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身代りの花嫁は25歳年上の海軍士官に溺愛される
十五話『懐かしい薬屋』
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花は物覚えがいい。
読んでいた医学書や薬学書の内容や、浩一郎が教えてくれた薬の扱い方も覚えてしまったほどだ。
その力は、使い方によっては成り上がることも出来ただろう。だが、花はそんな事を考える気力がなかった。
浩一郎が病没してから、世界は花にとって優しいものではなくなった。
◆◆◆◇◇◇◆◆◆
千代が腰痛に倒れた翌日。
花は出勤する義孝を見送るべく、玄関先に出た。
まるで、子猫のように義孝の一挙一動を見逃すまいと、花は義孝を見つめていた。
上がり框に腰を下ろし、革靴を履いた義孝がソフト帽を被ってから立ち上がる。
(なんて素敵な人かしら)
すらりと背が高いこともあって、義孝に洋服はよく似合っていた。だが、花は今頃になって見惚れていた。
昨日まではいつ追い出されるか分からないという、そんな不安と緊張から見惚れているなんて余裕などなかった。
それが心のうちの蟠りを伝えてなお、義孝に婚約解消の意思がないと分かったからだろう。
緊張から正面から見ることも憚られていた義孝の姿を、花は今朝になってようやく見られるようになった。
朝食の最中も、思わず見惚れてしまっている。今も動きの一つ一つを、目で追ってしまっていた。
この素敵な男性が、私の旦那様になる方なのか、と・・・。
「では、行ってきます」
義孝のその言葉に、ぼんやり見ていた花は我に返る。
「は、はいっ、いってらっしゃいませ!」
「ふふ、元気でよろしい」
慌てて声を上げた花に、義孝から笑みがもれる。その様子を見て、自分の胸がトクントクンと脈打つのを花は感じていた。
「そうだ、今日は花さんも外に出られると言っていましたね」
「はい」
花は頷く。
外出するという話は、昨晩のうちに義孝に伝えた。
「道中に気を付けて。もし何かあれば、私の名前を出してください。多少なりとも、貴女を護れるかも知れません」
「分かりました。ありがとうございます」
そんな会話を交わし、義孝は玄関先から出て行った。見送りを済ませた花は、よし、と気持ちを切り替える。
「・・・さて、私も準備をしなくては」
帝都、日本橋本町。
ここは、昔から薬種商が集まる『薬の町』である。時東家から見て北東、帝の住まう宮城のちょうど反対側にある町だ。
現在、花は一人で歩いている。
義孝と千代の二人の役に立ちたい・・・そう考えた花は、千代の腰痛や義孝の骨折に効果がある薬を買い求めるために、この薬の町へとやって来たのだ。
花はかつて、浩一郎と一緒に何度かこの土地を訪れた事があった。その頃から十年以上が経っている為か、町の様子も少し様変わりしている。
それでも、大まかな区画や道は変わっていない。子供の頃の記憶を頼りに、花は目的の薬屋を目指す。
やがて、記憶にある建物に辿り着いた。外観は蔵に似ている。
カラカラとその引戸を静かに開けて、花は中を覗き込んだ。
薄暗い店の中には、幾つもの古い木の棚が並んでいる。人の姿は見えない。ふと、薬の―――乾燥した薬草の匂いがした。
その匂いに、花はほっと息をする。この店が、当時と変わらない薬を扱っているのが分かったからだ。
「ごめんください」
花は店の奥に声をかけた。
すると、店の奥から「はい」と答える声とともに、袴に羽織をまとった若い男性が顔を出した。見覚えのない顔だ。
花は一礼して、用件を伝える。
「私、桐島花と申します。ご主人の相模達彦さんはいらっしゃいますか」
問いかけに、若い男性は困ったように眉根を寄せた。その理由をすぐに花は知る事になった。
「達彦でしたら、三年前に亡くなりましたが」
「え」
思ってもみない言葉に、花は困惑した。だが、その人に最後に会ってから、もう十年以上経っていた。相手が変わらずに生きている保証はないのだ。
「す、すみません。そうだったのですか。・・・あの、ご愁傷さまです」
「いえ、こちらこそ、すみません。わざわざ来て頂いたのに・・・父に、何か御用でしたか?」
「実は、薬を買いに来ました。幼少の頃、何度かこちらで達彦さんにお会いしたことがあったもので。それで」
父が使う薬を取り扱っていたのが、この薬屋の主・達彦だった。父と一緒にこの店を訪れていた花も、達彦と面識があった。それで、薬なら信頼出来る達彦から買うのがよいと訪ねてきたのだ。
(達彦おじ様も、もうこの世を去られてしまったのね)
花は肩を落とす。久しぶりに会えることを愉しみにしていた相手の死に、父の死の際に覚えた喪失感が胸の奥の方からせり上がってきてしまう。
「桐島って、・・・もしかして、お花ちゃん?」
「はい、花は確かに、私の名前ですが」
『お花』は、達彦の呼び方だ。『お花、お花』と名前を呼んでは、和漢薬を見せてくれた。家族の中に薬への興味を有する者がおらず、花が興味を持って話を聞いていたのが嬉しかったらしい。
しかし、達彦以外に自分をそのように呼ぶ人は居なかったはず。
「僕だよ、達哉」
「達哉さん?」
「覚えていないかな。まあ、覚えていなくても仕方ないかな・・・僕が君の名前を呼ぶのは初めてだしね」
「あ」
花は声を上げた。
