異世界転生 剣と魔術の世界

小沢アキラ

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第一部・二章 サランの街

第十三話

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 獣人──。
 獣の特性を持ち合わせた一種の亜人でありながら、人界の民に分類されている希少個体。
 発祥元は解明されておらず、現段階では獣の血を輸血した人族が突然変異を引き起こしたことで誕生した種族だと仮定されている。
 一万人に一人の確率で誕生すると言われ、どのようにして獣人となるのかは未だ解明されていない。人族の間で誕生し、人族と獣人族の間で誕生しないケースもある。
 《禁書目録》が制定される前の人界では、人族と違うことから、獣人を魔界に住む亜人と同等の存在と認識しており、差別されていた。人族から忌み嫌われ、人間の領土に踏み込むことさえ禁じられた獣人族は、人里離れた森林で独自の文明を築いた。
 同じ人界というのに、内輪揉めによって二つの異なる文明が築かれ始めた。創世神が与えた領域に住む両種族は、互いに干渉することもなく、次第に亀裂は大きくなっていった。
 だがその亀裂は、ある大戦によって埋まる瞬間が訪れた。
 魔界の民が人界へ侵攻して間もない頃、悪魔や亜人から退けるため、人族は獣人族が支配する森林へ避難するために赴いた。
 普段なら、虐げや差別を繰り広げてきた人族など御免被るだろうが、当時は人界が滅亡する恐れもあったため、両種族を分けていた軋轢は、この瞬間だけは意味を成さなかった。
 魔界の侵攻を退けた人界はその後、両種族の見方を改める決断に至り、《禁書目録》制定と同時に人族と獣人族の間に和解が成立。大戦前と変わり、お互いで協力するほどの友好関係を築いていた。
 独自に進化した技術も交換しあい、人界は飛躍的な進化を遂げた。
 人界は奇しくも、魔界の進行によってようやく一つに纏まることが出来たと言っても過言ではない。現に、それ以降内輪揉めや種族間での抗争は一度も起きなかった。

 ──だというのに、俺は今、獣人族の女性に危うく殺されかけた。
 大戦後、獣人と人族は共存しているはずなのに、彼女は俺に向けている瞳は、一週間前に隊長ゴブリンが見せた明確な殺意だ。
 何故彼女が俺を目の敵にするのか理解出来ない。
 彼女の言語から察するに、この森の樹木を斬り倒す一部始終を見ており、俺が森を傷つけている不届き者と勘違いし、粛清しようとしているんだろう。
 ──どうする。彼女に呼びかけても聞く耳を持たないし……だからと言って、傷つけて話し合いに持ち込むのは気が引ける。
 どちらかが負傷する最後は、なんとしても避けなければならない。他者を己の所有物の剣で傷つけるのは、人界を取り締まる絶対遵守の法、《禁書目録》に禁書されている。
 禁書目録には、【両者の合意なく始められた決闘では、他者の生命を断つような剣の使用を禁ずる】と記されていた。
 この剣の切れ味を試したことはないが、人間に向かって振れば上半身と下半身が豆腐のように切れるだろう。
 それだけは避けなければならない。禁書目録は絶対遵守の法。破れば老若男女関係なく、如何なる理由があろうと、無期懲役で牢獄に連れ去られてしまう。そうなってしまっては魔術剣修道学園への推薦を確実に取り消されるし、元の世界に帰る唯一の方法も潰えてしまう。コドールの村にいるセレナとも会えなくなる。いや、それ以前の話だ。
 女性を斬り殺すなんて言語道断だ。如何なる理由で剣を向けられようが、体を傷つけたくない。
 考えるんだ。なけなしの知恵を振り絞って、お互い負傷せず話し合いに持ち込む、この事態を解決の糸口を見つけるんだ。
 剣を眼前に構えながら、元からある知恵と、この世界で得た知恵を混ぜながら考える。
 そして、最も有効かつ、話し合いに持ち込むことの出来る案──方法が、一つだけ思いついた。
 だがこれは、はっきり言って難易度が高過ぎる。成功確率は、高く見積もって2%、低く見積もると1%以下。
 それでもやらなければならない。こんな所でつまずくようじゃ、魔術剣修道学園を主席で卒業なんて夢のまた夢だ。
