【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬

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(一)

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 昭和十六年(一九四一年)十二月八日。

 日本海軍の空母六隻による真珠湾攻撃により、太平洋戦争が始まった。

 この時、空母機動部隊を指揮する南雲忠一は、米軍の反撃を恐れず、三波にわたる空襲を敢行した。

 結果、米海軍の戦艦八隻を撃沈・大破せしめたのみならず、港湾施設や燃料タンクに被害を与えることに成功した。

 さらには、反撃に転じてきた米海軍の空母「エンタープライズ」を返り討ちに撃沈し、緒戦において望外の戦果をあげることになった。

 だが、それだけで戦争が終わるものではない。

 この物語は、開戦から半年が経過した昭和十七年(一九四二年)六月から始まる。




 ――船にも運、不運があるのなら、このフネは相当に運がない。

 長崎三菱造船所の第三船渠で盤木に載せられている客船を遠目に見やりながら、厨屋廉少佐はふとそんな言葉を思い浮かべる。

 船渠にあるのは、全長一七八メートル、全幅二二メートル、一万六九四七総トンを誇る客船「浅間丸」である。

 「浅間丸」は日本が米英相手に開戦する前、昭和十六年一月に英軍艦による臨検を受けてドイツ人乗客の引き渡しを余儀なくされた「浅間丸事件」の当事者として、知名度が高い。

 千葉県野島崎沖という日本本土すぐ近くで起きた出来事に、日本が侮られたとして反英世論があおられる結果となった。

 もちろん、この事件がなければ戦争になっていなかった、などという単純な話ではないが、対英米の強硬派が勢いづくきっかけとなったのも事実だ。

 だが、今の「浅間丸」は「太平洋の女王」との異称に似つかわしくない、無残な姿をさらしていた。

 二つある煙突のうち後ろの一つが弾けるように外側に引き裂かれて広がり、周辺が黒く煤けている様が、船渠を見下ろす厨屋のいる位置からはよく見えた。

 月額約十二万五千円で海軍に徴傭され、横浜港にいた「浅間丸」は、四月十八日に米空母から出撃した双発の陸上機による日本本土空襲、いわゆるドーリットル空襲に遭遇していた。

 米空母「ホーネット」から発艦した十六機のB25のうち一機が横浜に飛来し、「浅間丸」に投弾された爆弾が、煙突を直撃したのだ。

 発生した火災は、船内奥深くのディーゼル機関にまで達した。

 運がない、と厨屋が考えるのは、単に被弾したことを指すのではない。

 本来、「浅間丸」は四月十六日にはサイパンへの物資補給のため、横浜を出港している予定だったのだ。

 もし、計画どおりに横浜を離れていたのであれば、「浅間丸」は洋上で日本本土の混乱ぶりを伝え聞くだけで終わっていたことになる。

 だが、急激に戦線を拡大させた日本の海運には、様々な形でしわ寄せがきており、内地の物流にも少なからぬ混乱をもたらしていた。

 「浅間丸」は、積み込むべき貨物が揃わないまま二日にわたって横浜にて待ちぼうけをくらっていた。

 遅ればせながらようやく準備が整い、まさに出港しようとしたその時に爆撃を喰らってしまったのだ。

 船長はじめ乗組員たちは、悔やんでも悔やみきれないところだろう。

 沈没こそ免れたものの大きな痛手を負った「浅間丸」は、修理のために長崎三菱造船所まで曳航されてきた。

 長崎三菱造船所こそが「浅間丸」にとっての生まれ故郷であるためだ。

 また、それ以前の問題として、横須賀海軍工廠で航空母艦に改装中の潜水母艦「大鯨」(後の「龍鳳」)をはじめ、他にも損傷艦が多数出ており、現地では修理の手が充分に回らないのが実情だった。

「よそ様の運をあれこれ言える立場でもないが」

 しばし足を止めて「浅間丸」の姿を見ていた厨屋は、皮肉げに口の端をゆがめて再び歩き出す。

 考えようによっては、爆撃を受けて火災を生じながらもしぶとく生き延びたという点では、まだ「浅間丸」の運は尽きていないともいえる。

 これからの自分たちの働き次第では、運勢をひっくり返すことも出来ない話ではない。なにしろこれから「浅間丸」は文字通り生まれ変わるのだから。

(ただ、それが正しい選択なのか、今はまだ判らんが)

