棒を捨てて、熱さが引いた体で自室に向かう。こっちもむわっとした暑さだった。
棚に常備しているボディシートを一枚取って、裸になって全身を拭き、新しい服に着替える。着ていた服は洗濯機に入れた。後で聖凪さんのと一緒に洗おう。
わりと同居初期の頃から、二人分を一緒に洗濯している。水と洗剤の節約になるから俺は大歓迎だったし、聖凪さんも、俺が一緒に洗っても気にしないならいいと言ってくれた。
「はー……天国……」
リビングに戻ると、思わず声がこぼれてしまう。
ソファに座ったら、服の裾が引っかかって、テーブルの上に積まれたノートを一冊落としてしまった。
「わっ! だっ、大丈夫、無傷……」
そのままペタンと落ちて、角も潰れてないし、紙も曲がっていない。ホッとして元の場所に戻そうとしたら、ページの間から何かがスルリと落ちた。
「またやった! えっ……これ……俺?」
透明の薄いハードケースに入れられた、一枚の紙。映ってるのは俺だけど、写真じゃない。カラーで薄い紙の……雑誌の切り抜きだ。
「これって、サッカー雑誌の?」
高校の頃に出場した全国大会で、俺の通っていた高校が優勝した。その時に点を決めた時の俺だ。
じいちゃんとばあちゃんが何冊も買って、額縁に入れてあちこちに飾っていたから間違いない。
「……懐かしいな」
まだサッカーが楽しくて仕方なかった頃の俺だ。
まだ二年も経ってないのに、酷く昔のことのように思えた。あの頃の俺は、こんな顔ができたんだ……。
その後スカウトが来て、断る決断をしたことで、プロを目指していた友達とギクシャクしてしまった。何かを言われたわけじゃないのに、俺は勝手に罪悪感を抱いていた。……その時のことを思い出してしまうから、俺は今もボールを触れない。
「せっかく聖凪さんが誘ってくれたのにな……」
またやりたいと思ったら、一緒にフットサルをしようと言ってくれた。聖凪さんとできたらきっとすごく楽しい。それなのに、俺はまだ……。
「っ……ごめん」
突然声がして、扉の方を見ると、聖凪さんが立っていた。いつ帰って来たんだろう。全然気づかなかった。
「え、あの、どうして謝るんですか?」
「いや、それ……」
それ、と言われて視線の先を追うと、俺の持っている切り抜きだった。
「あっ、俺の方こそすみませんっ。ノートを落としちゃって……でもノートは無傷ですっ」
そう訴えたら、聖凪さんは深く溜め息をついて座り込んだ。このノート、そんなに大切なものだったんだっ……。
焦ったものの、聖凪さんはノートは別にいいんだけど、と言って俺の方に近づいて来た。
「勝手に切り抜き持ち歩いてたことが、ごめん。でもストーカーってわけじゃないから安心して」
「ストーカー……だったとしても、初対面からずっと助けて貰ってばかりですし、むしろ歓迎というか申し訳ないです……」
その対価として渡せるものが、ご飯を作る以外になさすぎる。
申し訳なく思っていると、いつもは面白いと言って笑う声が、今日は聞こえない。うつむいた顔を上げると、聖凪さんは心から安堵した顔をした。
「ありがと。怖がらないで貰えて本当に安心した……」
「怖がるとかないですよ。聖凪さんですし。でもこれ、二年くらい前の雑誌なのによくありましたね」
古本屋とかフリマアプリで見つけたのかな。聖凪さんって俺のお兄ちゃんなところあるから、見かけて買ってくれたのかも。
……でも、表紙には俺は載っていない。どうやって俺の記事があることを知ったんだろう? どうやって……あ、さては、ばあちゃんだな?
「本当は、明良を知ったのは、オープンキャンパスの日が最初じゃないんだ」
ばあちゃん所有の分が一枚送られて来たのかもと思っていたら、聖凪さんは真剣な顔でそう言った。
「高校の頃から、知ってた」
「えっ、でも俺、地方の高校でしたし……」
「この記事の……明良の学校のサッカー部が、全国大会で優勝した時の試合、俺もスタンドで観てたんだ」
「そうなんですかっ?」
「相手校がロアの通ってた高校で、一緒に行かないかって誘われて」
その頃にはもうバンドを組んでいたから交流もあって、暇だからと了承したらしい。
「体は大きくないし、派手なプレーでもないけど、すごく技術が高くて、それ以上に目を惹く子がいたんだ。それが、明良だよ。サッカーが好きだ、って、全力で叫んでるみたいだった」
聖凪さんは、まるで眩しいものを見るように目を細めた。
あの場所に聖凪さんもいて、俺を見ててくれた……あの頃の俺を知っててくれた。三度も偶然出逢うなんて、こんなのもう、本当に運命なんじゃないか?