 剣を片手持ちから両手持ちに切り替え、剣道での基本の構えを取る。
「……変わった構えね。さっきの動きもだけど、かなりの経験を積んでるみたいね」
「そうでもない……かな。でも、君を傷つけないようには努力する」
 少し挑発的な発言かと自粛すると、彼女は色白な肌を憤怒で真っ赤に染め上げ、次いで怒りを押し殺したような表情で叫んだ。
「……一応、名前を聞いておくわ」
「カズヤ。中都に用がある、ただの剣士さ」
「いい名前ね。人族じゃなかったら、話を聞いてみたかったわ……」
 名残惜しむ様に呟き、獣人の体が動いた。長剣を中段やや担ぎ気味に構え、前傾姿勢で腰を落とすや、人間とは思えない速度で突進してきた。構えていた剣も突進の勢いが加わり、空気を裂く音とともに撃ち出される。
 二人の距離が相対的に凄まじいスピードで縮んでいく中、俺は静かにその時を待ち続けた。
 集中力の影響か、死が迫っているせいか分からないが、俺の知覚も加速され、徐々に時間の流れが緩くなるような感覚を味わう。これが死ぬ直前に感じる走馬灯なのかと一瞬だけ考え、反射的に動き、囁く。
「斬月流……守式しゅしき、三の型」
 剣で斜めの軌道を描き、振り途中で撃ち出された長剣の横腹に叩きつける。凄まじい量の火花が散り、耳をつんざくような金属音を撒き散らし、長剣はその横腹からへし折れると、爆発じみた破損音が炸裂する。
 獣人はそのまま横を通り過ぎ、三メートルほど離れた場所で静止する。回転しながら宙高く吹っ飛んでいった刀身が、上空できらりと陽光を反射したかと思うと、二人の中間の茂みに突き立った。
繊月せんげつ
 《繊月》は、敵の刀を横から叩き折る守りの型であり、型の創造主が繊維のように細い傷を狙ったことで出来たため、繊維の様に細い月である二日月……繊月と名付けた。
 斬月流は月の満ち欠けから名前を得ており、それぞれ誕生した理由がある。その全てを知っているわけではないが、斬月流が使用されるのは決まって月が照らす夜だったとされている。
 なんてことを思い返しながら、成功したことに安堵した。
 彼女も傷付かず、実力行使以外の方法を取らせる方法は、獲物を断つ以外思いつかなかった。確実な方法とは言えないし、タイミングに微かなズレがあれば、俺は確実に腹部を断たれ死亡していただろう。
 鞘に収めたままなのも、斬れ味を封印するためだ。もし鞘に収めずに先程と同じ動きをすれば、刀身どころか獣人の体が宙を舞ってしまう。
 無論、俺の持てるあらゆる経験から出てきた案だから、自信がないと言えば嘘になる。長年の集中力、一週間前のゴブリンとの死闘、それらのお陰で成功したに過ぎない。もしどれか一つ欠如していたら、絶対に成功しなかっただろう。
 ため息を呑み込み、剣を右手に下げたまま振り返り、背を向けている獣人を見据えた。そして、背中姿を見て更に驚愕する。
 腰辺りから、紫毛の尻尾が生えている。しかも、かなり大きい。
 凄い。その一言以外出てこないほどの衝撃だった。
 コスプレなんかじゃない。あれは、本当に生えているんだ。移植手術でも、遺伝子改造でもない。彼女は本当に獣の特性を持って生まれた、一人の人間なのだと、改めて知らされた。

 ──本当に、面白い世界だな。ここは……

 元いた世界では味わえない衝撃に、最近面白さを覚え始めたことに感心しながら、獣人に話しかける。
「禁書目録第六十七条、決闘において片方の武器が破損、破壊された場合は、剣を持っている者の勝利とする」
 最近覚えた禁書目録を鼻を高くして言うと、獣人はゆっくりと振り返ってきた。そして俺は、三度目の驚愕をした。
 獣人族の女の子は、綺麗な瞳に透明な雫を宿しており、小さな鼻を真っ赤に染めている。瞳から雫が一滴、二滴と垂れ出すと、滝のように涙を流し始めた。
 次いで、予想外な反応をしてきた。
「違うもん! これは、勢いに耐えきれなくて折れただけで、お前に破壊されたわけじゃないもん!」
 先程まで気迫に満ちていた声でなく、か弱い女の子のような声を涙ぐみながら叫んでいる。
「い、いや。あれはどう見ても、俺の剣が」
「当たってない! 絶対当たってない!」
 駄々っ子のような主張に動揺しているせいで、これ以上の言葉が出なかった。
