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(十七)雁行の布陣
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六月二十日。
先行させた物見から、坂本城に明智勢が到着している旨の報せが大溝城の勝家の元に届いた。
光秀自身が入城したかどうかは依然不明ながら、軍勢の数は少なくとも一万は超えると物見は見積もっていた。
また、堅田衆にも人員の動員がかかり、北進の動きを見せているという。
「やはり出てきておったか」
最初から読みの内であり、大溝城の本丸広間に腰を据えて報告を聞く勝家にも焦りはない。
光秀を討つという大義の元に兵を進めてきた以上、こちらが城に立て籠もって敵が攻めてくるのを待ち受ける選択は、本来ならばありえない。
だが、どう言いつくろっても動かせる兵数が少ないのが柴田勢の泣き所である。
敵と同数以下の兵数で、闇雲に城攻めを仕掛けるのはとうてい得策とは言えなかった。
ただ光秀にしても、自らが治める坂本の地をみすみす戦場にするとも考えがたい。
急進してきた柴田勢の兵力が整わないのを見越して、早々に攻め寄せてくる可能性もあった。
湖を背にする大溝城の構えは、決して脆くはない。
ただし、勝家も己の居城ではないだけに城の縄張りを熟知している訳ではなく、有効な籠城戦が行えるかは未知数である。
「まあ、こちらが兵を出さぬ限り、籠城戦にはならぬでしょう。光秀も、安土と大溝で城を囲ませておる場合ではありませぬからな。出来れば安土を後巻きしたいと考えておる筈」
佐久間盛政が楽観論を口にする。
いい加減な物言いのように聞こえるが、本質は衝いていると勝家は受け取る。
光秀にとっても無駄に費やす時間はない筈であり、こちらが兵を進めなければ敢えて大溝にまで北進してくるとは考えづらかった。
「だが、だからといってここまで来ておいて動かぬなどとは言えぬ。出陣ぞ!」
勝家の咆吼に、北陸軍団の猛者達が唱和した。
ただちに大溝城を出陣した柴田勢は、堅田の手前で行軍中の陣形を合戦に備えて組み替える。
左手に琵琶湖、右手には曼陀羅山という名の山がある地勢を踏まえ、右翼側が突出する格好の雁行陣を布いた。
側面からの迂回を防ぎ、自陣深くまで斬り込んできた敵勢を湖へとたたき落とす算段だ。
古代の遣隋使、小野妹子の墓と伝わる小山に立てられた神社に、勝家の本陣がおかれた。
柴田勢の動きを察知していたのであろう、坂本城を進発して西近江街道を北上してきた明智勢も、柴田勢に対峙すべく陣形を整えていた。
こちらは魚鱗の陣構えである。
「敵の先鋒は斉藤内蔵助勢なり!」
最も敵に近い右翼先鋒を任され、曼陀羅山の麓に陣取る不破光治から報せが届く。
その後も敵の陣容について報告が次々ともたらされ、小野妹子神社の境内に幔幕を張って設けられた柴田勢の本陣にてまとめられる。
敵の本陣には水色桔梗の旗印が多数掲げられているのが確かめられた。
本陣の馬標まで確かめられるほど接近できた物見こそいないが、兵の気勢から見ても光秀自身が出陣してきていることには、まず疑いの余地はなかった。
物見が報せてくる敵の数は、およそ一万五千におよぶ。
ただし、この中には安土城を囲んでいるであろう明智秀満とその寄騎勢約五千は含まれていないらしいことも判明した。
「やはり、我らより多いな……。それでもやはり、あえて安土攻めの兵力を合流させぬよう、湖西に引きずり出したのは正しかったわ」
勝家は己の策が正しかったと自ら言い聞かせつつも、表情から渋面は消えなかった。
勝家にしてみれば、光秀が四方に敵を抱える以上、戦場に引きつれて来られるのはせいぜい一万程度と踏んでいたのだ。
安土にて明智秀満勢を食い止めている蒲生父子に対して、あらためて感謝の思いと、簡単には言葉にできない羨望の念が同時に沸く。
五千の兵数差は大きく、単純にぶつかれば勝ち目はないようにも思われる。
加えて、上杉相手の城攻めの最中に和睦を余儀なくされた後に長駆して戦場に到着した柴田勢と、大きな戦さを行うことなく着実に地歩を固めて地元で迎え撃つ明智勢では、ひいき目にみても不利は否めない。
織田家の筆頭家老の軍勢か、織田家に背いた謀叛者の軍勢かという違いは、今となってはさほど大きな差とも思えなかった。
「大坂にて降った者を従えておるようですが、有力な寄騎の細川勢も筒井勢も参陣しておらぬ様子。未だ味方には取り込めておらぬとなれば、好機ですな」
手勢の布陣を終えた後、本陣に顔を見せた柴田勝政が、勝家に向かって強気に言い切る。
難しい顔をして考え込んでいる勝家の気持ちを奮い立たせようとしての思惑があってのことか、それとも消極的な発言が多い勝豊へのあてつけか。
勝政の声音と表情からは簡単には読み取れない。
「されど、迂闊に手は出せぬぞ」
「なにも大勝ちする必要はございますまい。敵は所詮は叛徒にござる。負けておらぬ故にやむなく明智に付き従っている者どもとて、一敗すればたちまち綻びをみせましょう」
勝家の傍らにあって、佐久間盛政もまた楽観的だった。
「一理あるが、それ故に敵は必死で戦うであろう。矢面に立った我らが深傷を負い、あげくに光秀の首級を他の者に獲られたとあっては割にあわぬではないか」
我ながら懐の小さなところをみせているとの自覚はあったが、それが勝家の偽らざる本音だった。
「確かに、我らはただ勝てば良い、という立場にはありませぬからな」
勝家の心情をおもんばかってか、寄騎の徳山秀現が口を添えた。
信長と信忠亡き後の織田家の主導権をいかにして握るか、そのための武功を判りやすい形で得なければならない。そのためには、勝ち方が重要なのだ。
しばしの黙考の後、勝家は決断した。
それは、織田家きっての猛将との評判とはまったく逆の判断だった。
「こちらからは仕掛けず、敵の出方を待つ。柵をしかと構え、空壕を深く穿つよう各陣に触れを出せ。堅き陣城を築くのじゃ」
勝家の指示を受けて、使番が各陣へと散っていく。
その姿を見送りながら、床几に腰掛けた勝家は使者を送るべき相手を考えていた。
(細川、筒井とも、敵に回らぬようあらためて釘を刺しておかねばなるまい。丹羽五郎左の動向もつかんでおかねばならぬ。あと、我らが光秀を引きつけておる以上、今こそ巻き返しの好機であること、秀吉にも伝えておかねばな……)
湖畔にて柴田勢がにらみ合いを続ける間に、羽柴秀吉にしろ丹羽長秀にしろ、光秀の背後を誰かが脅かしてくれれば、それだけ自分たちが有利になる。
光秀の打てる手は限られている。時の流れは味方だ。
己の考えに勝家は疑いを抱いていなかったが、結果としてその慎重な判断が思わぬ展開を招くこととなる。
先行させた物見から、坂本城に明智勢が到着している旨の報せが大溝城の勝家の元に届いた。
光秀自身が入城したかどうかは依然不明ながら、軍勢の数は少なくとも一万は超えると物見は見積もっていた。
また、堅田衆にも人員の動員がかかり、北進の動きを見せているという。
「やはり出てきておったか」
最初から読みの内であり、大溝城の本丸広間に腰を据えて報告を聞く勝家にも焦りはない。
光秀を討つという大義の元に兵を進めてきた以上、こちらが城に立て籠もって敵が攻めてくるのを待ち受ける選択は、本来ならばありえない。
だが、どう言いつくろっても動かせる兵数が少ないのが柴田勢の泣き所である。
敵と同数以下の兵数で、闇雲に城攻めを仕掛けるのはとうてい得策とは言えなかった。
ただ光秀にしても、自らが治める坂本の地をみすみす戦場にするとも考えがたい。
急進してきた柴田勢の兵力が整わないのを見越して、早々に攻め寄せてくる可能性もあった。
湖を背にする大溝城の構えは、決して脆くはない。
ただし、勝家も己の居城ではないだけに城の縄張りを熟知している訳ではなく、有効な籠城戦が行えるかは未知数である。
「まあ、こちらが兵を出さぬ限り、籠城戦にはならぬでしょう。光秀も、安土と大溝で城を囲ませておる場合ではありませぬからな。出来れば安土を後巻きしたいと考えておる筈」
佐久間盛政が楽観論を口にする。
