清貧秘書はガラスの靴をぶん投げる

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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第八・五章 優秀な人材

8.5-1

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目が覚めたら、隣で清子が眠っていた。

「清子……」

彼女を抱き締め、もう一度目を閉じようとして自分の失態に気づいた。

「……莫迦か、俺は」

起き上がり、深いため息をつく。
酔って気持ちが大きくなり、清子を抱いた記憶はある。
いつもならこんな失態は犯さないが、昨晩は懸念材料がなくなり気が緩んでいたせいだろう。

「ごめんな、清子」

謝ったところで、眠っている彼女からはなにも返ってこない。



物心ついたときから、淋しい人生を送ってきた。
父は仕事でいつもいない。
母は病弱な妹につきっきり。
兄である俺が文句を言えるはずもなく、家では常にひとりだった。
ぬくもり欲しさに女とも寝たが、常に満たされない心に虚しくなり、やめた。

もう面倒だし、親が勧めるがままに結婚するものいいんじゃないか、などと思っていた頃。
インターンに優秀な人材がいるので、採用後は秘書室に引き抜いていいかと嶋谷から打診があった。

「優秀な人材?」

「はい。
いつも出されたお茶に手を付けず、失礼な客と言われていたお客が、カフェインアレルギーじゃないかと気づいた子です」

「ふぅん」

聞いたときはそれがどう優秀なのか、俺にはわからなかった。
しかし柔和な見た目と違い、仕事には厳しい嶋谷が欲しいという人間に興味が湧いたのは事実だ。

春になり、嶋谷一押しの子が秘書室に入ってきた。

「河守清子です。
よろしくお願いします」

彼女を見て、失望しなかったといえば嘘になる。
どこからどう見ても親が見合いを勧めてくる、世間を知らないお嬢様と同じにしか見えなかった。
こんな子が優秀な人材なんて、嶋谷の買いかぶりすぎなんじゃないか。
そんな疑問さえ抱いた。

嶋谷は直々に彼女に新人教育をしながら、ときどき簡単な社長案件も手伝わせていた。
仕事ぶりは真面目で、そつがない。
明るく朗らかで性格もよく、早くも社内の男どもの中では話題になっているようだった。
けれど俺には、その笑顔が嘘くさく見えていた。
――しかし。



「嶋谷!
やったな、あの会長、ご機嫌で帰られたぞ!」

その会長は気難しく、何度か食事を一緒にしたが、気に入らないのかいつもしかめっ面だった。
しかし今日は上機嫌で、完食までしてくれたのだ。

「お礼は私ではなく河守さんに言ってください。
あの店を選んだのは、河守さんです」

「河守が……?」

嶋谷から聞いて意外な気がしたが、それでも彼女のおかげで会長から好感触を得られたのだ、お礼を言うべきだ。
 
「河守さん。
今日はありがとう。
君のおかげで上手くいったよ」

「いえ、私はなにもしていません」

ありがちな、自分を落とす言い方にイラッとしたが、それは顔には出さなかった。

「それにしてもあの会長があんなに喜んでくれるなんて、どんなマジックを使ったんだ?」

「それは……」

彼女の説明によると。
嶋谷から最近、あの会長が急に痩せたと聞いたのと、頻繁にトイレに行っているのに気づき、もしかしたら糖尿病なんじゃないかと当たりを付けたらしい。
それにここのところ、どうにかして喜んでもらおうとフレンチや焼き肉など高カロリーの店が続いていた。
だからじゃないかと和食にし、メニューも少し相談したらしい。

「大家……ううんっ」

なにかを言いかけた彼女が、急に咳払いをする。

「風邪か?」

「すみません、ちょっと喉が。
もう大丈夫です」

曖昧に彼女は笑ってきたが、なんでもないならいい。

「知り合いに同じような症状の人がいて、もしやと思いました。
まさか、当たるなんて思ってもいませんでしたが」

件の会長は太り気味だったので俺はダイエットに成功したんだろうとしか思っていなかったが、清子の読みは当たっていた。
気遣ってくれたうえにこんな美味しい食事はひさしぶりだと、感謝されたくらいだ。

「人をよく見てるんだな」

「そうでしょうか……?」

不思議そうに彼女の首が傾く。
そういえば前に、お茶を飲まない客がカフェインアレルギーだと彼女が見抜いたと嶋谷が言っていた。

「いや、助かった。
ありがとう」

「いえ。
御子神社長のお役に立てたのなら嬉しいです」

はにかむように彼女が笑う。
その笑顔にドキッとした。
まるで、恋にでも落ちたかのように。
 
それからは清子を気にするようになった。

――彼女に、俺を知ってもらいたい。

彼女ならこの淋しい、俺の心の内を知ってくれるんじゃないか。
そんな期待が湧いてくる。

そうして清子が入社して二年目の春、俺付きの秘書に抜擢した。



清子が実は大家族のド貧乏なのには驚いたが、彼女の家族はいつも笑顔が絶えなくて、憧れた。
それに会社にいるときと違い、素で笑っている清子は酷く可愛くてますます好きになっていた。
温かい彼女に触れ、俺の心が満たされていく。
しかし、いつまで経っても清子は俺の気持ちに気づいてくれない。
俺はこの婚約を永遠に破棄するつもりなんてないだけどな。
こんな俺に清子は、いつまで付き合ってくれるんだろうか。

「清子はいつになったら、俺を好きになってくれるんだろうな」

いろいろやってみるが、彼女が俺を好きになってくれる気配はいっこうにない。
どうしたら清子は俺のものになってくれるのだろう?
昨晩のあの時間だけは俺のものになってくれたように感じたが、きっと気のせいだ。

「愛してる、清子」

彼女の目が覚めているときは、決して口にできない言葉を伝える。

「……ん」

口付けを落としたら、清子が手を伸ばして抱きついてきた。

「清子?」

もしかして、俺を求めてくれている?
いや、きっと布団がかかっていなくて寒いだけだ。
そう気づき、かけ直して布団に潜る。

「おやすみ、清子」

起きたら、彼女に謝ろう。
俺に抱かれたことなど、忘れてくれていい。
俺は……清子を抱けたこの喜びを、一生覚えている。
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