6 / 116
身代りの花嫁は25歳年上の海軍士官に溺愛される
五話『義孝の趣味』
しおりを挟む
明るく朗らかに見えるが、千代は六十過ぎの老齢である。近頃の寿命が平均で四十五歳程度であることを考えれば、壮健な女性であろう。
「義孝ときたら、もう年齢も年齢だからって、自分は一生結婚とら無縁だって思っていたみたいなんですよ。・・・人生も海と同じで、いい波なんていつ来るかも分からないのに」
千代の言葉に、花は夢で見るあの海を思い出した。何度も寄せては返す波は、単調に延々と繰り返しているだけに見えた。
何も変わらず、時間も進んでいない。そう思ってしまうほど、同じような波が、寄せては引いてを繰り返していた。
だから、花はずっとあの海にいたいとーーーーあのまま目覚めずにいたいと、夢から覚めるたびに思ったのだ。
けれど、考えてみれば実際の海は、浩一郎と行った現実の海は、あの海とは違った。海の波は規則的に繰り返しているようで、不規則な律動も混じっている。
「花。海の波はね、何処かで吹いた風なんだよ」
浩一郎がそう言っていた。風が波を立て、うねりを作る。
一つとして、同じ波はない。
時折、普段と明らかに違う波がやって来る。その少しだけ強い波に、幼い頃花はきゃあきゃあと、声を上げた。
波が引いた後、小さな貝殻や小石など、それまでなかった物が転がり着ていることがあるからだ。
ーーーー人生も、海と同じ。
ならば、
(私にとって、今がその波が来た時なのかもしれない)
この波が、いい波か悪い波だったのか、分かるのはまだ先のこれからだーーーーー。
「花さん。なにか困ったことがあるならば、いつでもこの義母を頼ってくださいね」
千代はそっと両手で花の手のひらを取り、優しく握りしめた。節くれだったその手は、歳のせいか鹿江に似ていた。
花は使用人の皆を思い出すのと同時に、ほっとする気持ちになる。
(・・きっと、心細かったのだと思う。受け入れてもらえないではないかと、追い返されてしまうのではないかと)
花は実家を出てから時東邸に来るまで、ずっと緊張しながら、そんな風に怯え続けていたのだ。
千代の優しさ、手のひらの温もりが、たしかに花の心に届いた。
花は千代と一緒に夕食を用意した後、義孝の待つ居間に料理を運んだ。ちゃぶ台に料理を並べ、席に着く。
『ちゃぶ台』はその名前の由来は諸説あるが、一説によると西洋料理店が『ちゃぶ屋』と呼ばれており、それらの店で使われている丸テーブルを和室用に脚を短くして誂えたものであるため、『ちゃぶ台』という名前になったと言われている。
花はちゃぶ台で食事をとるのが初めてだった。
そもそも、人とテーブルを囲む西洋式の食事をすること自体経験がない。
霧島家では今でも、一人前の食事だけを載せた昔ながらの箱膳を使っていたし、継母も義妹も黒漆で塗られた箱膳でそれぞれ食べることをよしとしていた。
「ハイカラ、ですね・・・」
料理を並べたちゃぶ台の上を見回し、花は緊張しながら思わず呟いた。ハイカラは、ちゃぶ台だけではない。
料理に使っている器、箸、今し方ご飯をよそって義孝と千代に渡した茶碗なども、よくよく見れば質の良さそうな物が使われている。
花は使われることを許されなくなって久しいが、浩一郎が存命の頃には、似たような物を使っていた為、なんとなく分かる。故に、手を滑らせるなどして落とした時のことを考えて、少し恐ろしくなった。
思い返せば価値ある品は、これらの食器だけではない。
この家の至る所に、華美ではないが質実剛健という言葉を思わせる花瓶や茶器などが、さり気なく飾られていた。
「焼き物の蒐集が、実は唯一の趣味でしてね」
どこか照れたように、義孝は手にした茶器を軽く持ち上げて見せた。
白磁に呉須、藍色の顔料で餌付けされたそれは、南方で作られている有名な焼き物だ。
いずれも器が良いためか、盛り付けられた料理が一段と華やかになるようだった。
「寄港した先で、掘り出し物を見つけてはこうして、家に持ち帰っているのです」
「義孝さんは目利きが出来るのですね」
「あはは、それが・・価値はとんと分かりません。私は、気に入った物を選ぶだけでして、蒐集とは言っても、日常的に使うものだけで、数は蒐集家のそれに全く及びません。宝の持ち腐れになっては、せっかくの品にも悪いですからね」
好きで集めている物でも、むだになるなら増やさない。義孝の姿勢に、花は好感を覚えた。
無駄遣いをしては不要な物を増やしているばかりの、貴子や聡美を、苦い思いを抱えながら身近で見てきたからだろう。
「花さんには、なにかご趣味はありますか?」
「趣味ですか?・・ええと」
茶道や生け花、琴やピアノ。
口にすれば喜ばれる、そんな令嬢らしい趣味が、花には一つもなかった。ない、というより、出来なかった。
習い事はしていたが、浩一郎が病没後に貴子に辞めさせられた。ずっと、使用人として働き、女学校にも通わせてもらえず。だが、一つだけある。
