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(三十)蒲生の忠(完)
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――明智光秀、安土城下にて討ち死に。
その驚くべき報は、瞬く間に四方に広まった。
もっとも、本陣を突き崩されても、二万を数える明智勢のほとんどは無傷だった。
しかしこの時代の軍制においては、大将を失ってはもはやそれ以上の進撃はできない。
明智勢の兵の動揺は著しく、瀬田に向かって逃げ出すものが続出した。
一方、捨て身の襲撃で大将首を得た賦秀にしても、敗走する明智勢をそのまま追撃し、戦果を拡大するだけの余裕はない。
斉藤利三、溝尾庄兵衛といった重臣は逃げ延び、行方知れずとなった。
明智秀満もまた、味方の大部分とはぐれながらも瀬田までたどり着き、坂本城に入城した。
瀬田の唐橋を焼き落とすべきと進言する部下に対し、秀満は負け戦だからこそ民に迷惑を掛けて光秀の名を汚してはならぬと拒絶した、との逸話が残った。
しかし、戦場から脱出し得たところで、もはや光秀なき明智勢に戦局を挽回する術はなかった。
光秀の世継である十五郎光慶は未だ齢十四と年少であり、家中を統率する力はない。
一方、安土城を支え切った賢秀率いる蒲生勢の主力と、陣城を突破された際にどうにか逃げ延びていた横山喜内とその手勢、さらに瀬田城の生き残りを糾合しても、賦秀が動かせる兵は三千足らずでしかなかった。
しかし、それでも賦秀はかき集めた手勢を率いて瀬田の唐橋を渡り、坂本城に迫った。
「今は、戦機を逃してはならぬ」
ただ、その一心である。
既に命運が尽きていることを知った秀満は、さほど多くもない蒲生勢に包囲された時点で、潔く城内の宝物を引き渡した後、自刃して果てた。
坂本城は光秀の親族とともに炎に包まれ、この世から消えた。
明智勢の後ろ巻きがないと知り、山本山城の阿閉貞征はこれ以上の抵抗は無益と織田信雄に降ったが、許されず処刑されている。
その後、得意顔で安土城に凱旋した信雄を尻目に、賦秀はいち早くわずかな手勢を率いて粟田口から洛中へ入った。
信長の横死以降、そう長い期間ではないとはいえ明智光秀の支配するところとなっていた地である。
光秀を討った張本人に対してどんな抵抗があるか判らない、と家臣達は口々に止めた。
だが、賦秀は危険を承知しながらも、他の将に先んじて京に入ることにこだわった。
賦秀が入京して真っ先に行ったことは、四条河原に未だ晒されて、腐りはてたままの信長と信忠の首級を懇ろに弔うことだった。
光秀の死に伴ってさすがに多少の混乱はみられたが、蒲生勢を迎え撃つ構えをみせる敵手の姿はなかった。
それどころか、無位無官の賦秀では本来、まみえることすら難しいであろう前太政大臣の近衛前久や武家伝奏の観修寺晴豊といった大物の公家達が、まさしく掌を返して賦秀の元に馳せ参じ、光秀討伐を褒め称える有様だった。
賦秀は、信長を討った憎い仇である光秀に対し、この時はじめて同情めいた感情を抱いた。
ともあれ、賦秀が半月ほど京の秩序回復に奔走した後、信雄も遅ればせながら入京してきた。
また相前後して、姫路城で様子を伺っていた羽柴秀吉や、信孝から置き捨てにされた丹羽長秀ら大坂勢も軍勢を京に入れている。
明智方に与し、羽柴勢の東上を阻んできた茨木城の中川清秀、高槻城の高山重友は、光秀の死を知るや、秀吉の調略を受けて早々に降っていた。
大坂の四国遠征軍の残党ににらみを利かせていた筒井順慶もまた、丹羽長秀との和議に応じている。
もちろん、羽柴家、丹羽家の家中には謀叛人に味方した者を許すべきではないとの声も少なくなかったが、秀吉も長秀も、既に先を見据えて決断を下していた。
「ともかく今は織田家中における味方を増やすことが肝要。殺してしまうなどもったいない」
真意を尋ねれば、二人は異口同音にそう答えた筈である。
