【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝

糸冬

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(二十一)開城交渉

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 長秀は一度の交渉決裂に懲りた様子もなく、佐和山城に繰り返し開城を求める使者を送ってきた。

 員昌も、送り出した密使が小谷城からの回答を持ち帰るまでの時間を稼ぐべく、長秀を城内に入れることを認めた。

 二度、三度と交渉の機会がもたれるにつれて、開城についての条件も自然と形が出来上がっていった。

 員昌としては決してそのつもりはなかったのだが、交渉事に関しては長秀にいつしか主導権を握られる格好になっていた。

 長秀は、織田に降るのであれば、員昌に琵琶湖西岸の高島郡一郡を、佐和山城の替地として員昌に任せる意向が信長にあると伝えた。

「高島郡司とは気前が良い」
 員昌は思わず笑い声をあげた。

 任せるもなにも、高島郡には、佐々木氏流の高島氏とその分家となる朽木氏、永田氏、平井氏、横山氏、田中氏の六氏に加え、別系統の山崎氏を含めた「高島七頭」と呼ばれる有力国衆が割拠している。歴史的経緯から、六角家の影響が強い地域だった。

 この数年、浅井家が上り調子になっていた時には浅井になびいており、長年に渡って若狭への進出をもくろんできた朝倉家の手も伸びていた。

 すなわち、金が崎退き口の際に、松永久秀の説得に応じて信長を歓待して素通りさせた朽木元網以外は、織田の勢力が未だ及ばない土地であった。

 自分の支配下にない土地をくれてやるという空手形であれば、信長の懐も痛むことはない。

 員昌はそれをにこやかな笑顔で拒否し、その上で小谷城への入城を条件に出した。

「致し方ありませぬな」
 苦り顔で長秀が条件を呑む。

 すると員昌は、道中の安全を保障するため、証人、つまり人質を交換することを重ねて求めた。

 形はどうあれ降参する側が降参させる側から人質を取るなど、皆無とは言わないまでも、そうある話ではない。

 長秀もこの厚顔の申し出にはさすがに独断で承諾は出来ず、いちど持ち帰る形となった。

 員昌としてはちょっとした時間稼ぎのつもりであった。

 だが、次の交渉において、意外にも信長は員昌の厚かましい要求を笑って受け入れたと長秀は告げた。

 しかも、信長の亡き同母弟である織田信勝の子、すなわち己の甥にあたる於菊丸を人質として出すという。

 のらりくらりと要求を出して時間を稼ぐつもりであったが、次第に条件が整ってくると、選択肢が限られてくる。

 次第に後に引けぬ情勢となり、員昌は内心で焦りを覚えていた。



「開城は許さぬ、との仰せにございます」
 織田方に意図的に見逃がされたのであろう密使は、佐和山城に無事に帰り付くや、戦塵を落とす手間も惜しんで報告した。

「言わぬことではない。殿はお怒りの様子じゃ」
 家臣の中でも磯野家および今井家の重臣の数名のみを集めた場で、員春が珍しく員昌の判断を責める。

 しかしその言葉も、員昌の耳には充分に届いてはいない。

「許さぬ、か。だがそれでは、我等は孤立無援のまま、織田勢の力攻めに屈することになるのじゃが」
 員昌は、腕を組み、唸り声ともつかぬ呟きを漏らす。

「殿は我等を捨て石になさるおつもりなのでは」

「ならば、城を開かずにこのまま籠城を続けるのか。それはいったい、なんのためじゃ」
 家臣たちがあげる声に耳を傾けつつ、しばし黙考していた員昌だが、やがて結論を下した。

「殿の御許しは得ておらぬが、城を開き、なお儂と共に戦ってくれる者は小谷城に入ってもらいたい」
 員昌が頭を下げると、声にならないうめき声が広間に満ちた。

 国衆は、己の所領の為に戦い、己の所領の為に死ぬ。
 最終的には、それ以外の判断基準はありえない。

 従って彼らには、降伏が許されるのならば、わざわざ在所を離れて小谷城に行き、戦いを継続する理由はない。

 どのみち、彼らが織田方に降る決断を覆する術を員昌は持っていないのだ。

 そうであるならば小谷入城を無理強いするより、快く送り出したほうがあとくされがなく、得策といえた。

「けっきょく、一年半どころか、一年も持ちこたえられなんだのう」
 員春が悔しがる。

 本当はまだ持ちこたえられるにも関わらず、兵糧が切れて開城せざるを得なくなった、と事情を知らぬ者たちに思われるのが何よりも癪に障るのだろう。

「我らが負けたわけではない。まだ戦さは続くのじゃ」
 員昌としては、本心からそう思っている。



 員昌は城を開くと決めたが、織田に降るつもりはなかった。
 とはいえ、信長の甥だからといって、本当に人質として小谷城までの行程の安全を担保してくれる価値があるか判らない。

