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第10話 私の帰る場所
3.嵐の来訪
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金曜は家政婦が来る日だが、知らない人間がいると落ち着かないだろうと明夫が断ってくれた。
「おはよう」
朝食を作っていると明夫が起きてきた。
台所に立っている朋香に、なにも云わずに新聞を取りに行く。
「……おはよう」
そのうち、寝癖だらけのあたまをボリボリ掻きながら洋太が起きてきた。
洗面所に消えていくのを横目に、味噌汁をよそう。
あるもので作ったから、今日はタマネギとジャガイモの味噌汁、だし巻き卵にカボチャの煮物、それに常備菜の切り干し大根。
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」
「いただきます」
三人そろうと手を合わせて食べ始める。
尚一郎と結婚する前は、これが当たり前の風景だった。
「やっぱ、姉ちゃんが作った味噌汁が美味しいよな。
おやじが作ったのはなんか、いまいちなんだよ」
「……文句あるのか」
「……ない」
明夫に睨まれて、黙ってしまった洋太に苦笑い。
……もし。
尚一郎にこうやって料理を作ったら、喜んでくれるんだろうか。
ふとそんな考えが思い浮かんだが、味噌汁とともに飲み込んだ。
ふたりが仕事に出ていくと、朋香は自分の部屋の片付けをはじめた。
家を出たときは急だったから、そのままになっている。
けれど、朋香の家はもう、ここではないのだ。
尚一郎のいるところが自分の家。
ここにはたまに帰ってくるだけだから、きれいに片付けておくべきだと思った。
ピンポーン、適当に昼食をすませ片付けを再開しようとすると、チャイムが鳴った。
「はい……?」
勧誘かなにかだろうかと訝しがりながら玄関を開けると、そこには侑岐が立っている。
「なあに?
辛気くさい家ねー」
挨拶もなしに家をけなす侑岐にむっとした。
確かに、築五十年の古い家だが、その云い様はないと思う。
「ちょっと付き合いなさいよ」
「え、あっ、ちょっと!」
侑岐は朋香の返事を待たず、停めてあった真っ赤なフェラーリに押し込むと、車を急発進させた。
「あ、危ない!」
「ほんとねー。
なんで日本って、こんなに道が狭いのかしら?」
真っ赤な唇を吊り上げて笑う侑岐に、いろいろな意味で命の危険を感じた。
信号でいちいち停まるのが気に入らないらしく、フェラーリはすぐに高速に入った。
町中を急発進、急ブレーキを繰り返されるより、幾分かは安心できる。
「ねえ。
あなた、尚一郎と別れなさいよ」
「は?」
予想の範囲といえば予想の範囲だが、それでも思わず聞き返してしまう。
「どうせ、契約結婚なんでしょ?
父親の工場を守るため……だっけ。
離婚して尚一郎の援助がなくなっても困らないように、ちゃんとほかの会社、紹介してあげるし」
「は?」
侑岐がなにを云っているのか理解できない。
そりゃ、オシベとの契約がなくても、明夫の工場が倒産の危機に立たされないとなれば、この契約結婚に意味はなくなる。
けれど、侑岐になにかメリットがあるとは思えない。
「それに、尚一郎と結婚したって、幸せになれないって理解したでしょ」
「そんなことはないです!」
侑岐の云う通り、尚一郎の押部家での立場だと、困難は多いだろう。
それにすでに何度か、嫌な思いをさせられた。
それでも。
「尚一郎さんは私を愛してくれてます。
私だって、尚一郎さんを愛してます。
だからきっと、幸せになる。
そう、信じてるから」
口に出すと、急に恥ずかしくなってきた。
……きっと私は、すでに尚一郎さんを愛してる。
いままで、認めるのが怖かっただけで。
「そう。
でも尚一郎、あなたと別れて私と結婚するって、達之助おじいさまに誓ってたわよ」
侑岐の、赤い唇が勝ち誇ったように吊り上がる。
瞬間、頬にかっと熱が走った。
「そんなの嘘に決まってます!」
「嘘じゃないわ。
指環だってくれたし」
見せびらかすように持ち上げられた左手には、薬指に煌めくダイヤの指環が嵌まっている。
思わず、自分の左手薬指を押さえていた。
……なにかの間違い。
そんなことあるはずない。
尚一郎は達之助に朋香との結婚を責められても、絶対に別れるとは云わなかった。
それどころか、責められる朋香を庇ってくれた。
だから、いまさら達之助に従うとか、あるはずがない。
「絶対に信じません。
きっと、侑岐さんが勝手にそんなこと、云ってるだけです。
私は尚一郎さんを信じるって決めたから。
……決めたんだから」
俯くと、膝の上で強く握った両の拳が見えた。
左手薬指には二本の指環が嵌まっている。
ひとつは、結婚してすぐに、とりあえずのものだと尚一郎が渡してくれた結婚指環。
もうひとつは渡された婚約指環があまりに大袈裟なものだったから、普段使いに向くようにリメイクしてもらったもの。
両方とも仮で、正式にオーダーしようといってそのままになっているが、そんなことは関係ない。
指環なんてただの形式で、重要なのは気持ちのはずだ。
「……へえ。
せっかく、あなたのためを思って云ってあげてるのに。
よっぽど不幸になりたいのね。
……あの子みたいに」
「え?」
「なんでもない、こっちの話。
……説得は失敗に終わった、と。
