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第二部・一章 人界の真実
第六話
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──創世神。
人界の文明発展に大きく貢献し、そこに暮らす民を愛する存在。魔界と人界との間に絶対不可侵領域とも言える《分断の壁》を一瞬にして創造し、民が安心して暮らせるための絶対の法《禁書目録》を制定した張本人でもある。
絶大な力とカリスマ性を兼ね備えた世の理から逸脱した存在である創世神は、禁書目録が制定されてから決して人前に姿を現すことはなかった。役割を天界の騎士に委ね、自らの身を中都統制教会の祭壇に収めたのだから。
それ故に、今を生きる民は創世神の全貌を知らない。創世神を模した像などが各街や村に設置されてはいるが、全て『創世神と邪教神』の絵や想像に任せた造りのため、それぞれ容姿が異なっている。
それ故に、目の前で軽く伸びをしている──ヒヅキと名乗る──女性が創世神だと、にわかに信じられなかった。
たしかに、人間の範疇を超えた美貌ではある。痛みを全く意識しないほど見惚れてしまうほどに美しいが、それだけではとても創世神とは思えない。
未だ半信半疑のままヒヅキと名乗る女性を真っ直ぐに見据えていると、女神の如き美貌を持つ金髪の女性が、超然とした微笑を浮かべながら、カズヤの手を取ってきた。
「…………!」
掴まれた手を引くより先に優しく引かれ、抵抗もできず前のめりに倒れる。豊満な胸がカズヤを受け止め、とろけるような柔らかさで包み込む。
耳許で、甘い吐息混じりの声が囁いた。
「可哀想に……こんなに傷付いて。痛かったでしょう? すぐに治してあげるから、このままお姉さんに身を委ねてて良いからね」
ヒヅキは囁くと、カズヤの背中に腕を回し、優しく抱擁した。引かれた体は更に密着し、カズヤにとってはもう、自分を幾重にも包み込む、甘く柔らかな感覚だけが現実の全てになっていた。
──なんだろう。上手く言えないけど……この安心感は。
朧げな意識の中、胸から込み上げる絶対的な安心感に疑惑を持ち始めた。
ヒヅキに抱き締められてから、自分の中にあった様々な思いが、ゆっくりと消えていく。あらゆる責任や責務から解放されていき、目的や願いなども薄れていく。そして……罪の意識さえも。
このまま、何も考えないでいたい。ずっとこの人に、甘えていいんじゃないのか。
学生として勉強する必要も、守護隊に入るために剣を磨く必要もない。罪人となった時点で全てを失ったのなら、せめて最後の願いとして、この女性に甘えてもいいんじゃないのか。
頭上から何やら魔術構文らしき文列が読み上げられているが、女性の柔らかい胸に包まれているせいか全く気にならない。
「本当に辛かったでしょう。でももう大丈夫だからね。君が頑張った分、お姉さんが沢山あなたに与えてあげるから」
「……与える……?」
「そう。カズヤ君が望むならなんだってしてあげる。人界のいかなる食物も、いかなる剣だって与えてあげる。あなたの欲求を満たす女の子だって用意してあげるし、なんなら私があなたの相手をしてあげても良いよ」
夢のような申し立てだった。今までの頑張りが実るとはこのことか、と考えながら、欲求を口にしようとした。刹那──。
「駄目だ……」
無意識に、そんな言葉が口から零れた。
「……駄目って、一体なにが?」
ヒヅキの問いに、俺は朧げな意識のまま、掠れた声で答えた。
「自分だけ……罪から逃げるわけには……いかない……!」
そう言うとカズヤは、ヒヅキの抱擁を無理矢理抜け出し、ベッドの上から転がるように降りた。
床に片膝立ちで着地すると、自分が先程まで陥っていた感覚を再認識し、疑問を感じていた。
ヒヅキとか言う奴に抱き締められて瞬間、全部忘れようとして、全てを委ねようとした。俺は危うく、思考と判断を捨ててしまうところだった。
「……流石は、私が見込んだだけはあるわね。水樹和也君」
ベッドから降りたヒヅキは、右手を持ち上げると長い金髪の乱れを直した。続いて、まるで空中に椅子でも存在するかのようにふわりと腰を下ろすと、細い両脚を組む。すると木製の床から突如、玉座の椅子のような仰々しい椅子が迫り出した。
一見すると、二メートル先で玉座に座るヒヅキに対して忠誠を誓うような光景になっている現在ではあるが、その光景は玉座出現からわずか一秒で崩壊した。
片膝立ちを崩し、両脚で真っ直ぐ立ち上がったカズヤは、一度瞬きをしてから、慎重に言葉を選んだ。
「……先程、あなたは俺に何をしたんですか」
抱擁されていた時に起きた現象を尋ねると、ヒヅキは首を傾げてから、悠然と答えた。
「何もしていません。私はただ、純粋にあなたの怪我を治していただけです。同時に傷付き疲弊の溜まった精神も癒してあげましたが」
「精神を癒していた……そんなこと、従来の治癒術では不可能のはず」
「仰る通り。人界内での治癒術は、如何に高位の魔術師が詠唱しようと、対象者の物理的損傷を癒す効果しかあり得ない。精神に干渉するほどの治癒術を行使出来る存在など、片手で足りるほどの数しかおりません」
「……その一人が、あなたってわけか。創世神様」
ヒヅキ──創世神の真珠のような瞳をじっと見詰めてる、俺は言った。
「あなたは本物の創世神様だってことは、もう疑いようがありませんよ」
