【架空戦記】蒲生の忠

糸冬

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(二十九)安土城の炎

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 東山道を東に進む明智勢は行く手を遮られることもなく、日没を迎える前に安土城下まで進出した。

 軍勢の先頭に立っていた明智秀満勢は、安土城に入った蒲生勢の存在を物見が察知するや、行き足を速めて先行していた。

 独断の動きではない。
 光秀率いる本隊が布陣を終えるまで、安土城の動きを牽制するためである。

 光秀が本陣を据えたのは、先日明智秀満が安土城攻めの采配を振るった際に本陣を置いたのと同じ場所、すなわち竜石山の麓にある沙沙貴神社の境内だった。

 あわただしく本陣を示す幔幕が張られ、様々な馬印が天に掲げられていく。

「いささか験が悪うございませぬか」

 庄兵衛が軽口をたたく。もちろん本気ではない。

「そう意地の悪いことを申すな。弥平次が気の毒じゃ」

 光秀も苦笑いで応じる。

 前回の城攻めの際に築かれた陣所の跡は、柵や逆茂木などは取り除かれていたが、埋め戻しなどは不十分だった。

 蒲生勢も、その後に城に入った織田信雄も、城外の陣所を破却するだけの時間も手勢も足りなかったのだと推察された。

 おかげで、明智勢はわずかに手を入れるだけで再び陣所として用いることができた。

 秀満勢は危険なほどに安土城の大手門前近くまで迫ったが、城内から目立った動きはない。

 やがて、秀満も兵を退かせた。

 いずれにせよ本格的な仕寄りは明朝からとなる。

「破れかぶれで討って出てくるやもしれぬ。搦め手を含め、敵の動きから目を離さぬようにいたせ」

 光秀は、細かな指示を配下に飛ばす。
 戦陣にあってはいつものことであるので、家臣もいまさら煩わしさを感じることもなく従う。

 安土城の中にどれぐらいの敵兵が立てこもっているのか、依然として光秀はつかんでいない。

 見る限り、城内にはためく幟や旗指物はまばらである。もちろん、だからといって少数に過ぎないと決めつける訳にはいかない。

 やがて、傾いた夕日が西の山々の間に沈んで夜の闇が色濃くなった頃、安土城の天主閣に赤い光が灯った。

「天主が燃えておるぞっ。いや、他の建物にも火がついておるわ」

 見張りの叫び声が響く。
 その言葉通り、赤い光は城内に幾つも広がっていた。

 夕餉を終え、小屋掛けして眠りにつこうとしていた兵たちが、起き出して騒ぎだす。

「いかぬ。忠三郎め、かなわじと見て城を焼くか。いや、この機に乗じて討って出てくるか」

 さすがに泡を喰った庄兵衛が本陣でわめきたてている。

「ここは受け身に立ってはならぬ。すぐに陣を整えて押し出させよ。一挙に城を攻め落とす」

 仮陣屋で身体を休めていた光秀も起き出して、小具足姿のまま果断な策を示す。

 夜討は想定外であったが、目の前で安土城が焼け落ちるのを指をくわえてみている訳にはいかない。

(蒲生忠三郎、夜討の乱戦に活路を見出すか。それとも、庄兵衛の申すとおり、城を焼いて退転するつもりなのか)