 盛造に調べさせると、比較的すぐに素性は知れた。

 確かに信長には甥がいることが判ったのだ。

 於菊丸とも津田坊ともよばれる甥の父は信長の同母弟・信勝であり、かつて信長殿に対して二度も叛いたため誅殺されていた。

 なお於菊丸は、今は信長の小姓として陣を共にしている、と盛造は付け加えた。

「謀叛人の子供のう」
 員昌は首をひねる。

 最初から、捨て駒にするつもりで押し付けることもありえる、と思ったのだ。

 だが、と考えを改める。

 いくら信長とはいえ、だまし討ちの手駒にするためだけに、謀叛人の子を小姓として自らの手元におくことはないだろう。

 そう思い直した員昌は肚を決め、長秀を呼び出したうえで開城に応じる旨を伝えた。

「織田殿の甥御となれば証人として申し分ない。儂には証人の用に立つ男子はおらぬゆえ、末の娘をだそうと思うが、どうであろう」

(証人の用に立たぬ男子ならばおるが、嘘は言うておらぬ)

 これまでほとんど世に出ていないため、員昌の嫡子・員行の存在は、織田方に知られていないはずだ。

 そこを逆手にとった提案である。

 もちろん、娘を人質に差し出すのも不本意ではあるが、先に相手から証人を出させた以上、やむを得なかった。

「それでようござる。よくご決断なされましたな」
 員昌の思いを知ってか知らずか、長秀は穏やかな笑みを浮かべた。

(信長に負けた訳ではない。丹羽殿の篤実さとしたたかさに免じたまでじゃ)
 ともすれば敗北感に潰されそうになる気持ちを、員昌は自らそう慰め、懸命に奮い立たせた。



 万が一を警戒して、物見櫓で織田方の動きを見張る役目を担う者を除き、大広間には佐和山城を守り続けてきたほとんどの武者が集まった。

 大広間に入りきれない者は広縁、さらには庭先にまであふれる形となった。

「無念であるが、殿からは指図がないままであり、このまま力攻めを受けても後巻きはないものと考えざるを得ない。敵の総大将と刺し違えるのならばともかく、その臣下の首を一つ二つ獲ってみたところで、最早詮無いことである」
 上座の員昌がそう切り出すと、ざわめきが広がった。

 特に、犬上衆と呼ばれる国衆の動揺が大きい。

「降伏されるとの仰せか!」

「さにあらず。寄手の大将、丹羽五郎左殿と談判し、国衆におかれては在所に戻られるも勝手、武具を引き渡したうえであれば小谷城に移ってなお一戦を遂げるも勝手、との言質を得ておる」

「信用してもよろしいのか。丸腰で城の外に出た途端、取り囲まれて討たれるのではござらぬか」
 姉川の戦いで共に戦った八町城の城主である赤田信濃守姓が、例によって割れ鐘のごとき大音声で問うた。

「懸念はもっともである。互いに人質を出すことを約しておる。当方は我が末娘を出し、織田からは実の甥をこちらに寄越すとの話である」

 信長の甥、と聞いて今度は静かなどよめきが起きた。

 員昌は言葉を切り、場が静まるのを待って言葉を継ぐ。

「無論、いくら証人を得たところで、その気になれば我等は討たれることになるやも知れぬ。しかし、我等が浅井のために戦い続けるためには、他に手はない」

「今しばらく、待つことはできませぬのか。織田方は当城の兵糧が乏しいと思い込んでおるようですが、実際にはまだ一年やそこらは持つと聞いておりまする」
 別の国衆の一人が問う。

「しかし、いつ織田方が寄せてくるやも知れず。和睦によって朝倉が兵を引いた以上、織田方は万の兵でこの城を攻められる筈」
 方々から疑念の声こそあがるが、状況を打開できる案など、誰も持ち合わせてはいなかった。

 最終的には、納得ずくではないものの、城門を開いて退転することで話は決まった。

「在所に戻る者は儂に申し出られたい。兵糧も武具も小谷には持って行けぬが、なにも兵糧つきで城を織田にくれてやるつもりもないゆえ、皆に配りたい」
 散開の前に、員昌は皆にそう告げた。

 何もしてやれぬ員昌にとり、せめてもの餞別のつもりだった。

 国衆の多くが、在所に戻ることを選んだ。

「磯野様と共に戦いたいのは山々なれど、この地を離れては、たとえ戦さに勝てたところで立ち行きませぬでな」
 赤田姓が国衆を代表する形で員昌の元に足を運び、心底申し訳なさそうな表情で頭を下げた。