「読書、でしょうか」
「ほう?どのような書を?」
「その、流行りではなく医学書など」
「医学書を読めるのなら、大したものです」
「いえ、大したものでは」
千代と同じで、花は尻すぼみになる。
「あらあら、お見合いみたいな会話」
千代の言葉に、はっとなる。
今は食事中だった。
「まあ、初対面では緊張しますよね」
ふふ、と千代が笑った。
「義孝ときたら、もう年齢も年齢だからって、自分は一生結婚とら無縁だって思っていたみたいなんですよ。・・・人生も海と同じで、いい波なんていつ来るかも分からないのに」
千代の言葉に、花は夢で見るあの海を思い出した。何度も寄せては返す波は、単調に延々と繰り返しているだけに見えた。
何も変わらず、時間も進んでいない。そう思ってしまうほど、同じような波が、寄せては引いてを繰り返していた。
だから、花はずっとあの海にいたいとーーーーあのまま目覚めずにいたいと、夢から覚めるたびに思ったのだ。
けれど、考えてみれば実際の海は、浩一郎と行った現実の海は、あの海とは違った。海の波は規則的に繰り返しているようで、不規則な律動も混じっている。
「花。海の波はね、何処かで吹いた風なんだよ」
浩一郎がそう言っていた。風が波を立て、うねりを作る。
一つとして、同じ波はない。
時折、普段と明らかに違う波がやって来る。その少しだけ強い波に、幼い頃花はきゃあきゃあと、声を上げた。
波が引いた後、小さな貝殻や小石など、それまでなかった物が転がり着ていることがあるからだ。
ーーーー人生も、海と同じ。
ならば、
(私にとって、今がその波が来た時なのかもしれない)
この波が、いい波か悪い波だったのか、分かるのはまだ先のこれからだーーーーー。
「花さん。なにか困ったことがあるならば、いつでもこの義母を頼ってくださいね」
千代はそっと両手で花の手のひらを取り、優しく握りしめた。節くれだったその手は、歳のせいか鹿江に似ていた。
花は使用人の皆を思い出すのと同時に、ほっとする気持ちになる。
(・・きっと、心細かったのだと思う。受け入れてもらえないではないかと、追い返されてしまうのではないかと)
花は実家を出てから時東邸に来るまで、ずっと緊張しながら、そんな風に怯え続けていたのだ。
千代の優しさ、手のひらの温もりが、たしかに花の心に届いた。
花は千代と一緒に夕食を用意した後、義孝の待つ居間に料理を運んだ。ちゃぶ台に料理を並べ、席に着く。
『ちゃぶ台』はその名前の由来は諸説あるが、一説によると西洋料理店が『ちゃぶ屋』と呼ばれており、それらの店で使われている丸テーブルを和室用に脚を短くして誂えたものであるため、『ちゃぶ台』という名前になったと言われている。
花はちゃぶ台で食事をとるのが初めてだった。
そもそも、人とテーブルを囲む西洋式の食事をすること自体経験がない。
霧島家では今でも、一人前の食事だけを載せた昔ながらの箱膳を使っていたし、継母も義妹も黒漆で塗られた箱膳でそれぞれ食べることをよしとしていた。
「ハイカラ、ですね・・・」
料理を並べたちゃぶ台の上を見回し、花は緊張しながら思わず呟いた。ハイカラは、ちゃぶ台だけではない。
料理に使っている器、箸、今し方ご飯をよそって義孝と千代に渡した茶碗なども、よくよく見れば質の良さそうな物が使われている。
花は使われることを許されなくなって久しいが、浩一郎が存命の頃には、似たような物を使っていた為、なんとなく分かる。故に、手を滑らせるなどして落とした時のことを考えて、少し恐ろしくなった。
思い返せば価値ある品は、これらの食器だけではない。
この家の至る所に、華美ではないが質実剛健という言葉を思わせる花瓶や茶器などが、さり気なく飾られていた。
「焼き物の蒐集が、実は唯一の趣味でしてね」
どこか照れたように、義孝は手にした茶器を軽く持ち上げて見せた。
白磁に呉須、藍色の顔料で餌付けされたそれは、南方で作られている有名な焼き物だ。
いずれも器が良いためか、盛り付けられた料理が一段と華やかになるようだった。
「寄港した先で、掘り出し物を見つけてはこうして、家に持ち帰っているのです」
「義孝さんは目利きが出来るのですね」
「あはは、それが・・価値はとんと分かりません。私は、気に入った物を選ぶだけでして、蒐集とは言っても、日常的に使うものだけで、数は蒐集家のそれに全く及びません。宝の持ち腐れになっては、せっかくの品にも悪いですからね」
好きで集めている物でも、むだになるなら増やさない。義孝の姿勢に、花は好感を覚えた。
無駄遣いをしては不要な物を増やしているばかりの、貴子や聡美を、苦い思いを抱えながら身近で見てきたからだろう。
「花さんには、なにかご趣味はありますか?」
「趣味ですか?・・ええと」
茶道や生け花、琴やピアノ。
