【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝

糸冬

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(三十一)林与次左衛門の末路

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 九月二日。

 員昌らが手勢を率いて北庄に到着したときには、縄張りは既に大方決まっているらしく、普請場は喧騒に満たされていた。

 北庄の新城は、縄張りの一番南側、つまり川沿いの部分に本丸、その西に二の丸、二の丸の北東に三の丸を作り、その他幾つかの曲輪を含め、足羽川が流れる南側を除く三方向の外周は、川から水を引き込んで水濠で囲む計画であると、員昌は作事の様子から見て取った。

 既に濠を穿ち、掘り出された土を積み上げて土塀を作り、曲輪の形を作る作事が行われていた。

 当然のことながら、水濠は作事の途中で水が入り込んでしまえば掘り進めなくなるため、川から遠い場所から着手されている。

 手勢を手ごろな場所に布陣させて、員昌は与次左衛門と連れだって城内に向かう。

 陣に残していく家臣のうち、藤堂高虎がとりわけ熱心に縄張りの様子を眺めているのが、妙に印象に残った。

 本丸にあたると思われる一段高い区画には、にわか作りながらも仮陣屋が設けられており、諸将が顔をそろえていた。



 待つことしばし、上座に着座した信長は、論功行賞として越前国八郡の配分を発表した。

 柴田勝家を越前の国主としたうえで、四郡が勝家の直轄領として与えられた。

 残り四郡については、大野郡のうち三分の二が金森長近、三分の一が原長頼に与えられた。

 また府中に不破光治、佐々成政、前田利家が配され、二郡を統治することになった。

 なお、残る敦賀郡については、信長に本陣を提供した武藤舜秀に安堵された。

 続いて、領地が与えられなかった者以外にも、働きに応じて加増や褒美の沙汰が伝えられていく。

 その様子を、員昌は熱の入らない目で眺めている。

 恩賞に預かれるほどの働きはしていないとの自覚はあり、己の名が挙がることは期待していない。

 何しろ十万の軍勢が参戦しており、武将の数も桁違いに多い。

 それでも、そろそろ名を呼ばれる者も終わりかと思われた頃。

「林与次左衛門!」
 不意に耳慣れた名前が信長の口から発せられ、員昌は我に返った。

(儂などと違うて与次左衛門殿は一揆狩りに熱心であった。良き褒美があればよいが)
 そう思いながら員昌は耳を傾ける。

 しかし、次に信長の口から発せられたのは、思いもよらない言葉だった。

「その方には、切腹を申し付ける」

 信長の思わぬ言葉に、癇癖に慣れた家臣にもさすがにざわめきが広がった。

「な、なにゆえ。それがし、ご命令通りに一向門徒を老若男女を問わす討ち果たしてござる」
 与次左衛門が取り乱しながら訴えるが、信長は聞く耳を持たない。

「黙れっ。お主は元亀の折、浅井朝倉に味方して、湖から我が兵に弓を射かけたであろう!」

「なっ」
 与次左衛門の表情が固まる。

 傍らの員昌には、信長が何を言上げしているのか、はっきりとは判らなかった。

 少なくとも元亀二年の二月に員昌を舟に乗せて高島郡に送り届けた与次左衛門が、それ以降に敵に回って、織田の兵に弓を射かけたなどという話は聞いたことがない。

(となれば、儂が佐和山に籠っておった時の話か)