 内心で転がしていた言葉に、思わず笑みをこぼしそうになり、厨屋は慌てて表情を引き締める。

 損傷した船を前ににやついている姿などを見られて、あらぬ噂などたてられてはかなわないからだ。

 気を取り直して、艤装員事務所の扉を開く。

 応対に出た艤装員に、艤装員長の元への着任報告をしたい旨を申し伝えると、部屋の奥まった場所に置かれた机へと案内された。

「厨屋廉少佐であります。本日より、艤装員として着任いたします」

「歓迎する。なにしろ人手が足りないからな」

 答礼した艤装員長・勝見基中佐は、わずかにほおを緩ませて厨屋を出迎えた。

「はっ」
 厨屋少佐は内心で胸をなでおろす。

(「加賀」を守るために駆逐艦で魚雷に体当たりするぐらいだから、気性の激しい人物かと思っていたが、そうでもないようだ)



 勝見中佐は、駆逐艦「谷風」の駆逐艦長として真珠湾攻撃に参加している。

 空母「加賀」に対して米軍のデバステイター攻撃機が魚雷を放った際、「加賀」の被雷を阻止すべく、「谷風」を射線に割り込ませ、身を挺してかばう挙に出た。

 おかげで「加賀」は難を逃れたものの、船体が折れ曲がるほどに大破した「谷風」を内地に帰還させることは困難だった。

 結局、「谷風」は総員退艦後、味方駆逐艦の雷撃により処分されて艦歴を終えた。

 身を挺して空母を守った勝見少佐の行動については、内地では賛否両論が沸き起こった。

 真珠湾への奇襲が成功し、三波にわたる空襲で港湾施設や燃料タンクにも被害を与え、さらに空母「エンタープライズ」と交戦してこれを撃沈する望外の勝ち戦だったからこそ、「谷風」の喪失は唯一の失点とみなされたためだ。

 元々が戦艦の船体を流用している「加賀」であれば、魚雷一本で沈むようなことはない。わざわざ脆弱な駆逐艦が身を投げ出してかばう必要はなかった、というのが勝見少佐に対する主な批判であった。

 もちろん、「加賀」が無事だったのは結果論であり、海戦の最中に被雷して損傷を負ったら、どんな不測の事態を招いたか判らない、と擁護する意見も多かった。

 一部では予備役編入を求める声もあったというが、フネの喪失の都度、責任を問うていたのでは戦えないとの意見が勝り、軍令部出仕となっていた。

 厨屋は実のところ、勝見中佐の人となりを知らない。

 事情通の同期の知人から、「今回の一件で、随分と人が変わられたらしいぞ」などと脅しめいたことを言われたため、精神の均衡を崩しているのではないか、と密かに恐れていたが、見る限り、不審な様子はまったくない。

「しかし、本当なのでしょうか。その、『浅間丸』を空母に改装するというのは」

 気を取り直して、厨屋は勝見中佐に尋ねる。

 話は前もって聞いており、問いただすのもおかしな話だが、内心、まだどこかで信じられていないのだ。

 厨屋は、「浅間丸」完成後は、副長として乗り組むことが内定している。

 本当は、ある巡洋艦の砲術長の席が用意されているとの話があったのだが、肝心の巡洋艦が損傷してドック入りしてしまい、その話もいつしか流れてしまっていた。

 今でも、戦艦か巡洋艦に乗り組み、鍛えた砲術の技を発揮したいとの思いはある。

 しかし、数か月ものあいだ乗り込むフネがないという、身の置き所のない立場に立たされただけに、たとえ客船空母への改装であっても、与えられた仕事は真剣に取り組みたいと考えていた。

「疑う気持ちもわかる。そもそも設計当初から、航空母艦への改装は折り込み済だぞ」

 そう応じた勝見中佐は、机の上に置かれたいくつかの資料を指し示した。

 それぞれ隅に昭和十年、十一年、十四年と注記された図面は、いずれも「浅間丸」を空母化する際に備えた設計案であった。

 実際に勝見中佐をはじめとする艤装員が設計図面を引く訳ではないが、用兵側としての意見を反映させるためには、改装工事を黙ってみているだけではすまされない。

 航空機の発展は日進月歩であり、最新の昭和十四年版の設計案でも、既に古びてしまっている。そのまま使えるものではない。

「『浅間丸』が最初から空母への改装を前提としていた話は一応は存じております。しかしながら、改装の対象となるのはより新しく、より搭載力の大きな客船からだとと聞いております」

