契約書は婚姻届

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

文字の大きさ
85 / 129
第13話 花嫁修業

4.ひとりで本邸

しおりを挟む
尚一郎が出て行くとすぐに、用意した荷物を持って本邸へと向かう。

尚一郎には何度も大丈夫だ、心配ないと強がってはいたものの、不安がないどころか不安だらけだった。

「本日からお世話になります、朋香です。
ふつつかものですがよろしくお願いいたします」

本邸で朋香を待っていたのは、自子さだこひとりだった。
達之助は仕事で出ているらしい。

花を活けていた自子は挨拶を返さないどころか、朋香の方などちっとも見ない。
けれどここではこれが普通らしく、すぐに朋香を案内してきた、執事らしき男の連れられて別の部屋へと移動した。

「これに着替えてください」

渡された衣装盆に入っているのは、たとう紙に包まれた……着物。
「あの、ひとりで着るんですか」

「もちろんです。
ああ、お持ちになった荷物はこちらですべてお預かりします。
携帯も、その指環も」

「……はい」

渋々、持ってきたスーツケースと携帯を渡す。
結婚指環を外すことには躊躇われたが、仕方ない。
外して男に渡すと、急に尚一郎の守りがなくなった気がして、心細くなった。

「私は少し外しますので、その間に着替えておいてください」

「……はい」

男が出て行くと、はぁっと小さくため息が漏れた。

……野々村さんに着付け習っておいて正解。

本邸に来ることが決まってから、無駄に心配だけをしていたわけじゃない。

仕事が忙しいのに尚一郎は、ありとあらゆることを考えて手を打ってくれた。
朋香だって尚一郎にばかり手を煩わせず、自分にできることはすべて。
野々村には無茶ぶりともいえるほどいろいろお願いしたが、いつも通り無表情ですべてこなしてくれた。

……野々村さんって案外、いい人なのかも。

短時間で叩き込まれた着付けを思い出しながら、着物を着ていく。
用意された着物は本邸の使用人たちが着ているのと同じものだった。

……結局、そういうことだよね。

嫁として再教育、といいながらも実際は使用人扱い。
想像できていたことだけに絶望したりしない。

「着替えられましたか」

「はい」

男が戻ってきたときにはすでに、着替え終わっていた。

「では、着いてきてください」

「はい」

廊下を進む、男のあとについて歩く。

「自己紹介が遅れました。
私はこの家のいっさいを取り仕切っている、#杉谷__すぎや__と申します。
よろしくお願いいたします」

「よろしくお願いします」

杉谷という男は、尚恭と同じくらいの年頃に見えた。
ただ、痩せぎすでどことなく神経質そうで、朋香は苦手意識を抱いていた。

杉谷の話によると、朋香のここでの生活はやはり、使用人と同じだという。

「お昼までに庭の掃除を終わらせておいてください。
終わるまで、食事はありません」

「はい」

一応、笑顔で答えたものの顔がひきつる。
任されたのは中庭とはいえ、軽く学校の運動場ほどあった。
しかも、山ほどの落ち葉。

……これを昼までに?

朋香が本邸に着いたのは十時頃だった。
時計は確認してないが少なくともすでに、十一時に近いはず。

できないと泣きつくのを待っているだろうが、しゃくに障る。
箒を握ると朋香は、黙々と掃除を始めた。



「おわっ、たー」

落ち葉を詰め込んだ、最後の袋の口を結び、額に浮く汗を拭う。
あたりはすでに、とっぷりと日が暮れていた。

「うん、きれいになった。
これなら文句ないでしょ」

チリひとつない庭を見回し、ひとり満足して頷くと、ぐーっ、おなかが派手な音を立てて苦笑する。

「……まだやっていたのですか」

聞こえてきた声に振り返ると、杉谷が呆れ気味に立っていた。

「だってこれが、私に命じられた仕事ですから」

すました顔で云い返してやったが、杉谷の反応は薄い。

「旦那様がお帰りになりました。
挨拶に行きますので取り急ぎ、その酷い身なりをなんとしてください」

「はい」

……必死で掃除をしていたせいか、朋香の身体にはあちこち落ち葉が引っ付いていた。
身体に付いた落ち葉をはたき落とし、汗も拭うと、座敷に連れて行かれた。

黙々と自子と向かい合って食事をしていた達之助だが、朋香を視界の隅に確認したとたん、箸を置く。

「食欲がなくなった。
下げろ」

「ただいま」

すぐに使用人が呼ばれて食事が下げられる。
自子は早々に箸を置いてすでに部屋から出て行っている。

「本日からしばらく、こちらでお世話になることになった朋香です。
よろしくお願いいたします」

「ふん。
卑しいおまえなど屋敷に置いたら穢れるわ。
まあいい、どうせ早々に尻尾を巻いて逃げ出すだろうがな」

笑顔を作って黙って聞いていたものの、ひくひくと口の端が痙攣する。

せいぜい、莫迦にしているといいと思う。
絶対にそっちから、参りましたと云わせてやる。

達之助との対面のあと、やっと食事にありつけた。
ただし、冷やご飯と漬け物、冷めた味噌汁のみ。
嫌がらせにものほどがある。
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

ホストと女医は診察室で

星野しずく
恋愛
町田慶子は開業したばかりのクリニックで忙しい毎日を送っていた。ある日クリニックに招かれざる客、歌舞伎町のホスト、聖夜が後輩の真也に連れられてやってきた。聖夜の強引な誘いを断れず、慶子は初めてホストクラブを訪れる。しかし、その日の夜、慶子が目覚めたのは…、なぜか聖夜と二人きりのホテルの一室だった…。

あまやかしても、いいですか?

藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。 「俺ね、ダメなんだ」 「あーもう、キスしたい」 「それこそだめです」  甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の 契約結婚生活とはこれいかに。

ストーカーに狙われたので歳上騎士様に護衛をお願いしました。

ねーさん
恋愛
 「氷の彫刻」と呼ばれる美貌の兄を持つ公爵令嬢のクラリッサは不審な視線に悩まされていた。  卒業を二日後に控えた朝、教室のクラリッサの机に置かれた一通の偏執狂者からの手紙。  親友イブを通じてイブの婚約者、近衛騎士団第四分団員のジョーンズに相談すると、第四分団長ネイトがクラリッサのパートナーとして卒業パーティーに出席してくれる事になって─── 〈注〉 このお話は「婚約者が記憶喪失になりました。」と「元騎士の歳上公爵様がまさかの××でした!?」の続編になります。

【完結】もう一度やり直したいんです〜すれ違い契約夫婦は異国で再スタートする〜

四片霞彩
恋愛
「貴女の残りの命を私に下さい。貴女の命を有益に使います」 度重なる上司からのパワーハラスメントに耐え切れなくなった日向小春(ひなたこはる)が橋の上から身投げしようとした時、止めてくれたのは弁護士の若佐楓(わかさかえで)だった。 事情を知った楓に会社を訴えるように勧められるが、裁判費用が無い事を理由に小春は裁判を断り、再び身を投げようとする。 しかし追いかけてきた楓に再度止められると、裁判を無償で引き受ける条件として、契約結婚を提案されたのだった。 楓は所属している事務所の所長から、孫娘との結婚を勧められて困っており、 それを断る為にも、一時的に結婚してくれる相手が必要であった。 その代わり、もし小春が相手役を引き受けてくれるなら、裁判に必要な費用を貰わずに、無償で引き受けるとも。 ただ死ぬくらいなら、最後くらい、誰かの役に立ってから死のうと考えた小春は、楓と契約結婚をする事になったのだった。 その後、楓の結婚は回避するが、小春が会社を訴えた裁判は敗訴し、退職を余儀なくされた。 敗訴した事をきっかけに、裁判を引き受けてくれた楓との仲がすれ違うようになり、やがて国際弁護士になる為、楓は一人でニューヨークに旅立ったのだった。 それから、3年が経ったある日。 日本にいた小春の元に、突然楓から離婚届が送られてくる。 「私は若佐先生の事を何も知らない」 このまま離婚していいのか悩んだ小春は、荷物をまとめると、ニューヨーク行きの飛行機に乗る。 目的を果たした後も、契約結婚を解消しなかった楓の真意を知る為にもーー。 ❄︎ ※他サイトにも掲載しています。

財閥御曹司は左遷された彼女を秘めた愛で取り戻す

花里 美佐
恋愛
榊原財閥に勤める香月菜々は日傘専務の秘書をしていた。 専務は御曹司の元上司。 その専務が社内政争に巻き込まれ退任。 菜々は同じ秘書の彼氏にもフラれてしまう。 居場所がなくなった彼女は退職を希望したが 支社への転勤(左遷)を命じられてしまう。 ところが、ようやく落ち着いた彼女の元に 海外にいたはずの御曹司が現れて?!

雨の日にやさぐれお姉さんを拾ったと思ったら胃袋も心も掴んでくるスーパーお姉さんだった

九戸政景
恋愛
新人小説家の由利美音は、ある日の夜に一人の女性を拾う。太刀川凛莉と名乗る女性との共同生活が始まる中、様々な出会いを果たしながら美音は自身の過去とも向き合っていく。

夜の帝王の一途な愛

ラヴ KAZU
恋愛
彼氏ナシ・子供ナシ・仕事ナシ……、ないない尽くしで人生に焦りを感じているアラフォー女性の前に、ある日突然、白馬の王子様が現れた! ピュアな主人公が待ちに待った〝白馬の王子様"の正体は、若くしてホストクラブを経営するカリスマNO.1ホスト。「俺と一緒に暮らさないか」突然のプロポーズと思いきや、契約結婚の申し出だった。 ところが、イケメンホスト麻生凌はたっぷりの愛情を濯ぐ。 翻弄される結城あゆみ。 そんな凌には誰にも言えない秘密があった。 あゆみの運命は……

結婚結婚煩いので、愛人持ちの幼馴染と偽装結婚してみた

夏菜しの
恋愛
 幼馴染のルーカスの態度は、年頃になっても相変わらず気安い。  彼のその変わらぬ態度のお陰で、周りから男女の仲だと勘違いされて、公爵令嬢エーデルトラウトの相手はなかなか決まらない。  そんな現状をヤキモキしているというのに、ルーカスの方は素知らぬ顔。  彼は思いのままに平民の娘と恋人関係を持っていた。  いっそそのまま結婚してくれれば、噂は間違いだったと知れるのに、あちらもやっぱり公爵家で、平民との結婚など許さんと反対されていた。  のらりくらりと躱すがもう限界。  いよいよ親が煩くなってきたころ、ルーカスがやってきて『偽装結婚しないか?』と提案された。  彼の愛人を黙認する代わりに、贅沢と自由が得られる。  これで煩く言われないとすると、悪くない提案じゃない?  エーデルトラウトは軽い気持ちでその提案に乗った。

処理中です...