白衣と弁当

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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「こんにちはー」

その日も、神長さんにお弁当を作っていった。
けれど。

「あー……」

振り返った神長さんが握っている箸、その前のお弁当。
いかにも、女の子の作った。

「あっ、えっと、その。
……いままで、迷惑でしたよね。
その、知らなくて。
ごめんなさい」

出てくるな涙、これは私が勝手にやってたことじゃないか。
別に、神長さんは悪くない。

「こ、これ。
父に渡してください。
じゃ、じゃあ」

神長さんに父のお弁当を押しつけると、その場を逃げ出した。

……お弁当、作ってくれるような彼女いたんだ。
いつも迷惑してたんだ。
だから。

だんだん足は遅くなっていき、立ち止まると涙がぽろぽろこぼれ落ちてくる。
すれ違う人がぎょっとした顔をしていたが、涙は止まらなかった。



それからお弁当を作らなくなった。
父は残念そうだが、もう作る理由がない。
神長さんと顔を合わせるのもつらいから、父にお弁当を届ける役目も拒否し続けた。

でも、とうとう母にこれからも父にお弁当を届けないのならお小遣いカットだと言われ、嫌々、また研究室の前に立つ。

「……はぁーっ」

やだなー、お弁当ここに置いて帰っちゃダメかな。
そんな考えすらあたまを掠めていく。

「失礼しまーす」

開けたドア、一番奥の机にいるはずの父はいない。
いや、父よ。
お弁当届けに来る度、高確率でいないのはどうなっているんだ?

いれば父に直接渡せるのに、いないとなると誰かに預けなきゃいけないわけで。
そうなると、だいたいひとりしかいないわけで。

手前の机に座るその人に視線を向けると、なぜかうまか棒を手にじっと見つめていた。
はぁっ、小さくため息をつくと机の上に散らばったうまか棒の中に戻す。

「あのー」

「は、はい!」

声をかけるといままで私の存在に気づいてなかったのか、弾かれたように椅子から立ち上がった。
というか、うまか棒をそんなに集中して真剣に見る必要があるんだろうか。
おそるおそる振り返ったその人――神長さんは目が合うと、がしっと両手で私の手を掴んできた。

「ちょうどいいところに」

「はいっ?」

ずずいっと神長さんの顔が迫ってきて、思わず背中を仰け反らせてしまう。

「最近、うまか棒がおいしくないんだけど。
どうしてだと思う?」

「……は?」

……そんなこと知るか。

突然変なことを言い出した神長さんに呆れたけれど、ぐいっと顔を近づけ、私を見つめる、眼鏡の奥の瞳は真剣そのもの。

「君が泣きながら帰った日から、うまか棒がおいしくない。
原因は君にあるんだと思うんだ」

「あの。
……とりあえず、手、離してもらえないですかね」

「あ、……ごめん」

初めて自分が私の手を掴んでいることに気づいたのか、ぱっと手を離した神長さんは真っ赤になっていた。

「こほん。
……それで、だ。
あの日から、うまか棒がおいしくないんだ。
そもそも、君がいつもくれる弁当がおいしいから、友人に押しつけられた弁当もおいしいのかと思ったら違ってたし。
不思議でしょうがない」

……あ。
一応、おいしいとは思っていてくれたんだ。

しきりに首をひねってる神長さんはどうも、問題点が微妙にずれてる気がする。

「君の弁当をもう一度食べたら解決すると思うんだ。
……ん?
その弁当は君が作ったの?」

「あっ……!」

止める間もなく、父のお弁当を奪われた。
そのまま、あっという間にお弁当ハンカチをほどいてしまう。

「いただきます」

なにが起きたのかわからなくて、呆然としてる私を無視し、神長さんは律儀にも両手を合わせると蓋を開けて玉子焼きを一口。

「……?」

なぜか、口をもぐもぐさせながら首をひねってる。
ごくんと飲み込むと今度はきんぴらを口に運ぶ。
そしてまた首をひねってごくんと飲み込むと、残念そうに箸を置いた。

「これじゃない。
これじゃないんだ」

どういうことだろう?
母は料理上手で、おいしくない、なんてことはないはず。

「これは君が作ったの?」

「母ですけど……」

ぐいっ、神長さんの顔が迫ってくる。
近い、近いですから!

「僕は、君が作った弁当が食べたい」

「は、はぁ。
じゃあ、明日作ってきます」

「うん。
待ってる」

こうして私は半ば神長さんに気圧されて、お弁当を作ってくる約束をしてしまった。


翌日。
父の研究室に行くと、ぱっと顔を輝かせた神長さんに詰め寄られた。

「弁当は」

「はい、どうぞ」

「うん」

私の手からお弁当を受け取ると、椅子に座り直してお弁当ハンカチをほどいていく。

「この謎が解けないと、研究に集中できないんだ」

「はぁ」

そんなにたいそうなことですかね?

今日も神長さんはいただきますと律儀に手を合わせるとお弁当の蓋を開けた。
玉子焼きを箸で掴むと、ぱくりと一口。
もぐもぐと口を動かしごくりと飲み込むと、満足そうに笑う。
今度は唐揚げを摘むと、一口。

「うん。
これ、これなんだ。
この微妙に塩の利きすぎた玉子焼き。
味のしみがいまいちな唐揚げ」

いや、それって全然褒めてないですよね。
むしろ、けなしてる?

「この、ほんの僅かに微妙な味が、なぜかおいしい」

すみませんね、微妙な味で。
これでも料理、頑張ってるんだけどな。

「なんでだろう?
味でいえば昨日食べた弁当の方が完璧なんだけど。
でも、僕はこっちがおいしい」

また、神長さんはしきりに首をひねっている。

「君にお願いがあるのだけど。
どうも僕はもう、うまい棒では満足できないらしい。
申し訳ないが、これからもずっと僕に弁当を作ってくれないかな」

ぐいっと迫ってきた顔。
私の手を掴む、神長さんの両手。
眼鏡の奥、妙に真剣な瞳。

きっと、神長さんは本当の理由に気づいてない。
研究バカなんだから仕方ないといえば仕方ないかもしれないが。

変な人だと思う。
そんな人を好きになった私も。

だから。

「いいですよ」

私の方から顔を近づけ、ちゅっと唇をふれさせて離れる。
目を開けるとリンゴみたいに真っ赤になった神長さんが見えた。

「き、君は……!」

「ダメでしたか?」

少しだけ首を傾げていたずらっぽく笑ってみたら、すーっと視線が逸れた。

「……考慮しとく」

右手で恥ずかしそうに口元を覆った神長さんは、あたまからしゅーしゅーと湯気を出して黙ってしまった。



今日も私は神長さん――真之介さんにお弁当を作る。

きっと明日も明後日も。
ずっと。

だって、
「一生弁当を作ってほしい」
ってお願いされたから。

「いってきます」

「はい、お弁当」

私からお弁当を受け取ると、真之介さんの唇がちゅっとふれる。
目を開けると相変わらずリンゴのように真っ赤かな真之介さんが見えた。

「なにかあったらすぐ連絡して。
もういつ生まれてもおかしくないんだから」

「はい。
いってらっしゃい」

笑顔で真之介さんを見送ると、おなかの中からそろそろですよとノックされた。



【終】
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