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(二十六)山本山城の奮闘
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八月一日を期して安土城を進発した信雄勢は、仕寄りのための用意もそこそこに、兵数にものを言わせて山本山城に攻めかかった。
山本山城は要衝ではあるが、要害堅固と呼ぶほどの堅城とは信雄は考えていない。
小谷城の元枝城一つ、なにほどのことやある、とばかりに意気揚々と采配を振るう信雄であるが、その思いとは裏腹に、阿閉貞征、貞大父子の抵抗は頑強であった。
結果、初日の合戦では、大手口も破れぬうちに信雄勢の手負い討ち死にが四百名近くにのぼる思いも寄らない苦戦となった。
開城しても助命の道がみえない阿閉親子には後がなく必死に戦い、一方の信雄勢は誰が見ても明らかな勝ち戦であるからこそ、不名誉な討ち死にを嫌って腰が引けていた。
寡勢であろうと大軍であろうと兵の士気を高く引き締めることが、兵を率いる将に課せられた役目である。
だが、信長の子という立場から未だ抜けきれない信雄は、父の威光ではもはや兵を死にものぐるいで働かせることが出来ない事実に気づいていなかった。
「なにをやっておるのじゃ、我が兵どもはっ!」
ままならぬ戦況を本陣から見つめ、苛立って叫ぶ信雄であるが、どうにもならない。
攻めあぐねるまま、三日がたちまち経過した。
そこに、丹後へ討ち入れるために兵を進めていた明智勢に、細川藤孝はなんら抵抗せず降ったとの報せが飛び込んできた。まったく誤算だった。
さらに凶報が続く。
「光秀に同行していた武田元明が若狭入りし、旧臣を糾合してかつての所領を奪還しようと目論んでいる様子にございます」
丹後の戦況を調査するために派遣された忍びによる報せを受け、津川義冬が信雄に報告する。
武田元明はいったんは奪った佐和山城を賦秀に奪い返されていたが、安土城攻めに参陣して落城の場に居合わせなかったこともあり、そのまま秀満の寄騎として明智勢と行動を共にしていた。
「丹後の隣国は若狭、……そして若狭の隣国はこの近江ではないか」
報せを受けた信雄の表情に怯えの色が走った。
予想外に手間取り、思い通りにいかないでいる城攻めの最中だけに、この齟齬がとてつもない重圧となって信雄の心にのしかかった。
細川藤孝を戦わずして軍門に降らせた光秀率いる大軍が、若狭から越前を越えて山本山城の後詰めに現れるのではないか、との誇大妄想気味の懸念が頭の中に広がるや、耐えきれなくなった。
「どうする、どうすればよい」
信雄は本陣にて床几に腰を下ろすこともなくうろうろと歩き回りながら、幾度もそう呟く。
「光秀めが当分姿を見せることもないとは存じますが、野戦を避けるのであれば一旦囲みを解くのも策ではございませぬか」
門一つすら破れていないのは却って幸い、とばかりに滝川雄利が進言する。
「たわけ、早々に逃げ出して、どうして怯懦の誹りを免れよう。光秀が攻めてくるなら、迎え撃つまでの話ではないか」
信雄は強がりを言ったが、細川勢を味方に付けた明智勢は優に二万は動員できる規模の戦力を有していると思われた。
山本山城攻めにすら手こずる程度の兵しか指揮下にない信雄としては、まともに野戦で勝敗を決しようなどという気は毛頭無い。
「とにかく、兵を集めねばならんわ」
信雄が導き出した結論は、手勢が足りないというものだった。
彼の意を受けて、再起を期して越前・府中に戻って戦力の回復を計る前田利家や、美濃にて岐阜城の城代をつとめる斉藤利尭や、曽根城城主の稲葉一鉄にも援軍の出兵を求める使者が送り出されることになった。