「周りをよく見てて連携も上手くて、仲間に信頼されてるんだなと思ったよ。でも……二点目を取った後に、脳震盪で交代して……」
そう、あの試合の終了間際、空中でボールを競っていたら、相手選手の頭が俺の側頭部にぶつかった。相手の勢いの方が強くて、俺は脳震盪を起こして一瞬気を失ってしまった。
でも本当に一瞬で、めまいもなくて、まだやれると監督に訴えた。でも、頭は怖いからと、ベンチに下げられてしまった。
「だから聖凪さん、オープンキャンパスの日に、俺が頭を打ってないか心配してくれたんですね」
「うん、そう……明るいとこに運んでから、明良だと気づいたんだ。あの試合で頭に何か後遺症があってサッカーを辞めたのかと思ってたから、また打ってたらどうしようと思って、本当に怖かった」
聖凪さんには、怖いものはないと思ってた。それなのに俺のことで怖いと思ってくれて……不謹慎だけど、嬉しいと思ってしまう。
「あの全国大会の後に、他の試合も観に行ったんだけど……」
「……俺、あの試合を最後に、引退したんです。プロリーグからスカウトを受けたのがあの後で、それで……」
「そっか……」
聖凪さんはそれ以上踏み込まないでくれて、ただ俺の頭を撫でた。
「頭は、後遺症とかなかった?」
「はい。病院で検査もしました」
「本当に良かった……」
聖凪さんは心からそう言ってくれた。
「俺、あの時に明良に一目惚れして、大会の特集記事があると知って雑誌を買ったんだ。また会いたいと思ってたから、オープンキャンパスで再会した時は驚いたよ」
「あの、どうしてその時に言ってくれなかったんですか?」
「言えないって。知らない男に、あの大会で一目惚れしました、って言われたら怖いだろ?」
「怖い……のかなぁ」
「さすがに明良でも怖いと思うって」
目が覚めて突然言われたら戸惑うけど、かっこいい男の人から惚れたと言われたら、あの時の俺でも嬉しいと思ったんじゃないかな?
「隣に引っ越して来た時は、驚きすぎて表情筋が死んだ」
「あ、だから無表情な感じに」
「初対面です感を出そうとして必死だったから。お前あの時の、と言ってみたものの、オープンキャンパスの時は明良は気絶してたから、俺のこと知らないわけだし」
「黒髪だったことしか覚えてませんね……」
「言わなくて良かった。言ったら完全に終わってた」
聖凪さんは顔を覆ってうつむいてしまった。
でもやっぱり、教えて貰ってても、あの時医務室に運んでくれた恩人! と思ったんじゃないかな?
俺が校舎で気絶したことを知ってるのは聖凪さんだけだったわけだし、説明してくれたら本人だって分かる。
「俺のこと知ってたから、ルームシェアを提案してくれたんですね。……ん? でも、知ってたといっても俺の性格は知らないわけですし、一緒に住むのに抵抗なかったですか?」
「なかった。絶対いい子だって確信あったし、何より……独りにさせるのがあまりに心配で、一緒に住む以外の選択肢は俺にはなかった」
「聖凪さんって……本当にものすごく親切で優しい人ですよね」
まるで聖人のようだ。名前に聖が入ってるし、悪いものを寄せ付けないし、ますます崇めてしまいそう。
「親切……うん、そう、でも明良にだけだよ」
顔を覗き込んでそんなことを言われて、ドキッとした。なんかもう、ドキどころじゃない。ぎゅうぅっ! という初めての感覚だ。
聖凪さん、本当にこういうところなんだよなぁ……。顔が熱くなって、パタパタと手で扇ぐ。そんな俺を面白がってるのか、また俺の顔を覗き込んだ。
「知らないふりしててごめん。勝手に雑誌の切り抜き持ってたこともごめん。これからも、持ってていい?」
「いっ、いいですけど、今顔が熱いのであまり見ないでください……」
「ありがとう。大事にする」
本当に大事そうにケースを撫でるから、俺が大事にされてるみたいで、ますます顔が熱くなってしまった。
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