強張っていた肩を和らげながら言うと、創世神もクスッと微笑み、右手を鳴らすと、傍らの床から小型の丸テーブルと丸椅子が迫り出すように出現する。卓上の皿にはサンドイッチだの肉まんじゅうだの、ソーセージだの揚げ菓子だのが山盛りで湯気を上げている。
牢内で生温い水を啜り、かちかちのパンを齧っただけの胃は暴力的に刺激されたが、創世神の前で無作法にもご馳走を食べたりすることに罪の意識を感じる。葛藤たっぷりの俺を見た創世神は、多少言い訳がましい台詞を口にする。
「これからカズヤ君とお話しする前に、軽くシャワーでも浴びてきましょうか。一度シャワーを浴びると長い時間帰ってきませんから、カズヤ君は寛いでくれても構いませんよ」
わざとらしい口調の意図は、瞬時に察することが出来た。ようは、しばらく席を外すから好きに食べていても構わないということだろう。
「す、すいません。気を利かせてしまい……」
畏まりながら謝罪すると、椅子から立ち上がった創世神がこちらに歩み寄り、枷が嵌まったままの腕を数回叩いた。すると厳つい金輪があっけなく割れて鎖ごと床に落ちる。
四日ぶりに自由になった手首をさすりながら、カズヤは尚も葛藤していると、不意に、へくしっ、と大きなくしゃみをした。考えてみれば、ザルザードとの戦闘中に全身が噴水に落下し、全身びしょ濡れになっていた。
「食事前に体を温めたほうが良さそうね。あの扉の先に浴場があるから、先に入ってください」
「……すみません、お言葉に甘えさせていただきますか」
「あなたが着ている服は洗濯しておきますので」
「何から何まで、本当にありがとうございます」
ぺこりと頭を下げると、カズヤはもう一度くしゃみをしてから、足早に創世神の前を通過し、浴場へと続く扉へと消えた。その際カズヤは、一つだけ思った。
──人界の創造主である創世神に洗濯を任せるのって、かなら罰当たりな行為じゃないか?
今更ながら自分が取り返しのつかないことをさせていることに怯えながら、冷えた体を心地良い湯で温めた。後にここをあの人が使うのか、と考えたが、これ以上の想像は失礼だと思い中断した。
新品同様なほどに綺麗な制服を着ながら、カズヤはテーブルから熱々の肉まんじゅうを一つ取り、口に咥えた。よく魔術剣修道学園で休息日にワタルと買い食いしていた店の肉まんに優るとも劣らぬ美味に、夢中でがつがつ頬張ってしまう。
「……流石は創世神だな……。細かい味付けまで完全に再現してる」
感嘆しながら呟き、先程までいた部屋に通ずる扉を見詰めた。あの扉の向こうは今、美の化身たる創世神が……。
拳を頭にぶつけ、邪な思考を放り出す。
視線を扉から放し、創世神が暇潰し用に用意してくれた本棚に顔を向ける。あの中には、人界の創世記が記された文書が複数収納されているらしいが、創世記については学園の授業で学習したので大部分は知っている。
しかし、創世神の好意を無下にするわけにもいかない。俺は肉まんじゅうとサンドイッチを抱えられるだけ抱えてから、浴場とは反対側に歩いた。
本棚の前に設置された──創世神が迫り出した古風な椅子──に腰を降ろし、本棚から一冊の創世記を取り出す。国語辞書のように分厚い本の重量に驚きながら膝の上に置き、真ん中辺りから開く。
「ま、どうせ全部知ってる内容だから、今更見直す必要もないんだけどな」
余裕綽々で呟いたが、内容の方は後半の三割しか覚えておらず、他は重要な場面しか覚えていない。ので再確認も兼ねて読み直すことにした。
やはり学園の授業で教わった通り、魔界の民が人界の民を大量虐殺するのを見兼ねた創世神が、民に強大な力を与え大戦に勝利した話が事細かに描かれている。異なる箇所がちらほらと見受けられるが、大体は合っている。
一応まだ覚えていることに安堵しながらページをめくろうとするが、めくる手が止まり、視線がある一行に釘付けになる。
それは、学園の教科書には乗っていない文書だった。
──罪を犯す大罪人は代償として過去を失い、新たな民として人界のために戦うよう変貌した。民は創世神に絶対の忠誠を誓い、同時に強力無比たる力を得た。
「なんだこれ……授業でも、教会にも記されてないぞ……」
不可解な文書に動揺しながら、カズヤは次なるページをゆっくりとめくった。
──強力無比の力を得た民は、惰眠を貪り堕落した貴族を自らの剣で粛清し、奴隷同様の扱いを受けていた何万もの民を救済した。後に民はあらゆる非人道的行為を禁ずる公文書を提示して見せた。人界の民はそれを遵守すると供に、人界の平和を祈って戦う力を放棄した。
これは、天界の騎士が貴族制度と奴隷制度を撤廃し、新たな法《禁書目録》を制定させた時代背景と完全に一致している。少し違う場面があるが、大部分が同じだ。
「唯一違うのは……」
最後の一文。人界の平和を祈って戦う力を放棄した。
この一文だけは、教科書にも教会に置かれた聖書にも記されていない。何故この一文が記されていないのかは判らないが、絶対に重要な意味がある。
その後もカズヤは歴史文書を隈なく確認した。まだ人界の民が知らないような重要な修正がないかを。
そして、とんでもない真実を目の当たりにした。
「……嘘だ。そんなことって、有り得るのか……」
愕然としたカズヤは、本を持った手が震えてしまい、本を床に落としてしまった。
「まさか……いや、でも……」
