白衣と弁当

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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「あの……」

「はい?」

父にお弁当を届けにきた研究室、ドアを開けると背の高い白衣の男が振り返った。
黒縁眼鏡の奥の目が私とあったまま、手に握った駄菓子をさくっと囓る。
ぽろぽろと落ちるお菓子のくずに気づいたのか、慌てたように払い落とした。

「あの、父、大朝(おおとも)はいますか?」

「ああ、教授ならいま出てて。
もうすぐ戻ると思いますけど」

「そうですか」

どうしようかな。
待つか預けて帰るか。

男の人は私を無視して新しい駄菓子を開け、囓りながらパソコンに向かってる。
よれよれの白衣、寝癖なのか跳ねてる髪。
さっきからぽろぽろ駄菓子のくずを落としながら食べてるから、あちこちについてる。

「すみません、これ、父に渡してもらえますか」

結局、私だって午後からの授業があるんだし、預けて帰ることにした。
駄菓子でいっぱいの口をもぐもぐしながら再び男が振り返る。

「……、あー、はい。
わかりました」

ごくんと飲み込むとお弁当箱の入った袋を受け取ってくれた。
これにて任務完了。
私も早くごはんを食べよう。



この春に入学した大学は父の勤め先でもある。
父がいるからこの大学を選んだのではなく、たまたまだ。

私としては大変不本意なのだが、母は喜んでいる。
これで手間が一つ減ったと。

なぜなら、父はよくお弁当を忘れる。
だからこれ幸いと大学入学と同時に、父の忘れたお弁当の配達を母に任命された。

……ほんと、大迷惑。



「あの……」

「はい?」

次に研究室に行ったときも、例の男が駄菓子を囓りながら私を振り返った。

「父……大朝は?」

「あー、教授いま、出てるんですよね」

父よ、人がわざわざお弁当届けてあげてるのになぜいない?

男はまたパソコンに向き直ると、駄菓子をバリバリ囓りながらキーを打ってる。
机の上には同じ駄菓子――うまか棒がいくつも転がっていた。

もしかして、この人のお昼なんだろうか?
いや、いくらなんでもないだろう。

「ん?」

私の視線に気づいたのか、男が手を止めて私を見上げると、口の端にはうまか棒のくずがついていた。

「食べる?」

手近にあったうまか棒を掴むと、私に差し出してくる。
じっと見てしまってたせいで、欲しいと思われたのだろうか。

「……あ、ありがとうございます」

微妙な気分で一応笑顔を作って受け取ると、男は満足そうにちょっと笑ってパソコンにまた向き直った。

心臓の音がどきどきと早い。
顔が、まるで火がついたみたいに熱い。

だって……笑った彼はすごく、可愛かったから。

 
結局、お弁当は預けた。

家に帰っていつもいない父に文句を言うついでに、彼のことを聞いてみる。

神長(かみなが)真之介(しんのすけ)、四回生。
変人の父が言うのもどうかと思うが、研究バカでそれ以外のことに興味がないらしい。



それから何度も父にお弁当を届けにいったが、神長さんはいつもうまか棒をバリバリ食べていた。

「それ、そんなにおいしいですか?」

「ん?
この世で一番おいしいと思うけど。
これさえあれば他はいらない」

パソコンに視線を向けたまま、神長さんの手は新しいうまか棒を開け、ばりっといい音を立てて囓る。

確かに、前にもらって食べたけど、おいしかった。
でも、毎日うまか棒ばかりってどうかと思うんだけど……。



その日、私はお弁当を作っていた。

「あらー、海里(かいり)が作るなんて珍しい。
雨でも降るのかしら」

ふふっと笑う母はなんだか私が思うところと別のことを想像してそうで怖い。

「セールで服たくさん買っちゃったから、お小遣いピンチなの!
だから、お父さんにゴマすっとこうと思って」

ふたつのお弁当箱をお弁当ハンカチで包む。
最近、父は私が持ってくるのが当たり前と思っているらしく、お弁当を持たずに家を出る。
まあ、だからゆっくり作れるのもあるけど。


お昼になって父の研究室に行くと、いつものように神長さんがうまか棒片手にパソコンに向かっていた。

「あの」

「はい?」

振り返ると神長さんはばりっとうまか棒に噛み折った。

「ああ、教授に弁当ね」

毎日のように来るもんだから、神長さんも慣れっこになっている。

「はい。
あと、これ」

「……?」

預かったお弁当の袋を父の机の上に置こうと、一歩踏み出した神長さんが怪訝そうに振り返る。

「よかったら、食べてください」

「……ありが、とう?」

再度、お弁当箱を押しつけると、不思議そうに神長さんの首が傾いた。
それだけでかっと身体中が熱くなって逃げるみたいに部屋を出てしまった。

……とりあえず、受け取ってくれた。
食べてくれるのかな。



私の心配をよそに、父は空のお弁当箱をふたつ下げて帰ってきた。

「今日のお弁当、どうだった?
私が作ったんだけど」

「海里の入れてくれた弁当は格別にうまかった!」

父は上機嫌で、なにも言わなくても私にお小遣いをくれた。
チョロい、チョロすぎる。

「神長からお嬢さんに返しておいてくれって言われたけど、なんだ?」

「内緒!」

「えー」

父は不服そうだが、知らないふり。

「神長さん、なにか言ってた?」

「別になんも言ってなかったが」

完全にふて腐れてしまった父を無視して自分の部屋に戻る。
完食してくれたのは嬉しいが、味の感想が聞けないのは残念。



次の日も神長さんの分のお弁当を作った。

「よかったら食べてください」

「……ありが、とう?」

神長さんの首が横にこてんと倒れる。

昨日も思ったけど、なんで疑問形なんだろうか。
もしかして迷惑、とか?

受け取ったお弁当を机の上に置くと、うまか棒を手にとって神長さんは止まった。
じーっとしばらくうまか棒を見つめたかと思ったら机の上に戻し、神長さんが振り返った。

「なに?」

「……なんでも、ない、……です」

……はぁーっ。

心の中で、ため息。
昨日の感想が聞けるんじゃないかって、期待したんだけど。
無駄、だったな。
やっぱり父の言うとおり、研究以外は興味がないんだろうか。



それからも私は神長さんにお弁当を差し入れ続けた。
おいしい、ただその一言が聞きたくて。

父は毎回、親バカがすぎるほど大絶賛だが、神長さんは相変わらず、疑問形で受け取るだけ。
ただ、父はいつも空のお弁当箱をふたつ下げて帰るから、完食してくれてるんだと思う。

神長さんにおいしいって言われたい。
……神長さんに少しくらい、私のことを意識してほしい。
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