 国衆にとっては嘘偽りのない心情であっただろう。

 長秀からは、在所に戻った国衆に、織田に敵対した責めを負わせない旨を約してはいるが、どこまであてにできるかは誰にも判らない。

 しかし、たとえ約束を違えて討たれる恐れがあると知っていても、己の在所を捨てては生きられないのが国衆であった。



 その晩のうちに、在所へと戻る者は餞別代りに託された兵糧米を手に、城から出立していった。

 小谷行きを決断した者たちは、残った兵糧を惜しげもなく使って盛大に炊き出しを行った。

 酒もあるだけ蔵から運び出して、将兵の身分の区別なく振る舞われた。

 どの道、兵糧も酒も小谷城に持っていくことを許されないし、織田勢に引き渡すのも業腹である。

 もはや、遠慮は無用であった。

 佐和山城の将兵はこの半年以上、いつ終わるとも知れない籠城の間じゅう、切り詰めた食事を続けていたのだ。
 それだけに、久々に腹を目一杯に満たすと場は奇妙なまでに陽気となり、時ならぬ宴会となって大いに沸き立った。

「これで思い残すことはござらぬ」
 宴席の場となった大広間で、嶋秀淳が籠城の間もさして痩せることのなかった太鼓腹を満足気に撫でさする。

 おどけた振る舞いに、周囲にいた者が声をあげて笑う。

「つまらぬことを申すでないわ。明日よりは、小谷城にて大いに戦さ働きをせねばならんのじゃぞ」
 嶋秀安が叱る。
 嶋一族ら今井家の旧臣は、ほぼ全てが員昌と行動を共にすることを決めていた。



 大広間から抜け出した員昌は、員行の部屋に向かった。

 員行は宴席に顔を出すこともなく、部屋で一人、静かに片づけをしていた。

「済まぬが、また苦労を掛けることになる」
 員昌が謝ると、員行は慌てた様子で首を横に振った。

「それがしこそ、なんのお役にも立てませず」
 平伏した員行が、言葉を詰まらせて涙ぐむ。

「良い、良いのじゃ。この半年、よう耐えてくれたわ」
 腰を下ろした員昌は、穏やかな声で言って我が子の肩を軽く叩く。

 確かにこの籠城戦にあって、員行は戦働きはおろか、城兵の前に姿を見せることさえ稀であった。

 依然として末端の足軽の中には、員昌に嫡子がいることを知らぬ者も少なくない。

 だがそれでも、誰もが先の見えぬ日々を過ごす中にあって、不平の一つも漏らすことなく、粗食にも文句を付けず、発作を起こして誰かの手を煩わせることもなかった。

 少しずつではあるが、一人前の男になりつつある、と員昌は感じている。

 悔やまれるとすれば、独り立ちする機会を作れないままであることだ。

「父上。それがしのことはようございますゆえ、母上を見舞っていただけませぬか。今頃、大騒ぎをしておるのではないかと」
 顔を上げた員行が、ぎこちなく笑みを作ってみせた。



 員行に促されるまま、員昌は美弥の部屋に足を踏み入れた。

 すると、調度品や着物、櫛やら反物やら簪やら、様々な品が室内一面に広げられ、身の置き所もない状態になっているのが目に飛び込んできた。

(なるほど、大騒ぎじゃな)
 員昌も思わず得心して、胸の内で苦笑する。

 長秀との取り決めで、女衆も持ち出せる荷物はごく一部に限られているため、美弥は侍女達と一緒になって、小谷まで持っていくべき品を選りすぐっていたのだ。

「そなたには済まぬことじゃ。苦労を掛ける」

「あら、御前様。これはお恥ずかしいところをお見せしております。持って行けぬものは、みな丹羽様がお引き取りになるのでしょうか。みっともないものを残したくないですものねえ」
 いつもながら、美弥は員昌の思わぬところを気にしている。

 員昌は「そのようなことはどうでもよいだろう」などと怒らない。

 異なる角度からの視点に、員昌もつい口元が緩めてしまう。

 そもそも、ただの変わり者が思いつくままに言葉を発しているのではないことに、員昌も気づいている。

 員昌が苦しい思いを抱えているとき、美弥はいつも、その苦しみを軽くするような言葉を口にしてくれる。

「丹羽殿は、敵ながら信用に足る武士に思われる。多少、見苦しいものを残したところで、許してもらえよう」

 不要な品であればいっそ焼き捨ててしまいたいところであるが、それも城から火の手が上がることを警戒する長秀に禁じられていた。

「いいえ、こればかりは丹羽様に甘える訳には参りませぬ。磯野家の名誉がかかっておりまする」
 表情を引き締め、真面目な口調で言った美弥が、自分で自分の言葉におかしみを感じたのか、ふわりとした笑みを浮かべる。

「そう申すのであれば、儂からは何も言うまい」
 儂にはもったいない良き妻を得たものよ。幾度となく抱いた感慨を、員昌はまた新たにした。

「ただ気がかりは、お美緒のことにございます」
 美弥は、証人として差し出す娘の名を口にすると、一転して表情を曇らせた。

「うむ。相済まぬことじゃが、右近を他家に差し出せば、思わぬ事態を招きかねぬ。我等が小谷に入城する間のことゆえ、辛抱してもらう他はない」
 親として、胸の裂かれる思いがする員昌だった。
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