なお、丹後の細川藤孝も、何食わぬ顔をして中立の立場に戻っていた。
「最初から光秀の味方をするつもりなどなく、衆寡敵せず抗しきれなかったまでのこと」
そう嘯く藤孝を咎められる者はいない。少なくとも、今の段階では。
いずれにせよ、織田信長・信長父子が討たれ、柴田勝家が敗死し、そして謀叛を企てた明智光秀も倒された事実は覆ることはない。
主君と世継に加え、家中を支える重臣を失った織田家の立て直しは急務であり、生き残った者たちによる主導権争いはすでに始まっていた。
八月十五日。
賦秀は未だ洛内周辺に潜む明智勢の捕縛を家臣に命じつつ、自身は本能寺に足を向けていた。
光秀の奇襲を受けて信長が倒れた場所でありながら、建物に目立った傷もなく、境内の中に争いの痕跡はほとんど見受けられなかった。
濠を穿ち、塀を巡らせて、寺でありながら小城郭の機能を備えていると噂されてはいたが、信長ただ一人を狙った攻撃には効果がなかったらしい。
光秀の手際の良さを改めて感じさせられた。
変が起こった時は、前日に催された茶会のため、天下の名物が多く寺内に運び込まれていたという。
だが、それらは明智勢が本能寺を占拠した際に、ほとんどが光秀の元に運び去られてしまっていた。
坂本城に運び込まれていた分については、秀満が引き渡しを訴えたため賦秀自身の手で奪い返す形になったたが、既に散逸してしまったものも多い。
(上様が明智勢に抵抗して寺が焼け落ちでもしていれば、それらも無為に失われていたやもしれぬ。未だ誰かの手にあるのであれば、まだマシというものか)
なんとも言葉にしがたいを思いを抱きながら賦秀は境内を簡単に見て回った後、信長の最期の場所となった、寝所として使われていた部屋に足を向ける。
もちろん、とうの昔に掃き清められており、そこには信長の遺体はおろか、争った痕跡すら残ってはいない。
生き延びた信長の近習の話では、信長は目こそ覚ましていたが、音もなく侵入してきた明智勢の刺客により、抵抗の間もなく刺殺されたという。
辞世の句も、なにもなかった。
「ある意味、上様らしいのかも知れぬ」
しばし物思いに沈んでいると、正門のほうから賑やかな空気が伝わってきた。
やがて、足音を立てて廊下を進んできたのは、羽柴秀吉だった。
「おお、忠三郎殿。此度の働き、まことに面目を施しましたな。それがしなどは何も出来ず、忸怩たる思いにござるよ」
泣き笑いの表情の秀吉が、大声をあげて近づいてきた。
信長の女婿が相手とあってか、口ぶりばかりは丁寧だが、いささか馴れ馴れしい。
だが、さすがにその場が信長の最期の場所と知り、表情ばかりはしばし神妙にしてみせる。
「……葬儀をせねばなりますまいな。それも盛大な」
賦秀は秀吉に向き直って自らに言い聞かせるようにぽつりと言葉を漏らした。
「うむ。ご生害より百か日のうちに必ずや。されば、喪主を誰にするかが重大じゃのう。織田家の後継ぎに仕切って貰うことになるが」
秀吉が意味ありげに言葉を中途で切り、賦秀に目配せをする。
しかし、賦秀は秀吉の言葉にすぐには返事せず、ふと宙空に視線をさまよわせた。
その様子を目ざとく見ていた秀吉が身を乗り出してくる。
「いかがなされた」
「上様は、ご先代様の葬儀において、遅参した上に位牌に抹香を投げつけたとか。夜物語にて、そのような話を耳にしたことを思い出しておりました」
場違いともいえる賦秀の言葉に、秀吉も思わず肩の力を抜く。
「その話は儂も尾張におる頃に耳にしたことがある。もっとも今、上様のお子に、そのような真似の出来る方はおらぬであろうな」
「それもありますが、ただ抹香を投げつけて退席したのであれば、その折の葬儀ににおいて、上様は喪主ではなかった、ということになりはしませぬか。今となってはどうということのない話にござりまするが、妙に気になりまして」
むしろ、なぜこの話を聞いた時にその点を疑問に思わなかったか、と賦秀は思った。
