【架空戦記】蒲生の忠

糸冬

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(十)逆襲の策戦

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 六月六日。戌の刻。

 安土城に子もある賦秀率いる手勢は、明智秀満勢による猛攻を二日に渡り耐え抜いてみせた。

 賦秀は二ノ丸ではなく、大手口にほど近い前田利家屋敷に陣を据えていた。

 いちいち二ノ丸まで戻っていたのでは戦況の把握に一歩遅れる恐れがあったため、前田利勝に使用を許されたこともあって遠慮なく使わせてもらっている。

 本丸や二ノ丸には、依然として留守番衆を詰めている。

 二ノ丸に賢秀が残っていることは賦秀にとってありがたかった。

 おそらく賦秀が城の守りの差配を独断で行っていることに対しては留守番衆からも不満の声があがっているだろう。

 なにしろ彼らは合戦に投入されることなく、射掛けられる火矢の消火をはじめ、裏方の役割ばかりに用いられているのだ。

 その不満はすべて、賢秀が身を挺して受け止めてくれている格好になっているはずだった。

「お手を煩わせておる二ノ丸の父上には申し訳ないが、この状況は芳しくないな」

 前田屋敷の書院の床には、彼我の兵が駒で記された絵図が広げられている。

 駒の配置に目を向けながら、賦秀がぼそりとつぶやいた。

 その言葉を聞いて、結解十郎兵衛が意外そうな目を向ける。

「今のところ、上首尾と思われますが」
 前日に続き、今日もまた明智方の猛攻をどうにか凌ぎきって城兵の士気が高まっているだけに、当然の疑問と言えた。

 ギリシア火薬を詰めた徳利と炎の縄による攻撃は、山科勝成こと、ジョバンニ・ロルテスの指揮の元で行われている。

 彼がかつてマルタ島において経験したという、激しい攻防戦の記憶が活きた戦法だった。

 城外へと砲丸を撃ち出している大砲は鉄製でも青銅製でもなく、なんと木製だった。

 城下町から避難してきた町人の中から木材の加工に慣れた職人を集め、一発限りの使い捨て用の砲身を削り出させ、荒縄で巻いて大砲代わりに用いていたのだ。

 単純な話のようだが、砲身が裂けず、かつ適度に砲丸を飛ばすだけの威力を与える火薬量の調節を試射なしで行わねばならず、誰にでもできる芸当ではない。

 細かい采配はロルテスが自ら行った。

 ほとんどの砲弾は敵陣に着弾しており、実戦の指揮からは長らく遠ざかっていたにもかかわらず、その力量の高さを伺わせた。

 もっとも、全てが完璧とまではいかず、砲の暴発によって弾込め役の足軽がこれまであわせて七名が吹き飛ばされて死傷していた。

 だがそれすらも、劣勢の中にあっては許容すべき損害と言えた。

 間断なく浴びせられる鉄砲に加え、それらの見慣れぬ武器による攻撃をもかいくぐって大手門を目前とするところまで迫った敵に対しては、二日目からはロルテスが「トランプ」と呼ぶ新兵器が投入された。

 これは中をくりぬいた木の棒に、徳利に詰めたのと同じ硝石と硫黄と松脂などに加え、さらに菜種油を加えてより液状化したものを長鎗の先にくくりつけたものである。

 その先端部に点火すると長時間にわたって炎が一間以上にも吹き出すという、いわゆる火炎放射器である。

 武者門を開いてこの「トランプ」による槍衾を作った横隊が飛び出し、炎の鎗を浴びせかけると、明智勢は木盾や竹矢束もろとも炎に包まれることになった。

 凄惨な光景は、守る側の蒲生勢すら青ざめさせるものだった。

 「南蛮の戦さとは、これほどまでに過酷なものなのか」と賦秀が驚嘆し、他ならぬ発案者であるロルテス自身が、それなりに功を誇りつつも「マルタ島での嫌なことをいろいろ思い出したよ」と気落ちするほどである。

