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新たな家族の誕生
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「君は、僕にとっての最愛だ。もう二度と、君を危険に晒したりはしない」
三年前、長女ジェニファーを産み落とした直後のことだ。
出産直後の寝室、微かに血と汗の匂いが残る部屋で、夫ジュリアンは私の手を両手で包み込み、さめざめと涙を流した。
麗しい容姿の夫が、茶色の髪を乱し、涼やかな茶色の瞳を潤ませて私を見つめるその姿は、この世の何よりも大切な宝物を失いかけた恐怖に震えているかのようだった。
二度目の出産は、壮絶だった。
意識が遠のく中で、私は何度も「メラニア!」と叫ぶジュリアンの声を聞いた。一時は母子ともに危ういとまで言われた難産の末、ようやく授かった小さな命。
ジュリアンは、青ざめた顔で私の枕元に膝をつき、祈るように繰り返した。
「二人の子供を授けてくれたメラニア。君がどれほど苦しみ、命を削って我が家のために尽くしてくれたか。僕は一生忘れない。……もう十分だ。これ以上、君に無理をさせたくない。僕は君を、何よりも守りたいんだ」
私は疲れ切った体で、それでも幸福に胸を震わせながら、彼の言葉を噛み締めていた。この人はなんて優しく、私を大切に想ってくれているのだろう。
私たちが恋に落ちたのは、共通の友人であるセシリア侯爵令嬢と、チャーチル侯爵令息の婚約が決まった時期だった。
整った容姿を持ちながら、驕ることなく誰にでも明るく接する子爵家の嫡男ジュリアン。地味で奥ゆかしいと言われ続けてきた伯爵家の長女である私は、そんな彼の光のような眩しさに、一目で心を奪われた。
ジュリアンもまた、私のことを「穏やかで賢い、理想の女性だ」と言って求婚してくれた。その時の私は、彼が愛してくれたその『賢さ』が、自分を縛る檻になるとは思いもしなかったのだ。
結婚して七年。五歳になる長男スティーブと、生まれたばかりのジェニファー。命懸けで守り抜いた、絵に描いたような幸せが、ここにあるはずだった。
――異変に気づいたのは、ジェニファーが生まれて半年ほど経った頃だ。
産後の体調も回復し、私は母親としての義務だけでなく、一人の妻として夫と触れ合いたいと願うようになった。しかし、ジュリアンは私の隣で横になっても、決して指一本触れてこようとはしなかった。
勇気を出して彼の寝衣の袖を引いた夜、彼はひどく悲しそうな、それでいて決然とした顔で私を制した。
「メラニア、いけない。あの出産の夜、僕は君を失うかと思って、心臓が止まる思いをしたんだ。……君の体は、もう僕だけのものじゃない。スティーブとジェニファーを育てるための、尊いものだ。そんな君を、男の勝手な情欲で再び危険に晒すなんて……僕には到底できないよ」
彼は私の額にそっと、羽が触れるような軽いキスを落とした。
その瞳には、嘘偽りのない敬愛と、そしてどこか「一線を引いた」ような冷ややかさが宿っているように見えた。
「君には、家を守る静かな場所で、永遠に健やかでいてほしいんだ」
その日から、私たちの寝室の扉は、夫婦としての機能を失った。
私は寂しかった。けれど、彼がそれほどまでに私の命を慈しみ、大切に思ってくれているのだという事実は、女としての虚しさを埋めて余りあるほどの誇りでもあった。
世の夫人たちが夫の放蕩に悩む中、私の夫は妻を「守りたい」と言うほどに愛してくれている。私は自分にそう言い聞かせ、『欲求不満という醜い感情』を、母親としての義務感の奥底に押し込めた。
それから二年が過ぎ、ジュリアンに隣国への赴任の話が持ち上がった。
ジャッカス侯爵家の嫡男であり、ジュリアンの親友でもあるチャーチル様の従者として、二年間、異国の地で公務に励むことになったのだ。
「二年も離れるなんて……」
出発の朝、不安に揺れる私をジュリアンは優しく抱きしめた。
「大丈夫だよ、メラニア。一週間に一度は必ず手紙を書く。僕たちがどれほど固い絆で結ばれているか、言葉に綴って贈るよ。子供たちのことを頼む。君は、僕自慢の最高の妻だ」
見送りの馬車が並ぶ。セシリアは私を元気づけるように手を握り、チャーチル様はジュリアンの肩を叩いて豪快に笑った。
「安心しろ、メラニア夫人。ジュリアンの真面目さは俺が保証する」
馬車が見えなくなるまで手を振り続け、私は静かになった屋敷に戻った。
そして一週間後、待ちに待った一通目の手紙が届いた。
『愛するメラニア。君の清らかな微笑みが恋しい。離れてみて、君という存在がいかに私を導く光であったかを知った――』
上質な紙に躍る、見覚えのある夫の筆跡。普段の彼からは想像もつかないような、情熱的で詩的な愛の言葉が並んでいた。
私はその手紙を何度も読み返し、胸の奥が熱くなるのを感じた。
(ああ、ジュリアン。離れているからこそ、あなたはこんなにも熱く私を想ってくれているのね……)
私はこの手紙を、生涯の宝物にしようと心に決めた。夫の愛を、一文字たりとも漏らさず胸に刻み込もうと。