直接信長に尋ねることは無謀であったにせよ、もはや真実を知る機会が永久に失われたことを無念に思わずにはいられなかった。
「ううむ。儂も当時のことは詳しくわからんでのう」
秀吉は顔をしかめて後頭部をかいた。
愚にもつかぬ話に付き合う気はない、とその顔に書いてある。
実際のところ、信長が家督を継いだ当時、秀吉はまだ織田家の配下ではなかったから、信長の父・信秀の曰くつきの葬儀の詳細を知らないのは当然だった。
「ところでやはり、世継ぎは三介様ということになろうかのう」
しばしの間を経てから秀吉が口を開き、横道にそれかかった話を元に戻した。
三介こと信雄の名を聞き、賦秀は思わず眉間にしわを寄せた。
もちろん、信雄が世継となる可能性が高いことについて頭になかった訳ではない。
だが、賦秀の中で結論を出せていなかった。
その点では、戦い通しだった賦秀より、軍勢の進退を思うに任せなかった秀吉のほうが、この大きな問題について考えを巡らせる時間だけはあったものらしい。
できれば考えたくもない話であったが、織田家の家督相続の問題は避けて通れないのも事実だった。
信長とともに長男・信忠が討たれた以上、年齢と実績を勘案しても、織田の後継者は信雄と信孝のいずれかから選ぶのが常道である。
曲がりなりにも明智勢と戦った信雄と、明智勢の圧力の前に軍勢を瓦解させ、合戦らしい合戦も行えずに伊勢の自領に逃げ戻った信孝では、やはり信雄に軍配をあげざるを得ない。
他にも信長には多くの子がいたが、五男・信房は光秀の襲撃により兄の信忠とともに妙覚寺にて落命している。
四男・秀勝は他ならぬ秀吉の養子となっており、後継者争いからは外れる。
六男以下は未だ幼少であり、信雄および信孝を押しのけてまで当主の座に据える根拠はなにもない。
また信長には弟も多い。
その中では織田信包が比較的有力者ではあるが、後継者にふさわしい働きを見せたとは言えず、当人にも織田家の当主として家臣を束ねる意気込みはまるで感じられない。
茶人として独特の地位を築いていた織田長益は、妙覚寺にて信忠と運命を共にして果てている。
信長同様、不意打ちによりほとんど抵抗らしい抵抗もできぬまま討たれた信忠をかばおうとして斬られたとされており、「長益様も武者なりよ」と京雀が唄う程度には面目を施している。
「やはり、三介様、あるいは三七様。お二方のいずれかに決めねばならぬのではありませぬか」
暗澹たる気持ちになりながら、賦秀は仕方なく応じた。
その返事を聞いていたのかいないのか、しばし顎を撫でて思案するそぶりを見せていた秀吉は、やおら顔を上げて顔を賦秀に寄せた。
その面持ちはいつもの陽気さを押し隠し、真剣なものとなっている。
「……儂は、三位中将様の忘れ形見、三法師君こそが織田家の当主として立つことが相応しいのではないかと考えておる。忠三郎殿はどう思われる」
「三法師君を、ですか」
虚を衝かれて賦秀は目を見開いた。
その存在がまったく考慮の外にあった訳ではない。
しかし、思案する際には早々に後継者としての概念から外していた。
それは、もちろん齢三歳と幼すぎるということもあるが、嫡男と称してよいか微妙なところがあったためだ。
三法師の母は正室、つまり信忠の妻としては認知されていなかった。
元々、信忠は武田信玄の娘・松姫との婚約が交わされていた。
実際には織田と武田が手切れとなったことで実現することはなかった婚姻であったが、破談となった後も互いを思いやっていた節があった。
松姫は他家に嫁ぐことはなく、信忠も機が到来すれば正室として迎えるつもりがあったと言われている。
信忠が討たれるまさに数日前に、迎えの使者が松姫の元へ出されたところだったとの噂もあった。
信長にも、また信忠にも後継者から外れた庶兄がいたこともあり、織田家においては先に生まれたからといって嫡男と自動的に決まるものではないとの認識が強かった。
それゆえ、皆の思考から抜け落ちている存在でもあった。