 浅井・朝倉勢が湖西を南下し、京に乱入した時の話であろうか。

 与次左衛門の打下城は確かに西近江路を扼する要衝であるが、その城下を突破しなければ京に辿り付けないわけではない。

 今津まで戻れば西側から保坂から朽木を越えて京に通じる若狭街道を通って上洛できる。

 全滅覚悟で浅井・朝倉の大軍を迎え撃ったところで、その進撃を阻止するのは困難である。

 であれば、敢えて手向かいせずにやりすごす、という判断を下したとしても、それはやむを得ないのではないか。

 員昌がそう考えたときには、既に身を乗り出していた。

「御屋形様っ! それがし、林殿にはひとかたならぬ大恩がござる。どうか命ばかりはお助けいただけませぬか」

 逆らっても良いことはない、頭の中でそう叫ぶ己の声を聞きながら、しかし員昌は声をあげずにはいられなかった。

 員昌の周囲では、信長の怒声を予期した家臣たちの何人かが首をすくめる。

 鼻を鳴らした信長は不意に脇息を跳ね飛ばして立ち上がるや、上座から降りて大股で員昌の前まで向かってきた。

「確かに、丹波はこ奴に手柄を譲ってもらっておったな」

 員昌を見下ろした信長が薄笑いを浮かべる。

「手柄、とは?」
 員昌は思わず聞き返した。

 信長が何を言わんとしているのか、意図がつかめない。

「どうやら知らぬようじゃのう」

 信長はなおもにやつきながら、片膝をつくや員昌の猪首に腕を回し、耳元に口を寄せて囁く。

「杉谷善住坊を、浅井が亡ぶまで匿うておったのは、この与次左衛門じゃ」

 信長の小声は、広間に居並ぶほとんどの家臣の耳には届かなかったが、員昌の隣で震えている与次左衛門には聞こえたようだった。

 与次左衛門が目を剥き、小さな悲鳴をあげる。

「引っ立てい!」

 立ち上がった信長の合図で、甲冑に身を固めた屈強な武者が二人、与次左衛門の左右の腕を掴んだ。

「お、お助けを!」
 与次左衛門が絞り出した声に、しかしもはや応じる者は誰もいなかった。

 そのまま与次左衛門は大広間の外に連れ出される。

 哀れな姿を見送った信長は、つまらなさそうに鼻を鳴らした。

「磯丹よ。与次左衛門の兵はお主に任せる。仇討ちなどと言い出す不埒者は斬れ」

「はっ」
 員昌は平伏するしかない。

 その様を一瞥した信長は、何事もなかったかのように上座へと戻った。

 信長が近習に合図をすると、膳部が運ばれてくる。

 論功行賞は終わり、そのまま越前平定を祝う宴会となる。

 織田家の家臣たちが目の前で行われた粛清劇など知らぬ顔で宴をはじめる中、員昌は取り残されたように顔をあげられずにいた。



 林与次左衛門誅殺後、残された彼の手勢を丸投げされる形となった員昌だが、後始末は一苦労だった。

 まずなにより、いきなり主君が切腹させられて動揺する林家の家臣たちをなだめる必要があった。

 幸か不幸か、主君の仇討のために信長に反旗を翻そうと息巻く者や、主君に殉じて腹を斬ろうとする者はいなかった。

 むしろ逆に、自分達の身の危険を感じて逃げ出しかねない状態に陥っていた。

「お主らの身の安全は儂が保証する。儂がきっと打下までお主らを連れ帰るゆえ、短慮を起こすでないぞ」
 員昌は、怯える林家の家臣たちにそう繰り返した。

 どれだけ員昌の言葉に効果があったのかは判らないが、どうにか己の手勢とともに北庄城の普請に携わる間、林家の遺臣は面倒事を起こすこともなかった。

 その結果、冬が来る前に磯野勢は林勢と揃って、近江への帰陣が叶うこととなった。



 新庄城に帰還した員昌だが、その表情は冴えなかった。

 表向きは浅井・朝倉勢のために働いたことを理由としつつ、実は杉谷善住坊を匿った罪こそが林与次左衛門の処断の理由だ、と信長は員昌にささやいた。

 これは何を意味するのか。

 かつて善住坊の処刑を自分の目で確かめてきた森盛造は、善住坊は員昌との縁を口にしていないようだと伝えていた。

 しかし、城内でどのような尋問が行われ、善住坊がどう応じたのか、世間に公表されている訳ではない。

 また、盛造にも探りきれるものではない。

 善住坊が信長を狙撃することを知っていたのは、員昌がまだ織田に降る前の話である。

 仮にその事実が信長の知るところとなったとて、命を奪われる謂れなどない。

 しかし、何度そう思って弱気の虫を振り払おうとしても、信長の真意を読み切れず、考えは同じところに戻ってしまう。

 気を病んだ員昌は遂に体調を崩し、褥に伏せるようになった。

「情けないのう。儂としたことが」
 寝所にて袷を重ね着して褥に伏せる員昌がこぼす。

 風邪らしい風邪などひいたこともなく、頑健な身体が密かな自慢であっただけに、員昌は目に見えて気落ちしていた。

 薬師に見せても、「気鬱の病が身体の不調を招いているのでしょう」、程度のことしか言わない。

 処方された煎じ薬も苦いばかりで、あまり効いているようには思えなかった。

 歳のせいだ、と表向きには愚痴に紛らせてみる。

 この年、員昌五十四歳である。

 だが、林与次左衛門の末路が頭から離れないのが根本的な原因であることは、員昌自身が自分でいちばんよく判っている。

(いや、与次左衛門殿の一件だけではない)

 逃亡生活に疲れたと称し、みすみす捕らえられて処刑された杉谷善住坊。

 一向一揆を前に城を捨てて逃亡し、一族皆殺しの憂き目にあった樋口直房。

 員昌には、彼らの真意が判らない。

 いずれ自分も、他者にはよく判らない理由で命を落とすことになるのだろうか。

 もちろん、武士である以上は戦場において、いつ命を落とすか判らぬ恐怖はある。

 だが、戦場にて討死する覚悟ならば、出来ているつもりだった。

(しかし儂は、戦場では死ねぬのやも知れぬ)
 員昌は、ぼんやりとそんなことを考える。

 一つ言えるのは、仮にそんな死に様をさらすとしたならば、間違いなく信長が原因であろう、ということだ。

 脳裏にちらつくのは、員昌に家督を譲り、誰に告げるともなく世間から姿を消した優しき叔父・磯野員清の面影だった。



「御前様はいささか働きすぎゆえ、しばし休めとの天からの思し召しにございましょう」
 美弥は嫌な顔を見せることもなく、侍女に任せず手ずから員昌の看病にあたっていた。

