【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬

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 「浅間丸」艤装員の厨屋少佐が、艤装員長である勝見中佐から最初に命じられたのは、豪華客船の面影を残す船内の備品や装飾品、調度品などを運び出し、「浅間丸」の元の船主である日本郵船へと送り返す作業だった。

 客船「浅間丸」を空母に改装するにあたっては、後部の煙突と周辺の焼け落ちた部分を含め、格納庫甲板となるプロムナード・デッキ(遊歩甲板)より上部の構造物はブリッジを含め、いったんすべて撤去されることになる。

 造船所の工員による上部構造物の撤去作業と並行して、厨屋は艤装員達の先頭に立ち、運び出される品々を端から丁寧に梱包する作業に精を出す。

 当時、建造費がおよそ一千百二十七万円かかったという「浅間丸」だが、空母化すれば元の客船には戻せないことから、徴傭という形を取り続けることはできない。

 そのため、既に海軍による買取が行われている。

(自己満足なのか、それとも廃棄物処分の費用を日本郵船に押し付けているだけなのか)

 厨屋も含め、艤装員たちは意味があるのか訝しみつつ船内に入り込み、作業を進める。

 戦争が終わった後、二代目「浅間丸」を建造する際に流用してもらえるのなら言うことなしだが、あまり現実的な希望ともいえない。

 しかし、作業を続けている間に、不思議なことに艤装員の態度も変わってくる。

 はじめのうちは、女々しい、みみっちいなどと地味な作業に不平をこぼしていた者も、次第に細心の注意を払い、傷をつけないように厳かな手つきで運び出すようになっていったのだ。

「こんな立派なフネを空母として預かる以上、おろそかには出来ない」

 海の男たちをして、身の引き締まる思いを抱かせる佇まいが、「太平洋の女王」たる浅間丸にはあった。


 六月下旬。
「どうやら、MI作戦は延期されたらしい」

 勝見中佐は関係各所の調整に出張することが多く、艤装員事務所を空けることが多い。

 艦政本部との折衝から戻ってきた勝見中佐は、意外な言葉を口にする。

「本土の防衛体制強化のため、ミッドウェー島の攻略は必須との話でしたが。中止ですか」

 厨屋は首をかしげる。

 作戦に携わらない一介の少佐ですら作戦内容を漏れ聞いている時点で問題なのだが、厨屋にその自覚はない。



 四月十八日におけるドーリットル空襲によってもたらされた日本の混乱は、ある意味では実際の損害以上に深刻であった。

 爆撃を受けた後、しばらくの間、日本じゅうが存在しない敵に怯えて、敵襲を知らせる誤報が各地で繰り返された。

 味方の航空機への誤射も頻発し、殉職者も出たとなれば、もはや笑い話では済まされない。

 山本五十六連合艦隊司令長官は、日本の東方海上の安定を図るため、急ぎミッドウェー島の攻略を真剣に検討した。それがMI作戦である。

 島の占領もさることながら、米空母機動部隊を誘い出して撃滅することに主眼が置かれた作戦計画である。

 しかし、六月上旬を目指したミッドウェー島への侵攻は、その前月、五月に「珊瑚海海戦」が生起したことが遠因で、発動前に頓挫する。

 珊瑚海海戦において、日本側は小型空母「祥鳳」を失ったものの、第五航空戦隊の「翔鶴」「瑞鶴」の働きでアメリカの正規空母「レキシントン」を撃沈し、この海戦に勝利している。

 海戦後、日本側は第五航空戦隊の航空支援のもと、当初の作戦目的であったポートモレスビーの占領にも成功した。

 ただでさえ開戦早々に「エンタープライズ」を沈められて空母のやりくりに窮していたアメリカであるが、ルーズベルト大統領の肝いりでドーリットル空襲に、空母「ヨークタウン」「ホーネット」の二隻を投入したつけが回った形だ。