口にすれば喜ばれる、そんな令嬢らしい趣味が、花には一つもなかった。ない、というより、出来なかった。
習い事はしていたが、浩一郎が病没後に貴子に辞めさせられた。ずっと、使用人として働き、女学校にも通わせてもらえず。だが、一つだけある。
「読書、でしょうか」
「ほう?どのような書を?」
「その、流行りではなく医学書など」
「医学書を読めるのなら、大したものです」
「いえ、大したものでは」
千代と同じで、花は尻すぼみになる。
「あらあら、お見合いみたいな会話」
千代の言葉に、はっとなる。
今は食事中だった。
「まあ、初対面では緊張しますよね」
ふふ、と千代が笑った。
232
あなたにおすすめの小説
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。
好感度0になるまで終われません。
チョコパイ
恋愛
土屋千鶴子(享年98歳)
子供や孫、ひ孫に囲まれての大往生。
愛され続けて4度目の転生。
そろそろ……愛されるのに疲れたのですが…
登場人物の好感度0にならない限り終わらない溺愛の日々。
5度目の転生先は娘が遊んでいた乙女ゲームの世界。
いつもと違う展開に今度こそ永久の眠りにつける。
そう信じ、好きなことを、好きなようにやりたい放題…
自覚なし愛され公女と執着一途皇太子のすれ違いラブロマンス。
王宮の万能メイド、偏屈魔術師を餌付けする
葉山あおい
恋愛
王宮で働く勤続八年のメイド、エレナ・フォスター。仕事は完璧だが愛想がない彼女は、いつしか「鉄の女」と呼ばれ恐れられていた。
そんな彼女に下された辞令は、王宮の敷地内にありながら「魔窟」と呼ばれる『北の塔』の専属メイドになること。そこの主である宮廷魔術師団長・シルヴィス・クローデルは、稀代の天才ながら極度の人嫌い&生活能力ゼロの偏屈男だった!
ゴミ屋敷と化した塔をピカピカに掃除し、栄養失調寸前の彼に絶品の手料理を振る舞うエレナ。黄金色のオムレツ、とろける煮込みハンバーグ、特製カツサンド……。美味しいご飯で餌付けされた魔術師様は、次第にエレナへの独占欲を露わにし始めて――?
意地悪な聖女や侯爵夫人のいびりも、完璧なスキルで華麗に返り討ち。平民出身のメイドが、身分差を乗り越えて幸せな花嫁になるまでの、美味しくて甘いシンデレラストーリー。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
『番外編』イケメン彼氏は警察官!初めてのお酒に私の記憶はどこに!?
すずなり。
恋愛
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の身は持たない!?の番外編です。
ある日、美都の元に届いた『同窓会』のご案内。もう目が治ってる美都は参加することに決めた。
要「これ・・・酒が出ると思うけど飲むなよ?」
そう要に言われてたけど、渡されたグラスに口をつける美都。それが『酒』だと気づいたころにはもうだいぶ廻っていて・・・。
要「今日はやたら素直だな・・・。」
美都「早くっ・・入れて欲しいっ・・!あぁっ・・!」
いつもとは違う、乱れた夜に・・・・・。
※お話は全て想像の世界です。現実世界とはなんら関係ありません。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
子持ち愛妻家の極悪上司にアタックしてもいいですか?天国の奥様には申し訳ないですが
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
胸がきゅんと、甘い音を立てる。
相手は、妻子持ちだというのに。
入社して配属一日目。
直属の上司で教育係だって紹介された人は、酷く人相の悪い人でした。
中高大と女子校育ちで男性慣れしてない私にとって、それだけでも恐怖なのに。
彼はちかよんなオーラバリバリで、仕事の質問すらする隙がない。
それでもどうにか仕事をこなしていたがとうとう、大きなミスを犯してしまう。
「俺が、悪いのか」
人のせいにするのかと叱責されるのかと思った。
けれど。
「俺の顔と、理由があって避け気味なせいだよな、すまん」
あやまってくれた彼に、胸がきゅんと甘い音を立てる。
相手は、妻子持ちなのに。
星谷桐子
22歳
システム開発会社営業事務
中高大女子校育ちで、ちょっぴり男性が苦手
自分の非はちゃんと認める子
頑張り屋さん
×
京塚大介
32歳
システム開発会社営業事務 主任
ツンツンあたまで目つき悪い
態度もでかくて人に恐怖を与えがち
5歳の娘にデレデレな愛妻家
いまでも亡くなった妻を愛している
私は京塚主任を、好きになってもいいのかな……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる