39 / 64
第七章 私を恋に落としてどうする気なんだろう
7-2
しおりを挟む
「では、本日の仕事は以上になります」
「ん、お疲れ」
私と目をあわせ、彪夏さんがにかっと笑う。
それに心臓が解くんと甘く鼓動したが、気づかないフリをした。
「それでは、失礼します」
「あ、清子」
退室しようとしたところで彪夏さんから声をかけられ、足を止める。
「来週の水曜、夕方から休みたいんだが、いいか?」
「来週の水曜……」
私の記憶ではなにもなかったと思うが、一応手帳を開いて確認した。
「何時くらいからですか?」
「そうだな……ここから清子の家まで有料使えば三十分くらい、そこからウッサーランドまで三十分だから六時……?」
彪夏さんはなにやら計算しているが、我が家に寄ってウッサーランドなどという不穏なワードが聞こえて落ち着かない。
ちなみにウッサーランドとは、ウッサーくんとウサミちゃんがいる、夢の国だ。
「でも、健太たちを拾わなきゃいけないし……五時だな!」
ぱっと顔を上げた彼は実にいい顔で笑っていて、眩しすぎてつい目を細めてしまった。
「あの、確認しますが、弟たちをウッサーランドに連れていこうとしていますか?」
「そうだが?」
なにを聞かれているのかわからないというふうに、彪夏さんが眼鏡の向こうで何度か瞬きをする。
「ええっと、それはさすがに、悪いです」
報酬でもなんでもないのに、あんな高価なテーマパークに連れていってもらうなんて、できるはずがない。
少し前に夢も国も値上がり、チケットが一万円なんてニュースでやっていたくらいだ。
「悪くないだろ。
あんな素敵なバースデーパーティを開いてくれたんだ、お礼にこれくらいするべきだろ?」
「そう、ですね……」
彪夏さんはドヤ顔だが、曖昧に笑って左の壁に目を向ける。
そこには望の描いた彪夏さんの絵が、額装されて飾られていた。
彼はお客様が来るたびに、義弟が描いてくれたのだと自慢している。
……彪夏さんがいいなら、いいか。
それに私を含め家族は誰もランドに行ったことがないので、喜ぶに違いない。
「少し調整が必要ですが、御子神社長のスケジュールは大丈夫だと思います。
弟たちの都合はわかりませんが」
「健太たちには今日、都合を聞きに行く」
それはもう決定事項らしいので、もうなにも言わなかった。
「それで清子、あとどれくらいで仕事は終わるか?」
「あと二時間……一時間半で終わらせます」
残りの仕事を計算し、返事をする。
あれとあれは下処理すれば他の人に回せるし、なんとかなるはず。
あまり、彪夏さんをお待たせするのも悪いし。
「わかった。
でも、無理はするなよ?」
「ありがとうございます。
では、失礼します」
今度こそ社長室を退室し、ギリギリ走らない速さで秘書室へと急ぐ。
「お疲れ様です!
嶋谷室長、打ち合わせいいですか?」
「いいよ」
急いで直行してきた私に何事か感じ取ったのか、嶋谷室長は苦笑いした。
私は秘書検定準一級とはいえ、秘書歴はやっと二年を過ぎたばかり。
本来なら社長秘書なんてまだ無理なのだ。
それを一年前の四月、抜擢した彪夏さんの、心の内はいまだにわからない。
とにかくそんな事情なので、秘書室のベテラン数人が補佐について助けてくれていた。
「あ、それってそういうことなんですね」
「うん、そう。
だからこういうときは……」
彪夏さんより少しだけ年上の嶋谷室長が、丁寧に明日の注意点などを教えてくれる。
少し垂れた目もとが優しげな彼は、その顔と同じく穏やかで優しい。
恋をするならきっと、嶋谷室長のような人だと思っていた。
「以上かな。
またなんかあったら、朝の打ち合わせのときに」
「わかりました。
ありがとうございます」
室長は無駄な時間を使わないので、打ち合わせは三十分ほどで終わった。
これなら残りの書類処理で宣言どおり終わりそう、かな。
あとは最速でキーを打ち続けた。
とにかく、言ったとおりに仕事を終わらせないと……。
「清子!
仕事は終わったか!」
時間ぴったりに彪夏さんが秘書室に迎えに来る。
あの人は待てができないのだ。
「あと五分で終わりますから、ちょっと待っててください!」
「わかった」
彪夏さんには目も向けず、画面だけを見てキーを打ち続けた。
ちなみに、思ったよりかかってあと三十分とか一時間とかになっても、素直に待ってくれる。
その分を誰かにさせるなんていう特別扱いを、彪夏さんは絶対にしない。
そういう、常識のある人で本当によかった。
「よしっ、と」
書類の処理が終わり、パソコンを落とす。
そこまでして初めて、隣に人の気配を感じた。
目を向けると、空いていた隣の席に座り、机に頬杖をついて彪夏さんが見ている。
「終わったのか?」
目があった途端、実に嬉しそうににぱっと彼が笑った。
「お、終わりました……ケド」
おかげで、あっという間に頬が熱を持っていき、語尾がぎこちなくなってしまう。
「じゃあ、帰ろう」
私が片付けを終わらせたタイミングで、彪夏さんがぐいぐい手を引いていく。
半ば引きずられるようにドアへと向かった。
「じゃあ、お疲れー。
お前らも早く帰れよ?」
「お疲れ様でしたー」
お疲れ様です、という声と共に、くすくすと笑い声が聞こえる。
社内では私と彪夏さんの婚約はもう、公表されていた。
前にも増して彪夏さんが私にかまうようになり、微笑ましくなっているようだ。
「あれだったら弁当かなんか買っていくが、もう遅いよな」
「そうですね」
時刻は八時半になろうとしている。
実家に着くのは九時前くらいになるだろう。
「仕方ない。
今日はこれで我慢してもらうか」
彪夏さんがちらりと視線を向けた後部座席には、お洒落なレジ袋が三つほど転がっていた。
あの袋は見覚えがある、近所で美味しいと評判のパン屋のものだ。
うちの社員がよく通っている。
私は、買ったことがないけれど。
「ん、お疲れ」
私と目をあわせ、彪夏さんがにかっと笑う。
それに心臓が解くんと甘く鼓動したが、気づかないフリをした。
「それでは、失礼します」
「あ、清子」
退室しようとしたところで彪夏さんから声をかけられ、足を止める。
「来週の水曜、夕方から休みたいんだが、いいか?」
「来週の水曜……」
私の記憶ではなにもなかったと思うが、一応手帳を開いて確認した。
「何時くらいからですか?」
「そうだな……ここから清子の家まで有料使えば三十分くらい、そこからウッサーランドまで三十分だから六時……?」
彪夏さんはなにやら計算しているが、我が家に寄ってウッサーランドなどという不穏なワードが聞こえて落ち着かない。
ちなみにウッサーランドとは、ウッサーくんとウサミちゃんがいる、夢の国だ。
「でも、健太たちを拾わなきゃいけないし……五時だな!」
ぱっと顔を上げた彼は実にいい顔で笑っていて、眩しすぎてつい目を細めてしまった。
「あの、確認しますが、弟たちをウッサーランドに連れていこうとしていますか?」
「そうだが?」
なにを聞かれているのかわからないというふうに、彪夏さんが眼鏡の向こうで何度か瞬きをする。
「ええっと、それはさすがに、悪いです」
報酬でもなんでもないのに、あんな高価なテーマパークに連れていってもらうなんて、できるはずがない。
少し前に夢も国も値上がり、チケットが一万円なんてニュースでやっていたくらいだ。
「悪くないだろ。
あんな素敵なバースデーパーティを開いてくれたんだ、お礼にこれくらいするべきだろ?」
「そう、ですね……」
彪夏さんはドヤ顔だが、曖昧に笑って左の壁に目を向ける。
そこには望の描いた彪夏さんの絵が、額装されて飾られていた。
彼はお客様が来るたびに、義弟が描いてくれたのだと自慢している。
……彪夏さんがいいなら、いいか。
それに私を含め家族は誰もランドに行ったことがないので、喜ぶに違いない。
「少し調整が必要ですが、御子神社長のスケジュールは大丈夫だと思います。
弟たちの都合はわかりませんが」
「健太たちには今日、都合を聞きに行く」
それはもう決定事項らしいので、もうなにも言わなかった。
「それで清子、あとどれくらいで仕事は終わるか?」
「あと二時間……一時間半で終わらせます」
残りの仕事を計算し、返事をする。
あれとあれは下処理すれば他の人に回せるし、なんとかなるはず。
あまり、彪夏さんをお待たせするのも悪いし。
「わかった。
でも、無理はするなよ?」
「ありがとうございます。
では、失礼します」
今度こそ社長室を退室し、ギリギリ走らない速さで秘書室へと急ぐ。
「お疲れ様です!