「とは申せ、前田又左は敗軍たる柴田の手勢を集めて立て直しの最中、美濃は美濃で、稲葉一鉄は北方城の安藤伊賀すら降せぬまま。岐阜の斉藤玄蕃も不審なふるまいをみせておる。どれほどあてになるものやら」
ひととおり使者を送り出した後も、信雄は安堵した様子を見せなかった。
「やはり、日野にも使者を送るべきではありませぬか」
雄利の進言に、信雄は賢秀、賦秀父子の顔を思い浮かべ、げんなりとした表情をみせた。
あえて書状を送っていない意味が判らぬのか、と言いたげな目を雄利に向ける。
無論、全て承知した上で雄利は問うている。
「……蒲生父子は、こたびの一戦で武名が高まっておるからのう」
雄利の視線に耐えかねて、信雄は本音を漏らした。
明智の大軍を相手に安土城を守りきった蒲生父子、特に子の蒲生賦秀の名声が高まれば高まるほど、信雄としては立つ瀬がなくなる思いを抱く。
佐和山城と長浜城の返還は蒲生側から申し出てきたものであっても、どこか後ろめたさがある。
だが、個人的な嫉妬心は別にして、無視できない勢力であることは間違いなかった。
その事実を雄利が目線で訴えると、信雄も肩を落として使者をだすことに同意した。
中野城。評定の間。
賢秀の命により、蒲生家の主立った将が一堂に会していた。
もっとも、瀬田城を守る上野田主計助と、瀬田の唐橋の橋詰に築いた陣城を固める横山喜内は顔をみせていない。
「安土の織田三介殿より、山本山城の阿閉を攻めるにあたり、加勢の要請が届いておる」
上座に座る賢秀が固い表情で告げた。
未だ織田家の家督を正式に継いではいない信雄が、蒲生家に対して直接命令を下す権限を持っている訳ではない。
従って、命令ではなく要請という形になる。
途端、それまで静まりかえっていた広間がざわつき始めた。
「安土城明け渡しの一件で、わだかまりもある者もおろう。三介殿の命令に従って良いものか、迷うておるものもおろう」
そう言いながら、賢秀はちらりと傍らの賦秀の顔を伺った。
賦秀は渋い顔で小さく頷き返し、異見を挟むつもりはないから話を進めて欲しい、と目で訴えた。
その思いが伝わったか、賢秀は賦秀の意見を待たず、話を進める。
「儂はこの要請を受けるつもりでおる。明智に与した阿閉を討つことに異論はないゆえな」
賢秀の言葉に、家臣たちは納得しがたい表情ながらも、正面切って反論できず黙り込んでいる。
その様子をみて、賢秀はさらに言葉を継いだ。
「もっとも、当家あげて兵を集める必要はないとも考えておる。瀬田の守りにも人数を張り込まねばならぬし、明智の動静も掴み切れておらぬ」
明智秀満を追撃した際に山岡景隆から賦秀が託された瀬田城は、佐和山城と長浜城を信雄に返却した後も、依然として蒲生家が抑えている。
上野田主計助が城を預かり、橋詰の陣城にて横山喜内が睨みを利かせているのは信雄の命令でもなんでもなく、蒲生家としての立場に基づいて行っていることだ。
「万鉄殿には、忠三郎が安土や佐和山にて雇い入れた浪人衆を率いて貰うつもりじゃ」
賢秀は、居並ぶ蒲生の家臣団とはやや離れた位置に腰を据えている、関万鉄斎こと盛信に視線を向けた。
「先に三七殿の元で浪人者を預かった折に、だいたいの呼吸はつかんでおる。まあ、任されよ」
話を振られた盛信は、そう応じて胸を張った。
意気込んだ言葉とは裏腹に、その表情にはどこか疲れの色が伺えた。
関盛信は、家督を嫡子一政に譲って隠居した形となっているが、なお関家にあっては実質的な当主の位置にある。
永禄年間における信長の伊勢侵攻の際に最後まで抵抗したこともあって、助命はされたものの、賢秀の元で蟄居状態にあった。