賦秀が正直にそう告げると、秀吉は得たりとばかりに頷く。
「そのことは存じておるが、それも三位中将様がご存命であればこそ意味のある話。今や三位中将様がこの世に残したたった一人の男児なれば、世継ぎとするほかあるまい」
「そうなりますかな」
賦秀は、秀吉の話術に巻き込まれつつあると薄々感づいた。
消極的には同意しながらも、秀吉の魂胆が判るような気がしていた。
(此度の我が武名と、筑前殿の兵力を背景に三法師君を傀儡とすれば、織田家そのものを牛耳れるということか)
秀吉も、本来であれば自身こそが信長の仇討ちを果たして主導権を握りたかったのであろう。
それが叶わない以上、素早く賦秀に取り入って己の地位を確保しようとしている。
賦秀は秀吉の思惑をそう受け止めた。
(抜け目がない。だが、危うい。この男に織田家の命運を託すことはできぬやも知れぬ)
外敵だけでなく、内なる脅威からも亡き信長の残した織田家を守らなければならない。
冬姫の言葉が賦秀の脳裏に鮮やかに蘇る。
(上様がお望みとあれば、この蒲生忠三郎こそ、上様の遺志を継いで天下を統べてくれる)
賦秀は大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。そして秀吉に顔を向ける。
「筑前殿。ところでそれがし、名を改めようと思うております。秀の字を下に敷いておるのでは、筑前殿にも申し訳がたちませぬでな」
「それがしは特に何も気にはいたしませぬが、して、どのような名を?」
いきなり話題を変えた賦秀に、秀吉は怪訝そうな表情を見せた。
「我が蒲生の祖、俵藤太藤原秀郷にあやかり、氏郷と」
「蒲生忠三郎氏郷殿……。良き名にござるな」
追従めいた言葉を口にしながら、秀吉はどこか眩しげに眼を細めた。
一代の成り上がり者である秀吉には、あやかれるような先祖の名を持ち出す真似だけは出来ないのだ。
この時期に敢えて一族の通字である秀の一字を捨てたことは、同じ字を持つ秀吉に対する静かな意思表明とも受け取れた。
織田家を巡る内なる戦いは既に始まっている。
だが、秀吉にどう思われようと、もはや賦秀あらため氏郷は退くつもりはない。
(上様。新たな織田家の形、新たな天下の形、そして我が蒲生の忠。どうか遠くから見守ってくだされよ)
(おわり)
その驚くべき報は、瞬く間に四方に広まった。
もっとも、本陣を突き崩されても、二万を数える明智勢のほとんどは無傷だった。
しかしこの時代の軍制においては、大将を失ってはもはやそれ以上の進撃はできない。
明智勢の兵の動揺は著しく、瀬田に向かって逃げ出すものが続出した。
一方、捨て身の襲撃で大将首を得た賦秀にしても、敗走する明智勢をそのまま追撃し、戦果を拡大するだけの余裕はない。
斉藤利三、溝尾庄兵衛といった重臣は逃げ延び、行方知れずとなった。
明智秀満もまた、味方の大部分とはぐれながらも瀬田までたどり着き、坂本城に入城した。
瀬田の唐橋を焼き落とすべきと進言する部下に対し、秀満は負け戦だからこそ民に迷惑を掛けて光秀の名を汚してはならぬと拒絶した、との逸話が残った。
しかし、戦場から脱出し得たところで、もはや光秀なき明智勢に戦局を挽回する術はなかった。
光秀の世継である十五郎光慶は未だ齢十四と年少であり、家中を統率する力はない。
一方、安土城を支え切った賢秀率いる蒲生勢の主力と、陣城を突破された際にどうにか逃げ延びていた横山喜内とその手勢、さらに瀬田城の生き残りを糾合しても、賦秀が動かせる兵は三千足らずでしかなかった。
しかし、それでも賦秀はかき集めた手勢を率いて瀬田の唐橋を渡り、坂本城に迫った。
「今は、戦機を逃してはならぬ」
ただ、その一心である。
既に命運が尽きていることを知った秀満は、さほど多くもない蒲生勢に包囲された時点で、潔く城内の宝物を引き渡した後、自刃して果てた。
坂本城は光秀の親族とともに炎に包まれ、この世から消えた。