 何故か彼女は剣を折られたことを頑なに否定し、桜色に染まった頬を膨らませそっぽを向いている。
 これはまずい……小さく息を呑みながら確信する。
 武器を壊したはいいが、彼女の警戒心は緩まずむしろ強固になっている。これでは話し合いに持ち込めない。それでは決死の覚悟で武器破壊した意味を失ってしまう。
 とりあえず今は、俺も持っている獲物を手放そう。これを持ったままでは落ち着いて話し合いが出来ない。
 俺は鞘に納まった剣をゆっくりと地面に置き、嗚咽を必死に押し殺してる獣人にゆっくりと歩み寄った。
 二人の間が一メートルほどになると、獣人は警戒心をダダ漏れにしながら、獣が威嚇する時と同じ呻き声を上げ出した。
 流石にこれ以上の刺激はまずいので、若干の距離を空けた所で静止し、出来るだけ敵意のない自然な声で話しかけた。
「俺はこの通り、武器と呼べるものはあれしかない。だからそんな警戒しないでくれ」
 両手をフリーにしながら言うと、獣人は全身をくまなく観察し、呻き声を鎮めた。
 だがまだ警戒しているのか、距離は一向に狭まらなかった。
「……一応、話ぐらいは聞いてあげるわ。私の剣が私のせいで! ……駄目になっちゃったから、殺せないしね」
 意外と物分かりが良くて助かるが、やはり武器破壊については頑なに譲らないでいる。
 言葉に出さず胸の中だけに留め、強張っていた肩から力を抜き、つられて安堵のため息が零れる。
「まず、なんでこんな所で素振りなんてしていたの。街には修剣場があったはずでしょ」
「さっきも言ったけど、俺の剣は斬れ味が良すぎるから、他人を傷つけてしまう恐れがあるんだ。だから、人気のない森でしてたんだ」
「…………」
 やはりまだ疑っているのか、口を開かない。
 確かに常識的に考えて、斬れ味が良すぎるから森で素振りするなんて、疑わない方がおかしい。第一、そんな危険な代物で素振りしようなんて普通考えない。普通は練習用の木剣などで行うものだあり、実剣を使って行うものではない。とペックが言っていたのを、何故か今思い出した。
「……なら見せてよ」
「え?」
「そこまで言うなら、剣の斬れ味を見せてよ。そうすれば納得してあげるから」
「……いいけど、いいの? 森を傷つけることになるけど」
 恐る恐る尋ねると、かなり苦悶したのか苦々しい表情で、かなり溜めてから頷いた。
 俺は地面に置いた剣を拾い、漆黒の刀身を鞘から露わにする。
 流れるように剣を構え、左上段から斬り下ろす。そして、見えない斬撃が刀身から発生し、眼前の樹々を二本ほど斬り倒した。
 力加減にまた失敗してしまった。後悔しながら剣を鞘に納め、恐る恐る獣人を見る。
 獣人は、口をぽかんと開けて立ち尽くしている。頭に生えている獣耳までもが、ピンッと立っており、尻尾のもふもふそうな毛も全て逆立っている。
 これが獣人特有の驚いた時の表現なのかと苦笑すると、獣人は震えながら人差し指をこちらに向け言った。
「お、お前……今何をした……」
 衝撃をまだ受け止めていないのか、わななく唇から出た声はとても弱々しく、聞き取りにくい声だった。
 それでもなんとか聞き取れたので、俺はいつも通りの様子で呆気なく言った。
「これで分かったでしょ。この剣の斬れ味が。こんなの街中で放てば、殺人鬼になっちゃうよ」
「そ、そうね。とりあえず、その剣の斬れ味には納得した……鞘に納めて撃ったのも、私を案じてくれたってことなのね」
 急に物分かりが良くなったのか、説明してない部分まで勝手に解釈してくれた。
「そう。だからこの森を傷つけたのは故意じゃなくて偶然なんだ。だけど偶然なら何をしても許されるわけじゃない。森を傷つけられて不快な気持ちになったなら謝るよ。ごめんなさい」
 剣を再度地面に置き、土下座する。
 誠心誠意込めて謝罪すれば許されないことなんて、きっとない。そう決め込みながらも必死に謝罪すると、獣人からも意外な言葉が飛んできた。
「ま、まぁ私も、理由を聞かずにいきなり飛びかかったから……本当に悪かったよ」
 まさか向こうも謝ってくるとは思わなかった。
「いや、気にしてないから。俺も、もっと慎重に剣を扱えてれば、こんなことにはならなかったはずだから」
「剣を扱えてれば? どういうことだ?」
