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第二部・二章 誇り高き竜
第十四話
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何故だ!! 何故、こちらの攻撃が当たらない!
カムイは焦りを隠しながら、懸命に剣を振り続ける。だがそれらは全て、暗黒騎士は一切動じずに軽くいなしている。
それだけじゃない。奴から放たれる攻撃を捌くことが出来なくなっている。一撃一撃が受け流すのが困難なほど重く素早い上に、繋ぎ目が恐ろしいほど滑らかだ。
こちらの攻撃を軽く受け流した瞬間、怒涛の連続攻撃が返ってくる。それらは受け流すことが出来ず、少しずつ負荷が蓄積されていくのが分かる。
このままでは負ける! 瞬時に理解すると、相手の攻撃を敢えて受け、その衝撃で後方へ飛び退こうとする。
だがしかし、それすらも読んでいたと言うのか。敢えて受けた攻撃は今までよりも強力で重い一撃だった。
「グッ──!?」
思わず呻き声が漏れ、遙か後方へ後退──ではなく、吹き飛ばされる。思いがけない一撃故に、体勢も崩れているため、受け身を取ることが出来ない。
二十メルほど吹き飛ばされると、灼熱の大地に背中から乱暴に着地する。一気に酸素が吐き出され、身を起こすことが出来ずその場で倒れ伏す。
馬鹿な……この僕が、天界の騎士である僕が、下賤な輩に敗れるわけが……
朦朧とする意識の中、その思考だけが巡った。
一年前よりも僕は強くなった。解放術も、剣術も死ぬほど努力してきた。
なのに何故、奴に手も足も出ないんだ。何故、こうも一方的にやられているんだ。
その問いに答えるように、低い声が耳に届く。
「弱くなったな……天界の騎士よ」
弱くなっただと……馬鹿を言うな。僕は確実に強くなったと自負している。貴様等を葬るために、今までの何倍もの努力をしてきた。
そう言い返そうとしたが、それより先に放たれた言葉によって、口を強引に閉じた。
「迷いに翻弄されたか……愚か者め」
なんだと……? 僕が、迷いに翻弄されているだと?
一体僕が何に迷うと言うんだ。天界の騎士の務めは、人界の民を守り、魔界の民を葬ることだ。
僕はその務めに疑問を持たず、むしろ誇らしさがある。創世神様に絶対の忠誠も誓っているし、今は亡き幼馴染との約束のために剣を……。
いや、僕は本当に、迷っていないのか……?
創世神様からの真実を聞いてから、僕は何度も迷い続けていた。自分が天界の騎士として戦い続けることを、罪を背負った僕に守れる者があるのかを。
「戦場に於いて迷いは全てを狂わせる。貴様の剣技は、素人同然だったぞ」
いつの間にか眼前に到達した暗黒騎士は、兜の奥から冷ややかな瞳を向けてきている。
その瞳には、一切の迷いも躊躇いもなく。
ただ一つ。僕を斬り殺す決意のみが滞在している。
「我々の目的は戴天の排除だけだが、手負いの騎士を見逃すほど甘くはない……非力な自分を恨め」
その言葉が終わると同時に、奴の黒光りする剣が煌く。それは音を立てず振り下ろされ、僕の心臓を貫く──寸前。
「はぁぁぁッ!!」
気合声と共に接近する足音、そして、空気を裂く音──。
暗黒騎士はすぐに身を翻し、剣を真上に構えた。瞬間、黒光りする剣と漆黒の刀身が衝突し、激しく擦れ合う音が響いた。
僕は視線を逸らし、現れた剣の主を捉えた。そこにいたのは、一人の少年──カズヤだった。
だがそんなはずはない。暗黒騎士の片割れの相手をしているはずの彼が、こんな早く来るわけがない。
まさか、倒したのか。疲弊していながらも、騎士を。
信じられない。戴天との激戦に続いて、魔界の民を相手に短時間で──しかも、さしたる外傷もなく終わらせるなんて、相応なる実力がなければ不可能だ。
何故か解放術を覚えているのもそうだが、この少年は本当に何者なんだ。本当に、彼は人界の民なのか?
不意に脳裏を横切った疑問は、長い時間頭から消えることはなかった。
分かっている。彼は創世神様も愛する人界の民であり、僕が知り得る中で一番勇敢な少年であることを。事実、暗黒騎士に臆せず挑んでいるではないか。
だがそれが問題なのだ。本来ならば怯えて当然の存在を眼前に、彼は一切恐怖せず剣を向けた。殺人を禁ずる禁書目録を気にする様子もなく──先の剣技だって、戦闘に特化したような感じだった。
どうして……そこまで、戦いに慣れている。いくら魔界の民と多く接触したとはいえ、アースリア以降接触する可能性すらないのに、何故彼はあそこまで備えているんだ。
何故彼は……禁書目録違反を恐れない。禁書目録違反は、人界の民にとって一番畏怖される対象だというのに、なんで彼は恐れずに剣を振るえる? 法に縛られない意志を持っているのか?
だがそれは、単なる欲望だ。法により禁じられたことを欲する汚い欲望──魔界の民と同様な存在だ。
まさかカズヤは、その欲望すらも受け入れているのか。醜い自分も、迷い続ける自分すらも受け入れているから、強靭な意志を持っているというのか。
「……敵わないな…………」
無意識に零れた一言は、未だ迷い葛藤を続ける自分の奥深くに、染み渡った。
勝算は、実のところ何とも言えない。前回の戦闘では、全てにおいて奴より劣っていた。一年間の血の滲むような努力が無駄ではないが、それでも実力差は歴然としている。
だが、勝てる気がしないわけではない。
現に今、俺は奴と拮抗状態にある。
以前は初撃で吹き飛ばされたのに、今は互角の鍔迫り合いに及んでいる。俺の実力が上がったのか、そんな考えは一切しない。
この瞬間だけは、自分の実力など考えはしない。考えるのは、ただ一つ──。
「殺す……っ!!」
鋭い呼気と共に吐き出しながら、騎士の鎧に右足を置き、強く蹴りつける。
空中でバク転し後退。着地すると、床を蹴った。
遠い間合いから右手の剣を横薙ぎに繰り出す。騎士は剣でそれを難なく受け止める。火花が散り、二人の顔を一瞬明るく照らす。
金属がぶつかりあうその衝撃音が戦闘開始の合図だったとでも言うように、一気に加速した二人の剣戟が周囲の空間を圧した。
それは、俺が経験した多くの戦闘の中でももっともイレギュラーで、人間的な戦いだった。二人とも一度お互いの手の内を見せている。
敵は歴戦の騎士。単純な連続攻撃──ジンに放った自己流派は全て読まれると思っていい。
常に戦闘時は相手を分析・解析のちに的確な攻撃を導き出していたが今回は一切使わず、焔天剣を己の戦闘経験が命ずるままに振り続けた。
情報処理能力の向上か、限界まで加速された知覚に後押しされてか、両腕は通常時を軽く上回る速度で動く。自分の目ですら、残像によって剣が数本、数十本にも見えるほどだ。だが──。
騎士は舌を巻くほどの正確さで俺の攻撃を次々と叩き落とした。その合間にも、少しでもこちらに隙ができると鋭い一撃を浴びせてくる。それを俺が瞬間的反応だけで迎撃・回避する。局面は容易に動こうとしなかった。少しでも相手より速く、正確に撃ち込むことが優先される中、俺は騎士の両眼に意識を集中させた。二人の視線が交錯する。
騎士の双眸はあくまで冷ややかだった。以前同様、人間らしさなど微塵も感じ取れない。
不意に、俺の背中をわずかな悪寒が走った。
ここに来る前、こいつはカムイさんにトドメを刺そうとした。つまりそれは、天界の騎士でも勝てない相手ということ。しかも、俺が一番尊敬しているカムイさんが。
そんな人間に、俺は勝てるのか……。
「うおおおおおお!!」
心の奥に生まれた、克服したはずのごく小さな恐怖のかけらを吹き飛ばそうとするように俺は絶叫した。更に剣速を加速させ、秒間何発もの攻撃を撃ち込むが、騎士の表情は変わらない。目にも留まらぬ速さで、的確に俺の攻撃を弾き返す。
弄ばれている──!?
