【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝

糸冬

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(二十)和睦

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 朝倉勢出陣の報せは、佐和山城に籠城する員昌らを一度は喜ばせた。

 しかし、その後の情勢は彼らが臨んだ方向へは進まなかった。

 朝倉勢は浅井勢と合流した後、湖東の佐和山城ではなく、湖西側を南下したのだ。

 湖西側には織田の手があまり伸びておらず、南下する浅井・朝倉勢を遮る障害らしき障害は、湖南の宇佐山城しかなかった。

 宇佐山城は九月十六日、二十日、二十二日と浅井・朝倉勢の猛攻を受けた。

 織田勢はよく凌いだものの、果敢に討って出た森可成が討たれた末に落城の憂き目をみた。

 さらに進撃を続ける浅井・朝倉勢は近江国の坂本、大津に火を放ったうえ、さらに一部は、逢坂を越えて山科まで進出し醍醐周辺に放火した。

 その上で、京に突入する構えを見せて信長を牽制する。

 信長がたまらず手勢を率いて戻ってくると、浅井・朝倉勢は比叡山に陣取る形で抵抗の構えをとった。

 浅井と朝倉が手を取り合って上洛する、との報には勢いづいた佐和山城内も、二十四日になって浅井・朝倉勢が比叡山に立てこもったとの続報が届き、気勢をそがれる恰好となった。



 この数日、物見櫓から湖南の方角を眺めるのが員昌の日課となっていた。

 何が見える訳でもないが、その視線の先に長政が軍勢を率いて織田勢と対峙しているとなれば、気にせずにはおられない。

「兄者、殿は如何なされるおつもりなのじゃ。我等の後詰をするでなし、京洛を賭けて織田勢と決戦するでなし」
 員昌の背後から、首を振りつつ梯子を上ってきた員春が困惑げに問うた。

「要するに、織田勢を叡山に引き付ける役目を果たす、ということであろう。鼻を抑えておる間に、三好なり本願寺なりが織田に痛撃を与えてくれることを待っておるのじゃ」
 振り向いた員昌は苦笑交じりに応じるが、員春はなおも納得した様子を見せない。

「それでは、殿が天下をとれぬではないか」

「なにっ」

 員春の言葉に、員昌は目を見開いた。

 それは、あまりに思いもよらないものだった。

 長政が天下を取る、などということをこれまで一度たりとも考えたことがなかった。
 その事実に気づいたのだ。

(儂はただ、後詰に来てくれぬ殿に内心で腹を立てつつ、それを表に出さないことこそ将の器である、と思い定めて平静を装っていただけであったわ!)
 員昌は、訝しげな様子の員春に気づく様子もなく、その場に愕然と立ち尽くした。



 琵琶湖の西岸にある堅田の地には、堅田衆と呼ばれる水軍の根拠地があり、湖の水運を制している。

 湖西を浅井・朝倉勢が抑えたため、堅田衆の猪飼野甚助らは一度はその軍門に下っていたが、本心では織田方に味方したいと考えていた。

 そのため、彼らは十一月下旬になって信長に密かに内通し、二十五日の夜には坂井政尚ら織田方の将を堅田城に引き入れた。

 翌日には堅田の変心は露見し、即座に朝倉家の前波景当が比叡山を下り、堅田の地を奪還すべく猛攻を加える。

 堅田城に入った織田勢はおよそ一千ほどでしかなく、しかも入城したばかりで備えも不十分だった。

 堅田の戦いと呼ばれるこの合戦にて、坂井政尚は前波景当を返り討ちにするなど奮戦した末に討死し、堅田の地は再び浅井・朝倉勢が確保した。

 情勢を探らせていた森盛造の配下からその報せを聞き、員昌は静かに瞑目した。

「そうか、坂井殿がのう」
 大河内城の包囲では心無い扱いを受けたとはいえ、顔を見知った相手の討死の報には心がざわめく。

 加えて、政尚は過日の姉川にて嫡男・久蔵尚恒を討死させている。

 その事を合戦後の調者働きで知った員昌は、緒戦で立ち向かってきた若武者のことを思い出していた。

 あの若武者が政尚の嫡男であったか、もはや確かめようもない。

(戦さ場の習いとは申せ、我が子を先に喪うのはつらいことよの)