明智勢の後ろ巻きがないと知り、山本山城の阿閉貞征はこれ以上の抵抗は無益と織田信雄に降ったが、許されず処刑されている。
その後、得意顔で安土城に凱旋した信雄を尻目に、賦秀はいち早くわずかな手勢を率いて粟田口から洛中へ入った。
信長の横死以降、そう長い期間ではないとはいえ明智光秀の支配するところとなっていた地である。
光秀を討った張本人に対してどんな抵抗があるか判らない、と家臣達は口々に止めた。
だが、賦秀は危険を承知しながらも、他の将に先んじて京に入ることにこだわった。
賦秀が入京して真っ先に行ったことは、四条河原に未だ晒されて、腐りはてたままの信長と信忠の首級を懇ろに弔うことだった。
光秀の死に伴ってさすがに多少の混乱はみられたが、蒲生勢を迎え撃つ構えをみせる敵手の姿はなかった。
それどころか、無位無官の賦秀では本来、まみえることすら難しいであろう前太政大臣の近衛前久や武家伝奏の観修寺晴豊といった大物の公家達が、まさしく掌を返して賦秀の元に馳せ参じ、光秀討伐を褒め称える有様だった。
賦秀は、信長を討った憎い仇である光秀に対し、この時はじめて同情めいた感情を抱いた。
ともあれ、賦秀が半月ほど京の秩序回復に奔走した後、信雄も遅ればせながら入京してきた。
また相前後して、姫路城で様子を伺っていた羽柴秀吉や、信孝から置き捨てにされた丹羽長秀ら大坂勢も軍勢を京に入れている。
明智方に与し、羽柴勢の東上を阻んできた茨木城の中川清秀、高槻城の高山重友は、光秀の死を知るや、秀吉の調略を受けて早々に降っていた。
大坂の四国遠征軍の残党ににらみを利かせていた筒井順慶もまた、丹羽長秀との和議に応じている。
もちろん、羽柴家、丹羽家の家中には謀叛人に味方した者を許すべきではないとの声も少なくなかったが、秀吉も長秀も、既に先を見据えて決断を下していた。
「ともかく今は織田家中における味方を増やすことが肝要。殺してしまうなどもったいない」
真意を尋ねれば、二人は異口同音にそう答えた筈である。
なお、丹後の細川藤孝も、何食わぬ顔をして中立の立場に戻っていた。
「最初から光秀の味方をするつもりなどなく、衆寡敵せず抗しきれなかったまでのこと」
そう嘯く藤孝を咎められる者はいない。少なくとも、今の段階では。
いずれにせよ、織田信長・信長父子が討たれ、柴田勝家が敗死し、そして謀叛を企てた明智光秀も倒された事実は覆ることはない。
主君と世継に加え、家中を支える重臣を失った織田家の立て直しは急務であり、生き残った者たちによる主導権争いはすでに始まっていた。
八月十五日。
賦秀は未だ洛内周辺に潜む明智勢の捕縛を家臣に命じつつ、自身は本能寺に足を向けていた。
光秀の奇襲を受けて信長が倒れた場所でありながら、建物に目立った傷もなく、境内の中に争いの痕跡はほとんど見受けられなかった。
濠を穿ち、塀を巡らせて、寺でありながら小城郭の機能を備えていると噂されてはいたが、信長ただ一人を狙った攻撃には効果がなかったらしい。
光秀の手際の良さを改めて感じさせられた。
変が起こった時は、前日に催された茶会のため、天下の名物が多く寺内に運び込まれていたという。
だが、それらは明智勢が本能寺を占拠した際に、ほとんどが光秀の元に運び去られてしまっていた。
坂本城に運び込まれていた分については、秀満が引き渡しを訴えたため賦秀自身の手で奪い返す形になったたが、既に散逸してしまったものも多い。
(上様が明智勢に抵抗して寺が焼け落ちでもしていれば、それらも無為に失われていたやもしれぬ。未だ誰かの手にあるのであれば、まだマシというものか)
なんとも言葉にしがたいを思いを抱きながら賦秀は境内を簡単に見て回った後、信長の最期の場所となった、寝所として使われていた部屋に足を向ける。
もちろん、とうの昔に掃き清められており、そこには信長の遺体はおろか、争った痕跡すら残ってはいない。
生き延びた信長の近習の話では、信長は目こそ覚ましていたが、音もなく侵入してきた明智勢の刺客により、抵抗の間もなく刺殺されたという。