 厨屋の言葉に、勝見中佐はわずかに目を細めた。

 昭和三年(一九二八年)に進水した「浅間丸」は、今となっては老朽船とまではいかないものの、昭和十五年(一九四〇年)竣工の「新田丸」級の優秀客船と比較すれば、船体が小さく、速力も遅いのは否めない。

 そのため、改装の労力に比べて得られる成果が少ないとして、昭和十四年の計画案を最後に、空母への改装は見送られていた。

「確かに、爆撃を受けなければ改装案が再浮上することなどなかっただろう。だが、肝心のディーゼル機関が焼けて使い物にならなくなった以上、単なる修復では済ますわけにはいかぬのも事実だ」

「それは、確かに」

 勝見中佐の言葉に、焼けただれた船体を見てきたばかりの厨屋は、素直にうなずいた。

「ただ、これらの計画では機関の換装は含まれていない。せっかくの設計案も、参考にはなるがそのままでは使えない」

 造船官らによる陽炎型駆逐艦の蒸気タービンへの機関変更を踏まえた設計の見直しは、二か月程度かかる見込みだという。

「降ってわいた計画とはいえ、どうせならきちんとした空母にしたいですね」

 厨屋は、勝見中佐が示した設計案を眺めながら相槌を打つ。

 過去の案のうち昭和十一年案などは、昇降機は一基だけ、格納庫の側面は帆布張り、格納庫の防火隔壁は防火布で代用。航空機用の燃料タンクはなく、ドラム缶を積んで運用するなど、かなりの安普請である。

 こんな設計案を採用されたくはない。

 だが、どれだけ力を入れて改装したところで、元が客船では正規空母のように敵艦隊と正面切って戦うことはできない。

 機関換装後の速力がどの程度になるかは現段階では不明だが、船団を護衛して潜水艦を撃退する任務に就ければ上出来で、航空機の輸送しかこなせないかもしれない。

 その意味では、航空機の離発着機能を最低限有していればよい、と割り切るのも一つの考え方ではある。

 とはいえ、実際に乗り組むことが予定されている厨屋としては、ここは妥協したくはないところだ。

「そうだな。さて、あらかじめ貴官とは認識を共有しておきたいが、『浅間丸』の空母改装にあたっては、大きな問題が二つある」

「はっ。しかし、二つで済みますか」

 厨屋は到底それだけでは済まないだろうに、との思いを込めた声を返す。

 勝見中佐は薄い苦笑を浮かべ、言葉を続ける。

「もちろん、指折り数えれば問題は大小さまざま、限りないほどだ。だが、もっとも根本的なものは二つだろう。まず一つは、昇降機だ」

「確か、元々用意されていた分は、すでに転用されてしまったと聞いております」

 浅間丸型の客船三隻には、建造当初から空母化に備えて、日立があらかじめ昇降機を一隻当たり二基ずつ、すなわち六基分を作成して保管していた。

 しかし、せっかく用意周到に準備していた昇降機も、昭和十六年に新田丸級の三隻が空母化されるにあたって既に転用済である。いまさら取り戻せる筈もない。

「降ってわいた話だけに、一から作らせるのには時間がかかりますね」

「ああ。そして、もう一つは機関だ。艦政本部からは陽炎型駆逐艦の蒸気タービンに換装すると指示されているが、肝心の現物を調達する方法が決まっていない」

「蒸気タービン自体は生産されていますから、建造中の駆逐艦の計画に割り込んで、横取りする形になるでしょうか」

 他に使い道のない昇降機よりも、蒸気タービンのほうが調達は容易だろうか。

 いや、むしろ駆逐艦用に引っ張りだこの蒸気タービンを回してもらう方が難しい話ではないか。

「計画にないことをいきなりやろうとするのだから、無理が出るのはやむをえまい」

 勝見中佐は嘆息する。

 昇降機にしろ機関にしろ、新たに製造してもらうにせよ、どこからか調達するにせよ、他部署と折衝する責務は艤装員長たる勝見中佐の双肩にかかってくる。

 「今次大戦において、帝国海軍で最初に乗艦を沈めた艦長」である男に、だ。荷が重いと考えるのは当然だろう。

 むろん、厨屋も他人事ではいられない。

「前途多難ですね」

「だが、嘆いていてもはじまらん。艦本は年内の竣工を求めてきている。それに、聞いているだろうが、厨屋少佐は『浅間丸』が空母となった暁には副長となるのだ。出来るところから手を付けてもらうぞ」

 勝見中佐が妥協を許さぬ、真剣な面持ちで告げる。

 もちろん、厨屋に異論はなかった。
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