恐怖が焦りに変わる。互角に見えた剣戟も、実はいつでも反撃を差し挟み、俺に一撃を浴びせる余裕があるのではないのか。
俺の心を疑念が覆っていく。
「くそぉっ……!」
ならば──これでどうだ──!
剣が交錯した瞬間、俺は解放術を締め括る最後の構文──人界語で『解放』の意を持つ一文を詠唱しようと、口を開きかける。
──だが、騎士はそれを、俺が解放術を出すのを待ち構えていたのだった。奴の双眸にはじめて感情が浮かんだ。それは──勝利を確信した笑みだった。
騎士は互角の剣戟を繰り返していたわけではなく、敢えて合わせているのだ。それは察知した俺が、焦りのあまり切り札を放つのを待ち続けた。
解放術は強力だが──その分隙も大きい。もし解放術を回避されれば、その瞬間奴の剣が俺の首を跳ね飛ばす。
奴はそれを狙っていた。狙いに気付かなかった俺は、またもや自分の実力を見誤るなんて……。
と、相手は考えているに決まっている。
そして俺は、その考えを読んでいた。
相手の勝利に確信した双眸を確認した途端、俺は剣を上空に投げた。
双眸は驚愕の色に染まったのを確認した瞬間、俺は騎士の意識が俺ではなく、上にいく剣に向いたと直感した。
そして俺は、騎士の右腕に組みついた。
「何ッ──!?」
驚愕の声が上がると同時に、右腕を軸に身を翻す。背中を相手の鎧につけ、騎士の右足を払いバランスを崩す。
重心がこちらに傾いたのを感じ取ると、そのまま前に投げた。
暗黒騎士は重心に抗うことができず、宙で身を反転させ、勢いよく背中から地面に叩き落とされる。
「グアッ──!!」
勢いよく噴き出す声が聞こえた途端、鎧の上に右足を叩きつけ、宙に放った剣を手に戻し、騎士の首筋に突きつける。
「俺の……勝ちだ」
冷ややかに言い放ち、以前と立ち位置が変わって、地に伏す暗黒騎士を見下ろした。
剣戟の間、相手の行動を分析・解析する行為をせずに、全く別のことを──無意識に考えながら戦っていた。
俺とあいつは一度剣を交えている。その時に互いの力量差は明確になっている。だが一年の間に強くなった俺と対峙した騎士ならば、最初は俺を殺さずにある程度の力量を測るために、敢えて反撃に出ようとはしない。
トドメを刺すなら、決定的な隙が生まれた瞬間。その隙は解放術。
奴は既に俺が解放術を使えることを、ジンとの戦闘時に感じ取っていたに違いない。だからこそ、俺が解放術を使うまで下手に反撃に出なかったんだ。
この考えを見出せたのは、俺が敵の立場になって考えたからだ。
俺ならば、既に実力を知っている相手に余計な体力を削らず、一撃で終わらせたいと考える。特に、この後手負いとはいえ守護竜と戦うとなれば、体力を温存するような戦い方をする。
だから俺は、戦闘の最中相手の眼だけを見ていた。わずかな瞳孔の動きを逃さず捉え、相手の心境を瞬時に処理し思考を読むことで、敵の行動がある程度読めるようになる。
そして絶好の機会が訪れた。こちらが解放術──隙を作るように誘い出し、相手が見せた一瞬の余裕を突いて、俺は剣を捨てた。
当然、相手は困惑する。剣を捨てたこと、解放術を詠唱しない、この二つから僅かながら隙が生まれる。とはいえ、こちらも剣を捨てているため、相手はすぐに察し余裕を取り戻すだろう。
その余裕こそ、こちらが誘い出したもの。相手は俺が体術を使えることを知らない。故に、突然組みついた途端、どう対処すればいいのか分からなくなる。
あとは簡単。相手を背負い投げれば全てが終わる。動揺・困惑から受け身も取れず、地に屈しながら刃を突き立てられる他ない。
「……驚いたぞ。まさか、一年でここまで」
「余計なことは喋るな。まだ生きてたいなら」
刃を微かに食い込ませながら、冷徹に言い放つ。不思議と、人間に刃物を突き立てているというのに、至って平常だった。
「ジンはどうした……」
この状況で口を聞くとは、まだ何か策でもあるのか? それとも、単なる時間稼ぎ?
「さぁな。生死は確認していない」
様々な憶測を念頭に置きながら答えると、双眸を閉じながらゆっくりと尋ねた。
「デーモン部隊副隊長、ザルザードを仕留めたのは貴殿か?」
意外な名称を口にされると、さほど動揺せず数秒間思慮する。
この話を今するということは、あの日の襲撃時にこいつ、もしくは他の暗黒騎士が同行していたのか。
「俺じゃない。一緒にいた騎士だ……」
注意深く、必要最低限に答える。
「そうか……だがやはり、貴殿がその場にいたのか」
「……どういう意味だ」
「答えるつもりはない……さぁ、早く我の首を切るがいい」
「いや、まだあんたは殺さない。聞きたいことがあるからな」
「口を割る気は、ない」
その一言で分かる。いくら拷問を施そうが、この男は決して口を割らない。それだけの意志と覚悟が含まれている。
薄々気付いてはいたが、一番面倒な相手だ。
覚悟が出来てるとなれば、拷問をしても意味がない。かといって人質に使用にも、覚悟がある故に自決する可能性がある。拘束して監視するにしても、相当な実力者に頼まなければならないし、何の情報も吐かないとなればそれこそ意味がない。
……仕方ないが、殺すしかないか。
その時、自分が何の躊躇いもなく殺すことを考えたことに気付いた。
少し前は、相手を斬ることさえ右眼が疼いたのに。今は恐れすら感じなくなってしまった。自分は、それほどまでに冷酷な人間に成り下がって……
「小僧、一つ答えろ……」
不意に聞こえた質問で、我に帰る。
「貴殿には、迷いがないのか?」
「……は?」
「我と剣を交える時、貴殿の剣には迷いのない剣技が見えた。我は、迷いなく剣を振れる訳が気になるのだ」
そんなこと、答える義理はない。さっさと首を切り落としてしまおう。そうすれば、魔界側の戦力は大幅に減る。
俺はもう、人界のために戦うと決めたんだ。躊躇いや迷いなんて捨てて、早く殺してしまおう。
そう、頭では分かっている……つもりでいた。でも、出来ないでいる。
「……迷いはある。だが、それでも関係ない」
「どうゆう意味だ……」
「迷っても意味がない。結局決めるのは、俺自身なんだからな。自分の本心に従って選んだ選択に、後悔なんてしない」
あの日──禁書目録を違反した日から、俺の意見は変わらない。法を破ってでも守らなきゃいけないもの。あの選択に間違いはなかったと思っている。
俺の答えを聞いた騎士は、ふっ、と鼻で笑ってから、上の空で呟いた。
「……そうか。後悔していないのか」
「ああ。そして、今から俺が取る行動も、決して後悔なんてしない」
そう言い、今度こそ首を断つために剣を振り上げる。せめてもの情けで、一撃で仕留める。痛みも苦しみも与えず、楽に殺してやる。
呼吸が整うと、剣を迷いなく振り下ろした、直後──。
「避けろッ!!」
背後から聞こえた声と同時に、上空から接近する飛行音。
考えるより先に、体が動いた。右足を勢いよく蹴り付け、左に大きく飛ぶ。瞬間、巨大な顎門を開けた竜が先ほどまでいた場所を呑み込んだ。
大地が穿たれ、岩石と共に溶岩が一斉に噴き出す。
「ヤベッ!!」
間抜けな声でそう言い、カムイの横に飛び退く。倒れ伏す騎士を抱え、崩壊していく場所から急いで立ち退く。
突如現れた竜は顔を上げると、口に咥えた暗黒騎士を呑み込み、両翼を力強く仰いだ。三回ほど仰ぐと、巨体は宙に浮いていき、徐々に高度を上げていく。
俺たちが安全な場所に到着した頃には、飛竜は遙か彼方に飛び去っていた。
「すいません。取り逃がしてしまい……」
包帯を動かす手を止め、俺は頭を下げた。
「謝らないでよ。今回の任務で、僕は役に立ってないんだから」
「そんなことありません。カムイさんがいなかったら、戴天にも気付かずにやられていましたよ」