さて、どうしようかしら?」
にっこりと笑った侑岐に、朋香は怯え、身体をがたがたと震わせ、目にはうっすらと涙すら浮かんでいた。
「おはよう」
朝食を作っていると明夫が起きてきた。
台所に立っている朋香に、なにも云わずに新聞を取りに行く。
「……おはよう」
そのうち、寝癖だらけのあたまをボリボリ掻きながら洋太が起きてきた。
洗面所に消えていくのを横目に、味噌汁をよそう。
あるもので作ったから、今日はタマネギとジャガイモの味噌汁、だし巻き卵にカボチャの煮物、それに常備菜の切り干し大根。
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」
「いただきます」
三人そろうと手を合わせて食べ始める。
尚一郎と結婚する前は、これが当たり前の風景だった。
「やっぱ、姉ちゃんが作った味噌汁が美味しいよな。
おやじが作ったのはなんか、いまいちなんだよ」
「……文句あるのか」
「……ない」
明夫に睨まれて、黙ってしまった洋太に苦笑い。
……もし。
尚一郎にこうやって料理を作ったら、喜んでくれるんだろうか。
ふとそんな考えが思い浮かんだが、味噌汁とともに飲み込んだ。
ふたりが仕事に出ていくと、朋香は自分の部屋の片付けをはじめた。
家を出たときは急だったから、そのままになっている。
けれど、朋香の家はもう、ここではないのだ。
尚一郎のいるところが自分の家。
ここにはたまに帰ってくるだけだから、きれいに片付けておくべきだと思った。
ピンポーン、適当に昼食をすませ片付けを再開しようとすると、チャイムが鳴った。
「はい……?」
勧誘かなにかだろうかと訝しがりながら玄関を開けると、そこには侑岐が立っている。
「なあに?
辛気くさい家ねー」
挨拶もなしに家をけなす侑岐にむっとした。
確かに、築五十年の古い家だが、その云い様はないと思う。
「ちょっと付き合いなさいよ」
「え、あっ、ちょっと!」
侑岐は朋香の返事を待たず、停めてあった真っ赤なフェラーリに押し込むと、車を急発進させた。
「あ、危ない!」
「ほんとねー。
なんで日本って、こんなに道が狭いのかしら?」
真っ赤な唇を吊り上げて笑う侑岐に、いろいろな意味で命の危険を感じた。
信号でいちいち停まるのが気に入らないらしく、フェラーリはすぐに高速に入った。
町中を急発進、急ブレーキを繰り返されるより、幾分かは安心できる。
「ねえ。
あなた、尚一郎と別れなさいよ」
「は?」
予想の範囲といえば予想の範囲だが、それでも思わず聞き返してしまう。
「どうせ、契約結婚なんでしょ?
父親の工場を守るため……だっけ。
離婚して尚一郎の援助がなくなっても困らないように、ちゃんとほかの会社、紹介してあげるし」
「は?」
侑岐がなにを云っているのか理解できない。
そりゃ、オシベとの契約がなくても、明夫の工場が倒産の危機に立たされないとなれば、この契約結婚に意味はなくなる。
けれど、侑岐になにかメリットがあるとは思えない。
「それに、尚一郎と結婚したって、幸せになれないって理解したでしょ」
「そんなことはないです!」
侑岐の云う通り、尚一郎の押部家での立場だと、困難は多いだろう。
それにすでに何度か、嫌な思いをさせられた。
それでも。
「尚一郎さんは私を愛してくれてます。
私だって、尚一郎さんを愛してます。
だからきっと、幸せになる。
そう、信じてるから」
口に出すと、急に恥ずかしくなってきた。
……きっと私は、すでに尚一郎さんを愛してる。
いままで、認めるのが怖かっただけで。
「そう。
でも尚一郎、あなたと別れて私と結婚するって、達之助おじいさまに誓ってたわよ」
侑岐の、赤い唇が勝ち誇ったように吊り上がる。
瞬間、頬にかっと熱が走った。
「そんなの嘘に決まってます!」
「嘘じゃないわ。
指環だってくれたし」
見せびらかすように持ち上げられた左手には、薬指に煌めくダイヤの指環が嵌まっている。
思わず、自分の左手薬指を押さえていた。
……なにかの間違い。
そんなことあるはずない。
尚一郎は達之助に朋香との結婚を責められても、絶対に別れるとは云わなかった。
それどころか、責められる朋香を庇ってくれた。
だから、いまさら達之助に従うとか、あるはずがない。
「絶対に信じません。
きっと、侑岐さんが勝手にそんなこと、云ってるだけです。
私は尚一郎さんを信じるって決めたから。
……決めたんだから」
俯くと、膝の上で強く握った両の拳が見えた。
左手薬指には二本の指環が嵌まっている。
ひとつは、結婚してすぐに、とりあえずのものだと尚一郎が渡してくれた結婚指環。
もうひとつは渡された婚約指環があまりに大袈裟なものだったから、普段使いに向くようにリメイクしてもらったもの。
両方とも仮で、正式にオーダーしようといってそのままになっているが、そんなことは関係ない。
指環なんてただの形式で、重要なのは気持ちのはずだ。
「……へえ。
せっかく、あなたのためを思って云ってあげてるのに。
よっぽど不幸になりたいのね。
……あの子みたいに」
「え?」
「なんでもない、こっちの話。
……説得は失敗に終わった、と。
さて、どうしようかしら?」
にっこりと笑った侑岐に、朋香は怯え、身体をがたがたと震わせ、目にはうっすらと涙すら浮かんでいた。
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