……これから届く無数の手紙が、私の心を切り裂く刃に変わるとも知らずに。
__________
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三年前、長女ジェニファーを産み落とした直後のことだ。
出産直後の寝室、微かに血と汗の匂いが残る部屋で、夫ジュリアンは私の手を両手で包み込み、さめざめと涙を流した。
麗しい容姿の夫が、茶色の髪を乱し、涼やかな茶色の瞳を潤ませて私を見つめるその姿は、この世の何よりも大切な宝物を失いかけた恐怖に震えているかのようだった。
二度目の出産は、壮絶だった。
意識が遠のく中で、私は何度も「メラニア!」と叫ぶジュリアンの声を聞いた。一時は母子ともに危ういとまで言われた難産の末、ようやく授かった小さな命。
ジュリアンは、青ざめた顔で私の枕元に膝をつき、祈るように繰り返した。
「二人の子供を授けてくれたメラニア。君がどれほど苦しみ、命を削って我が家のために尽くしてくれたか。僕は一生忘れない。……もう十分だ。これ以上、君に無理をさせたくない。僕は君を、何よりも守りたいんだ」
私は疲れ切った体で、それでも幸福に胸を震わせながら、彼の言葉を噛み締めていた。この人はなんて優しく、私を大切に想ってくれているのだろう。
私たちが恋に落ちたのは、共通の友人であるセシリア侯爵令嬢と、チャーチル侯爵令息の婚約が決まった時期だった。
整った容姿を持ちながら、驕ることなく誰にでも明るく接する子爵家の嫡男ジュリアン。地味で奥ゆかしいと言われ続けてきた伯爵家の長女である私は、そんな彼の光のような眩しさに、一目で心を奪われた。
ジュリアンもまた、私のことを「穏やかで賢い、理想の女性だ」と言って求婚してくれた。その時の私は、彼が愛してくれたその『賢さ』が、自分を縛る檻になるとは思いもしなかったのだ。
結婚して七年。五歳になる長男スティーブと、生まれたばかりのジェニファー。命懸けで守り抜いた、絵に描いたような幸せが、ここにあるはずだった。
――異変に気づいたのは、ジェニファーが生まれて半年ほど経った頃だ。
産後の体調も回復し、私は母親としての義務だけでなく、一人の妻として夫と触れ合いたいと願うようになった。しかし、ジュリアンは私の隣で横になっても、決して指一本触れてこようとはしなかった。
勇気を出して彼の寝衣の袖を引いた夜、彼はひどく悲しそうな、それでいて決然とした顔で私を制した。
「メラニア、いけない。あの出産の夜、僕は君を失うかと思って、心臓が止まる思いをしたんだ。……君の体は、もう僕だけのものじゃない。スティーブとジェニファーを育てるための、尊いものだ。そんな君を、男の勝手な情欲で再び危険に晒すなんて……僕には到底できないよ」
彼は私の額にそっと、羽が触れるような軽いキスを落とした。
その瞳には、嘘偽りのない敬愛と、そしてどこか「一線を引いた」ような冷ややかさが宿っているように見えた。
「君には、家を守る静かな場所で、永遠に健やかでいてほしいんだ」
その日から、私たちの寝室の扉は、夫婦としての機能を失った。
私は寂しかった。けれど、彼がそれほどまでに私の命を慈しみ、大切に思ってくれているのだという事実は、女としての虚しさを埋めて余りあるほどの誇りでもあった。
世の夫人たちが夫の放蕩に悩む中、私の夫は妻を「守りたい」と言うほどに愛してくれている。私は自分にそう言い聞かせ、『欲求不満という醜い感情』を、母親としての義務感の奥底に押し込めた。
それから二年が過ぎ、ジュリアンに隣国への赴任の話が持ち上がった。
ジャッカス侯爵家の嫡男であり、ジュリアンの親友でもあるチャーチル様の従者として、二年間、異国の地で公務に励むことになったのだ。
「二年も離れるなんて……」
出発の朝、不安に揺れる私をジュリアンは優しく抱きしめた。
「大丈夫だよ、メラニア。一週間に一度は必ず手紙を書く。僕たちがどれほど固い絆で結ばれているか、言葉に綴って贈るよ。子供たちのことを頼む。君は、僕自慢の最高の妻だ」
見送りの馬車が並ぶ。セシリアは私を元気づけるように手を握り、チャーチル様はジュリアンの肩を叩いて豪快に笑った。
「安心しろ、メラニア夫人。ジュリアンの真面目さは俺が保証する」
馬車が見えなくなるまで手を振り続け、私は静かになった屋敷に戻った。
そして一週間後、待ちに待った一通目の手紙が届いた。
『愛するメラニア。君の清らかな微笑みが恋しい。離れてみて、君という存在がいかに私を導く光であったかを知った――』
上質な紙に躍る、見覚えのある夫の筆跡。普段の彼からは想像もつかないような、情熱的で詩的な愛の言葉が並んでいた。
私はその手紙を何度も読み返し、胸の奥が熱くなるのを感じた。
(ああ、ジュリアン。離れているからこそ、あなたはこんなにも熱く私を想ってくれているのね……)
私はこの手紙を、生涯の宝物にしようと心に決めた。夫の愛を、一文字たりとも漏らさず胸に刻み込もうと。
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