「そっちじゃないよ……暗黒騎士の話さ」
そう言うとカムイは、飛竜が飛び去った方を見詰めた。
「あの男に歯が立たずに、一方的に敗れてしまった。君が来なかったら死んでいたが、正直言うと、僕はあそこで死ぬべきだったのかもしれない」
「……ッ!? 馬鹿なこと言わないで下さい!!」
騎士の発言に、思わず声を荒げてしまった。
「カズヤくん……?」
「一度の敗北がなんだっていうんですか。今回は駄目でも、次勝てばいいんです。俺だって、前回の敗北から色々と学んだから、今の結果があるんです」
俺は騎士の手を取り、瞳を真っ直ぐに見据えながら言った。
「敗北から学ぶことは沢山あります。その経験は大切な財産になるのは、敗者の特権です」
言い終え、騎士の手を離すと、傷の手当てに戻った。
一応持ってきてはいた応急手当ての道具ではあるが、まさかカムイに使うとは思いもしなかった。
数はさほど多くはないが、一つ一つが深い傷をしている。治癒術が使えれば良いのだが、空間魔素が枯渇しているため素因を作り出せない。
学園の講義で応急処置は受けているが、騎士の怪我は専門の魔術師じゃなければ完治するものではない。
ザルザードの時といい、今回といい、一騎当千を謳う騎士をここまで追い詰めるとは、やはり創世神の見立て通り、魔界側の戦力は大きく増量している。
天界の騎士が苦戦する相手を前に、衛士や守護隊は戦えるのか。教会が所持している武器や防具を優秀な兵に与えたとしても、それを扱えるようになるには何ヶ月の時間を要する。更に言えば実戦経験を積んでおかなくては、いくら武器が優れていようと暗黒騎士とデーモンには勝てない。
しかし、流石は天界の騎士だ。普通の人ならば気絶してもおかしくない怪我なのに、平然としていられるなんて。
感心しながら手当てを終えると、騎士は二、三度腕を振った。
「ありがとう。大分楽になったよ」
「良かった……ですが、単なるその場凌ぎですから、教会に戻ったらすぐに治癒術を施してもらってくださいよ」
「これぐらい大丈夫だよ。カズヤくんが手当てしてくれたんだから」
「良くありません。カムイさんには常に万全の状態でいてもらわないと困りますから」
「……はいはい。ここは、カズヤくんの言う通りにするよ」
全く……騎士なのに時折見せる子供みたいな部分は、埋め込まれた人格のせいなのか? まぁ、常に張り詰めているよりかは良いと思うが。
そんなことを考えながらため息を吐くと、先ほどの台詞をふと思い返す。
万全の状態でいてもらわないと困る……それは、カムイ自身を案じてなのか、それとも、天界の騎士を案じてなのか。
思わず、俺はカムイの顔に視線を向けた。
俺はカムイさんを、騎士──人界の戦力として見ているのか。騎士一人の欠如で著しく減少する現状の人界を案じて、あの台詞を発したのか。
もしくは、彼──命の恩人であり、仮初の人格たるカムイを案じてなのか。
分かってる。目の前にいるのは、本当のカムイの体を乗っ取っている存在なのは。本来ならば眼前のカムイの人格は、存在してはいけないものなのは。
だがそれは、それはあまりに酷な話じゃないか。
例え偽りの存在だとしても、彼は生きた人間なんだ。笑ったり、泣いたり、怒ったりできる、嘘偽りのない人間じゃないか。
それに彼がいたから、救われた人は沢山いる。セレナも、俺だってそうだ。今のカムイがいるから、俺は生きている。
言うなれば俺は、今のカムイさんのお陰で生きていることになる。命の恩人でもある彼の身を案じるのは、当然のことだ。
分かってる。分かってるはずなのに……。
どうして俺は、こんな複雑な気持ちでいるんだ……。
「カズヤくん?」
長い葛藤を巡らせていると、覗き込むように顔を近づけたカムイの声が耳に届き、我に帰る。
「……いや、なんでも……ないです」
歯切れ悪い返答を気にせず、カムイは小型円盤を取り出し、こちらに手渡してきた。
「君の手柄だからね。君自身の手で捕獲するんだ」
しばし見詰めてから、緩慢な動きで小型円盤を受け取る。
「……分かりました。カムイさんは、ここで待っててください」
言い残すと、未だ戴天が眠ってる場所に、敢えて時間をかけて近寄った。
迷ってるわけじゃない。ただ、考える時間が欲しいだけ。
魔道具で戴天を捕獲すれば、任務は完了する。カムイさんが傷ついてまで護衛した戴天は、何がなんでも連れ帰らなきゃならない。人界のためにも、他の守護竜には活躍してもらわなきゃならないんだ。
だがどうしても気になる点が、一つだけある。
戴天との戦闘中に感じた、微かな違和感。それは対峙した者にしか分からない、ほんの些細なもの。
戴天は、緩慢な動きしかしていなかった。炎素の息吹に鉤爪による斬撃波、奴はその動きをゆっくりと実行していた。
まるで、身体に負荷をかけないように。
その点だけが、どうしても不可解だった。単に余裕があるから? それでも、上空に上がった時点で本気を出すことも出来たはず。
第一、元より着地などせず常に空中に入れば俺を倒せた。なのに何故、わざわざ降り立ったのだろう。
解決しない謎に頭を捻らせている間に、負傷した戴天が横たわる場所にたどり着いた。
大した損傷ではないのか、竜は既に体勢を横向けではなく、尾を輪にする様に眠っている。
だが、決して無事というわけでもなかった。事実、俺はかなりの距離まで近づいているにも関わらず、気にする様子もなく目を閉じている。
「流石……最強なだけはあるな」
先ほどまでの考えが馬鹿らしく思えてしまい、つい笑みが零れてしまう。だがすぐに表情を引き締め、魔道具を起動させようとする。
途端──。
「グガァッ……ァァァァァァ!!」
戴天が突如、叫び声を上げながら暴れ始めた。大人しいから一変、尾を力強く地面に叩きつけたり、鉤爪で地面を抉り出した。
急な出来事に危機を察すると、円盤を投げる手を引っ込め、後方へ飛び退く。
最後の悪足掻きか。それにしても、暴れすぎじゃないか。
戴天が暴れ始めてから僅か数秒で、周辺は溶岩に飲み込まれてしまい、先ほどまでいた場所も飲み込まれていた。
戦闘の時といい、今の不可解な行動といい、一体何が起きているんだ。
そんなことを考えながら、遠目で注意深く観察していると、またもや一つの違和感に気付いた。
戴天の腹部が、蠢いていた。
そこでようやく、カズヤは全てを理解した。
確かに、それならば先ほどの話と今の事態は納得が出来る。よく考えれば、まだ竜の領域に踏み込んでいないのに突然襲いかかってきた。
それも仕方ないことか。なんせ、今が一番誰にも近寄ってもらいたくない時期なんだもんな……。どんな生物も、この瞬間だけは邪魔してはいけない神聖な時間。それは──
「妊娠……か」
激しい動きをしない、突然暴れ出す、過敏になる、腹の膨らみから想定するに、戴天は今、新たな命を宿している。
しかもそれは、今生まれ落ちようとしている。
「…………」
暴れ回ってはいるが隙だらけの戴天を捕獲するのは簡単だ。
しかし、それをしては──いや、捕獲自体してはいけない。
子供は宝物だ。その宝物を傷つけることは、この世で一番罪深い行為。子供が傷つくのは、親を奪われること。
一児の母となる戴天を巻き込むわけにはいかない。親はただ、子供を守るために戦い続ければいい。
俺は更に離れ、遠くから戴天を見守り続けた。何度も暴れ狂い、絶叫を上げるを繰り返している。落ち着いたと思えば、荒い呼吸を何度も繰り返し始める。
その一連のやり取りから、十分後──。
今までよりも激しく暴れ狂い、荒い呼吸と苦痛の叫びをこれでもかと上げ始める。離れているにもかかわらず、大気が震え上がるほどの声量に耳を抑えながら、懸命に戴天を見守り続ける。
耐えろ! 耐えるんだ!