 米海軍は、珊瑚海方面には空母を「レキシントン」一隻しか送り込むことができなかったのだ。

 同型艦の「サラトガ」が、一月に日本の伊六号潜水艦に雷撃され、ドック入りを余儀なくされていたことも、米海軍の空母不足に拍車をかけていた。

 もっとも、彼らとて何も手を打っていなかったわけではない。

 海戦に先立ち、大西洋から空母「ワスプ」を回航する措置を取っていた。

 しかし、大西洋艦隊に所属する「ワスプ」も遊んでいたわけではなく、相応の任務を与えられている。

 任務を切り上げるのに手間取り、「ワスプ」がニューカレドニアのヌーメアに入港した頃には、既に珊瑚海における海戦は終わってしまっていた。

 しかしながら、この時点ではまだポートモレスビーは陥落しておらず、戦機が去ったとまでは言い切れなかった。

 「ワスプ」に急いで燃料等の補給を行って出撃させ、対地支援を行っている五航戦の「翔鶴」「瑞鶴」の背後に密かに忍び寄り、奇襲をかけられる可能性は残されていたからだ。

 むろん、第五航空戦隊にしても南側に対する警戒をしていない訳ではなかったが、日本側は米軍にもう一隻空母が進出している事実をまったく掴んでいなかった。

 しかし、すでに戦機は去り、各個撃破されるだけだと判断した米海軍南太平洋軍司令官のゴームレー中将は「ワスプ」の投入を見送っている。

 実のところ五航戦は、対地攻撃に駆り出された搭載機の消耗が深刻となり、搭載機数でいえば空母二隻あわせて「ワスプ」一隻とほぼ互角のところまで落ち込んでいた。

 日本側は、空母不足に起因するゴームレー中将の慎重な判断に救われたと言える。

 しかし、作戦は成功したものの、南側の海を挟んでオーストラリアと間近で向かい合うポートモレスビーの地は、日本側にとって想定以上に守りにくい地勢であった。

 ニューギニア島の南東部には、背骨のように連なるオーエンスタンレー山脈が伸びている。

 最高峰四千メートル級の山を有する山脈を越えての陸路による物資輸送は論外であり、補給物資を運び込むためには船団を送り込まざるを得ない。

 だが、そのためには東西に長く伸びたニューギニア島の東端を大きく回り込んでいく以外になく、敵の眼前に横腹を晒して航行する輸送船は、格好の獲物となった。

 独航する輸送船が、オーストラリアから飛来する陸上爆撃機と、周辺海域に集結してきた潜水艦によって立て続けに撃沈された。

 当然、日本側としては早急にポートモレスビーの飛行場を復旧して航空隊を進出させ、防空に当たる目算であったった。

 しかし、物資も人員も何もかもが不足している状態に陥り、基地化は半月を過ぎても遅々として進まない。

 やむを得ず船団を編成するが、この頃ようや空母「ワスプ」がくヌーメアに入港したとの情報が伝わる。

 「ワスプ」にポートモレスビーに向かう船団を狙われると、駆逐艦程度の護衛ではとても追いつかない。

 そうなると、日本側も空母機動部隊を投入せざるを得なくなる。

 次第に主力部隊がソロモン海方面に前がかりになっていくのは避けられず、そうこうしている間に、ミッドウェーに手を出していられる状況ではなくなってしまった。



 当然のことながら、厨屋も勝見中佐も、米軍側の事情は知る由もない。

「ポートモレスビーの基地化に思いのほか手間取っているため、ミッドウェー島まで出ていく状況にない、ということになりますか」

 厨屋はため息をこらえて、勝見中佐の話をまとめる。

 作戦が成功したがために、次の作戦が頓挫するなど、皮肉もいいところだ。

「そうなる。ただ、際限なく戦線を拡大したところで、補給が追いつかないのでは意味がない。このあたりで腰を据え、米軍を迎え撃つ態勢を整えるのが正解なのかもしれん」

「補給、ですか」

 「浅間丸」の空母改装が完了したところで、米艦隊と太刀打ちするような戦力にはなれないだろう。