辞世の句も、なにもなかった。
「ある意味、上様らしいのかも知れぬ」
しばし物思いに沈んでいると、正門のほうから賑やかな空気が伝わってきた。
やがて、足音を立てて廊下を進んできたのは、羽柴秀吉だった。
「おお、忠三郎殿。此度の働き、まことに面目を施しましたな。それがしなどは何も出来ず、忸怩たる思いにござるよ」
泣き笑いの表情の秀吉が、大声をあげて近づいてきた。
信長の女婿が相手とあってか、口ぶりばかりは丁寧だが、いささか馴れ馴れしい。
だが、さすがにその場が信長の最期の場所と知り、表情ばかりはしばし神妙にしてみせる。
「……葬儀をせねばなりますまいな。それも盛大な」
賦秀は秀吉に向き直って自らに言い聞かせるようにぽつりと言葉を漏らした。
「うむ。ご生害より百か日のうちに必ずや。されば、喪主を誰にするかが重大じゃのう。織田家の後継ぎに仕切って貰うことになるが」
秀吉が意味ありげに言葉を中途で切り、賦秀に目配せをする。
しかし、賦秀は秀吉の言葉にすぐには返事せず、ふと宙空に視線をさまよわせた。
その様子を目ざとく見ていた秀吉が身を乗り出してくる。
「いかがなされた」
「上様は、ご先代様の葬儀において、遅参した上に位牌に抹香を投げつけたとか。夜物語にて、そのような話を耳にしたことを思い出しておりました」
場違いともいえる賦秀の言葉に、秀吉も思わず肩の力を抜く。
「その話は儂も尾張におる頃に耳にしたことがある。もっとも今、上様のお子に、そのような真似の出来る方はおらぬであろうな」
「それもありますが、ただ抹香を投げつけて退席したのであれば、その折の葬儀ににおいて、上様は喪主ではなかった、ということになりはしませぬか。今となってはどうということのない話にござりまするが、妙に気になりまして」
むしろ、なぜこの話を聞いた時にその点を疑問に思わなかったか、と賦秀は思った。
直接信長に尋ねることは無謀であったにせよ、もはや真実を知る機会が永久に失われたことを無念に思わずにはいられなかった。
「ううむ。儂も当時のことは詳しくわからんでのう」
秀吉は顔をしかめて後頭部をかいた。
愚にもつかぬ話に付き合う気はない、とその顔に書いてある。
実際のところ、信長が家督を継いだ当時、秀吉はまだ織田家の配下ではなかったから、信長の父・信秀の曰くつきの葬儀の詳細を知らないのは当然だった。
「ところでやはり、世継ぎは三介様ということになろうかのう」
しばしの間を経てから秀吉が口を開き、横道にそれかかった話を元に戻した。
三介こと信雄の名を聞き、賦秀は思わず眉間にしわを寄せた。
もちろん、信雄が世継となる可能性が高いことについて頭になかった訳ではない。
だが、賦秀の中で結論を出せていなかった。
その点では、戦い通しだった賦秀より、軍勢の進退を思うに任せなかった秀吉のほうが、この大きな問題について考えを巡らせる時間だけはあったものらしい。
できれば考えたくもない話であったが、織田家の家督相続の問題は避けて通れないのも事実だった。
信長とともに長男・信忠が討たれた以上、年齢と実績を勘案しても、織田の後継者は信雄と信孝のいずれかから選ぶのが常道である。
曲がりなりにも明智勢と戦った信雄と、明智勢の圧力の前に軍勢を瓦解させ、合戦らしい合戦も行えずに伊勢の自領に逃げ戻った信孝では、やはり信雄に軍配をあげざるを得ない。
他にも信長には多くの子がいたが、五男・信房は光秀の襲撃により兄の信忠とともに妙覚寺にて落命している。
四男・秀勝は他ならぬ秀吉の養子となっており、後継者争いからは外れる。
六男以下は未だ幼少であり、信雄および信孝を押しのけてまで当主の座に据える根拠はなにもない。
また信長には弟も多い。
その中では織田信包が比較的有力者ではあるが、後継者にふさわしい働きを見せたとは言えず、当人にも織田家の当主として家臣を束ねる意気込みはまるで感じられない。