声には出さず、思念だけを必死に送り続ける。意味のない行為だと分かっていながらも、安産を祈る気持ちぐらいはさせて欲しかった。
そして──
来るべき時が、来た。
不意に動きを止めた戴天は、力尽きたように首を垂らした。
先ほどの暴走が嘘のように静まり返ったため、心配になってしまったカズヤは、足場を探しながら近づいた。
目測五メルまで近づいた途端、急に戴天が顔を上げた。一瞬身構え、腰の剣に手を添えるも、それは俺に対する敵対行動ではなく──この世で最も神聖で、華麗な仕草だった。
あらゆる物を噛み砕けそうな無数の牙が生えた口から舌を出すと、自分の腹部にいる、産まれたばかりの小さな命──我が子の体を優しく舐めていた。
「あれが……戴天の子供か」
産まれた命は──全身をふわふわした朱色の和毛で包んでおり、長い尻尾をぎこちない動きで揺らしている。純粋に輝く双眸は必死に親を捉え、小さな牙しか生えてない口が、か細い声で一生懸命鳴いている。
産まれて間もないというのに、幼竜は細すぎる両足で弱々しくも立ち上がり、親竜の元へ一歩ずつ、ゆっくりと、着実に歩み寄って行く。
親竜はそれを手助けせず、ただ見つめているだけだった。励ます声も、応援する声も上げずに、我が子が自らの足で自分の元に辿り着くことを、切に願うように、黙って見守っている。
これが、あいつなりの教訓なんだろう。誇り高い竜に育ってもらうために、誰の力も借りずに一人で過酷な自然に生きてもらうために、手助けしないんだろう。
いつしか俺も、口を閉ざしながら幼竜を応援していた。
頑張れ。あともう少しだ……あと数歩で、小さなゴールに到着できるぞ。
一歩ずつ進み──時には倒れるも、幼竜は震える足で何度も立ち上がり、歩みを止めなかった。一歩手前に辿り着く頃には、幼竜は荒い呼吸をしながらも、親竜を見つめた。
あと一歩……頑張るんだ。あと一歩踏み出せば、お前は最強の守護竜にして、戴天の自慢の息子になれるんだ。
自分のことのように喜びながら、奇跡の瞬間を見届けようとする。親竜と幼竜の距離が縮まり、ご褒美の接吻の瞬間が、待ち遠しくて仕方なかった。
そしてそれは、儚く砕けた。
幼竜が一歩踏み出そうとした瞬間、それは起きた。
最初に眼に入ったのは、親竜の頭部からの出血。
次に、頭部がずり落ちる絵面。
最後に、呆気なく落ちた頭部。
切断面から流れる血液を、ただ茫然と見ることしか出来なかった。まず、何が起きてるのかさえ、未だ理解できていない。
え? どうして? 今、何が起きたんだ……。
親が初めて、子の努力を褒めようとした矢先に。何故戴天が……何が……なんで……。
「ふひひひ…………」
困惑する思考の中、それは確かに聞き取れた。不快な、高笑い声を。
声の方、上空を仰ぐと、それはいた。
深くローブを羽織っており、素顔は見えない。腕や脚は筋肉がないのか骨のように細い。視覚から得られる情報はこれだけしかない。
奴の正体は分かる。奴は、デーモンだ。
「ギャハハハッ!! たまらないねー! その絶望に染まった表情、最高だよー!」
不快な声でそう叫ぶデーモンは、身をよじりながら今なお笑っている。
「まさか、ラギルス殿の後を追いかけていたら、こんな最高な獲物がいるなんてな!」
ラギルス……ああ。さっきの暗黒騎士か。追いかけたってことは、あいつは暗黒騎士の仲間じゃないのか……いや、違うな。仲間だけど、違う種族?
「これで俺も、亡きザルザード様の座に就けるのかぁ。いや、守護竜殺したんだから、隊長も夢じゃないよなぁ」
出世欲か……それだけの理由で、こいつは……。
「さぁて、次は幼竜の方だ。めんどくさいが、育ったら面倒だからな」
デーモンはそう言うと、亡骸となった親竜にすがりつく幼竜に向かって、闇魔術を放とうとしていた。
「おい……そこの骨野郎……」
「ん? 今の声、どこから」
デーモンは辺りを見回すも、俺の姿を捉えることが出来ていなかった。
「……てめぇ、一回死ねよ……」
耳元で、囁く。
次に俺は、冷徹なる一言を添えた。
「リベラシオン……」
詠唱した瞬間、デーモンは左右に割れ、そのまま溶岩に落ちた。
地面に着地すると、亡骸となった戴天の側へ歩み寄った。
……なんて奴だ。頭部を失ってなお、圧倒的な気迫を放ち続けている。まるでまだ、そこにいるかのような、存在感だ。
偉大なる亡骸に敬意を表し、騎士の敬礼を構える。長い黙祷を終えると、視線を下げる。
視線の先には、か細い鳴き声を懸命に出しながら、親竜の頭部にすがる幼竜がいる。親の傷口を必死に舐め続けている姿が、痛々しかった。
幼竜に歩み寄る。こちらの存在に気付くと、一切警戒せずに近づこうとしてくる。
「……よく聞くんだ」
幼竜の目を真っ直ぐ見据え、言った。
「君の親は、最後まで誇り高い、尊敬すべき生き様だった。君もいつか、親以上の存在にならなければいけない」
こんな話、幼竜にしても意味がないのは分かっている。それでも、全てを話さなければいけない。
「これから君は、孤独と戦いながら生きなきゃいけない。守ってくれる存在がいない中、君はそれでも生きなきゃいけないんだ。戴天が残した命として、最後まで…………」
いつの間にか泣いてしまっていたカズヤは、涙を止めようとせずに続けた。
「でももし……君が望むなら、これからは俺が側にいてあげる。君の親の代わりに、俺が守り続けるよ。いつも俺を守っていてくれた、こいつへの恩返しとしてね」
腰に携えた焔天剣──古の戴天の子孫を守るのは、相棒として当然の行為だ。
幼竜はしばし見詰めると、か細くもはっきり芯のある鳴き声を上げながら、俺の右足にすり寄ってきた。
俺は幼竜の頭を撫で、抱き抱える。とても軽いが、重い。幼竜の中に流れる思いが、志半ばに散ってしまった戴天の意思が流れる幼竜の体は、とても軽くて、とても重かった。
カムイは焦りを隠しながら、懸命に剣を振り続ける。だがそれらは全て、暗黒騎士は一切動じずに軽くいなしている。
それだけじゃない。奴から放たれる攻撃を捌くことが出来なくなっている。一撃一撃が受け流すのが困難なほど重く素早い上に、繋ぎ目が恐ろしいほど滑らかだ。
こちらの攻撃を軽く受け流した瞬間、怒涛の連続攻撃が返ってくる。それらは受け流すことが出来ず、少しずつ負荷が蓄積されていくのが分かる。
このままでは負ける! 瞬時に理解すると、相手の攻撃を敢えて受け、その衝撃で後方へ飛び退こうとする。
だがしかし、それすらも読んでいたと言うのか。敢えて受けた攻撃は今までよりも強力で重い一撃だった。
「グッ──!?」
思わず呻き声が漏れ、遙か後方へ後退──ではなく、吹き飛ばされる。思いがけない一撃故に、体勢も崩れているため、受け身を取ることが出来ない。
二十メルほど吹き飛ばされると、灼熱の大地に背中から乱暴に着地する。一気に酸素が吐き出され、身を起こすことが出来ずその場で倒れ伏す。
馬鹿な……この僕が、天界の騎士である僕が、下賤な輩に敗れるわけが……
朦朧とする意識の中、その思考だけが巡った。
一年前よりも僕は強くなった。解放術も、剣術も死ぬほど努力してきた。
なのに何故、奴に手も足も出ないんだ。何故、こうも一方的にやられているんだ。
その問いに答えるように、低い声が耳に届く。
「弱くなったな……天界の騎士よ」
弱くなっただと……馬鹿を言うな。僕は確実に強くなったと自負している。貴様等を葬るために、今までの何倍もの努力をしてきた。
そう言い返そうとしたが、それより先に放たれた言葉によって、口を強引に閉じた。
「迷いに翻弄されたか……愚か者め」
なんだと……? 僕が、迷いに翻弄されているだと?