盛信は蒲生定秀の娘、すなわち賢秀にとっての姉妹を妻としていたことから、賢秀が身柄を預かる形になっていたのだ。
それが信孝の四国遠征を機に蟄居を解かれ、一手の将として参陣を許されたあたり、どれほどまでに四国遠征の兵は寄せ集めであり、みかけの数ほどの戦力を有していなかったかが伺える。
復帰した盛信にしても自家の兵は一政が率いているため、自身に託されたのは銭雇いの浪人衆に過ぎなかった。
しかしながら、戦況に利あらずとみるや、たちまちに浪人衆は逃げ散ってしまった。
そのお陰で身軽となり、同行できる員数に限りがあった伊勢向けの船に乗り、七月の下旬にようやく帰還したばかりだった。
「よろしく頼みまするぞ」
「なに、此度は当家の者も世話になったそうで」
賢秀の言葉に笑って応じた盛信は、蒲生の家臣団のような顔をして末席に座っている山科勝成ことロルテスに目を向けた。
「羅久呂左衛門は此度、大層な働きをみせたと聞いておる。此度は我が元にあってその力をみせるがよい」
「はっ。ありがたき幸せ」
相変わらず、どこか違和感を感じさせる異国者ならではの仕草でロルテスがひょこりと頭を下げた。
四国攻めには同陣を許されなかった身だけに、ロルテスにとって出世と言えなくもないが、本心から喜んでいるのかどうか、その表情から読み取ることは難しかった。
その後、あらためて陣触れが読み上げられた。だが、その中に賦秀の名はなかった。
「父上、それがしはいかがいたしましょうか」
ここ数日の覇気のなさを見透かされていた、そう考えると腹立たしさとも恥ずかしさともつかぬ思いが熱いものとなって身体を駆けめぐる。
賦秀は頬を紅潮させながら、懸命に気持ちを静めながら問うた。
「忠三郎。お主には留守居を……、いや、瀬田の守りを任せる」
賢秀の答えに、固唾を呑んで二人のやりとりを見つめていた家臣団からどよめきが起きた。
異論が飛び出すのを制するように、賢秀は声に力を込める。
「ここは、儂にも少しは働きどころを譲れ。三介様も気にかけておられよう」
要するに、賦秀がまたぞろ大きな働きをすることを、必ずしも信雄は望んでいないという意味だ。
「はっ」
賦秀にも父の言いたいことが判る。
「明智の動きが掴めておらぬ以上、不測の事態に備えねばならぬ。もし、対岸が手薄であるようであれば押し渡り、焼き働きをしても構わぬ」
賢秀は賦秀を諭すように穏やかな口調で言葉を継いだ。
「……承知つかまつった」
言いたいことはあれこれとあった。
だが、それを口にすべきではないと理解もしていた。賦秀は素直に頭を下げた。
出陣は明朝の辰の刻と定められた。
だが、実際には兵の参集に思いのほか手間取り、実際に揃った軍勢が動き出すまでに予定より一刻近く遅れることとなった。
銭雇いの兵が多いことが、やや見苦しい混乱を招いていた。
それでも賢秀に率いられたおよそ二千五百の兵がどうにか出陣していくと、さすがに城内は静かになった。
別途、瀬田城に上野田主計助が兵二百、唐橋の東詰の陣城に横山喜内が兵三百を率いて守備に就いているため、蒲生勢にあって中野城で戦える者は四百名にも見たぬ寂しい数しか残っていない。
本来であれば賦秀自身が瀬田まで進出して明智勢の動向を探り、隙あれば唐橋を奪うかのごとき構えを見せて牽制するべきだった。
しかし、賦秀は賢秀の軍勢を見送ってもなお、中野城に腰を落ち着けたまま動こうとはしなかった。
(光秀は隙など作るまい。それに、たとえ唐橋を渡れたとしても、京まで軍勢を押し進められるのであればともかく、少々の焼き働きなどに意味があるとも思えぬ。上様の命であれば喜んで鎗も振るおうが……)