 己の嫡男・員行のことを思うと、自分にその資格はないと判っていても、父子の魂の安らかならんことを祈らざるを得なかった。



「どうやら、浅井の殿は朝倉様ともども、織田と和睦したらしい」

 十二月の中旬になってそんな風聞が流れたかとおもうと、たちまちのうちに城内に広まった。

 真偽不明の噂が城兵の士気を緩ませるのは問題があったが、かといって否定できるだけの材料がないのに、口を封じるのも限界があった。

 そもそも、十一月の頃から、信長が三好三人衆や六角と和睦したとの真偽不明の噂が流れては消えていた。

 浅井・朝倉も手打ちがあったとの話も聞かれたが、その後に堅田の戦いの報せが届くなどしており、あまり真剣には受け止められていなかった。

「つまり、我等が勝ったということなのか」

「攻めてきた織田が天子様に泣きついて和睦を取り付けたとか。織田が折れて浅井の殿様がお受けなされたのであれば、我等の勝ちであろう」

 城内のあちこちで、声を潜めてそんな噂話がささやかれている。

 信長を追い詰めておきながらあと一歩のところで和睦を結び、領国へと引き返した朝倉義景は、この判断によって暗君との評を受けることとなる。

 しかし、それはその後の顛末を知る後世の人間の視点であることは割り引いて考えるべきであろう。

 義景の視点でいえば、不埒にも領内に攻め込んできた織田に痛撃を与え、天皇に泣きついてまで和睦を提案してきたのだ。

 上洛して天下に号令することなど思いもよらない義景にとっては、既に戦さを続ける理由はなくなったといえる。

 信長に対して「これに懲りたら、二度と越前に手を出そうと思うな」ぐらいの認識であったことは想像に難くない。

 しかし、そのような常識的な考え方が信長には通用しないことを、否応なく痛感させられるのに、日はかからなかった。



 不可思議な和睦が成立し、既に浅井勢も小谷城に帰還したとの噂が佐和山城内に広がる中、年が明けて元亀二年(一五七一年)を迎えた。

 しかし、依然として佐和山城の包囲が解かれることはなかった。

「何がどうなっておるのだ。なぜ、小谷からは何も言うて来ぬ」

 長政からの使者も来ないままであり、員昌としては正月気分も何もなく、情勢の判断をしかねていた。

 戦意が衰えることもないし、いましばらく兵糧にも余裕はあるが、このままで良い筈はなかった。

(それにしても、織田の兵站の強固なことよ)

 員昌の見込み違いがあったとすれば、佐和山城の四方を囲む付城に、兵糧に窮する様子がまるでみられないことだった。

 城下に酷い略奪が行われた様子もなく、彼らは織田の領内から半年に渡って途切れることなく兵糧を運び込み続けていたのだ。

 浅井勢には、とうてい真似のできない芸当であった。

 佐和山城が憂慮と困惑に包まれる中、二月に入ってから動きを見せたのは織田方だった。

 丹羽長秀から、開城のための交渉をしたい、との使者が送り込まれてきたのだ。

「下手に顔を合わせては、殿に返り忠を疑われかねませんぞ」
 軍評定の場で、小堀正房がしかめ面で首を振る。

「その方の言、もっともな意見ではあるがのう」
 使者が残していった長秀からの書状に視線を落とし、員昌は小さくため息を漏らす。

 内容はともかく、今は織田方に身を寄せている京極家の名を出して打診してきているところが問題であった。

 浅井家は先々代の亮政の代から、北近江を治めるにあたっては、その正当性を「京極家からの求めに応じて政事を行っている」との体裁に求めていた。

 そのため、浅井家の主筋である京極家から織田との交渉を求められれば、員昌としても真正面から断るのは難しいのだ。

「まずは小谷の殿にお伺いを立てるべきでは。独断で決めたのでは、後に御叱りを受けぬとも限りませぬぞ」
 員春が、いつもの強気一辺倒の発言を控え、まっとうな意見を口にする。

 しばし黙考した員昌は、静かに首を横に振った。

「まずは丹羽と会うて、何を言い出すのか聞いてみよう。途にお伺いを立てるのは、それからでも遅くはあるまい」
 員昌は己に言い聞かせるような言葉を口にした。

(これまで使者は再三送ったが、なしのつぶてであったのじゃ。お伺いを立てたところで、話が先に進まぬわ)

 小谷城との没交渉がもたらした、わずかばかりの意趣返しのつもりであった。

 この時の判断が致命的な結果を招くことに、この時の員昌は気づいていない。



 翌日、丹羽長秀が従者一人を連れて佐和山城に入った。

「既に当家と浅井・朝倉とは和議が結ばれておりますゆえ、そろそろ城を開いていただけませぬかな」

 広間の下座に腰を下ろした丹羽長秀は、柔和な、それでいて確固たる意志の力を持った目を員昌に向け、そう切り出した。

「和議と申されるが、我等はその話は風聞でしか知り申さぬ。何しろ、当城は他ならぬ貴殿の手勢によって十重二十重に包囲されておりますゆえ、外の出来事は何一つ判りませぬでな」
 上座上段の員昌は腕を組み、とぼけてみせた。

「十重二十重とは、手厳しいことを仰せになる。我等は城外との行き来を止めきれず、つくづく手を焼いておりますぞ」
 苦笑いを浮かべる長秀だが、言外に、外部との接触を敢えて見逃しているのだ、との含みを見せる。

(やはり、そうなのか)

 余裕ぶった態度はみせつつも、員昌としては面白い話ではない。長秀の目を見据え、本題に入る。

「さて、仮に我らが外の動きを知りえていたとて、我が殿からの命がなければ同じこと。我等はあくまでもこの城を守り抜くのみ。そもそも和議が結ばれたのであれば、兵を退くべきは貴殿のほうであろう」

