清貧秘書はガラスの靴をぶん投げる

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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第九章 結婚しろ

9-3

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その日も、私は彪夏さんにどこかのパーティに連れてこられていた。

「相変わらずモテモテですね」

いつもどおり彼に群がる女性たちを蹴散らしたあと、今日も壁際でふたり並び、取ってきた料理をつつく。

「そう妬くなって」

ニヤリと右の口端を上げて笑い、彪夏さんは鮭のマリネを口に運んだ。

「や、妬いてなんかないですよ!」

抗議しつつも顔が熱い。
ずっと彼に寄ってくる女性たちにムカムカしていた。
彪夏さんは私の、婚約者なのに。
そう思っている自分に気づき、ドキッとしたのも事実だ。

「そろそろ話も行き渡ってるはずだし、諦めてくれたらいいのにな……」

はぁーっと彼の口から物憂げなため息が落ちていく。
今日、彼にモーションかけてきた女性の中には、すでに彪夏さんが私と婚約していると知っている人もいた。
なのにあの有様って、倫理観がどうなっているのかお尋ねしたいところだ。

女性たちもあらかた散ったし、お腹も満たされたので、彪夏さんは外交タイムに入る。
こういう異業種交流の場では、いつ何時仕事に繋がる話が落ちているのかわからない。
仕事外でもこうやって精力的に活動している彪夏さんって凄いなって思う。

そのあいだ私は暇なので、まったりとデザートをつつく。
ふと、視界の隅に知っている人がいた気がしてそちらを見直したら、そこにいるはずのない人間と目があった。
その人は私に気づかれたと知って、逃げだそうとしている。
瞬間、自分でも信じられない瞬発力を発揮して、彼の襟首を掴んでいた。

「娘から逃げようだなんて、なにを考えてるの?
ねえ、お、と、う、さ、ん?」

器用に手首を回し、父にこちらを見させる。
わざと一音ずつ区切り、にっこりと笑ってみせた。

「だ、だって清ちゃん、怒ってるみたいだったから……」

よっぽど私が怖いのか、父の目にはうっすらと涙が浮いている。

「そりゃ、ねぇ。
だいたい……」

「清子!」

今までの不満をぶちまけようとしたところで、彪夏さんの声が聞こえて急に冷静になった。
周囲がざわざわとし、何事かとこちらを見ている。

「あっ、えっと。
なんでもないですわ。
おほほほほ。
……きて」

笑って誤魔化し、父の手首を掴んで会場を出る。
すぐに彪夏さんも追ってきた。

彪夏さんが会場になっているホテルの部屋を、すぐに手配してくれた。

「ね……」

「はじめまして、お父上。
清子さんと婚約させていただいている、御子神彪夏と申します。
ご挨拶があとになってしまい、申し訳ありません」

部屋に入るなり父に食ってかかろうとした私を制し、彪夏さんは礼儀正しく父へ自己紹介をした。

「はあ、清ちゃんの婚約者……婚約者!?」

父は聞き流そうとしたようだが、さすがにできなかったようで驚いた声を上げる。

「御子神ってあの、桜花航空ですよね!?」

あまりに父の物言いは失礼で口を塞ぎたくなったが、これが父なので仕方ない。

「はい。
父は桜花ホールディングスの社長をしております。
私自身は系列の会社の経営を」

しかし彪夏さんは父の態度を怒るどころか、礼儀正しく接し続けている。

「へー。
なんで桜花航空の御曹司なんかと清ちゃんが、婚約なんかしてるの?」

今すぐその首のネクタイを引き抜いて父の口に詰め込みたいが、我慢よ、清子。

「……彪夏さんの会社に就職して、彼の秘書をしているの。
というかお父さん、私が就職したの、忘れてるの?」

「そんなの、忘れちゃったよー。
とにかく、就職と婚約と、ダブルでおめでただねー」

父はにこにこ笑っているが、そんな雑に一緒に祝われたってちっとも嬉しくない。

「だいたい、今までどうしてたの?
ラーメン食べに行ってくるって家を出ていったきり、二年近く帰ってきてないんだよ?」

彪夏さんに促され、父と向かいあうようにソファーに座る。

「駅前のラーメン屋さんでラーメン食べたんだけど、求めていた味と違う気がしてさー。
そのままふらふら食べ歩いてた」

「……アフリカでの目撃談もあるし、お父さんもアフリカから手紙送ってきたんだけど?」

「そうだっけ?」

父はとぼけてへらへら笑っていて、頭が痛くなってくる。
どうやったらラーメンの食べ歩きをしていて、アフリカまで行く?
しかしそれが、父なのだ。

「それに日本に帰ってきてるんなら、家に帰ってきなさいよ、家に!」

「ひっ!
清ちゃん、怒んないでよー」

私がテーブルを叩いたので、父は小さく悲鳴を上げて、涙目になった。

「インドで一文無しになって行き倒れていたら、安東さんが助けてくれて。
彼が日本に帰るっていうから、着いてきただけなんだよー」

父は半ば泣きながら言い訳しているが、……安東さんとは誰だ?
というかまた、人に迷惑かけて。

「お父さんはいつもいつもそう。
家族にも人にも迷惑かけてばっかりで」

「そんなに言わないでよー」

申し訳なさそうに父が身体を丸めて小さくなる。
が、あれは今だけだ。
すぐに忘れて、またいなくなる。
それを何度、繰り返してきただろう。
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