一体僕が何に迷うと言うんだ。天界の騎士の務めは、人界の民を守り、魔界の民を葬ることだ。
僕はその務めに疑問を持たず、むしろ誇らしさがある。創世神様に絶対の忠誠も誓っているし、今は亡き幼馴染との約束のために剣を……。
いや、僕は本当に、迷っていないのか……?
創世神様からの真実を聞いてから、僕は何度も迷い続けていた。自分が天界の騎士として戦い続けることを、罪を背負った僕に守れる者があるのかを。
「戦場に於いて迷いは全てを狂わせる。貴様の剣技は、素人同然だったぞ」
いつの間にか眼前に到達した暗黒騎士は、兜の奥から冷ややかな瞳を向けてきている。
その瞳には、一切の迷いも躊躇いもなく。
ただ一つ。僕を斬り殺す決意のみが滞在している。
「我々の目的は戴天の排除だけだが、手負いの騎士を見逃すほど甘くはない……非力な自分を恨め」
その言葉が終わると同時に、奴の黒光りする剣が煌く。それは音を立てず振り下ろされ、僕の心臓を貫く──寸前。
「はぁぁぁッ!!」
気合声と共に接近する足音、そして、空気を裂く音──。
暗黒騎士はすぐに身を翻し、剣を真上に構えた。瞬間、黒光りする剣と漆黒の刀身が衝突し、激しく擦れ合う音が響いた。
僕は視線を逸らし、現れた剣の主を捉えた。そこにいたのは、一人の少年──カズヤだった。
だがそんなはずはない。暗黒騎士の片割れの相手をしているはずの彼が、こんな早く来るわけがない。
まさか、倒したのか。疲弊していながらも、騎士を。
信じられない。戴天との激戦に続いて、魔界の民を相手に短時間で──しかも、さしたる外傷もなく終わらせるなんて、相応なる実力がなければ不可能だ。
何故か解放術を覚えているのもそうだが、この少年は本当に何者なんだ。本当に、彼は人界の民なのか?
不意に脳裏を横切った疑問は、長い時間頭から消えることはなかった。
分かっている。彼は創世神様も愛する人界の民であり、僕が知り得る中で一番勇敢な少年であることを。事実、暗黒騎士に臆せず挑んでいるではないか。
だがそれが問題なのだ。本来ならば怯えて当然の存在を眼前に、彼は一切恐怖せず剣を向けた。殺人を禁ずる禁書目録を気にする様子もなく──先の剣技だって、戦闘に特化したような感じだった。
どうして……そこまで、戦いに慣れている。いくら魔界の民と多く接触したとはいえ、アースリア以降接触する可能性すらないのに、何故彼はあそこまで備えているんだ。
何故彼は……禁書目録違反を恐れない。禁書目録違反は、人界の民にとって一番畏怖される対象だというのに、なんで彼は恐れずに剣を振るえる? 法に縛られない意志を持っているのか?
だがそれは、単なる欲望だ。法により禁じられたことを欲する汚い欲望──魔界の民と同様な存在だ。
まさかカズヤは、その欲望すらも受け入れているのか。醜い自分も、迷い続ける自分すらも受け入れているから、強靭な意志を持っているというのか。
「……敵わないな…………」
無意識に零れた一言は、未だ迷い葛藤を続ける自分の奥深くに、染み渡った。
勝算は、実のところ何とも言えない。前回の戦闘では、全てにおいて奴より劣っていた。一年間の血の滲むような努力が無駄ではないが、それでも実力差は歴然としている。
だが、勝てる気がしないわけではない。
現に今、俺は奴と拮抗状態にある。
以前は初撃で吹き飛ばされたのに、今は互角の鍔迫り合いに及んでいる。俺の実力が上がったのか、そんな考えは一切しない。
この瞬間だけは、自分の実力など考えはしない。考えるのは、ただ一つ──。
「殺す……っ!!」
鋭い呼気と共に吐き出しながら、騎士の鎧に右足を置き、強く蹴りつける。
空中でバク転し後退。着地すると、床を蹴った。
遠い間合いから右手の剣を横薙ぎに繰り出す。騎士は剣でそれを難なく受け止める。火花が散り、二人の顔を一瞬明るく照らす。
金属がぶつかりあうその衝撃音が戦闘開始の合図だったとでも言うように、一気に加速した二人の剣戟が周囲の空間を圧した。
それは、俺が経験した多くの戦闘の中でももっともイレギュラーで、人間的な戦いだった。二人とも一度お互いの手の内を見せている。
敵は歴戦の騎士。単純な連続攻撃──ジンに放った自己流派は全て読まれると思っていい。
常に戦闘時は相手を分析・解析のちに的確な攻撃を導き出していたが今回は一切使わず、焔天剣を己の戦闘経験が命ずるままに振り続けた。
情報処理能力の向上か、限界まで加速された知覚に後押しされてか、両腕は通常時を軽く上回る速度で動く。自分の目ですら、残像によって剣が数本、数十本にも見えるほどだ。だが──。
騎士は舌を巻くほどの正確さで俺の攻撃を次々と叩き落とした。その合間にも、少しでもこちらに隙ができると鋭い一撃を浴びせてくる。それを俺が瞬間的反応だけで迎撃・回避する。局面は容易に動こうとしなかった。少しでも相手より速く、正確に撃ち込むことが優先される中、俺は騎士の両眼に意識を集中させた。二人の視線が交錯する。
騎士の双眸はあくまで冷ややかだった。以前同様、人間らしさなど微塵も感じ取れない。
不意に、俺の背中をわずかな悪寒が走った。
ここに来る前、こいつはカムイさんにトドメを刺そうとした。つまりそれは、天界の騎士でも勝てない相手ということ。しかも、俺が一番尊敬しているカムイさんが。
そんな人間に、俺は勝てるのか……。
「うおおおおおお!!」
心の奥に生まれた、克服したはずのごく小さな恐怖のかけらを吹き飛ばそうとするように俺は絶叫した。更に剣速を加速させ、秒間何発もの攻撃を撃ち込むが、騎士の表情は変わらない。目にも留まらぬ速さで、的確に俺の攻撃を弾き返す。
弄ばれている──!?
恐怖が焦りに変わる。互角に見えた剣戟も、実はいつでも反撃を差し挟み、俺に一撃を浴びせる余裕があるのではないのか。
俺の心を疑念が覆っていく。
「くそぉっ……!」
ならば──これでどうだ──!