衝撃の真実に震えながら独り言を呟き続け、歴史文書に描かれていた一文を読み上げた。
「天界の騎士が……人界の民なんて……」
異世界に転移してから、最も不可解で謎の存在なのが、天界の騎士だった。人界を守護し、秩序と平穏を取り締まる騎士は、一般人とは比べ物にならないほどの絶大な力を有している。
強力な力やカリスマ性を持ち合わせている天界の騎士の存在を、人界の民は誰一人として疑惑を抱かなかった。
だがカズヤは違う。元々が違う世界線で生まれ育ったカズヤにとって、天界の騎士に尊敬はするが疑いを持つこともある。
一見すれば正義の使者であり、力のある者が果たすべき使命を遂行している立派な人物達ではある。その点に関しては、カズヤは本当に尊敬している。
彼が疑問を感じているのは、全く別の問題だ。
人界の民はそこに全く着眼していないが、異なる世界から転移したという経験を持つカズヤからすれば、天界の騎士は自分と全く同じ境遇の持ち主とも言える。
天界の騎士は、創世神の使いとして天界なる別世界から、《召喚》と呼ばれる方法で人界に君臨している。《召喚》の技法は一つも理解しておらず、それが魔術なのかさえ定かではない。それを行えるのは、世の理から逸脱した創世神以外存在しないのだから。
次にカズヤは、震度強の地震と落石によって崖から転落したことで転移したと仮定している。ここからは推測になってしまうが、崖から転落した時、連続した自然災害の影響で向こうの世界とこちらの世界を隔てていた《次元の壁》が開通してしまい転移してしまったのではないかと、転移直後は本気で考えていた。
が、その考えは変わった。
天界の騎士という存在を確認した時、自分と彼等は同じ事象を経験していることを悟った。天界なる世界からの召喚、元いた世界からの転移。似て非なるようで結論は似ている事象だった。
その事から、俺は天界が本当に実在しており、創世神には別世界の人間をこちらに呼ぶ術を持ち合わせていると結論付けていた。
だがその結論は、ある日を境に凍結された。
騎士となったセレナ。彼女との再会を機に、俺の中にあった唯一の希望が潰えた。
人界の民である彼女が自らを、天界から召喚された騎士と名乗っていた。当初は悪い冗談かと思っていたが、現実は非情だった。
セレナは一年半前とは性格が逆転しており、冷徹無比の人族になっていた。気絶目的の殴打を躊躇いなく顔面に放ってきた時は、本気で彼女がセレナなのかと疑った。
人界の民であるセレナが、天界から召喚された騎士なはずがない。彼女と再会してから、俺は騎士の正体を徹底的に考察した。幸い時間があったため、最有力と思える結論に至ることは出来た。
創世神は恐らく、特定の条件を満たした民を選抜し、過去の記憶を剥奪した後に、天界なる架空世界と、自らが天界の騎士という架空の存在としての記憶と人格を埋め込んでいると想像できる。一見根拠のない推測に思えるが、実を言えばこの結論には過去に一度だけ至っていた。
それは、カムイという名の騎士──過去に何度も遭遇している命の恩人──が、アースリア郊外で突然呻き声を上げ意識を失う事件が起きた。その時騎士は、魔術剣修道学園での記憶を俺に話してきた。
騎士は天界で生まれ育った存在のはずなのに、何故人界の学園で過ごし卒業した記憶があるのか。偶然の一致とは思えないほどの情報を口にしていたため、余計に怪しかった。
大きな懸念を抱いていた俺は、魔術剣修道学園に残された過去の卒業生文書を調べた。とは言っても、過去の歴史はほとんどが一般生徒は閲覧禁止にされていたため、何一つとして調べることが出来なかった。一応、十二主席の座に就けば、一般生徒ではなく特待生として扱われるため情報の閲覧は出来たのだが、その前に禁書目録違反という大罪を犯してしまったため、結局何も解らずに終わってしまった。
そして今回のセレナの件。これによって、決定打に欠けていた憶測の信憑性が増した。同時に、創世神に対して、一種の感情が湧き起こっていた。
「水樹和也君……」
突然背後から名前を呼ばれ、俺は瞬時に振り向いた。後ろには、美しい金髪を一つに纏めたヒヅキ──創世神が悠然と立っていた。
辞書のように分厚い本を本棚に戻し、椅子から立ち上がると、俺は創世神の綺麗な両眼を真っ直ぐ見据え、怒りを極限まで抑え込みながら言った。
「……あなたは、一体何がしたいんですか」
宝石よりも美しく輝く両眼を見据えながら、本心を尋ねた。創世神は俺の視線を真正面から受け止めつつ、沈黙した。
しばらく経つと、創世神は一度瞼を下ろし、すぐに上げた。開いた両眼には、鋼のように硬い意志が宿っていた。
強固な意志に一瞬圧倒されると、創世神は真剣な表情で、悠然と答えを告げた。
「人界を……民を守りたいのよ」
創世神の短い言葉に何がしかのものを感じた俺は、今度はこちらが数秒間逡巡した。
彼女の発言は、まごうことなき真実から来てるものだろう。創世神の瞳からは、一切の後ろめたさも穢れもなく、一点に俺の顔を見つめながら宣言してきたのだから。
「……なら、詳しく聞かせて下さい」
「分かりました。……立って話すわけにはいかないので、座りながら話しましょう。ついて来て下さい」
そのままくるりと後ろを向くと、部屋の中央に向かって歩いていく。部屋の中央に到着すると、またもや右手を鳴らして、床から円形のテーブルと二脚の古風な椅子が迫り出してきた。
「……流石は創世神だな……。物質生成なんて造作もないってことか」