 興味を示したのか、頭に耳をぴょこぴょこと動かしている。何から何まで動物みたいな特性だなと思いながら、少し情けない声で言った。
「実は俺、この剣を満足に扱えないんだ」
「自分の剣なのに?」
「いや、実はこれ貰い物なんだ」
「へぇー。私の剣を折った……いや、真正面から受け止めて刃こぼれしないなんて相当の業物だけど、それを渡すなんて大分気前がいいわね」
 それもそのはずだ。この剣を渡してくれたのは、人界最強の騎士である、天界の騎士なんだから。
 と言いたいが、天界の騎士と接触したことがバレると話がややこしくなるので、喉の奥に無理矢理押し戻した。
「剣の素材はなんなの? 見た感じだと、ここら一帯のではなさそうだけど」
「炎熱竜・戴天の鉤爪……を商人から買い取って鍛冶屋に依頼して作ってもらったって、渡してくれた人が言ってたようなそうじゃなかったような……」
 後半から聞き取れないほどの小声になりつつ言うと、獣人は納得したように頷いた。
 なんとかバレずに済んだことに再び安堵しながら、結論をまとめて言った。
「つまり、この剣は戴天の鉤爪を素材にしてるから斬れ味が凄まじく、一般人を巻き込んでしまう可能性があるため人気のない森で素振りした。それでも被害が出てしまい、森の樹々を意図せず斬り倒してしまった。以上」
 大雑把にまとめてから言うと、しばらく考えこんでから、獣人は再び頭を下げてきた。
「私はどうやら誤解していたみたいね。本当にすまなかった」
「気にしてないからいいって」
 謙遜しながら頭を下げる獣人に言う。
 獣人は顔を上げると柔らかい笑みを浮かべながら、思い出したように今更言った。
「まだ名乗っていなかったな。私は獣人族のサヤ。よろしくな、カズヤ」
 そう言うとサヤは、綺麗な右手を差し出し握手を求めてきた。
 俺は二人の間の距離を一気に詰め、差し出された右手を左手で掴み、握手を交えた。
 俺はその日、初めて獣人族と接触した。第一印象は凶暴となってしまったが。

「カズヤ。その剣の銘って何なの?」
「え、銘?」
 持参した麻布に包む最中、少し離れた場所で眺めていたサヤが不意に尋ね、思わず覇気の欠片もない、情けない声で返事をしてしまった。
 だが、情けない声が出たのは、カスミの質問の意味が解らないのも含まれている。
 剣に銘、つまり名前はあるのかと聞いているのは理解出来る。でもその意味合いを自分なりに解釈すると、愛用しているシャーペンに名前をつける行為に等しい。
 この世界で剣に銘をつける風習があるのだとしても、元いた世界でそんなことをすれば、周りからイタイ人だと思われる。
 誤った常識に縛られている愚かな人間の一人である水樹和也は、カスミの質問を満足に答えることが出来ず、苦渋の決断の末に、ある解答を選択した。
「決まってない。というか考えたこともない」
 嘘偽りなく、率直に思ったことを言う。解答に困った時に取る最善な選択だと、自分の中で勝手に過信している。
 その選択で数多くの苦難を乗り越えてきた。時折、相手の怒りを買ってしまうが。
「珍しいわね。人族は全員、剣に銘を付けるのに」
「そうなんだ。てことは、俺は異質なのかな」
「異質は言い過ぎ。ちょっと変わった程度だと思う」
 カスミの中で俺の評価が決まった瞬間な気がしたが、元々違う世界の人間だから、実際は次元が違う存在と言っても過言じゃない。と言えないので黙っておく。
 麻布に包んだ剣を紐で留めながら考えると、ある疑問が不意に舞い降りてきた。
 包み終えた剣を一旦地面に放置し、離れに立つカスミに、今度はこちらから問い掛けた。
「カスミって、どうして森で暮らしてるの?」
 素朴な質問だと言い終えてから気付いた。
 この森も一応、サランの街圏内に属している。圏外なら仕方ないが、圏内に属しているなら街に住んだ方が色々と楽なはず。わざわざ森に住むメリットが見受けられない。
 カスミは一瞬全身を強張らせたがすぐに正常に戻った。頭にある耳と尻尾の毛が逆立ってるせいで動揺を隠し切れていないのがバレバレだが、見えてないことにして。
 しばらく間を開けてから、張り詰めた声で予想外の返事をしてきた。
「お前達人族のせいだろ。私達が森で暮らしているのは」
「え、俺達のせい?」