剣が交錯した瞬間、俺は解放術を締め括る最後の構文──人界語で『解放』の意を持つ一文を詠唱しようと、口を開きかける。
──だが、騎士はそれを、俺が解放術を出すのを待ち構えていたのだった。奴の双眸にはじめて感情が浮かんだ。それは──勝利を確信した笑みだった。
騎士は互角の剣戟を繰り返していたわけではなく、敢えて合わせているのだ。それは察知した俺が、焦りのあまり切り札を放つのを待ち続けた。
解放術は強力だが──その分隙も大きい。もし解放術を回避されれば、その瞬間奴の剣が俺の首を跳ね飛ばす。
奴はそれを狙っていた。狙いに気付かなかった俺は、またもや自分の実力を見誤るなんて……。
と、相手は考えているに決まっている。
そして俺は、その考えを読んでいた。
相手の勝利に確信した双眸を確認した途端、俺は剣を上空に投げた。
双眸は驚愕の色に染まったのを確認した瞬間、俺は騎士の意識が俺ではなく、上にいく剣に向いたと直感した。
そして俺は、騎士の右腕に組みついた。
「何ッ──!?」
驚愕の声が上がると同時に、右腕を軸に身を翻す。背中を相手の鎧につけ、騎士の右足を払いバランスを崩す。
重心がこちらに傾いたのを感じ取ると、そのまま前に投げた。
暗黒騎士は重心に抗うことができず、宙で身を反転させ、勢いよく背中から地面に叩き落とされる。
「グアッ──!!」
勢いよく噴き出す声が聞こえた途端、鎧の上に右足を叩きつけ、宙に放った剣を手に戻し、騎士の首筋に突きつける。
「俺の……勝ちだ」
冷ややかに言い放ち、以前と立ち位置が変わって、地に伏す暗黒騎士を見下ろした。
剣戟の間、相手の行動を分析・解析する行為をせずに、全く別のことを──無意識に考えながら戦っていた。
俺とあいつは一度剣を交えている。その時に互いの力量差は明確になっている。だが一年の間に強くなった俺と対峙した騎士ならば、最初は俺を殺さずにある程度の力量を測るために、敢えて反撃に出ようとはしない。
トドメを刺すなら、決定的な隙が生まれた瞬間。その隙は解放術。
奴は既に俺が解放術を使えることを、ジンとの戦闘時に感じ取っていたに違いない。だからこそ、俺が解放術を使うまで下手に反撃に出なかったんだ。
この考えを見出せたのは、俺が敵の立場になって考えたからだ。
俺ならば、既に実力を知っている相手に余計な体力を削らず、一撃で終わらせたいと考える。特に、この後手負いとはいえ守護竜と戦うとなれば、体力を温存するような戦い方をする。
だから俺は、戦闘の最中相手の眼だけを見ていた。わずかな瞳孔の動きを逃さず捉え、相手の心境を瞬時に処理し思考を読むことで、敵の行動がある程度読めるようになる。
そして絶好の機会が訪れた。こちらが解放術──隙を作るように誘い出し、相手が見せた一瞬の余裕を突いて、俺は剣を捨てた。
当然、相手は困惑する。剣を捨てたこと、解放術を詠唱しない、この二つから僅かながら隙が生まれる。とはいえ、こちらも剣を捨てているため、相手はすぐに察し余裕を取り戻すだろう。
その余裕こそ、こちらが誘い出したもの。相手は俺が体術を使えることを知らない。故に、突然組みついた途端、どう対処すればいいのか分からなくなる。
あとは簡単。相手を背負い投げれば全てが終わる。動揺・困惑から受け身も取れず、地に屈しながら刃を突き立てられる他ない。
「……驚いたぞ。まさか、一年でここまで」
「余計なことは喋るな。まだ生きてたいなら」
刃を微かに食い込ませながら、冷徹に言い放つ。不思議と、人間に刃物を突き立てているというのに、至って平常だった。
「ジンはどうした……」
この状況で口を聞くとは、まだ何か策でもあるのか? それとも、単なる時間稼ぎ?
「さぁな。生死は確認していない」
様々な憶測を念頭に置きながら答えると、双眸を閉じながらゆっくりと尋ねた。
「デーモン部隊副隊長、ザルザードを仕留めたのは貴殿か?」
意外な名称を口にされると、さほど動揺せず数秒間思慮する。
この話を今するということは、あの日の襲撃時にこいつ、もしくは他の暗黒騎士が同行していたのか。
「俺じゃない。一緒にいた騎士だ……」
注意深く、必要最低限に答える。
「そうか……だがやはり、貴殿がその場にいたのか」
「……どういう意味だ」
「答えるつもりはない……さぁ、早く我の首を切るがいい」
「いや、まだあんたは殺さない。聞きたいことがあるからな」
「口を割る気は、ない」
その一言で分かる。いくら拷問を施そうが、この男は決して口を割らない。それだけの意志と覚悟が含まれている。
薄々気付いてはいたが、一番面倒な相手だ。
覚悟が出来てるとなれば、拷問をしても意味がない。かといって人質に使用にも、覚悟がある故に自決する可能性がある。拘束して監視するにしても、相当な実力者に頼まなければならないし、何の情報も吐かないとなればそれこそ意味がない。
……仕方ないが、殺すしかないか。
その時、自分が何の躊躇いもなく殺すことを考えたことに気付いた。
少し前は、相手を斬ることさえ右眼が疼いたのに。今は恐れすら感じなくなってしまった。自分は、それほどまでに冷酷な人間に成り下がって……
「小僧、一つ答えろ……」
不意に聞こえた質問で、我に帰る。
「貴殿には、迷いがないのか?」
「……は?」
「我と剣を交える時、貴殿の剣には迷いのない剣技が見えた。我は、迷いなく剣を振れる訳が気になるのだ」
そんなこと、答える義理はない。さっさと首を切り落としてしまおう。そうすれば、魔界側の戦力は大幅に減る。
俺はもう、人界のために戦うと決めたんだ。躊躇いや迷いなんて捨てて、早く殺してしまおう。
そう、頭では分かっている……つもりでいた。でも、出来ないでいる。
「……迷いはある。だが、それでも関係ない」
「どうゆう意味だ……」
「迷っても意味がない。結局決めるのは、俺自身なんだからな。自分の本心に従って選んだ選択に、後悔なんてしない」
あの日──禁書目録を違反した日から、俺の意見は変わらない。法を破ってでも守らなきゃいけないもの。あの選択に間違いはなかったと思っている。
俺の答えを聞いた騎士は、ふっ、と鼻で笑ってから、上の空で呟いた。
「……そうか。後悔していないのか」
「ああ。そして、今から俺が取る行動も、決して後悔なんてしない」
そう言い、今度こそ首を断つために剣を振り上げる。せめてもの情けで、一撃で仕留める。痛みも苦しみも与えず、楽に殺してやる。
呼吸が整うと、剣を迷いなく振り下ろした、直後──。
「避けろッ!!」
背後から聞こえた声と同時に、上空から接近する飛行音。
考えるより先に、体が動いた。右足を勢いよく蹴り付け、左に大きく飛ぶ。瞬間、巨大な顎門を開けた竜が先ほどまでいた場所を呑み込んだ。
大地が穿たれ、岩石と共に溶岩が一斉に噴き出す。
「ヤベッ!!」
間抜けな声でそう言い、カムイの横に飛び退く。倒れ伏す騎士を抱え、崩壊していく場所から急いで立ち退く。
突如現れた竜は顔を上げると、口に咥えた暗黒騎士を呑み込み、両翼を力強く仰いだ。三回ほど仰ぐと、巨体は宙に浮いていき、徐々に高度を上げていく。
俺たちが安全な場所に到着した頃には、飛竜は遙か彼方に飛び去っていた。
「すいません。取り逃がしてしまい……」
包帯を動かす手を止め、俺は頭を下げた。
「謝らないでよ。今回の任務で、僕は役に立ってないんだから」
「そんなことありません。カムイさんがいなかったら、戴天にも気付かずにやられていましたよ」
「そっちじゃないよ……暗黒騎士の話さ」
そう言うとカムイは、飛竜が飛び去った方を見詰めた。