「我が殿は、磯野殿が城を開かぬのであれば、二万の兵で攻め寄せるとのお考えにござる」
 長秀はまじめくさった顔で応じた。

 もちろん、員昌にその言葉が本当かを確かめる術はない。

「二万か。和議とやらが結ばれておるにも関わらず、この儂を討ち取るために、信長公は二万もの兵を動かしてくださるのか」

 員昌は脳裏に、二万の軍勢が佐和山城に押し寄せる姿を描いてみた。

 織田勢の本陣では、信長が目を血走らせ、声をからして軍勢を采配している。

 しばしの夢想の後、員昌の口元はにんまりと緩んだ。その思いのまま言葉を継ぐ。

「力攻めにて寄せてこられるのであれば、儂が十年をかけて手を加え続けた佐和山の城の縄張りの妙、ようやっとお見せすることが出来まするな」

「磯野殿」

「儂は、お手前方が大手を破れぬまま攻めつかれた頃合いを見計らい、一丸となって討ってでて、雌雄を決することとなり申そう。さて信長公は、今度は何段構えの陣を敷かれるおつもりであろうか」

 員昌は、身を乗り出さんばかりにして、高揚した言葉を継ぐ。
 閉口した長秀が、降参とばかりに首を横に振った。

「これは、それがしの不明でございました。このような脅しめいた言葉を、磯野殿の御耳に入れるべきではなかった。お許しくだされ」
 長秀が頭を下げる。

 員昌も、この態度には少しばかり留飲を下げた。

 これも交渉術の一つなのかもしれないが、員昌は長秀に好感を抱いた。

「そういうことじゃな。では、ご納得いただいたところでお引き取り願おうか」

「どうやら、城割のことは本当にご存じないようですな」
 長秀は、やれやれといった調子に声音を変えた。

 嫌な言葉が耳に入った。

 思わず員昌は頬をゆがめた。交渉術の一環であろうが、聞き捨てには出来ない。

「城割、とは」

「北近江の三分の一を浅井、三分の二を織田が治める、という約定にござる。この城割にて、浅井領は浅井郡、伊香郡、坂田半郡あたりとなりましょうが、坂田郡の端にあるこの城は、既に浅井の手から離れておりまする」
 長秀の口ぶりからは、誇る調子は感じられない。

 それが却って、言葉の内容に信憑性を感じさせた。

 しかし、口先一つで萎えさせられている場合ではない。

 員昌は腹に力を入れなおした。

「にわかには、信じられぬ話ですな。なぜ浅井がこの城を手放さねばならぬか、合点がいかぬところ」

「それがしの口から申し上げても、ご納得いただけぬかも知れませぬが……」
 長秀は言葉を選び、そう前置きをしてから、城割の条件となった和睦について説明した。

 その内容は、既に森盛造が配下と共に調べてきた内容と一致していた。

 だから、員昌も和睦そのものにはいまさら驚かなかったが、それでも敵方の口から明確に語られると、平静さを保つのは難しかった。

「いずれにせよ、我が城の一大事なれば、この場で即答は致しかねる。此度はお引き取り願いたい」
 苦渋の表情で、そう告げるしかなかった。



 長秀を城外に送り出した後、そのまま大広間で軍評定が行われる形となった。

「どうやら、我等は兵糧が切れて飢え死に寸前で、佐和山城はもはや救えぬ。我が殿はそうお考えのようじゃ」
 員昌の言葉に、集まった将からうめき声があがる。

「なんと、情けなきかな。敵手に一指も触れさせぬ鉄壁の守りで持ちこたえておること、殿はご存じないと」
 小堀正房が悔し気に床を叩く。

「こちらから使者は送り込んでおるのじゃが、信じてもらえておらぬ様子にて」
 使者の送り出しに携わる嶋秀安が、半ばあきらめ顔で首を横に振った。

 その傍らでは腕を組んだ秀淳が口をへの字にまげて天井を仰いでいる。
「つまり、もはや後詰はないと」

「佐和山を明け渡すとの同意のもとで和睦が成ったとの話が真実であるなら、これ以上の籠城に意味はございませぬな」
 正房の言葉が広間に響くと、一度はざわついた場が、その意味が理解されるにつれて自然と静まり返っていく。

「して、兄者の御存念やいかに」
 ややあって、員春が諸将の思いを代表する形で問う。

 しばしの沈黙ののち、員昌はゆっくりと口を開いた。

「城を明け渡すにしても、そのまま織田に降ると決めつけたものでもあるまい。横山城の城兵は城を開いた後、小谷城に入ることを許されたと聞く。同じことを要求してもよかろう。ただ、いずれにしろ、なんとかもう一度小谷城とつなぎをつけ、殿のお考えをお伺いせねばなるまい」
 己の城を捨てる恥辱に耐えてでも、今度は殿の馬前で戦いたい、員昌は心からそう思った。

 前年の姉川での戦いぶりと、佐和山城で半年耐えたことについて、誉め言葉の一つでも頂戴できれば、死んでいった者たちにもいくらか顔向けが出来る。

(いや、他ならぬ儂が、このままでは死んでも死に切れぬわ)
 偽りなき、員昌の本心であった。
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