 さっき剣を折られた八つ当たりか? と一瞬疑ったが、彼女の真剣な眼差しを見て、冗談ではなく本当のだと思われる。
 カスミは深呼吸を何度か繰り返して興奮を収め、落ち着きを取り戻してから言った。
「……カズヤは、禁書目録が制定される前、獣人族がどう扱われてたか知ってる?」
 彼女の問いをしばらく考え込み、躊躇気味にかぶりを振ると、予想したかのように頷いた。
「魔界の民を退けてから、人族は自らを高貴な身分に納め、身分の低い者を奴隷にしていた……これは知ってる?」
「ああ。その後、天界の騎士が召喚されて、貴族を次々と粛清していき、人界の平穏と秩序を保つために絶対遵守の法・禁書目録が制定された。これが、俺でも知ってる人界の歴史だよ」
 セレナから教わった大雑把で付け焼き刃の知識を披露すると、カスミは少し苦悶の表情を浮かべ言った。
「そうね。人族に伝わる歴史では、合ってる」
「人族に伝わる歴史では?」
 妙に引っかかる言い方を指摘すると、カスミは両目の瞼を一度落とし、哀愁が漂う瞳を露わにした。
 そして、信じがたいことを口にした。
「人族は、自分達の都合がいいように歴史を書き換えてるのよ……」
 哀しみで潤んでいるのか、清らかに澄んだ瞳から、今彼女がどういった心境なのかが、瞬時に察することが出来た。
 俺は小さく息を呑み、固く閉ざされていた口を無理矢理こじ開けた。
「変えられたって……獣人族に伝わる歴史と、人族に伝わる歴史に、何か誤りがあるの?」
 俺の問いに対して、ゆっくりと頷き、肯定した。
 その時俺は、自分の知ってる歴史に誤りがあることに、不謹慎だが興味を抱いてしまった。
 自分を正当化するわけではないが、俺はこの世界について知るために正しい歴史を知りたいと思っている。それに、人間の知的探究心と欲求は制御出来るものじゃない。
 これ以上踏み込んでいいのか、刹那の迷いを振り切るように、俺はカスミに追求した。
「教えてくれないか? 獣人族に伝わる歴史を」
「…………分かった。教えてあげる」
 意外にもすんなりと承諾してくれたことに驚きを隠せないが、同時に彼女は、誤った歴史を修正させることで、人族が隠した真実を突き付けようとしているのだと察した。
 カスミは数秒間の苦慮を経て、決断を下したのか、覚悟を決めたのかは定かではないが、人界の正しい歴史について口を開いた。
「……魔界の民の侵攻時、避難してきた人族を受け入れたことで、大戦後の獣人族の立場は大きな変化を遂げた。大戦前では獣人差別をしていた人族も、大戦後は差別なんてなかったように接してきた」
「それって、過去の行いを無かったことにして、当たり前のように話しかけてきたってことか?」
 俺の指摘に無言で頷き、言葉を続けた。
「私達も、最初は嬉しかった。ようやく人族と獣人族が手を取り合って共存出来るのが。お互い違う文化を持っていたから、情報を共有しながら生活するのが。その甲斐あって、人界の文明は大きく進展することが出来た」
 嬉しそうに頰を緩めながら語るあたり、本当に嬉しかったのが手に取るように分かる。
 それが何故、今では人族を恨んでいるのか、見当がつかない。
「私の伯父様が言ってたわ。人族と暮らしていた三十年は、見る物聞く物全てが新鮮で楽しかったって」
「そうか。本当に幸せだったんだな」
「ええ。でも、幸せは長く続かず、突然終わりを迎えた」
 先程まで懐かしむように語っていた声が、突然憎悪に染まりおぞましい声に変わった。
 全身の毛が一瞬逆立ち、思わず地面に置いた剣に手を伸ばそうとしてしまった。それほどまでに、彼女から怨念の覇気が放たれていた。
 俺は固唾を飲み、少しだけ震えた唇から言った。
「どうして……話を聞く限りだと、上手く共存出来てたじゃないか。それが、どうして?」
 機嫌を損ねないよう慎重な物腰で尋ねると、彼女はより一層苛立った様子で答えた。
「人族は、創世神から力を授かると同時に力に溺れ、優位な立場に居座り、自分達より低い立場の者を奴隷のように扱って、贅を尽くした怠惰な暮らしに溺れた。人族の言葉を借りるなら、貴族制度と奴隷制度によって、人族は腐敗していった」
「でもそれは、天界の騎士によって撤廃されただろ」