感嘆しながら呟くと、ヒヅキはフンと鼻を鳴らした。
「そんな驚くことじゃないよ」
椅子の片方に腰掛けたヒヅキは、微笑みを浮かべながら、左手で向かいの椅子を示した。指示されるまま、俺も腰を降ろす。
途端、テーブル上にお茶のカップが二つ出現。ヒヅキは自分の前のカップを持ち上げ、一口含んでから、ゆっくりと喋り始めた。
「さて……まずは何から聞きたいの?」
悠然としながら質問を促され、俺は口を開こうとした。しかし言葉が喉に詰まってしまい、何も言うことが出来なかった。
改めて考えれば、この人には聞きたいことがあまりにも多過ぎる。最優先順位から聞いていかなければ、話がごちゃごちゃになってしまい上手く整理出来なくなる。
──落ち着け俺……最初に聞くべきことは、人界やら禁書目録やら何ら関係ない、完璧に私情を挟んだことだ。
人界のシステムなど色々と聞きたいところではあったが、まず創世神と対面した時に一番初めに聞くべきことは、この世界で目覚めてから何一つ変わっていなかった。
「創世神。あなたが、俺を別世界からこの世界に転移させた張本人なのですか?」
「……半分は正解です」
創世神の答えは、意味深なものだった。
「私は、あなたが人界に於いて必要不可欠な存在だから、魂だけを転移させたのです」
その台詞の中に存在した理解不可能な言葉に、俺は迷わず指摘した。
「さっきも言ってましたが、魂だけの転移ってなんですか?」
「今のあなたに話す気はありません」
その回答を聞いた瞬間、「ふざけんなよ!」と怒鳴ろうとした、が。
ここで焦りや動揺を見せてしまったら、冷静な判断が出来なくなる。今すぐに聞きたいが、今は他にも聞かなかければならない言葉がある。
「じゃあ、俺が人界に必要不可欠と言いましたが、それは何故ですか?」
平静を装いながら尋ねると、またしても答えは簡潔なものだった。
「人界を救ってもらうためです」
「……またそれですか」
同じような台詞を少し前にも聞いていたため、少しだけ呆れながら呟いた。
「創世神、いい加減はっきりと教えてくれ。あなたは一体何を目的として動いているのか」
焦燥に駆られているせいで強気な口調になってしまったが、創世神は一切動じずに、なおも悠然とした面立ちで答えた。
「水樹和也君。あなたは、人界の民と触れて、何を感じましたか?」
「なにって……それは?」
突然の意味不明な質問の答えに悩みながら、ここ一年半の記憶を振り返る。
人界の人々と過ごした時間は、何度思い出しても充実しており、人として大切なものを解らせてもらうものばかりだった。困っている人を助け、他者の幸せを自分のことのように喜び、不幸を泣いてあげられる優しさを持っている。犯罪などの非人道的な行為には一切手を出さず、奉仕の心を常に大切にしている人ばかりだった。
元の薄汚れた世界にいた俺は、この世界こそが人類が目指すべき理想社会なのだと思っていた。
だがそれは違う。問題のないこと自体が問題だった。
この世界は、あまりにも平和すぎる。整然と、美しく運営されすぎている。人間ならば互いに争い合うはず。寧ろそれこそが、人間の本質の一面だと言ってもいい。だが、この世界には争いがなく、一度だって戦争や殺人すら起きない。
これだけで、異世界の人間が自分のいた世界の人間よりも遥かに優ることが解る。
世界は違えど同じ人間の彼等は、欲望が必ずあるはず。なのに何故一度も争いが起きないのか……。それは、厳格なる法と絶対の力を持つ使者が存在するから。
法を一度でも破れば老若男女関係なく牢獄行き。この厳格な規則が、人界の民全員の欲望を縛り付けている。それ故に、民は全員、善なる心を強要させられている。
その実態を知った時、俺は人界の人間全員が薄気味悪く見えた。この笑顔の裏には、狂気に満ちたどす黒い欲望が隠れているのではないかと。
無論全員がそうではない。大多数の人はそんな汚い欲望とは縁遠い性格をしていた。
しかし、やはり中には法の抜け道を見つけ悪事を働く輩もいる。
そいつと対面した時、俺は痛感させられた。人間とは本来、善と悪の両方を持ち合わせた生き物なのだと。
それ以降、俺は人界の民にも少しばかり疑惑を抱いた。彼等の法に対する忠誠心の高さは異常だと、密かに思い始めていた。
「この世界の人は優しいですよ。しかし、その行為の裏には、強要を感じます」
「……どうゆう意味かしら?」
「彼等は、心の底から望んで善なる行動を取っていない。全員がそうではないでしょうけど、多くの人間は、法を守らなきゃ連行されてしまう恐怖に怯えながら、無理矢理従っているだけなんです」
「つまり、あなたが言いたいことって」
「法を守りすぎるほど守る。それが間違った行いだと解っていながら、見過ごしてしまうほどに」
自分の中の考えを纏めた答えを伝えると、創世神はゆっくりと肯定の頷きを見せた。
「正解。やっぱり、別世界から来た人は、世界の捉え方に敏感ね」
「……褒められたものじゃありません。俺自身が法を破ったことで解った答えなので」
あの日、自分の本当に大切な……自らの心を失わないために取った行動に対しては一切の迷いはない。間違っているのは法なのだから。
俺は数秒間の思慮を終えると、顔を上げ言った。
「…………それで、今の質問と転移には何の関係が?」
話を逸らされる前に軌道修正すると、表情を引き締めた創世神が、先程見せた強固な意志を宿した瞳を向けながら言った。