 だが、曲がりなりにも戦闘機と艦攻の離発着が可能な空母である。船団の護衛任務なら勤まるのではないか。

 補給に関していえば、航空機輸送の任務で「縁の下の力持ち」になれるかもしれない。

 早く『浅間丸』の改装を完了させて加勢したいものだ、との逸る気持ちの言葉を厨屋は飲み込む。

 憂色を帯びた表情の勝見中佐を前に、あまりに子供っぽい感想に思えたからだ。



 一月ほどかけて、「浅間丸」の上部構造物の撤去と並行して続けられた、内装の運び出しがあらかた終わった。

 作業の完了を待ちかねるように、今度は焼けただれたディーゼル機関の運び出しに着手する。

 実のところ、乗せ換える蒸気タービンの調達にはまだ目途がついていないが、現物が届くまでに終わらせる作業を進めておかなければ、時間の無駄である。

 通常、船舶の機関は航空機や自動車などと異なり、そうそう換装するようなものではないため、機関の取り外しを前提とした設計などにはなっていない。

 したがって、上部構造を引きはがして船体の奥底から運び出すほかはないのだ。手間と労力がかかるのは言うまでもない。

 ただし、幸か不幸か、浅間丸はすでに一度、機関の取り出しを経験している。

 浅間丸は、昭和十二年(一九三七年)、香港島の東部で座礁したことがある。

 船体を離礁させるにあたっては重量を軽くする必要があったため、やむなく船体に穴をあけ、四基あるディーゼルのうち、内側の二基を取り出したのだ。

 ちなみに、座礁により損傷した船体を修理し、取り外したディーゼル機関を戻したのも、ここ三菱長崎造船所の同じ第三船渠だった。

 座礁した船体を離礁させるのに約半年、かかった費用は二百九万円。船体の修理には二百五十万円を要したという。

 それはさておき。
 前回は二基のみであったディーゼル機関の取り外しは、今回は四基すべてが対象となる。

 加えて、陽炎型駆逐艦用の蒸気タービン二基に換装されるにあたって、スクリュー軸も二基に減らす必要があり、そのための工事も同時進行で進められている。

 肝心の蒸気タービンの現物の都合はまだついていないが、やれるところは今のうちに進めておくに越したことはない。

「せっかくの四軸がもったいない」

 クレーンの動きを眺めながら厨屋はつぶやく。

 「浅間丸」は四基のディーゼル機関を搭載し、スクリューは四軸である。

 大正十五年(一九二六年)、東洋汽船と合併した日本郵船が優秀客船三隻の建造を発注するにあたっては、ディーゼル機関を二基二軸にするか四基四軸にするか検討された末、けっきょく両方が採用されたいきさつがある。

 三菱長崎造船所で建造された「浅間丸」、「龍田丸」が四軸であるのに対し、横浜船渠製の「秩父丸」(昭和十四年(一九三九年)に「鎌倉丸」と改名)は二軸である。

 したがって、スクリュープロペラやスクリューシャフト、軸受も流用はできず、すべて撤去のうえ交換となる。

「仕方あるまい。この船体に陽炎型の蒸気タービンを四基も載せる訳にはいかんからな」

 勝見中佐は冷めた口ぶりで応じる。

 外側のディーゼル二基を残し、内側のディーゼルのみ換装すれば、などと厨屋は夢想してみるが、所詮は夢である。

 一基四千馬力のスイスのスルザー(ズルツァー)社製のディーゼル機関が収まっていた空間に、二万五千馬力の蒸気タービンを据え付けられる訳がない。

 どのみち、右舷側の一基以外は修復困難な損傷を負っているのだから、話にもならない。

 厨屋は、無事な一基のディーゼル機関が、なんらかの形で再利用されるのか、他の三基とあわせてスクラップにされるのか聞いていない。

 ただ、なんとなく情が移ったのか、小型船の機関にでも流用されてほしいものだと思う厨屋であった。
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