 何かと城を開けがちな夫と過ごせる時間が増えたことを、不謹慎ながら喜んでいる節もあった。

「とてもそうは思えぬわ。熱心な門徒を選りすぐって殺したゆえ、仏罰があたったと言われたほうが、まだ納得がいくというものよ」

「あら。もし本当に仏の罰があたるというのなら、少々寝込むぐらいで済むはずがございませんよ」

「そういうものかのう」

 笑顔さえ作ってみせる美弥に、員昌も思わず口をほころばせる。

 美弥の独特の視点には、いつもながら心を慰められるものがある。
 員昌は改めてそう思った。

「そういえば。侍女が出入りの商人から面白き話を聞いたそうですよ」
 美弥が声を明るくして話を変える。

「ほう」

 何事でも面白がる美弥の話とはいえ、何を言い出すのか員昌は気になり、続きを促す。

 美弥が話し出したのは、かつて浅井長政の元にお市の方が嫁いだ当時の噂話だった。



 曰く、
 永禄年間のはじめ頃、浅井家中のは、信長こそが天下に覇を唱えると見込み、その妹を長政の妻に迎えたいと考えた。

 そんな折、伯耆守は傷寒と呼ばれる腸の大病を患って高熱を発したものの、どうにか一命をとりとめた。

 これを喜んだ伯耆守は、願掛けした伊豆、箱根、三嶋明神、富士山への御礼の社参りに行くと称し、小田原までの街道沿いの城主から通行を許してもらった。

 その往路に、清州にて体調を崩したとして清州に十五日ばかり滞在して養生する間、織田家に立ち寄り、佐久間右衛門信盛と極秘に婚儀の話をまとめた。

 しかし、当時はまだ美濃に斉藤氏が健在であったため、輿入れが難しい。

 そこで伯耆守は一計を案じた。

 「翌年には今度は夫婦連れで社参したいが、また体調を崩した際のことを考えて侍女や端女も同行させ、乗り物なども用意したい」と、北条や今川などの街道を治める大名に対して申し出て許されたのだ。

 かくして伯耆守は、帰路に立ち寄った清州で侍女の輿にお市の方を乗せて、首尾よく秘密裏に近江まで連れ戻った。



「その磯伯耆守なる御仁が、実は御前様のことだというのですよ」
 長い話をそうまとめた美弥が、少し寂し気に微笑む。

 いちいち言葉にはしないが、既に嫁ぎ先の長政は自刃し、お市の方は実家の織田家に戻されている。

 口に出来ない思いを隠し、それでも員昌に伝えたいとの思いが滲む。

「永禄のはじめ頃と申せば、野良田の合戦のあたりか。そのように悠長に、小田原まで足を運ぶ余裕などあるはずもないわ。それにしても磯伯耆守とは聞かぬ名じゃのう」

 員昌も、敢えて長政とお市の方当人のことには触れず、首をひねる。

 磯野の一族には、庶流であったり、磯野の姓を名乗るのが憚られたりする際に、磯一文字を姓として扱う例がなくもない。

 しかし、伯耆守を名乗る親族に心あたりはないし、員昌が変名として名乗った記憶もない。

 実のところ、お市の方の輿入れにあたって、員昌が何かを画策したどころか、特段の働きをした事実もない。

 どこからそんな噂が広まったのか不思議であった。

 この噂が信長の耳に入ったら、不興を買うだろうか、と員昌はふと思う。

 しかし、信長の顔を思い浮かべるだけで気力が萎えそうになり、深く考えることをやめた。

 いちいち信長の機嫌を伺っている自分が嫌になる。もっとも、織田家の家臣は程度の差こそあれ、皆同じではあろうが。

「そのような手管を用いて他国に行くなど、思いもよらぬことじゃなあ」

 員昌自身は伊勢や越前に足を踏み入れたことはあるが、いずれも合戦のため、兵を率いて出陣してのことだ。

 美弥と連れだっての旅行など、例え極秘に主君の妻を迎えるための策略にしても、想像もつかない。

「何やら楽しそうなお話でしょう。そう思うと、どうしても殿様にお伝えしたくて」 

「なにやら不可思議な話であったのう。美弥は、他国にまで遊山に行ってみたいか」

「どうでしょう。でも、織田様が天下をお治めになれば、気軽に他国に訪れることも叶うのでしょうか」

 美弥が遠くを見るような目になって呟く。

「織田の天下か」

 員昌は寝所の天井に視線を向け、その未来を想像しようとした。しかし、その将来図はあやふやで、しかもそこに自分の居場所があるようにはどうにも思えなかった。



 員昌が病に臥せて領内の統治に目が届かない間に、大溝館の織田信澄が、打下城の城兵を実質的な配下とするべく取り込みを進めていた。

 本来であれば高島郡の統率を乱す元であり、やめさせるべき所業ではあったが、何分にも員昌の体調が戻らない以上、信澄に任せざるを得ない面もあった。

 員昌としても、林家の遺臣から向けられる恨めし気な視線と向き合いたくないとの思いもあり、黙認せざるを得なかった。

  心身の衰えが、員昌から果断さを奪っていたのは確かだった。
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