「私があなたを求めたのは、二つの理由があるわ」
人界の文明発展に大きく貢献し、そこに暮らす民を愛する存在。魔界と人界との間に絶対不可侵領域とも言える《分断の壁》を一瞬にして創造し、民が安心して暮らせるための絶対の法《禁書目録》を制定した張本人でもある。
絶大な力とカリスマ性を兼ね備えた世の理から逸脱した存在である創世神は、禁書目録が制定されてから決して人前に姿を現すことはなかった。役割を天界の騎士に委ね、自らの身を中都統制教会の祭壇に収めたのだから。
それ故に、今を生きる民は創世神の全貌を知らない。創世神を模した像などが各街や村に設置されてはいるが、全て『創世神と邪教神』の絵や想像に任せた造りのため、それぞれ容姿が異なっている。
それ故に、目の前で軽く伸びをしている──ヒヅキと名乗る──女性が創世神だと、にわかに信じられなかった。
たしかに、人間の範疇を超えた美貌ではある。痛みを全く意識しないほど見惚れてしまうほどに美しいが、それだけではとても創世神とは思えない。
未だ半信半疑のままヒヅキと名乗る女性を真っ直ぐに見据えていると、女神の如き美貌を持つ金髪の女性が、超然とした微笑を浮かべながら、カズヤの手を取ってきた。
「…………!」
掴まれた手を引くより先に優しく引かれ、抵抗もできず前のめりに倒れる。豊満な胸がカズヤを受け止め、とろけるような柔らかさで包み込む。
耳許で、甘い吐息混じりの声が囁いた。
「可哀想に……こんなに傷付いて。痛かったでしょう? すぐに治してあげるから、このままお姉さんに身を委ねてて良いからね」
ヒヅキは囁くと、カズヤの背中に腕を回し、優しく抱擁した。引かれた体は更に密着し、カズヤにとってはもう、自分を幾重にも包み込む、甘く柔らかな感覚だけが現実の全てになっていた。
──なんだろう。上手く言えないけど……この安心感は。
朧げな意識の中、胸から込み上げる絶対的な安心感に疑惑を持ち始めた。
ヒヅキに抱き締められてから、自分の中にあった様々な思いが、ゆっくりと消えていく。あらゆる責任や責務から解放されていき、目的や願いなども薄れていく。そして……罪の意識さえも。
このまま、何も考えないでいたい。ずっとこの人に、甘えていいんじゃないのか。
学生として勉強する必要も、守護隊に入るために剣を磨く必要もない。罪人となった時点で全てを失ったのなら、せめて最後の願いとして、この女性に甘えてもいいんじゃないのか。
頭上から何やら魔術構文らしき文列が読み上げられているが、女性の柔らかい胸に包まれているせいか全く気にならない。
「本当に辛かったでしょう。でももう大丈夫だからね。君が頑張った分、お姉さんが沢山あなたに与えてあげるから」
「……与える……?」
「そう。カズヤ君が望むならなんだってしてあげる。人界のいかなる食物も、いかなる剣だって与えてあげる。あなたの欲求を満たす女の子だって用意してあげるし、なんなら私があなたの相手をしてあげても良いよ」
夢のような申し立てだった。今までの頑張りが実るとはこのことか、と考えながら、欲求を口にしようとした。刹那──。
「駄目だ……」
無意識に、そんな言葉が口から零れた。
「……駄目って、一体なにが?」
ヒヅキの問いに、俺は朧げな意識のまま、掠れた声で答えた。
「自分だけ……罪から逃げるわけには……いかない……!」
そう言うとカズヤは、ヒヅキの抱擁を無理矢理抜け出し、ベッドの上から転がるように降りた。
床に片膝立ちで着地すると、自分が先程まで陥っていた感覚を再認識し、疑問を感じていた。
ヒヅキとか言う奴に抱き締められて瞬間、全部忘れようとして、全てを委ねようとした。俺は危うく、思考と判断を捨ててしまうところだった。
「……流石は、私が見込んだだけはあるわね。水樹和也君」
ベッドから降りたヒヅキは、右手を持ち上げると長い金髪の乱れを直した。続いて、まるで空中に椅子でも存在するかのようにふわりと腰を下ろすと、細い両脚を組む。すると木製の床から突如、玉座の椅子のような仰々しい椅子が迫り出した。
一見すると、二メートル先で玉座に座るヒヅキに対して忠誠を誓うような光景になっている現在ではあるが、その光景は玉座出現からわずか一秒で崩壊した。
片膝立ちを崩し、両脚で真っ直ぐ立ち上がったカズヤは、一度瞬きをしてから、慎重に言葉を選んだ。
「……先程、あなたは俺に何をしたんですか」
抱擁されていた時に起きた現象を尋ねると、ヒヅキは首を傾げてから、悠然と答えた。
「何もしていません。私はただ、純粋にあなたの怪我を治していただけです。同時に傷付き疲弊の溜まった精神も癒してあげましたが」
「精神を癒していた……そんなこと、従来の治癒術では不可能のはず」
「仰る通り。人界内での治癒術は、如何に高位の魔術師が詠唱しようと、対象者の物理的損傷を癒す効果しかあり得ない。精神に干渉するほどの治癒術を行使出来る存在など、片手で足りるほどの数しかおりません」
「……その一人が、あなたってわけか。創世神様」
ヒヅキ──創世神の真珠のような瞳をじっと見詰めてる、俺は言った。
「あなたは本物の創世神様だってことは、もう疑いようがありませんよ」
強張っていた肩を和らげながら言うと、創世神もクスッと微笑み、右手を鳴らすと、傍らの床から小型の丸テーブルと丸椅子が迫り出すように出現する。卓上の皿にはサンドイッチだの肉まんじゅうだの、ソーセージだの揚げ菓子だのが山盛りで湯気を上げている。