茶人として独特の地位を築いていた織田長益は、妙覚寺にて信忠と運命を共にして果てている。
信長同様、不意打ちによりほとんど抵抗らしい抵抗もできぬまま討たれた信忠をかばおうとして斬られたとされており、「長益様も武者なりよ」と京雀が唄う程度には面目を施している。
「やはり、三介様、あるいは三七様。お二方のいずれかに決めねばならぬのではありませぬか」
暗澹たる気持ちになりながら、賦秀は仕方なく応じた。
その返事を聞いていたのかいないのか、しばし顎を撫でて思案するそぶりを見せていた秀吉は、やおら顔を上げて顔を賦秀に寄せた。
その面持ちはいつもの陽気さを押し隠し、真剣なものとなっている。
「……儂は、三位中将様の忘れ形見、三法師君こそが織田家の当主として立つことが相応しいのではないかと考えておる。忠三郎殿はどう思われる」
「三法師君を、ですか」
虚を衝かれて賦秀は目を見開いた。
その存在がまったく考慮の外にあった訳ではない。
しかし、思案する際には早々に後継者としての概念から外していた。
それは、もちろん齢三歳と幼すぎるということもあるが、嫡男と称してよいか微妙なところがあったためだ。
三法師の母は正室、つまり信忠の妻としては認知されていなかった。
元々、信忠は武田信玄の娘・松姫との婚約が交わされていた。
実際には織田と武田が手切れとなったことで実現することはなかった婚姻であったが、破談となった後も互いを思いやっていた節があった。
松姫は他家に嫁ぐことはなく、信忠も機が到来すれば正室として迎えるつもりがあったと言われている。
信忠が討たれるまさに数日前に、迎えの使者が松姫の元へ出されたところだったとの噂もあった。
信長にも、また信忠にも後継者から外れた庶兄がいたこともあり、織田家においては先に生まれたからといって嫡男と自動的に決まるものではないとの認識が強かった。
それゆえ、皆の思考から抜け落ちている存在でもあった。
賦秀が正直にそう告げると、秀吉は得たりとばかりに頷く。
「そのことは存じておるが、それも三位中将様がご存命であればこそ意味のある話。今や三位中将様がこの世に残したたった一人の男児なれば、世継ぎとするほかあるまい」
「そうなりますかな」
賦秀は、秀吉の話術に巻き込まれつつあると薄々感づいた。
消極的には同意しながらも、秀吉の魂胆が判るような気がしていた。
(此度の我が武名と、筑前殿の兵力を背景に三法師君を傀儡とすれば、織田家そのものを牛耳れるということか)
秀吉も、本来であれば自身こそが信長の仇討ちを果たして主導権を握りたかったのであろう。
それが叶わない以上、素早く賦秀に取り入って己の地位を確保しようとしている。
賦秀は秀吉の思惑をそう受け止めた。
(抜け目がない。だが、危うい。この男に織田家の命運を託すことはできぬやも知れぬ)
外敵だけでなく、内なる脅威からも亡き信長の残した織田家を守らなければならない。
冬姫の言葉が賦秀の脳裏に鮮やかに蘇る。
(上様がお望みとあれば、この蒲生忠三郎こそ、上様の遺志を継いで天下を統べてくれる)
賦秀は大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。そして秀吉に顔を向ける。
「筑前殿。ところでそれがし、名を改めようと思うております。秀の字を下に敷いておるのでは、筑前殿にも申し訳がたちませぬでな」
「それがしは特に何も気にはいたしませぬが、して、どのような名を?」
いきなり話題を変えた賦秀に、秀吉は怪訝そうな表情を見せた。
「我が蒲生の祖、俵藤太藤原秀郷にあやかり、氏郷と」
「蒲生忠三郎氏郷殿……。良き名にござるな」
追従めいた言葉を口にしながら、秀吉はどこか眩しげに眼を細めた。
一代の成り上がり者である秀吉には、あやかれるような先祖の名を持ち出す真似だけは出来ないのだ。
この時期に敢えて一族の通字である秀の一字を捨てたことは、同じ字を持つ秀吉に対する静かな意思表明とも受け取れた。