 やがて、手早く戦支度を終え、隊伍を整えた明智勢が安土城の大手へと押し寄せていく。

 中でも、秀満勢の動きが際立って早い。

 搦め手門では、門を開いて出陣してきた蒲生勢が、付城から飛び出した明智勢に逆襲を受けて押し戻されている。

 一方、大手門は固く閉ざされたまま、弓矢や鉄砲が散発的に明智勢目掛けて放たれるのみだ。

 前回、秀満勢を悩ませた、油入りの徳利は飛んでこない。 

「弥平次殿、逸っておりますなあ」
 本陣では、やや呆れた口調で、光秀の傍らに控える溝尾庄兵衛が呟く。

 だが、いかに秀満が奮起しようと、蒲生勢も必死である。

 明智勢よりはるかに小勢とはいえ、わずかな刻で安土城の大手門を打ち破り、城内に侵入するのは容易ではない様子だった。

 時折戦況を報せる伝令が訪れるが、思いの外手間取っている様子がうかがわれた。

 賢秀の元にあって怪力で鳴らす外池甚五左衛門が、大太刀を手に明智勢を追い散らしている、といった細かな報せも光秀の元には届けられていた。

「蒲生が相手だけに、意固地になっておらねばよいのですがなぁ」
 本陣のかがり火から夜目を守るように額に手をかざした庄兵衛が、伸び上がるようにして安土城の方角に目を向ける。

 立ち上る炎は、すでに天主を包んでいるようにも見える。

 焼け崩れるのも時間の問題と思われた。

「なお、未だ銀の鯰尾の兜は見えず」

 何度目かの使番が、敵を蹴散らすまであとわずか、と報せた後にそう付け加えた。

 光秀の片眉がぴくりと跳ねた。

 なお、いつまでも小具足姿のままでいる光秀ではない。
 戦況を横にらみしながら、既に隙なく具足に身を固めている。

「ふむ。蒲生忠三郎がおらぬとな」

「どうやら指揮を執っておるのは律儀者の親父殿の様子なれど、城壁の向こうが見える訳でなし。おらぬと断ずるには早計と思われますが」

 光秀の傍らで、溝尾庄兵衛が首を捻る。

「されど、虚栄におびえるのも愚かなことなれば……。む?」

 賦秀への備えについて口にしようとしかけた光秀は、頭上にわずかにかかっていた雲が白色から灰色へと代わり、いつしか分厚く夜空の星を覆い隠していることに気づいた。

 安土城攻めに気を取られているうえ、燃える天主から立ち上る煙に頭上の視界を妨げられていることもあり、陣中の他の者が気づいた様子はない。

 光秀の前方の視界が霞んだ。土の匂いが鼻をつく。

「ここで、雨が降るか」

 天候の急変の前触れに光秀が気づいたのと同時に、波打つような揺らぎの気配に続き、大粒の雨が周囲で弾け、耳目を奪った。

(この雨で、安土城の火勢が衰えるならば、これは恵みの雨なのか)

 突然の豪雨に、光秀とその側近もたまらず床几から腰を浮かせていた。

「こりゃ、いかぬ」

 溝尾庄兵衛がおどけたような口調で頭を抑える。

「火薬を濡らさぬよう、物頭に伝えよ。火縄の火も絶やすでないぞ」

 細かなことを光秀が指図していると、ずぶ濡れになった馬廻の武者が駆け込んでくる。

「申し上げます、南より怪しげな一団が迫っております!」

「なにっ。それは味方ではないのか」

 庄兵衛が眉間にしわを寄せて問い返した。

 明智勢にとって間の悪いことに、突如として降り注ぎ始めた豪雨が視界を遮り、旗印による確認が後手に回った。

 右往左往している間に、謎の一団がまっしぐらに本陣に突っ込む形になった。

 その時になってようやく、先頭を切って馬を走らせているのが銀の鯰尾の兜をかぶる武者であることに庄兵衛が気づいた。

「あれは、蒲生忠三郎!」
 庄兵衛がうめく。

 光秀の居る本陣は常道どおりに馬標を掲げ、幔幕を張り巡らしているため、一目でそれと判る。

 降り注ぐ雨で旗に描かれた印は読み取れずとも、本陣の周辺を照らす松明がすべて消えたわけではない。

 まっしぐらに斬り込んでくる蒲生勢の勢いに、精強な光秀の馬廻衆ですら的確な迎撃が出来ない。

 どれぐらいの数が押し寄せてきたのか読めなかったこともあり、後手に回る。

 火種も少なくない数が消えてしまっており、鉄砲で敵を押しとどめることが出来ない。

(これは、いかぬ)