牢内で生温い水を啜り、かちかちのパンを齧っただけの胃は暴力的に刺激されたが、創世神の前で無作法にもご馳走を食べたりすることに罪の意識を感じる。葛藤たっぷりの俺を見た創世神は、多少言い訳がましい台詞を口にする。
「これからカズヤ君とお話しする前に、軽くシャワーでも浴びてきましょうか。一度シャワーを浴びると長い時間帰ってきませんから、カズヤ君は寛いでくれても構いませんよ」
わざとらしい口調の意図は、瞬時に察することが出来た。ようは、しばらく席を外すから好きに食べていても構わないということだろう。
「す、すいません。気を利かせてしまい……」
畏まりながら謝罪すると、椅子から立ち上がった創世神がこちらに歩み寄り、枷が嵌まったままの腕を数回叩いた。すると厳つい金輪があっけなく割れて鎖ごと床に落ちる。
四日ぶりに自由になった手首をさすりながら、カズヤは尚も葛藤していると、不意に、へくしっ、と大きなくしゃみをした。考えてみれば、ザルザードとの戦闘中に全身が噴水に落下し、全身びしょ濡れになっていた。
「食事前に体を温めたほうが良さそうね。あの扉の先に浴場があるから、先に入ってください」
「……すみません、お言葉に甘えさせていただきますか」
「あなたが着ている服は洗濯しておきますので」
「何から何まで、本当にありがとうございます」
ぺこりと頭を下げると、カズヤはもう一度くしゃみをしてから、足早に創世神の前を通過し、浴場へと続く扉へと消えた。その際カズヤは、一つだけ思った。
──人界の創造主である創世神に洗濯を任せるのって、かなら罰当たりな行為じゃないか?
今更ながら自分が取り返しのつかないことをさせていることに怯えながら、冷えた体を心地良い湯で温めた。後にここをあの人が使うのか、と考えたが、これ以上の想像は失礼だと思い中断した。
新品同様なほどに綺麗な制服を着ながら、カズヤはテーブルから熱々の肉まんじゅうを一つ取り、口に咥えた。よく魔術剣修道学園で休息日にワタルと買い食いしていた店の肉まんに優るとも劣らぬ美味に、夢中でがつがつ頬張ってしまう。
「……流石は創世神だな……。細かい味付けまで完全に再現してる」
感嘆しながら呟き、先程までいた部屋に通ずる扉を見詰めた。あの扉の向こうは今、美の化身たる創世神が……。
拳を頭にぶつけ、邪な思考を放り出す。
視線を扉から放し、創世神が暇潰し用に用意してくれた本棚に顔を向ける。あの中には、人界の創世記が記された文書が複数収納されているらしいが、創世記については学園の授業で学習したので大部分は知っている。
しかし、創世神の好意を無下にするわけにもいかない。俺は肉まんじゅうとサンドイッチを抱えられるだけ抱えてから、浴場とは反対側に歩いた。
本棚の前に設置された──創世神が迫り出した古風な椅子──に腰を降ろし、本棚から一冊の創世記を取り出す。国語辞書のように分厚い本の重量に驚きながら膝の上に置き、真ん中辺りから開く。
「ま、どうせ全部知ってる内容だから、今更見直す必要もないんだけどな」
余裕綽々で呟いたが、内容の方は後半の三割しか覚えておらず、他は重要な場面しか覚えていない。ので再確認も兼ねて読み直すことにした。
やはり学園の授業で教わった通り、魔界の民が人界の民を大量虐殺するのを見兼ねた創世神が、民に強大な力を与え大戦に勝利した話が事細かに描かれている。異なる箇所がちらほらと見受けられるが、大体は合っている。
一応まだ覚えていることに安堵しながらページをめくろうとするが、めくる手が止まり、視線がある一行に釘付けになる。
それは、学園の教科書には乗っていない文書だった。
──罪を犯す大罪人は代償として過去を失い、新たな民として人界のために戦うよう変貌した。民は創世神に絶対の忠誠を誓い、同時に強力無比たる力を得た。
「なんだこれ……授業でも、教会にも記されてないぞ……」
不可解な文書に動揺しながら、カズヤは次なるページをゆっくりとめくった。
──強力無比の力を得た民は、惰眠を貪り堕落した貴族を自らの剣で粛清し、奴隷同様の扱いを受けていた何万もの民を救済した。後に民はあらゆる非人道的行為を禁ずる公文書を提示して見せた。人界の民はそれを遵守すると供に、人界の平和を祈って戦う力を放棄した。
これは、天界の騎士が貴族制度と奴隷制度を撤廃し、新たな法《禁書目録》を制定させた時代背景と完全に一致している。少し違う場面があるが、大部分が同じだ。
「唯一違うのは……」
最後の一文。人界の平和を祈って戦う力を放棄した。
この一文だけは、教科書にも教会に置かれた聖書にも記されていない。何故この一文が記されていないのかは判らないが、絶対に重要な意味がある。
その後もカズヤは歴史文書を隈なく確認した。まだ人界の民が知らないような重要な修正がないかを。
そして、とんでもない真実を目の当たりにした。
「……嘘だ。そんなことって、有り得るのか……」
愕然としたカズヤは、本を持った手が震えてしまい、本を床に落としてしまった。
「まさか……いや、でも……」
衝撃の真実に震えながら独り言を呟き続け、歴史文書に描かれていた一文を読み上げた。
「天界の騎士が……人界の民なんて……」
異世界に転移してから、最も不可解で謎の存在なのが、天界の騎士だった。人界を守護し、秩序と平穏を取り締まる騎士は、一般人とは比べ物にならないほどの絶大な力を有している。