「あの男に歯が立たずに、一方的に敗れてしまった。君が来なかったら死んでいたが、正直言うと、僕はあそこで死ぬべきだったのかもしれない」
「……ッ!? 馬鹿なこと言わないで下さい!!」
騎士の発言に、思わず声を荒げてしまった。
「カズヤくん……?」
「一度の敗北がなんだっていうんですか。今回は駄目でも、次勝てばいいんです。俺だって、前回の敗北から色々と学んだから、今の結果があるんです」
俺は騎士の手を取り、瞳を真っ直ぐに見据えながら言った。
「敗北から学ぶことは沢山あります。その経験は大切な財産になるのは、敗者の特権です」
言い終え、騎士の手を離すと、傷の手当てに戻った。
一応持ってきてはいた応急手当ての道具ではあるが、まさかカムイに使うとは思いもしなかった。
数はさほど多くはないが、一つ一つが深い傷をしている。治癒術が使えれば良いのだが、空間魔素が枯渇しているため素因を作り出せない。
学園の講義で応急処置は受けているが、騎士の怪我は専門の魔術師じゃなければ完治するものではない。
ザルザードの時といい、今回といい、一騎当千を謳う騎士をここまで追い詰めるとは、やはり創世神の見立て通り、魔界側の戦力は大きく増量している。
天界の騎士が苦戦する相手を前に、衛士や守護隊は戦えるのか。教会が所持している武器や防具を優秀な兵に与えたとしても、それを扱えるようになるには何ヶ月の時間を要する。更に言えば実戦経験を積んでおかなくては、いくら武器が優れていようと暗黒騎士とデーモンには勝てない。
しかし、流石は天界の騎士だ。普通の人ならば気絶してもおかしくない怪我なのに、平然としていられるなんて。
感心しながら手当てを終えると、騎士は二、三度腕を振った。
「ありがとう。大分楽になったよ」
「良かった……ですが、単なるその場凌ぎですから、教会に戻ったらすぐに治癒術を施してもらってくださいよ」
「これぐらい大丈夫だよ。カズヤくんが手当てしてくれたんだから」
「良くありません。カムイさんには常に万全の状態でいてもらわないと困りますから」
「……はいはい。ここは、カズヤくんの言う通りにするよ」
全く……騎士なのに時折見せる子供みたいな部分は、埋め込まれた人格のせいなのか? まぁ、常に張り詰めているよりかは良いと思うが。
そんなことを考えながらため息を吐くと、先ほどの台詞をふと思い返す。
万全の状態でいてもらわないと困る……それは、カムイ自身を案じてなのか、それとも、天界の騎士を案じてなのか。
思わず、俺はカムイの顔に視線を向けた。
俺はカムイさんを、騎士──人界の戦力として見ているのか。騎士一人の欠如で著しく減少する現状の人界を案じて、あの台詞を発したのか。
もしくは、彼──命の恩人であり、仮初の人格たるカムイを案じてなのか。
分かってる。目の前にいるのは、本当のカムイの体を乗っ取っている存在なのは。本来ならば眼前のカムイの人格は、存在してはいけないものなのは。
だがそれは、それはあまりに酷な話じゃないか。
例え偽りの存在だとしても、彼は生きた人間なんだ。笑ったり、泣いたり、怒ったりできる、嘘偽りのない人間じゃないか。
それに彼がいたから、救われた人は沢山いる。セレナも、俺だってそうだ。今のカムイがいるから、俺は生きている。
言うなれば俺は、今のカムイさんのお陰で生きていることになる。命の恩人でもある彼の身を案じるのは、当然のことだ。
分かってる。分かってるはずなのに……。
どうして俺は、こんな複雑な気持ちでいるんだ……。
「カズヤくん?」
長い葛藤を巡らせていると、覗き込むように顔を近づけたカムイの声が耳に届き、我に帰る。
「……いや、なんでも……ないです」
歯切れ悪い返答を気にせず、カムイは小型円盤を取り出し、こちらに手渡してきた。
「君の手柄だからね。君自身の手で捕獲するんだ」
しばし見詰めてから、緩慢な動きで小型円盤を受け取る。
「……分かりました。カムイさんは、ここで待っててください」
言い残すと、未だ戴天が眠ってる場所に、敢えて時間をかけて近寄った。
迷ってるわけじゃない。ただ、考える時間が欲しいだけ。
魔道具で戴天を捕獲すれば、任務は完了する。カムイさんが傷ついてまで護衛した戴天は、何がなんでも連れ帰らなきゃならない。人界のためにも、他の守護竜には活躍してもらわなきゃならないんだ。
だがどうしても気になる点が、一つだけある。
戴天との戦闘中に感じた、微かな違和感。それは対峙した者にしか分からない、ほんの些細なもの。
戴天は、緩慢な動きしかしていなかった。炎素の息吹に鉤爪による斬撃波、奴はその動きをゆっくりと実行していた。
まるで、身体に負荷をかけないように。
その点だけが、どうしても不可解だった。単に余裕があるから? それでも、上空に上がった時点で本気を出すことも出来たはず。
第一、元より着地などせず常に空中に入れば俺を倒せた。なのに何故、わざわざ降り立ったのだろう。
解決しない謎に頭を捻らせている間に、負傷した戴天が横たわる場所にたどり着いた。
大した損傷ではないのか、竜は既に体勢を横向けではなく、尾を輪にする様に眠っている。
だが、決して無事というわけでもなかった。事実、俺はかなりの距離まで近づいているにも関わらず、気にする様子もなく目を閉じている。
「流石……最強なだけはあるな」
先ほどまでの考えが馬鹿らしく思えてしまい、つい笑みが零れてしまう。だがすぐに表情を引き締め、魔道具を起動させようとする。
途端──。
「グガァッ……ァァァァァァ!!」
戴天が突如、叫び声を上げながら暴れ始めた。大人しいから一変、尾を力強く地面に叩きつけたり、鉤爪で地面を抉り出した。
急な出来事に危機を察すると、円盤を投げる手を引っ込め、後方へ飛び退く。
最後の悪足掻きか。それにしても、暴れすぎじゃないか。
戴天が暴れ始めてから僅か数秒で、周辺は溶岩に飲み込まれてしまい、先ほどまでいた場所も飲み込まれていた。
戦闘の時といい、今の不可解な行動といい、一体何が起きているんだ。
そんなことを考えながら、遠目で注意深く観察していると、またもや一つの違和感に気付いた。
戴天の腹部が、蠢いていた。
そこでようやく、カズヤは全てを理解した。
確かに、それならば先ほどの話と今の事態は納得が出来る。よく考えれば、まだ竜の領域に踏み込んでいないのに突然襲いかかってきた。
それも仕方ないことか。なんせ、今が一番誰にも近寄ってもらいたくない時期なんだもんな……。どんな生物も、この瞬間だけは邪魔してはいけない神聖な時間。それは──
「妊娠……か」
激しい動きをしない、突然暴れ出す、過敏になる、腹の膨らみから想定するに、戴天は今、新たな命を宿している。
しかもそれは、今生まれ落ちようとしている。
「…………」
暴れ回ってはいるが隙だらけの戴天を捕獲するのは簡単だ。
しかし、それをしては──いや、捕獲自体してはいけない。
子供は宝物だ。その宝物を傷つけることは、この世で一番罪深い行為。子供が傷つくのは、親を奪われること。
一児の母となる戴天を巻き込むわけにはいかない。親はただ、子供を守るために戦い続ければいい。
俺は更に離れ、遠くから戴天を見守り続けた。何度も暴れ狂い、絶叫を上げるを繰り返している。落ち着いたと思えば、荒い呼吸を何度も繰り返し始める。
その一連のやり取りから、十分後──。
今までよりも激しく暴れ狂い、荒い呼吸と苦痛の叫びをこれでもかと上げ始める。離れているにもかかわらず、大気が震え上がるほどの声量に耳を抑えながら、懸命に戴天を見守り続ける。
耐えろ! 耐えるんだ!