結局は信雄のために戦うのだ、と考えるとどうにも気力が沸かずにいた。
だが、賦秀らしからぬ消極的な姿勢が、皮肉にも行き詰まった状況を大きく動かすことになる。
山本山城は要衝ではあるが、要害堅固と呼ぶほどの堅城とは信雄は考えていない。
小谷城の元枝城一つ、なにほどのことやある、とばかりに意気揚々と采配を振るう信雄であるが、その思いとは裏腹に、阿閉貞征、貞大父子の抵抗は頑強であった。
結果、初日の合戦では、大手口も破れぬうちに信雄勢の手負い討ち死にが四百名近くにのぼる思いも寄らない苦戦となった。
開城しても助命の道がみえない阿閉親子には後がなく必死に戦い、一方の信雄勢は誰が見ても明らかな勝ち戦であるからこそ、不名誉な討ち死にを嫌って腰が引けていた。
寡勢であろうと大軍であろうと兵の士気を高く引き締めることが、兵を率いる将に課せられた役目である。
だが、信長の子という立場から未だ抜けきれない信雄は、父の威光ではもはや兵を死にものぐるいで働かせることが出来ない事実に気づいていなかった。
「なにをやっておるのじゃ、我が兵どもはっ!」
ままならぬ戦況を本陣から見つめ、苛立って叫ぶ信雄であるが、どうにもならない。
攻めあぐねるまま、三日がたちまち経過した。
そこに、丹後へ討ち入れるために兵を進めていた明智勢に、細川藤孝はなんら抵抗せず降ったとの報せが飛び込んできた。まったく誤算だった。
さらに凶報が続く。
「光秀に同行していた武田元明が若狭入りし、旧臣を糾合してかつての所領を奪還しようと目論んでいる様子にございます」
丹後の戦況を調査するために派遣された忍びによる報せを受け、津川義冬が信雄に報告する。
武田元明はいったんは奪った佐和山城を賦秀に奪い返されていたが、安土城攻めに参陣して落城の場に居合わせなかったこともあり、そのまま秀満の寄騎として明智勢と行動を共にしていた。
「丹後の隣国は若狭、……そして若狭の隣国はこの近江ではないか」
報せを受けた信雄の表情に怯えの色が走った。
予想外に手間取り、思い通りにいかないでいる城攻めの最中だけに、この齟齬がとてつもない重圧となって信雄の心にのしかかった。
細川藤孝を戦わずして軍門に降らせた光秀率いる大軍が、若狭から越前を越えて山本山城の後詰めに現れるのではないか、との誇大妄想気味の懸念が頭の中に広がるや、耐えきれなくなった。
「どうする、どうすればよい」
信雄は本陣にて床几に腰を下ろすこともなくうろうろと歩き回りながら、幾度もそう呟く。
「光秀めが当分姿を見せることもないとは存じますが、野戦を避けるのであれば一旦囲みを解くのも策ではございませぬか」
門一つすら破れていないのは却って幸い、とばかりに滝川雄利が進言する。
「たわけ、早々に逃げ出して、どうして怯懦の誹りを免れよう。光秀が攻めてくるなら、迎え撃つまでの話ではないか」
信雄は強がりを言ったが、細川勢を味方に付けた明智勢は優に二万は動員できる規模の戦力を有していると思われた。
山本山城攻めにすら手こずる程度の兵しか指揮下にない信雄としては、まともに野戦で勝敗を決しようなどという気は毛頭無い。
「とにかく、兵を集めねばならんわ」
信雄が導き出した結論は、手勢が足りないというものだった。
彼の意を受けて、再起を期して越前・府中に戻って戦力の回復を計る前田利家や、美濃にて岐阜城の城代をつとめる斉藤利尭や、曽根城城主の稲葉一鉄にも援軍の出兵を求める使者が送り出されることになった。