嶋谷室長、打ち合わせいいですか?」
「いいよ」
急いで直行してきた私に何事か感じ取ったのか、嶋谷室長は苦笑いした。
私は秘書検定準一級とはいえ、秘書歴はやっと二年を過ぎたばかり。
本来なら社長秘書なんてまだ無理なのだ。
それを一年前の四月、抜擢した彪夏さんの、心の内はいまだにわからない。
とにかくそんな事情なので、秘書室のベテラン数人が補佐について助けてくれていた。
「あ、それってそういうことなんですね」
「うん、そう。
だからこういうときは……」
彪夏さんより少しだけ年上の嶋谷室長が、丁寧に明日の注意点などを教えてくれる。
少し垂れた目もとが優しげな彼は、その顔と同じく穏やかで優しい。
恋をするならきっと、嶋谷室長のような人だと思っていた。
「以上かな。
またなんかあったら、朝の打ち合わせのときに」
「わかりました。
ありがとうございます」
室長は無駄な時間を使わないので、打ち合わせは三十分ほどで終わった。
これなら残りの書類処理で宣言どおり終わりそう、かな。
あとは最速でキーを打ち続けた。
とにかく、言ったとおりに仕事を終わらせないと……。
「清子!
仕事は終わったか!」
時間ぴったりに彪夏さんが秘書室に迎えに来る。
あの人は待てができないのだ。
「あと五分で終わりますから、ちょっと待っててください!」
「わかった」
彪夏さんには目も向けず、画面だけを見てキーを打ち続けた。
ちなみに、思ったよりかかってあと三十分とか一時間とかになっても、素直に待ってくれる。
その分を誰かにさせるなんていう特別扱いを、彪夏さんは絶対にしない。
そういう、常識のある人で本当によかった。
「よしっ、と」
書類の処理が終わり、パソコンを落とす。
そこまでして初めて、隣に人の気配を感じた。
目を向けると、空いていた隣の席に座り、机に頬杖をついて彪夏さんが見ている。
「終わったのか?」
目があった途端、実に嬉しそうににぱっと彼が笑った。
「お、終わりました……ケド」
おかげで、あっという間に頬が熱を持っていき、語尾がぎこちなくなってしまう。
「じゃあ、帰ろう」
私が片付けを終わらせたタイミングで、彪夏さんがぐいぐい手を引いていく。
半ば引きずられるようにドアへと向かった。
「じゃあ、お疲れー。
お前らも早く帰れよ?」
「お疲れ様でしたー」
お疲れ様です、という声と共に、くすくすと笑い声が聞こえる。
社内では私と彪夏さんの婚約はもう、公表されていた。
前にも増して彪夏さんが私にかまうようになり、微笑ましくなっているようだ。
「あれだったら弁当かなんか買っていくが、もう遅いよな」
「そうですね」
時刻は八時半になろうとしている。
実家に着くのは九時前くらいになるだろう。
「仕方ない。
今日はこれで我慢してもらうか」
彪夏さんがちらりと視線を向けた後部座席には、お洒落なレジ袋が三つほど転がっていた。
あの袋は見覚えがある、近所で美味しいと評判のパン屋のものだ。
うちの社員がよく通っている。
私は、買ったことがないけれど。
12
あなたにおすすめの小説
自信家CEOは花嫁を略奪する
朝陽ゆりね
恋愛
「あなたとは、一夜限りの関係です」
そのはずだったのに、
そう言ったはずなのに――
私には婚約者がいて、あなたと交際することはできない。
それにあなたは特定の女とはつきあわないのでしょ?
だったら、なぜ?