 だが、それだけに明智勢の士気を挫くのに多大な効果を発揮した。

 潤沢に火薬や油を蓄えていた安土城でなければ実現できぬ戦い方であったが、ロルテスは大いに面目を施した。

 それでも、賦秀には焦りの色があった。

「このままでは、こちらも手詰まりよ」

 二日目に来襲した敵勢の中に、安土を退転した山崎片家の合力しているのが旗印などから明らかになったていおる。

 加えて、少数ながらいわゆる武田菱の旗印をも目撃されていた。

 武田菱、すなわち武田元明が明智勢に参陣したと賦秀は推察していた。

 元明自身は猛将でも知将でもないが、その存在が明智勢にあること自体は決して軽視できるものではない。

 かつての若狭国守護の家柄も今は顧みる人とてなく、武田元明は若狭国の支配を任されている丹羽長秀の配下に甘んじていた。

 長秀が四国遠征のために領内の大部分の兵を動員しているにもかかわらず、元秋は遠征に参加せず、佐和山城にて留守居役を命ぜられていた。

 武将として捨て殺しの状態にあることは、誰の目にも明らかな存在だった。

 その武田元明が明智勢に馳せ参じたことに、賦秀は危機感を募らせていた。

 事はひとり、武田元明だけの問題ではない。

 この調子で織田家の現体制に不満がある者が明智の旗の元に参集する流れが出来るとすれば、やはり警戒すべきだった。

(上様は、領内にどれだけ不満の芽を残しておられただろうか)

 信長亡き後の近江国にあって、どれだけの土豪、国人が敵に回ったか、賦秀にも読めないでいた。

 その懸念は、領内の味方に渡りを付けるべく送り出されていた甲賀忍びの団七とその配下により、安土城周辺の情報がもたらされたことでより深刻となった。

 武田元明は佐和山城を占拠した上で、兵を率いて明智勢の元に馳せ参じていたことが確認された。

 さらに長浜城が、羽柴秀吉の元で捨て扶持を与えられていた北近江の守護の家柄である京極高次によって占拠された事実も明らかとなった。

 また、羽柴秀吉と折り合いが悪かった伊香郡山本山城の阿閉貞征も挙兵して、明智勢と呼応する構えを見せているという。

「近江国は、この安土城と中野城を除いてほぼ明智の手に落ちたことになろう」

 厳密には、安土城からみて琵琶湖の対岸に築かれ、湖西側の拠点となっている高島郡大溝城の情勢が現状では不明である。

 もっとも、城主の織田信澄もまた四国遠征の軍勢における副将を任じられて手勢を率いて出陣中であり、信澄自身が明智方に与するかどうかは現時点では不明ながら、敵手に落ちるのも時間の問題といえた。

「それにしても若旦那は甲賀の乱波をうまく使いますな」

 深刻な面持ちで状況を分析する賦秀に向かって、ロルテスは例によってにやりとした笑みを浮かべてみせた。

 賦秀は薄く笑うだけだったが、彼が籠城を決断するのと相前後して団七をはじめとする甲賀忍びたちを城外に送り出していたのは事実だった。

 彼らが無事帰還したことで、周辺の情勢が掴めていた。

 安土城は琵琶湖に突き出した半島状の山に築かれているだけに、水軍なしに軍勢が湖面から攻めかかることは出来ない。

 一方、水練の達者であれば、泳いで外部との接触を図ることは比較的容易だった。

 明智勢に城の南側を包囲されながら、城外から行き来できたのはそのためだ。

 もちろん、明智勢の乱波が潜入してくる可能性も充分にありうるので、帰還場所は半島の北端部にある船着き場の一箇所に限るよう指示をしている。

 そこ以外から上陸してくる者は見つけ次第斬る旨、巡回の兵に命令を徹底させている。

 もっとも、今のところ明智勢は堅田の水軍衆を動かす様子もなく、敵の忍びが泳いで城内に潜り込もうとしてきた例も確認できていなかった。

「若旦那の手回しの良さ、敵さんは気づいてないんですかね」

 ロルテスの軽口に、賦秀は首を横に振ってみせる。

「いや。手こずってはいるが、いずれ遠からず安土城は陥ちる。そう見越しているからこそ、あえて持てる手管の全てを使うつもりはないのだろう。だが、我らがここに踏みとどまり続ければ、そういつまでも余裕をもってはおれまい」

 少ない手勢で倍する手勢を翻弄するのは痛快事ではあるが、敵が本腰を入れてくる前になにか手を打つべき。
 そうしなければ、いずれ押し切られる。

 賦秀の思案は、まさにその一点にあった。

「なんとか、ならんですか」

 ロルテスの問いにすぐには答えず、脳裏に近江国の絵図を思い浮かべながらしばし黙考していた賦秀は、ややあって口を真一文字に結び、覚悟を固めたかのように小さく頷いた。

「一つ、策がある」
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