「とは申せ、前田又左は敗軍たる柴田の手勢を集めて立て直しの最中、美濃は美濃で、稲葉一鉄は北方城の安藤伊賀すら降せぬまま。岐阜の斉藤玄蕃も不審なふるまいをみせておる。どれほどあてになるものやら」
ひととおり使者を送り出した後も、信雄は安堵した様子を見せなかった。
「やはり、日野にも使者を送るべきではありませぬか」
雄利の進言に、信雄は賢秀、賦秀父子の顔を思い浮かべ、げんなりとした表情をみせた。
あえて書状を送っていない意味が判らぬのか、と言いたげな目を雄利に向ける。
無論、全て承知した上で雄利は問うている。
「……蒲生父子は、こたびの一戦で武名が高まっておるからのう」
雄利の視線に耐えかねて、信雄は本音を漏らした。
明智の大軍を相手に安土城を守りきった蒲生父子、特に子の蒲生賦秀の名声が高まれば高まるほど、信雄としては立つ瀬がなくなる思いを抱く。
佐和山城と長浜城の返還は蒲生側から申し出てきたものであっても、どこか後ろめたさがある。
だが、個人的な嫉妬心は別にして、無視できない勢力であることは間違いなかった。
その事実を雄利が目線で訴えると、信雄も肩を落として使者をだすことに同意した。
中野城。評定の間。
賢秀の命により、蒲生家の主立った将が一堂に会していた。
もっとも、瀬田城を守る上野田主計助と、瀬田の唐橋の橋詰に築いた陣城を固める横山喜内は顔をみせていない。
「安土の織田三介殿より、山本山城の阿閉を攻めるにあたり、加勢の要請が届いておる」
上座に座る賢秀が固い表情で告げた。
未だ織田家の家督を正式に継いではいない信雄が、蒲生家に対して直接命令を下す権限を持っている訳ではない。
従って、命令ではなく要請という形になる。
途端、それまで静まりかえっていた広間がざわつき始めた。
「安土城明け渡しの一件で、わだかまりもある者もおろう。三介殿の命令に従って良いものか、迷うておるものもおろう」
そう言いながら、賢秀はちらりと傍らの賦秀の顔を伺った。
賦秀は渋い顔で小さく頷き返し、異見を挟むつもりはないから話を進めて欲しい、と目で訴えた。
その思いが伝わったか、賢秀は賦秀の意見を待たず、話を進める。
「儂はこの要請を受けるつもりでおる。明智に与した阿閉を討つことに異論はないゆえな」
賢秀の言葉に、家臣たちは納得しがたい表情ながらも、正面切って反論できず黙り込んでいる。
その様子をみて、賢秀はさらに言葉を継いだ。
「もっとも、当家あげて兵を集める必要はないとも考えておる。瀬田の守りにも人数を張り込まねばならぬし、明智の動静も掴み切れておらぬ」
明智秀満を追撃した際に山岡景隆から賦秀が託された瀬田城は、佐和山城と長浜城を信雄に返却した後も、依然として蒲生家が抑えている。
上野田主計助が城を預かり、橋詰の陣城にて横山喜内が睨みを利かせているのは信雄の命令でもなんでもなく、蒲生家としての立場に基づいて行っていることだ。
「万鉄殿には、忠三郎が安土や佐和山にて雇い入れた浪人衆を率いて貰うつもりじゃ」
賢秀は、居並ぶ蒲生の家臣団とはやや離れた位置に腰を据えている、関万鉄斎こと盛信に視線を向けた。
「先に三七殿の元で浪人者を預かった折に、だいたいの呼吸はつかんでおる。まあ、任されよ」
話を振られた盛信は、そう応じて胸を張った。
意気込んだ言葉とは裏腹に、その表情にはどこか疲れの色が伺えた。
関盛信は、家督を嫡子一政に譲って隠居した形となっているが、なお関家にあっては実質的な当主の位置にある。
永禄年間における信長の伊勢侵攻の際に最後まで抵抗したこともあって、助命はされたものの、賢秀の元で蟄居状態にあった。
盛信は蒲生定秀の娘、すなわち賢秀にとっての姉妹を妻としていたことから、賢秀が身柄を預かる形になっていたのだ。