 光秀も戦場に長年身を置いてきた者だけに、劣勢における勝ち負けの勘が働いた。

 天王寺にて本願寺の一揆衆に攻められた時、命を失ってもおかしくないほどの苦戦だったが、死ぬとは思わなかった。

 丹波にて赤井直正の裏切りによって敗退した時は、順調に経略が進んでいる一方で、嫌な予感がどこかしらつきまとっていた。

 その勘が、これは負け戦だとささやきかけている。

 何を間違ったのだろうか、と光秀は考える。

 若狭への討ち入れ策を喧伝して目くらましとして用い、西近江から堅田を経て瀬田を押し渡る策が誤っていたとは思えない。

 強いて言えば、安土城の天主の炎上をみて、用意が不十分なまま攻めかからざるを得なかったことは誤算だが、大手門を打ち破るまでいくらもかからない筈だった。

 蒲生賦秀は、よもや実父を陽動に用いてこちらの目を欺くような危うい策をとったというのだろうか。

 そもそもこれが本当に策と呼べるものだったのか、今の光秀には判らなかった。

 当人に聞いてみたい。

 場違いにもそんな思いが胸に沸き、苦笑いを浮かべた。もはや、そんな機会も時間も残されてはいないだろう。

「殿っ、ひとまずはお逃げくだされ!」
 光秀の馬廻の一人が叫び、賦秀の眼前に立ちはだかる。

 しかし、その武者は数合のやり合わせの後、賦秀が繰り出した喉元を貫かれて倒れた。



「蒲生忠三郎見参! 逆賊覚悟せよ!」
 馬上で賦秀が吼える。

 鯰尾の兜に水滴が跳ねる。

 ずぶ濡れになりながらも、賦秀は己と配下の将兵を叱咤する。

 光秀が、前回の安土攻めにおける秀満と同じ場所に本陣を敷いていたのは、賦秀にとって望外の僥倖であった。

 勝手知ったる場所であり、雨中の夜討であっても迷わずに突き進めた。

(よもや本陣を衝けるとは。これが天の加護、亡き上様の加護でなくてなんであろう)

 岐阜城で、安土城で、かつての戦語りとして飽きることなく聞き、脳裏に描いた桶狭間の情景が、目の前の現実と重なった。

 賦秀の胸が喜びに震える。
 一心に思い定めた願いが通じ、本陣を衝くこととなったのだ。

 だが、単に運を天に任せただけではない。策を一つ、講じていた。

 それこそが、明智勢を不本意ながら安土城への仕寄りに導いたもの、つまり城内から立ち上った炎である。

 城の外からは、あたかも天主が燃えているように見えていたが、実際に天主に火がついている訳ではなかった。

 ロルテスが持つギリシア火薬の知識を応用した燃料の製法を指示書として書かせ、甲賀忍びの団七に託して城内に持ち込ませたのだ。

 指示書通りに城内で調合された固形燃料は、炎と煙こそ派手に吹き上げるが、火の粉が飛ばず、飛んでもすぐ消えるため周囲に引火しにくい特性を持っていた。

 製作にかけられる時間はごくわずかであったが、過日の籠城戦においてもギリシア火薬などの南蛮渡りの武器づくりに携わった城兵は、この手の作業に慣れていた。

 おかげで、夜のうちに作業が間に合った。

 天主の前に竹で櫓を組み、固形燃料を詰め込んだ竹筒を各所に取りつけて火を放つと、城下からはあたかも天主が炎と煙に包まれたように見えたのだ。

 夜間のことであり、仕掛けを見抜くことは難しい。

 さしもの光秀も、安土城そのものが焼亡しかねない策を用いるとは思わなかったのだろう。

 たとえなんらかの策を疑ったとしても、眼前で安土城の天主が燃えているとなれば、明智勢は無視を決め込むことはできない。

 加えて、一度行った本陣への夜討をまたしても賦秀が仕掛けるとは予想外だったはずだ。

 もし仮に、光秀の本陣に、前回苦杯をなめた秀満がいたのであれば、嫌な気配をいち早く感じ取っていたかもしれない。

 しかし、不運にも秀満は安土城攻めの最前線に立ち、本陣に忍び寄る危機に気づかなかった。

 まさに、裏の裏をかいた形であった。

(天が、いや上様が我らに味方してくれておる。このまま一息に、光秀の首級を獲る!)