強力な力やカリスマ性を持ち合わせている天界の騎士の存在を、人界の民は誰一人として疑惑を抱かなかった。
だがカズヤは違う。元々が違う世界線で生まれ育ったカズヤにとって、天界の騎士に尊敬はするが疑いを持つこともある。
一見すれば正義の使者であり、力のある者が果たすべき使命を遂行している立派な人物達ではある。その点に関しては、カズヤは本当に尊敬している。
彼が疑問を感じているのは、全く別の問題だ。
人界の民はそこに全く着眼していないが、異なる世界から転移したという経験を持つカズヤからすれば、天界の騎士は自分と全く同じ境遇の持ち主とも言える。
天界の騎士は、創世神の使いとして天界なる別世界から、《召喚》と呼ばれる方法で人界に君臨している。《召喚》の技法は一つも理解しておらず、それが魔術なのかさえ定かではない。それを行えるのは、世の理から逸脱した創世神以外存在しないのだから。
次にカズヤは、震度強の地震と落石によって崖から転落したことで転移したと仮定している。ここからは推測になってしまうが、崖から転落した時、連続した自然災害の影響で向こうの世界とこちらの世界を隔てていた《次元の壁》が開通してしまい転移してしまったのではないかと、転移直後は本気で考えていた。
が、その考えは変わった。
天界の騎士という存在を確認した時、自分と彼等は同じ事象を経験していることを悟った。天界なる世界からの召喚、元いた世界からの転移。似て非なるようで結論は似ている事象だった。
その事から、俺は天界が本当に実在しており、創世神には別世界の人間をこちらに呼ぶ術を持ち合わせていると結論付けていた。
だがその結論は、ある日を境に凍結された。
騎士となったセレナ。彼女との再会を機に、俺の中にあった唯一の希望が潰えた。
人界の民である彼女が自らを、天界から召喚された騎士と名乗っていた。当初は悪い冗談かと思っていたが、現実は非情だった。
セレナは一年半前とは性格が逆転しており、冷徹無比の人族になっていた。気絶目的の殴打を躊躇いなく顔面に放ってきた時は、本気で彼女がセレナなのかと疑った。
人界の民であるセレナが、天界から召喚された騎士なはずがない。彼女と再会してから、俺は騎士の正体を徹底的に考察した。幸い時間があったため、最有力と思える結論に至ることは出来た。
創世神は恐らく、特定の条件を満たした民を選抜し、過去の記憶を剥奪した後に、天界なる架空世界と、自らが天界の騎士という架空の存在としての記憶と人格を埋め込んでいると想像できる。一見根拠のない推測に思えるが、実を言えばこの結論には過去に一度だけ至っていた。
それは、カムイという名の騎士──過去に何度も遭遇している命の恩人──が、アースリア郊外で突然呻き声を上げ意識を失う事件が起きた。その時騎士は、魔術剣修道学園での記憶を俺に話してきた。
騎士は天界で生まれ育った存在のはずなのに、何故人界の学園で過ごし卒業した記憶があるのか。偶然の一致とは思えないほどの情報を口にしていたため、余計に怪しかった。
大きな懸念を抱いていた俺は、魔術剣修道学園に残された過去の卒業生文書を調べた。とは言っても、過去の歴史はほとんどが一般生徒は閲覧禁止にされていたため、何一つとして調べることが出来なかった。一応、十二主席の座に就けば、一般生徒ではなく特待生として扱われるため情報の閲覧は出来たのだが、その前に禁書目録違反という大罪を犯してしまったため、結局何も解らずに終わってしまった。
そして今回のセレナの件。これによって、決定打に欠けていた憶測の信憑性が増した。同時に、創世神に対して、一種の感情が湧き起こっていた。
「水樹和也君……」
突然背後から名前を呼ばれ、俺は瞬時に振り向いた。後ろには、美しい金髪を一つに纏めたヒヅキ──創世神が悠然と立っていた。
辞書のように分厚い本を本棚に戻し、椅子から立ち上がると、俺は創世神の綺麗な両眼を真っ直ぐ見据え、怒りを極限まで抑え込みながら言った。
「……あなたは、一体何がしたいんですか」
宝石よりも美しく輝く両眼を見据えながら、本心を尋ねた。創世神は俺の視線を真正面から受け止めつつ、沈黙した。
しばらく経つと、創世神は一度瞼を下ろし、すぐに上げた。開いた両眼には、鋼のように硬い意志が宿っていた。
強固な意志に一瞬圧倒されると、創世神は真剣な表情で、悠然と答えを告げた。
「人界を……民を守りたいのよ」
創世神の短い言葉に何がしかのものを感じた俺は、今度はこちらが数秒間逡巡した。
彼女の発言は、まごうことなき真実から来てるものだろう。創世神の瞳からは、一切の後ろめたさも穢れもなく、一点に俺の顔を見つめながら宣言してきたのだから。
「……なら、詳しく聞かせて下さい」
「分かりました。……立って話すわけにはいかないので、座りながら話しましょう。ついて来て下さい」
そのままくるりと後ろを向くと、部屋の中央に向かって歩いていく。部屋の中央に到着すると、またもや右手を鳴らして、床から円形のテーブルと二脚の古風な椅子が迫り出してきた。
「……流石は創世神だな……。物質生成なんて造作もないってことか」
感嘆しながら呟くと、ヒヅキはフンと鼻を鳴らした。
「そんな驚くことじゃないよ」
椅子の片方に腰掛けたヒヅキは、微笑みを浮かべながら、左手で向かいの椅子を示した。指示されるまま、俺も腰を降ろす。