「今はね。でも当時は大戦後で人界が荒れ果て、村や街の掟なんて機能していなかった。それをいいことに身分が上の者が自分達に都合のいい掟を制定し、誰も逆らえない絶対政権を築き上げた」
 確かに、大戦後の世界には禁書目録なんてものは存在しない世界において、権力者が建てた理不尽な掟の前では、無条件に従うしかない。
「それが、人界の歴史にない第一の誤り……」
 当初の人間たちの汚点を、今の人間は隠そうとしていたなんて……。
「ええ。きっと、貴族が自分達の立場を保守するために隠蔽したんでしょ。昔の貴族はプライドだけは常人離れしていたから」
 呆れているのか適当に言い捨てると、両眼に怨嗟を宿しながら言った。
「貴族に成り上がった人族は、獣人族を奴隷のように扱った。それは、大戦前よりも酷く屈辱的な扱いだった。人格は完全否定され、獣同然に扱われた。人族じゃこなせない過酷な重労働を全て預けられ、過労死した獣人は使い捨て、また新たな獣人を奴隷にした」
 彼女の心境が、今の言葉の中に全て詰まっているのは明らかだった。彼女は今、人族に対する抑えきれない憎しみを、復讐心を燃やしているに違いない。
「天界の騎士によって数多くの貴族は粛清され、奴隷として捕縛されていた獣人も解放された。だけどそれ以降、獣人は人族との接触を避け、人気のない森の中で生活するようになった」
 獣人族の歴史の説明が終わると同時に、カスミはこちらに視線を向け尋ねた。
「これで分かった? 人族が自分達の歴史を美化し、都合よくねじ曲げたってことが」
 俺は彼女の問いに、真っ先に答えることが出来なかった。
 今の話が本当かどうかは解らない。仮に嘘だとしても、そんな嘘をつく必要なんてない。
「……流石に、今すぐには信じられない。でもそれが本当だとしたら、許せないよ」
 奥歯から軋む音がするほど強く噛み締めながら、俺は自分の両拳から血が滲み出んとばかりに握りしめた。
 もし今の俺がその時代にいたら、獣人族を奴隷のように扱った貴族を、ここにある剣で何の迷いも躊躇いもなく斬り殺していたかもしれない。
 いや、それはどうだろう? その思いは、サヤからの話を聞いたから込み上げる思いであって、もしその時代に生まれていれば、俺も貴族のように獣人を扱っていたかもしれない。
「……なんであんたが怒ってんのよ。同じ人族でしょ?」
 サヤの言葉で我に返り、今の思考を頭の隅に据え置いた。
「そりゃ怒りもするさ。同じ人間を奴隷のように扱ってるのもムカつくけど、保身のために歴史を隠蔽して、都合のいい歴史だけを後世に残した貴族のやり方がな」
「……本当に珍しいわね。まさか人族が、貴族を恨むなんて」
「昔から嫌いなんだよ。他人にばかり面倒事を押し付けて自分は楽する奴が。頑張ってる奴を馬鹿にする奴も許せないな。本当の苦労を知らないくせに偉そうに踏ん反り返る奴なんてもはやゴミ屑だと思ってるよ」
 思ってることを包み隠さず率直に述べると、サヤは強張っていた頰をかすかに緩め、微笑を浮かべた。
「カズヤって、本当に変わってるね。今まで見てきた人族の中で一番変わってるかも」
 笑いながら言われると多少傷付くが、張り詰めた顔をしてるよりから気持ち的に楽なので指摘しないでおこう。
「でも驚いたなぁ。カズヤって、差別とか気にしないでしょ?」
「何故急にそんなことを」
「今思い出したけど、私と遭遇しても特に動揺してなかったし、今もいつも通りって感じで話してるからさ」
 結構動揺してたと思うけど。あ、あれは獣人族に初めて会ったからか。
「さっきだって、私を傷つけないように戦ってたし。だからカズヤって、差別とか気にしないんでしょ?」
「まぁ……種族間での差別とか興味ないからね。人族だろうが獣人だろうが、同じ人界に暮らす存在だから」
 またもや思ってることを率直に言うと、カスミはくすくすと笑っていた。
 実際、目の前にいる女の子は、確かに普通の人族とは少し異質な容姿をしているが、中身は今時の女の子と然程変わらない。
 むしろ、獣耳や尻尾が可愛く見えて…………。
 そこで自分が失礼なことを考えてることに気付き、今の考えをなかったことにするため、必死に頭を振った。
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