 光秀の姿を探し求める賦秀の前に、明智勢の馬廻の一人が、徒立のまま果敢にも刀を振りかざして立ちむかってきた。

「これぞ天運の導きよ! 死ねや忠三郎!」

 馬廻の叫び声に馬首を返し、鎗をつけようとした賦秀の動きが止まる。

 よくよくみれば、迫る明智の馬廻は布施忠兵衛であった。

(くっ!)
 賦秀は思わず歯がみする。

 賦秀には義理の兄弟である忠兵衛に恨みはない。

 血を分けた妹の嫁ぎ先として、家を保ってほしいとさえ思っている。

 だが、忠兵衛にとって賦秀は光秀の前途を阻み、己の出世の道を閉ざす忌まわしき男である。

 迷いを生じさせた賦秀の前に、南蛮胴の徒武者が丸盾を掲げて立ちはだかり、突っ込んでくる忠兵衛の行く手を遮った。

「若旦那が鎗を使うまでもないね!」

 南蛮胴の徒武者、すなわちロルテスが叫びあげる。

「どけっ!」
 忠兵衛は、肩ごとぶつける勢いで、南蛮胴を着けたロルテスに斬り付ける。

 信長に見込まれただけのことはある、鋭い太刀筋であった。

 しかし、ロルテスは突き出した丸盾の縁で忠兵衛が振り下ろした刀身をがっちり受け止める。

 複数の素材で組み上げられた丸盾に食い込んだ刃は、丸盾を捩じられると容易に抜けなくなる。

 動きを止められた忠兵衛は、刀を力任せに引き抜こうとして姿勢を崩す。

 ロルテスはその隙を見逃さず、間髪入れずに西洋剣の片手突きを繰り出した。

 西洋剣の切っ先が、忠兵衛がつけた兜の喉当ての横のわずかな隙間をかいくぐり、喉を正確に貫く。

 忠兵衛は声を上げることも出来ず、喉から血しぶきを上げてどうと倒れる。

「間だよ、間!」
 返り血を浴びながら、ロルテスが歯を剥き出しにして笑う。

 首級を挙げる習慣などもたないロルテスは、倒した敵のことなど忘れ、新たな敵を求めて打ちかかっていく。

 無論、ロルテスは己が討った徒武者が、賦秀の義兄弟であることなど知らない。

(許されよ、これも武門の習い)

 賦秀は忠兵衛の亡骸に片手拝みをして、気持ちを切り替えて光秀の姿を探し求める。

 その間にも賦秀が率いてきた兵は次々に本陣に斬り込み、明智勢を蹴散らしていく。

 瀬田から日野まで駆け戻って急を知らせた音羽左馬允も、死にものぐるいの形相で鎗を振るっている。

「光秀、覚悟!」
 激情のまま、賦秀が吼える。



 喚声が近づき、混乱する本陣にあって、ついに幔幕が蹴破られる。馬標が倒れる。

 気づけば、傍らに付き従っていた溝尾庄兵衛の姿は見えなくなっていた。

 逃げたとは思えない。討たれたとの声も聞かぬ以上、馬廻と共に自ら鎗働きをしているに違いない。

 光秀は床几から腰を上げた。

 腰に佩いた兼光の太刀を抜き放ち、せまる蒲生の武者に対峙する。

 ただで己の首級をくれてやるつもりはない。

 かくなる上は、最後まで武門の意地をみせるのみ。

 ふと、光秀の口から一言だけ言葉が漏れる。

「……是非もなし」
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