男性をよく見れば、見知った面影が残っていた。父とよくここを訪れ際に会っていた、達彦の息子だと思い出した。。
読んでいた医学書や薬学書の内容や、浩一郎が教えてくれた薬の扱い方も覚えてしまったほどだ。
その力は、使い方によっては成り上がることも出来ただろう。だが、花はそんな事を考える気力がなかった。
浩一郎が病没してから、世界は花にとって優しいものではなくなった。
◆◆◆◇◇◇◆◆◆
千代が腰痛に倒れた翌日。
花は出勤する義孝を見送るべく、玄関先に出た。
まるで、子猫のように義孝の一挙一動を見逃すまいと、花は義孝を見つめていた。
上がり框に腰を下ろし、革靴を履いた義孝がソフト帽を被ってから立ち上がる。
(なんて素敵な人かしら)
すらりと背が高いこともあって、義孝に洋服はよく似合っていた。だが、花は今頃になって見惚れていた。
昨日まではいつ追い出されるか分からないという、そんな不安と緊張から見惚れているなんて余裕などなかった。
それが心のうちの蟠りを伝えてなお、義孝に婚約解消の意思がないと分かったからだろう。
緊張から正面から見ることも憚られていた義孝の姿を、花は今朝になってようやく見られるようになった。
朝食の最中も、思わず見惚れてしまっている。今も動きの一つ一つを、目で追ってしまっていた。
この素敵な男性が、私の旦那様になる方なのか、と・・・。
「では、行ってきます」
義孝のその言葉に、ぼんやり見ていた花は我に返る。
「は、はいっ、いってらっしゃいませ!」
「ふふ、元気でよろしい」
慌てて声を上げた花に、義孝から笑みがもれる。その様子を見て、自分の胸がトクントクンと脈打つのを花は感じていた。
「そうだ、今日は花さんも外に出られると言っていましたね」
「はい」
花は頷く。
外出するという話は、昨晩のうちに義孝に伝えた。
「道中に気を付けて。もし何かあれば、私の名前を出してください。多少なりとも、貴女を護れるかも知れません」
「分かりました。ありがとうございます」
そんな会話を交わし、義孝は玄関先から出て行った。見送りを済ませた花は、よし、と気持ちを切り替える。
「・・・さて、私も準備をしなくては」
帝都、日本橋本町。
ここは、昔から薬種商が集まる『薬の町』である。時東家から見て北東、帝の住まう宮城のちょうど反対側にある町だ。
現在、花は一人で歩いている。
義孝と千代の二人の役に立ちたい・・・そう考えた花は、千代の腰痛や義孝の骨折に効果がある薬を買い求めるために、この薬の町へとやって来たのだ。
花はかつて、浩一郎と一緒に何度かこの土地を訪れた事があった。その頃から十年以上が経っている為か、町の様子も少し様変わりしている。
それでも、大まかな区画や道は変わっていない。子供の頃の記憶を頼りに、花は目的の薬屋を目指す。
やがて、記憶にある建物に辿り着いた。外観は蔵に似ている。
カラカラとその引戸を静かに開けて、花は中を覗き込んだ。
薄暗い店の中には、幾つもの古い木の棚が並んでいる。人の姿は見えない。ふと、薬の―――乾燥した薬草の匂いがした。
その匂いに、花はほっと息をする。この店が、当時と変わらない薬を扱っているのが分かったからだ。
「ごめんください」
花は店の奥に声をかけた。
すると、店の奥から「はい」と答える声とともに、袴に羽織をまとった若い男性が顔を出した。見覚えのない顔だ。
花は一礼して、用件を伝える。
「私、桐島花と申します。ご主人の相模達彦さんはいらっしゃいますか」
問いかけに、若い男性は困ったように眉根を寄せた。その理由をすぐに花は知る事になった。
「達彦でしたら、三年前に亡くなりましたが」
「え」
思ってもみない言葉に、花は困惑した。だが、その人に最後に会ってから、もう十年以上経っていた。相手が変わらずに生きている保証はないのだ。
「す、すみません。そうだったのですか。・・・あの、ご愁傷さまです」
「いえ、こちらこそ、すみません。わざわざ来て頂いたのに・・・父に、何か御用でしたか?」
「実は、薬を買いに来ました。幼少の頃、何度かこちらで達彦さんにお会いしたことがあったもので。それで」
父が使う薬を取り扱っていたのが、この薬屋の主・達彦だった。父と一緒にこの店を訪れていた花も、達彦と面識があった。それで、薬なら信頼出来る達彦から買うのがよいと訪ねてきたのだ。
(達彦おじ様も、もうこの世を去られてしまったのね)
花は肩を落とす。久しぶりに会えることを愉しみにしていた相手の死に、父の死の際に覚えた喪失感が胸の奥の方からせり上がってきてしまう。
「桐島って、・・・もしかして、お花ちゃん?」
「はい、花は確かに、私の名前ですが」
『お花』は、達彦の呼び方だ。『お花、お花』と名前を呼んでは、和漢薬を見せてくれた。家族の中に薬への興味を有する者がおらず、花が興味を持って話を聞いていたのが嬉しかったらしい。
しかし、達彦以外に自分をそのように呼ぶ人は居なかったはず。
「僕だよ、達哉」
「達哉さん?」
「覚えていないかな。まあ、覚えていなくても仕方ないかな・・・僕が君の名前を呼ぶのは初めてだしね」
「あ」
花は声を上げた。
男性をよく見れば、見知った面影が残っていた。父とよくここを訪れ際に会っていた、達彦の息子だと思い出した。。
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