【架空戦記】蒲生の忠

糸冬

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(十六)大溝城の戦旗

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 琵琶湖西岸沿いに築かれた大溝城は、本来は織田信澄の居城である。

 近江国において信長自身の居城である安土城と、明智光秀の坂本城、羽柴秀吉の長浜城に次ぐ規模の城として整備されており、湖北からの侵攻に備えられている。

 まさに大溝城築城時に想定されたとおりの進路を辿って兵を進めてきた柴田勢は、占拠ではなく、あくまでも味方としてこの城に入城している。

 既にこの城の持ち主である信澄は、光秀の女婿であり、謀叛に与しているとの風評を恥辱として、その疑いを晴らすためだけに明智勢に無謀な突撃を敢行した末に果てていた。

 その悲痛な報せは既に、大垣城の留守居を勤める者たちにも届いていた。

 軍勢を率いて来着した柴田勢に亡き主の仇討ちを託すべく、彼らは進んで城門を開いた。

 六月十九日。
 勝家は大溝城の広間に主立った将を集め、軍議を開いた。

 意気込む家臣たちが申し述べる様々な策に耳を傾けつつ、内心で勝家は割り切れないものを感じている。

 信澄は、信長に反旗を翻して誅殺された信長の弟・織田信勝の子であり、元服の際には勝家が烏帽子親となっている。

 若き日の勝家は元々信勝に仕えており、信長に敵対した過去を持っている。

 そして、信勝が二度目の反乱を企図していることを信長に告げたのは他ならぬ勝家自身だった。

 信勝が命を落とすに至ったのは、自業自得とはいえ勝家の「密告」にあったことも事実である。

 それだけにその遺児である信澄には、烏帽子親として以上の感情をもって、成長を見守りたい思いがあった。

 汚名を晴らすための信澄の討死は美談であるかも知れないが、結果としてただでさえ浮き足立っていた四国遠征軍が崩壊するきっかけを作ったことも事実である。

 勝家としては、早まったことをしてくれたとの思いを抱かざるを得ない。

 一方、信長の三男であり、四国遠征軍を率いることになっていた神戸信孝もまた、勝家が烏帽子親をつとめた間柄である。

 嫡男の信忠が討たれた今となっては、信孝は織田家の有力な後継者の一人である。

 その信孝が副将の一人を統率できずに無駄死にさせた事実は、信長の死という衝撃の前にかすんではいるもの
の、客観的にみればどうにもやりきれないものがあった。

「風聞を払拭することもできず、まともな合戦に至るまでもなく軍勢を四分五裂させてしまうとはのう……」
 つい、勝家の口から愚痴が漏れる。

「誠にもって無念なれど、我らが手で謀叛人を討つのが先でございましょう」

 勝家があまりに気鬱な表情を見せていたせいか、勝家の養子・柴田勝政が激励とも慰めともつかぬ言葉をかけてくる。

「うむ。それにしても西国の秀吉も身動きが取れぬとは。目端が利くあやつにしては存外情けなきことよ。関東の滝川左近は赴任して間もなく、地元の不穏な動きに備えねばならぬ。我らとて足元が危ういにもかかわらず、一番手となろうとはのう」

 明智勢が謀叛の後、いまだ織田家のいずれの軍団とも本格的な合戦に及んでおらず、すなわちほぼ無傷の軍勢を有していることに、勝家は一抹の不安を覚えていた。

 なお、奇しくもこの日、滝川一益は上野国の諸将を糾合した一万八千の兵を率いて、五万とも称される北条の大軍との合戦に及んでいる。

 神流川の戦いと呼ばれるこの合戦において一益は武運つたなく破れ、伊勢へと落ち伸びることになる。

 相前後して、信濃国の森長可は領地を放棄して美濃の本領へと逃げ戻り、甲斐国の河尻秀隆は武田遺臣の一揆により討ち取られるなど、武田の旧領に築いた織田方の東国における地歩はほぼ失われる形となっている。

 無論、目下のところ勝家はその状況を把握してはいない。 

 東国情勢はさておき、勝家の手勢は先日まで上杉攻めを行っており、長距離を強行軍で戻ってきたこともあって少なからず消耗している。

 このまま間をおかず、明智攻めを行うには懸念も残る。

(光秀が上様を討ったと聞いた時は、四方から包み討ちにあうのが目に見えておきながらなんと無謀なことをすると思うたが、こうしてみると厄介な相手じゃて……)

 これまでも、信長に仕えながら反旗を翻した者は枚挙に暇がない。

 だが、実際に信長を討ってしまったことを含め、結局は自城に籠もるしか出来なかった荒木村重や松永久秀とは、光秀の謀叛は出来も規模もまるで違う。

「どうあれ我らの手で亡き殿の仇討ちを果たさねば、前田様にも佐々様にも恨みを買いましょう」

 小姓頭あがりの若武者・毛受家照が気負った口調で言うと、諸将から好意的な笑いが漏れた。

 六月三日に越中魚津城を陥落せしめ、越後の春日山城へと迫らんばかりのところまで侵攻していた勝家率いる軍勢は、信長の死を受けて上杉景勝との和睦を余儀なくされた。

 数度にわたる交渉を経て、占領地のほぼすべてを織田方の領地として確保する形での手打ちにこそ成功したが、撤退する背後を衝かれる恐れは皆無とはいえなかった。

 いくら和睦がなっても反織田の動きを封じ込める効き目はないため、有力な戦力を残さざるを得ない。

 白羽の矢が立ったのは、勝家の寄騎の中でも特に有力な前田利家や佐々成政だった。

 越前国のうち、勝家が八郡、前田利家、不破光治、佐々成政が府中三人衆と称されて二郡を領している。

 信長の馬廻衆である黒母衣衆の筆頭として名を馳せた勇将である成政も、赤母衣衆筆頭から能登一国の大名まで立身した利家も、当然のことながら信長の仇討ちへの同行を強く願った。