織田家を巡る内なる戦いは既に始まっている。
だが、秀吉にどう思われようと、もはや賦秀あらため氏郷は退くつもりはない。
(上様。新たな織田家の形、新たな天下の形、そして我が蒲生の忠。どうか遠くから見守ってくだされよ)
(おわり)
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ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
戦国終わらず ~家康、夏の陣で討死~
川野遥
歴史・時代
長きに渡る戦国時代も大坂・夏の陣をもって終わりを告げる
…はずだった。
まさかの大逆転、豊臣勢が真田の活躍もありまさかの逆襲で徳川家康と秀忠を討ち果たし、大坂の陣の勝者に。果たして彼らは新たな秩序を作ることができるのか?
敗北した徳川勢も何とか巻き返しを図ろうとするが、徳川に臣従したはずの大名達が新たな野心を抱き始める。
文治系藩主は頼りなし?
暴れん坊藩主がまさかの活躍?
参考情報一切なし、全てゼロから切り開く戦国ifストーリーが始まる。
更新は週5~6予定です。
※ノベルアップ+とカクヨムにも掲載しています。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
札束艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
生まれついての勝負師。
あるいは、根っからのギャンブラー。
札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。
時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。
そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。
亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。
戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。
マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。
マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。
高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。
科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!
皇国の栄光
ypaaaaaaa
歴史・時代
1929年に起こった世界恐慌。
日本はこの影響で不況に陥るが、大々的な植民地の開発や産業の重工業化によっていち早く不況から抜け出した。この功績を受け犬養毅首相は国民から熱烈に支持されていた。そして彼は社会改革と並行して秘密裏に軍備の拡張を開始していた。
激動の昭和時代。
皇国の行く末は旭日が輝く朝だろうか?
それとも47の星が照らす夜だろうか?
趣味の範囲で書いているので違うところもあると思います。
こんなことがあったらいいな程度で見ていただくと幸いです
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜
岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!???
そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。
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