いい加減な物言いのように聞こえるが、本質は衝いていると勝家は受け取る。
光秀にとっても無駄に費やす時間はない筈であり、こちらが兵を進めなければ敢えて大溝にまで北進してくるとは考えづらかった。
「だが、だからといってここまで来ておいて動かぬなどとは言えぬ。出陣ぞ!」
勝家の咆吼に、北陸軍団の猛者達が唱和した。
ただちに大溝城を出陣した柴田勢は、堅田の手前で行軍中の陣形を合戦に備えて組み替える。
左手に琵琶湖、右手には曼陀羅山という名の山がある地勢を踏まえ、右翼側が突出する格好の雁行陣を布いた。
側面からの迂回を防ぎ、自陣深くまで斬り込んできた敵勢を湖へとたたき落とす算段だ。
古代の遣隋使、小野妹子の墓と伝わる小山に立てられた神社に、勝家の本陣がおかれた。
柴田勢の動きを察知していたのであろう、坂本城を進発して西近江街道を北上してきた明智勢も、柴田勢に対峙すべく陣形を整えていた。
こちらは魚鱗の陣構えである。
「敵の先鋒は斉藤内蔵助勢なり!」
最も敵に近い右翼先鋒を任され、曼陀羅山の麓に陣取る不破光治から報せが届く。
その後も敵の陣容について報告が次々ともたらされ、小野妹子神社の境内に幔幕を張って設けられた柴田勢の本陣にてまとめられる。
敵の本陣には水色桔梗の旗印が多数掲げられているのが確かめられた。
本陣の馬標まで確かめられるほど接近できた物見こそいないが、兵の気勢から見ても光秀自身が出陣してきていることには、まず疑いの余地はなかった。
物見が報せてくる敵の数は、およそ一万五千におよぶ。
ただし、この中には安土城を囲んでいるであろう明智秀満とその寄騎勢約五千は含まれていないらしいことも判明した。
「やはり、我らより多いな……。それでもやはり、あえて安土攻めの兵力を合流させぬよう、湖西に引きずり出したのは正しかったわ」
勝家は己の策が正しかったと自ら言い聞かせつつも、表情から渋面は消えなかった。
勝家にしてみれば、光秀が四方に敵を抱える以上、戦場に引きつれて来られるのはせいぜい一万程度と踏んでいたのだ。
安土にて明智秀満勢を食い止めている蒲生父子に対して、あらためて感謝の思いと、簡単には言葉にできない羨望の念が同時に沸く。
五千の兵数差は大きく、単純にぶつかれば勝ち目はないようにも思われる。
加えて、上杉相手の城攻めの最中に和睦を余儀なくされた後に長駆して戦場に到着した柴田勢と、大きな戦さを行うことなく着実に地歩を固めて地元で迎え撃つ明智勢では、ひいき目にみても不利は否めない。
織田家の筆頭家老の軍勢か、織田家に背いた謀叛者の軍勢かという違いは、今となってはさほど大きな差とも思えなかった。
「大坂にて降った者を従えておるようですが、有力な寄騎の細川勢も筒井勢も参陣しておらぬ様子。未だ味方には取り込めておらぬとなれば、好機ですな」
手勢の布陣を終えた後、本陣に顔を見せた柴田勝政が、勝家に向かって強気に言い切る。
難しい顔をして考え込んでいる勝家の気持ちを奮い立たせようとしての思惑があってのことか、それとも消極的な発言が多い勝豊へのあてつけか。
勝政の声音と表情からは簡単には読み取れない。
「されど、迂闊に手は出せぬぞ」
「なにも大勝ちする必要はございますまい。敵は所詮は叛徒にござる。負けておらぬ故にやむなく明智に付き従っている者どもとて、一敗すればたちまち綻びをみせましょう」
勝家の傍らにあって、佐久間盛政もまた楽観的だった。
「一理あるが、それ故に敵は必死で戦うであろう。矢面に立った我らが深傷を負い、あげくに光秀の首級を他の者に獲られたとあっては割にあわぬではないか」
我ながら懐の小さなところをみせているとの自覚はあったが、それが勝家の偽らざる本音だった。
「確かに、我らはただ勝てば良い、という立場にはありませぬからな」
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しばしの黙考の後、勝家は決断した。
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