 しかし、後方の抑えにも名のある将が絶対に必要であると勝家が説き伏せた経緯があった。

「儂等を残して負けましたでは済まされぬ。必ずや光秀の首級を挙げてくだされよ」

 最後は吼えるような声で凄む成政の姿を思いだし、勝家もわずかに苦笑を浮かべた。

 だが、結果として近江まで進出できた兵力はおよそ一万程度でしかない。

 信長の死を受け、越前、加賀、能登、越中の各国で不穏な動きが伝えられており、その鎮圧に兵数を割かなければならなかったのが痛い。

 北陸の情勢次第ではあるが、利家や成政の加勢を受けなければ軽々しく光秀相手に決戦を挑むことは難しいのが実情だった。

「あ奴らに恨まれるのは後々面倒じゃわい。ところで、光秀の動きはつかめておるか」

「はっ。どうやら大坂、摂津表の手当は概ね終えた様子にて、京に兵が戻ってきておるとの報せがございまする。光秀自身の姿は確認できておらぬようですが」

 毛受家照の答えに、勝家は表情を引き締めて頷いた。

「光秀が、兵だけ京に戻すということはあるまい。禁裏や公家連中に顔の利くあ奴のこと、謀叛を正当化させようとあちこちに機嫌を取り結んでおるのじゃろう」

 光秀を討った後は、明智の天下になびきかけているかも知れない朝廷や公家を自分が相手しなければならないと考えると、戦さの前から勝家の中に億劫な気持ちが沸いてくる。

 勝家とて、決して何も知らぬ田舎侍であるつもりはない。

 だが、武士以外を相手の交渉事が得手か不得手かと言えば、やはり不得手に属する類であろうと率直に思う。

(いかぬな、まだ光秀を討ってもおらぬ間に、先のことばかり思い煩っていては……)

 信長という絶対的な存在を失った今、武将としての本当の力量が問われている、と勝家は思わざるを得なかった。

「我らが大溝まで進んてきておることを知れば、当然ながら、次は坂本城を狙うと光秀にも知れましょう。さすれば遠からず、明智勢は後詰めして参りますでしょうな」

 佐久間盛政が舌なめずりでもしそうな表情で、琵琶湖畔が描かれた絵図の上に身を乗り出している。

 大溝城から光秀の居城である坂本城までは、西近江街道を用いておよそ八里ほどである。
 健脚の成人男性一人なら一日あれば行きつける距離ではあるが、大軍を率いての行軍となれば二日は要すると思われた。

「我らが光秀を誘い出す形での野戦さとなろう」

 血気に逸りがちな盛政の態度を頼もしく思いつつ、勝家もうなずいてみせる。

「しかし、そうであれば湖東から兵を進め、安土へと向かっておくべきであったのでは。恐れながら、我らの兵はいささか心許ないものがござりまする。蒲生殿が安土にて明智勢を防いでおると聞きますし、伊勢より三介様の援兵も求められましたものを」

 柴田勝豊が腕を組み、納得しがたいとでも言いたげな面持ちで勝家の反応を伺う。

 勝豊は柴田家の重臣・吉田次兵衛の子であり、勝家の養子となっている。

 このところは病身であることもあって柴田勝政の台頭を許しており、どことなく遠慮がちな思いが物言いにも表れている。

 彼が口にした伊勢の三介様とは、北畠信意を指す。

 正確にはこの時点で信意は世継ぎたることを意識して織田姓に復し、名も信雄に改めていたのだが、その情報はまだ勝家達のところまで届いてはいなかった。

 勝家は勝豊の言葉が気に入らなかったものとみえ、露骨に表情をゆがめた。

「お主はそう申すが、上様ならびに秋田城介様亡き今、三介様が織田家の世継ぎとなられるやも知れぬ。となれば、仮に我らが兵を合流させたならば、その指図を受けねばならぬということじゃぞ。その意味が判っておるのか」

「それは、ちと困りますな」
 盛政の遠慮無い言葉に、諸将から笑いが漏れた。

 現状、織田家の後継者は明確には決まっていない。

 次男の信意改め信雄と、三男の信孝が有力であることは事実である。

 だが、明智勢に抑えられた領域を挟んでその所在が東西に分かれる形になっているため、どちらが正式な世継ぎとなるか不明なままである。

 一つ言えることは、仇討ちのための総大将として信雄を担ぐつもりは勝家には毛頭ない。

 烏帽子親としての立場からも、信孝に肩入れしたい気持ちがあるのは言うまでもないが、独断で行った伊賀攻めの失敗以来、信雄では信長の後継者として心許ないとの思いが色濃くあるからだ。

 だが、勝豊の発言は場を白けさせるものではあったが、彼が指摘した兵数不足は明らかな事実でもあった。

(この程度の兵の数しか引き連れておらぬまま三介様に合力しては、儂の名折れとなりかねぬ。ここは腰を据えてかからねばなるまい)

 勇ましい発言に頷いて見せつつも、勝家は胸の内でそう呟く。

 やはり利家か成政か、少なくともどちらかの手勢を呼び寄せる必要があると考え、どちらが良いか思いを巡らせる。

(……やはりここは、動かせる兵の数が多い又左に頼むよりないか。早馬を仕立てねばな)

 利家の所領から全力で動員すれば、どうにか五千は集められると勝家は踏んでいた。

 もちろん、一兵残らず近江まで連れてくることは出来ないにしろ、三千でも増えれば随分と戦いやすくなる。

 一人取り残される成政が怒り狂う姿を想像してやや気が咎めながらも、勝家は利家宛ての書状の文面を考え始めていた。
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