途端、テーブル上にお茶のカップが二つ出現。ヒヅキは自分の前のカップを持ち上げ、一口含んでから、ゆっくりと喋り始めた。
「さて……まずは何から聞きたいの?」
悠然としながら質問を促され、俺は口を開こうとした。しかし言葉が喉に詰まってしまい、何も言うことが出来なかった。
改めて考えれば、この人には聞きたいことがあまりにも多過ぎる。最優先順位から聞いていかなければ、話がごちゃごちゃになってしまい上手く整理出来なくなる。
──落ち着け俺……最初に聞くべきことは、人界やら禁書目録やら何ら関係ない、完璧に私情を挟んだことだ。
人界のシステムなど色々と聞きたいところではあったが、まず創世神と対面した時に一番初めに聞くべきことは、この世界で目覚めてから何一つ変わっていなかった。
「創世神。あなたが、俺を別世界からこの世界に転移させた張本人なのですか?」
「……半分は正解です」
創世神の答えは、意味深なものだった。
「私は、あなたが人界に於いて必要不可欠な存在だから、魂だけを転移させたのです」
その台詞の中に存在した理解不可能な言葉に、俺は迷わず指摘した。
「さっきも言ってましたが、魂だけの転移ってなんですか?」
「今のあなたに話す気はありません」
その回答を聞いた瞬間、「ふざけんなよ!」と怒鳴ろうとした、が。
ここで焦りや動揺を見せてしまったら、冷静な判断が出来なくなる。今すぐに聞きたいが、今は他にも聞かなかければならない言葉がある。
「じゃあ、俺が人界に必要不可欠と言いましたが、それは何故ですか?」
平静を装いながら尋ねると、またしても答えは簡潔なものだった。
「人界を救ってもらうためです」
「……またそれですか」
同じような台詞を少し前にも聞いていたため、少しだけ呆れながら呟いた。
「創世神、いい加減はっきりと教えてくれ。あなたは一体何を目的として動いているのか」
焦燥に駆られているせいで強気な口調になってしまったが、創世神は一切動じずに、なおも悠然とした面立ちで答えた。
「水樹和也君。あなたは、人界の民と触れて、何を感じましたか?」
「なにって……それは?」
突然の意味不明な質問の答えに悩みながら、ここ一年半の記憶を振り返る。
人界の人々と過ごした時間は、何度思い出しても充実しており、人として大切なものを解らせてもらうものばかりだった。困っている人を助け、他者の幸せを自分のことのように喜び、不幸を泣いてあげられる優しさを持っている。犯罪などの非人道的な行為には一切手を出さず、奉仕の心を常に大切にしている人ばかりだった。
元の薄汚れた世界にいた俺は、この世界こそが人類が目指すべき理想社会なのだと思っていた。
だがそれは違う。問題のないこと自体が問題だった。
この世界は、あまりにも平和すぎる。整然と、美しく運営されすぎている。人間ならば互いに争い合うはず。寧ろそれこそが、人間の本質の一面だと言ってもいい。だが、この世界には争いがなく、一度だって戦争や殺人すら起きない。
これだけで、異世界の人間が自分のいた世界の人間よりも遥かに優ることが解る。
世界は違えど同じ人間の彼等は、欲望が必ずあるはず。なのに何故一度も争いが起きないのか……。それは、厳格なる法と絶対の力を持つ使者が存在するから。
法を一度でも破れば老若男女関係なく牢獄行き。この厳格な規則が、人界の民全員の欲望を縛り付けている。それ故に、民は全員、善なる心を強要させられている。
その実態を知った時、俺は人界の人間全員が薄気味悪く見えた。この笑顔の裏には、狂気に満ちたどす黒い欲望が隠れているのではないかと。
無論全員がそうではない。大多数の人はそんな汚い欲望とは縁遠い性格をしていた。
しかし、やはり中には法の抜け道を見つけ悪事を働く輩もいる。
そいつと対面した時、俺は痛感させられた。人間とは本来、善と悪の両方を持ち合わせた生き物なのだと。
それ以降、俺は人界の民にも少しばかり疑惑を抱いた。彼等の法に対する忠誠心の高さは異常だと、密かに思い始めていた。
「この世界の人は優しいですよ。しかし、その行為の裏には、強要を感じます」
「……どうゆう意味かしら?」
「彼等は、心の底から望んで善なる行動を取っていない。全員がそうではないでしょうけど、多くの人間は、法を守らなきゃ連行されてしまう恐怖に怯えながら、無理矢理従っているだけなんです」
「つまり、あなたが言いたいことって」
「法を守りすぎるほど守る。それが間違った行いだと解っていながら、見過ごしてしまうほどに」
自分の中の考えを纏めた答えを伝えると、創世神はゆっくりと肯定の頷きを見せた。
「正解。やっぱり、別世界から来た人は、世界の捉え方に敏感ね」
「……褒められたものじゃありません。俺自身が法を破ったことで解った答えなので」
あの日、自分の本当に大切な……自らの心を失わないために取った行動に対しては一切の迷いはない。間違っているのは法なのだから。
俺は数秒間の思慮を終えると、顔を上げ言った。
「…………それで、今の質問と転移には何の関係が?」
話を逸らされる前に軌道修正すると、表情を引き締めた創世神が、先程見せた強固な意志を宿した瞳を向けながら言った。
「私があなたを求めたのは、二つの理由があるわ」
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