それが信孝の四国遠征を機に蟄居を解かれ、一手の将として参陣を許されたあたり、どれほどまでに四国遠征の兵は寄せ集めであり、みかけの数ほどの戦力を有していなかったかが伺える。
復帰した盛信にしても自家の兵は一政が率いているため、自身に託されたのは銭雇いの浪人衆に過ぎなかった。
しかしながら、戦況に利あらずとみるや、たちまちに浪人衆は逃げ散ってしまった。
そのお陰で身軽となり、同行できる員数に限りがあった伊勢向けの船に乗り、七月の下旬にようやく帰還したばかりだった。
「よろしく頼みまするぞ」
「なに、此度は当家の者も世話になったそうで」
賢秀の言葉に笑って応じた盛信は、蒲生の家臣団のような顔をして末席に座っている山科勝成ことロルテスに目を向けた。
「羅久呂左衛門は此度、大層な働きをみせたと聞いておる。此度は我が元にあってその力をみせるがよい」
「はっ。ありがたき幸せ」
相変わらず、どこか違和感を感じさせる異国者ならではの仕草でロルテスがひょこりと頭を下げた。
四国攻めには同陣を許されなかった身だけに、ロルテスにとって出世と言えなくもないが、本心から喜んでいるのかどうか、その表情から読み取ることは難しかった。
その後、あらためて陣触れが読み上げられた。だが、その中に賦秀の名はなかった。
「父上、それがしはいかがいたしましょうか」
ここ数日の覇気のなさを見透かされていた、そう考えると腹立たしさとも恥ずかしさともつかぬ思いが熱いものとなって身体を駆けめぐる。
賦秀は頬を紅潮させながら、懸命に気持ちを静めながら問うた。
「忠三郎。お主には留守居を……、いや、瀬田の守りを任せる」
賢秀の答えに、固唾を呑んで二人のやりとりを見つめていた家臣団からどよめきが起きた。
異論が飛び出すのを制するように、賢秀は声に力を込める。
「ここは、儂にも少しは働きどころを譲れ。三介様も気にかけておられよう」
要するに、賦秀がまたぞろ大きな働きをすることを、必ずしも信雄は望んでいないという意味だ。
「はっ」
賦秀にも父の言いたいことが判る。
「明智の動きが掴めておらぬ以上、不測の事態に備えねばならぬ。もし、対岸が手薄であるようであれば押し渡り、焼き働きをしても構わぬ」
賢秀は賦秀を諭すように穏やかな口調で言葉を継いだ。
「……承知つかまつった」
言いたいことはあれこれとあった。
だが、それを口にすべきではないと理解もしていた。賦秀は素直に頭を下げた。
出陣は明朝の辰の刻と定められた。
だが、実際には兵の参集に思いのほか手間取り、実際に揃った軍勢が動き出すまでに予定より一刻近く遅れることとなった。
銭雇いの兵が多いことが、やや見苦しい混乱を招いていた。
それでも賢秀に率いられたおよそ二千五百の兵がどうにか出陣していくと、さすがに城内は静かになった。
別途、瀬田城に上野田主計助が兵二百、唐橋の東詰の陣城に横山喜内が兵三百を率いて守備に就いているため、蒲生勢にあって中野城で戦える者は四百名にも見たぬ寂しい数しか残っていない。
本来であれば賦秀自身が瀬田まで進出して明智勢の動向を探り、隙あれば唐橋を奪うかのごとき構えを見せて牽制するべきだった。
しかし、賦秀は賢秀の軍勢を見送ってもなお、中野城に腰を落ち着けたまま動こうとはしなかった。
(光秀は隙など作るまい。それに、たとえ唐橋を渡れたとしても、京まで軍勢を押し進められるのであればともかく、少々の焼き働きなどに意味があるとも思えぬ。上様の命であれば喜んで鎗も振るおうが……)
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