声には出さず、思念だけを必死に送り続ける。意味のない行為だと分かっていながらも、安産を祈る気持ちぐらいはさせて欲しかった。
そして──
来るべき時が、来た。
不意に動きを止めた戴天は、力尽きたように首を垂らした。
先ほどの暴走が嘘のように静まり返ったため、心配になってしまったカズヤは、足場を探しながら近づいた。
目測五メルまで近づいた途端、急に戴天が顔を上げた。一瞬身構え、腰の剣に手を添えるも、それは俺に対する敵対行動ではなく──この世で最も神聖で、華麗な仕草だった。
あらゆる物を噛み砕けそうな無数の牙が生えた口から舌を出すと、自分の腹部にいる、産まれたばかりの小さな命──我が子の体を優しく舐めていた。
「あれが……戴天の子供か」
産まれた命は──全身をふわふわした朱色の和毛で包んでおり、長い尻尾をぎこちない動きで揺らしている。純粋に輝く双眸は必死に親を捉え、小さな牙しか生えてない口が、か細い声で一生懸命鳴いている。
産まれて間もないというのに、幼竜は細すぎる両足で弱々しくも立ち上がり、親竜の元へ一歩ずつ、ゆっくりと、着実に歩み寄って行く。
親竜はそれを手助けせず、ただ見つめているだけだった。励ます声も、応援する声も上げずに、我が子が自らの足で自分の元に辿り着くことを、切に願うように、黙って見守っている。
これが、あいつなりの教訓なんだろう。誇り高い竜に育ってもらうために、誰の力も借りずに一人で過酷な自然に生きてもらうために、手助けしないんだろう。
いつしか俺も、口を閉ざしながら幼竜を応援していた。
頑張れ。あともう少しだ……あと数歩で、小さなゴールに到着できるぞ。
一歩ずつ進み──時には倒れるも、幼竜は震える足で何度も立ち上がり、歩みを止めなかった。一歩手前に辿り着く頃には、幼竜は荒い呼吸をしながらも、親竜を見つめた。
あと一歩……頑張るんだ。あと一歩踏み出せば、お前は最強の守護竜にして、戴天の自慢の息子になれるんだ。
自分のことのように喜びながら、奇跡の瞬間を見届けようとする。親竜と幼竜の距離が縮まり、ご褒美の接吻の瞬間が、待ち遠しくて仕方なかった。
そしてそれは、儚く砕けた。
幼竜が一歩踏み出そうとした瞬間、それは起きた。
最初に眼に入ったのは、親竜の頭部からの出血。
次に、頭部がずり落ちる絵面。
最後に、呆気なく落ちた頭部。
切断面から流れる血液を、ただ茫然と見ることしか出来なかった。まず、何が起きてるのかさえ、未だ理解できていない。
え? どうして? 今、何が起きたんだ……。
親が初めて、子の努力を褒めようとした矢先に。何故戴天が……何が……なんで……。
「ふひひひ…………」
困惑する思考の中、それは確かに聞き取れた。不快な、高笑い声を。
声の方、上空を仰ぐと、それはいた。
深くローブを羽織っており、素顔は見えない。腕や脚は筋肉がないのか骨のように細い。視覚から得られる情報はこれだけしかない。
奴の正体は分かる。奴は、デーモンだ。
「ギャハハハッ!! たまらないねー! その絶望に染まった表情、最高だよー!」
不快な声でそう叫ぶデーモンは、身をよじりながら今なお笑っている。
「まさか、ラギルス殿の後を追いかけていたら、こんな最高な獲物がいるなんてな!」
ラギルス……ああ。さっきの暗黒騎士か。追いかけたってことは、あいつは暗黒騎士の仲間じゃないのか……いや、違うな。仲間だけど、違う種族?
「これで俺も、亡きザルザード様の座に就けるのかぁ。いや、守護竜殺したんだから、隊長も夢じゃないよなぁ」
出世欲か……それだけの理由で、こいつは……。
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デーモンはそう言うと、亡骸となった親竜にすがりつく幼竜に向かって、闇魔術を放とうとしていた。
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「……てめぇ、一回死ねよ……」
耳元で、囁く。
次に俺は、冷徹なる一言を添えた。
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詠唱した瞬間、デーモンは左右に割れ、そのまま溶岩に落ちた。
地面に着地すると、亡骸となった戴天の側へ歩み寄った。
……なんて奴だ。頭部を失ってなお、圧倒的な気迫を放ち続けている。まるでまだ、そこにいるかのような、存在感だ。
偉大なる亡骸に敬意を表し、騎士の敬礼を構える。長い黙祷を終えると、視線を下げる。
視線の先には、か細い鳴き声を懸命に出しながら、親竜の頭部にすがる幼竜がいる。親の傷口を必死に舐め続けている姿が、痛々しかった。
幼竜に歩み寄る。こちらの存在に気付くと、一切警戒せずに近づこうとしてくる。
「……よく聞くんだ」
幼竜の目を真っ直ぐ見据え、言った。
「君の親は、最後まで誇り高い、尊敬すべき生き様だった。君もいつか、親以上の存在にならなければいけない」
こんな話、幼竜にしても意味がないのは分かっている。それでも、全てを話さなければいけない。
「これから君は、孤独と戦いながら生きなきゃいけない。守ってくれる存在がいない中、君はそれでも生きなきゃいけないんだ。戴天が残した命として、最後まで…………」
いつの間にか泣いてしまっていたカズヤは、涙を止めようとせずに続けた。
「でももし……君が望むなら、これからは俺が側にいてあげる。君の親の代わりに、俺が守り続けるよ。いつも俺を守っていてくれた、こいつへの恩返しとしてね」
腰に携えた焔天剣──古の戴天の子孫を守るのは、相棒として当然の行為だ。
幼竜はしばし見詰めると、か細くもはっきり芯のある鳴き声を上げながら、俺の右足にすり寄ってきた。
俺は幼竜の頭を撫で、抱き抱える。とても軽いが、重い。幼竜の中に流れる思いが、志半ばに散ってしまった戴天の意思が流れる幼竜の体は、とても軽くて、とても重かった。
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これは、異世界で全てを手に入れた男の爛れた日常の物語である。
※物語に出てくる組織、人物など全てフィクションです。
※主人公の癖が若干終わっているのは師匠のせいです。
ゆっくり投稿です。
高校生の俺、異世界転移していきなり追放されるが、じつは最強魔法使い。可愛い看板娘がいる宿屋に拾われたのでもう戻りません
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高校生のタクトは部活帰りに突然異世界へ転移してしまう。
横柄な態度の王から、魔法使いはいらんわ、城から出ていけと言われ、いきなり無職になったタクト。
偶然会った宿屋の店長トロに仕事をもらい、看板娘のマロンと一緒に宿と食堂を手伝うことに。
すると突然、客の兵士が暴れだし宿はメチャクチャになる。
兵士に殴り飛ばされるトロとマロン。
この世界の魔法は、生活で利用する程度の威力しかなく、とても弱い。
しかし──タクトの魔法は人並み外れて、無法者も脳筋男もひれ伏すほど強かった。
悪役顔のモブに転生しました。特に影響が無いようなので好きに生きます
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ある部屋の中で男が画面に向かいながら、ゲームをしていた。
そのゲームは主人公の勇者が魔王を倒し、ヒロインと結ばれるというものだ。
そして、ヒロインは4人いる。
ヒロイン達は聖女、剣士、武闘家、魔法使いだ。
エンドのルートしては六種類ある。
バットエンドを抜かすと、ハッピーエンドが五種類あり、ハッピーエンドの四種類、ヒロインの中の誰か1人と結ばれる。
残りのハッピーエンドはハーレムエンドである。
大好きなゲームの十回目のエンディングを迎えた主人公はお腹が空いたので、ご飯を食べようと思い、台所に行こうとして、足を滑らせ、頭を強く打ってしまった。
そして、主人公は不幸にも死んでしまった。
次に、主人公が目覚めると大好きなゲームの中に転生していた。
だが、主人公はゲームの中で名前しか出てこない悪役顔のモブに転生してしまった。
主人公は大好きなゲームの中に転生したことを心の底から喜んだ。
そして、折角転生したから、この世界を好きに生きようと考えた。
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