お願いだからもうかまわないで――
松坂和眞は特定の相手とは交際しないと宣言し、言い寄る女と一時を愉しむ男だ。
だが、経営者としての手腕は世間に広く知られている。
璃桜はそんな和眞に憧れて入社したが、親からもらった自由な時間は3年だった。
そしてその期間が来てしまった。
半年後、親が決めた相手と結婚する。
退職する前日、和眞を誘惑する決意をし、成功するが――
美しき造船王は愛の海に彼女を誘う
花里 美佐
恋愛
★神崎 蓮 32歳 神崎造船副社長
『玲瓏皇子』の異名を持つ美しき御曹司。
ノースサイド出身のセレブリティ
×
☆清水 さくら 23歳 名取フラワーズ社員
名取フラワーズの社員だが、理由があって
伯父の花屋『ブラッサムフラワー』で今は働いている。
恋愛に不器用な仕事人間のセレブ男性が
花屋の女性の夢を応援し始めた。
最初は喧嘩をしながら、ふたりはお互いを認め合って惹かれていく。
羽柴弁護士の愛はいろいろと重すぎるので返品したい。
泉野あおい
恋愛
人の気持ちに重い軽いがあるなんて変だと思ってた。
でも今、確かに思ってる。
―――この愛は、重い。
------------------------------------------
羽柴健人(30)
羽柴法律事務所所長 鳳凰グループ法律顧問
座右の銘『危ない橋ほど渡りたい。』
好き:柊みゆ
嫌い:褒められること
×
柊 みゆ(28)
弱小飲料メーカー→鳳凰グループ・ホウオウ総務部
座右の銘『石橋は叩いて渡りたい。』
好き:走ること
苦手:羽柴健人
------------------------------------------
シンデレラは王子様と離婚することになりました。
及川 桜
恋愛
シンデレラは王子様と結婚して幸せになり・・・
なりませんでした!!
【現代版 シンデレラストーリー】
貧乏OLは、ひょんなことから会社の社長と出会い結婚することになりました。
はたから見れば、王子様に見初められたシンデレラストーリー。
しかしながら、その実態は?
離婚前提の結婚生活。
果たして、シンデレラは無事に王子様と離婚できるのでしょうか。
君に恋していいですか?
櫻井音衣
恋愛
卯月 薫、30歳。
仕事の出来すぎる女。
大食いで大酒飲みでヘビースモーカー。
女としての自信、全くなし。
過去の社内恋愛の苦い経験から、
もう二度と恋愛はしないと決めている。
そんな薫に近付く、同期の笠松 志信。
志信に惹かれて行く気持ちを否定して
『同期以上の事は期待しないで』と
志信を突き放す薫の前に、
かつての恋人・浩樹が現れて……。
こんな社内恋愛は、アリですか?
FLORAL-敏腕社長が可愛がるのは路地裏の花屋の店主-
さとう涼
恋愛
恋愛を封印し、花屋の店主として一心不乱に仕事に打ち込んでいた咲都。そんなある日、ひとりの男性(社長)が花を買いにくる──。出会いは偶然。だけど咲都を気に入った彼はなにかにつけて咲都と接点を持とうとしてくる。
「お昼ごはんを一緒に食べてくれるだけでいいんだよ。なにも難しいことなんてないだろう?」
「でも……」
「もしつき合ってくれたら、今回の仕事を長期プランに変更してあげるよ」
「はい?」
「とりあえず一年契約でどう?」
穏やかでやさしそうな雰囲気なのに意外に策士。最初は身分差にとまどっていた咲都だが、気づいたらすっかり彼のペースに巻き込まれていた。
☆第14回恋愛小説大賞で奨励賞を頂きました。ありがとうございました。
苺の誘惑 ~御曹司副社長の甘い計略~
泉南佳那
恋愛
来栖エリカ26歳✖️芹澤宗太27歳
売れないタレントのエリカのもとに
破格のギャラの依頼が……
ちょっと怪しげな黒の高級国産車に乗せられて
ついた先は、巷で話題のニュースポット
サニーヒルズビレッジ!
そこでエリカを待ちうけていたのは
極上イケメン御曹司の副社長。
彼からの依頼はなんと『偽装恋人』!
そして、これから2カ月あまり
サニーヒルズレジデンスの彼の家で
ルームシェアをしてほしいというものだった!
一緒に暮らすうちに、エリカは本気で彼に恋をしてしまい
とうとう苦しい胸の内を告げることに……
***
ラグジュアリーな再開発都市を舞台に繰り広げられる
御曹司と売れないタレントの恋
はたして、その結末は⁉︎
【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!
satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。
働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。
早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。
そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。
大丈夫なのかなぁ?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる