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第三部・第四章 人の意思
第二十一話
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愛剣の破砕音を最後まで聞き終えると、それを待っていたようにサヤとワタルが合流してくる。
「ありがとう。お前たちが助けてくれなかったら、今頃俺はここにいないよ」
頭を下げようとする俺を、二人は早口で止めた。
「いいからいいから! お礼欲しさでしたわけじゃないから!」
「体が勝手に動いただけよ。別に、あんたを心配したわけじゃないから」
そう言う二人の顔を交互に見やってから、赤い軍勢に視線を向ける。
指揮官である愚餓を失ったとなれば、彼らはもう動かないのか? 彼らはユリと同じ怨念で出来た存在ならば、死者使役を使えない愚餓を失った場合どうなるというのだ。
希望的観測を述べるなら、愚餓の死亡で死者使役の効力が維持されず、静かに成仏してくれるのが一番だ。
だが愚餓が死亡してから三分は経ったが、微動だにしない。もちろん、体が薄れる気配もない。
まさか、攻撃もせず消えることもなく、ただそこに残り続けるとかはやめてくれよ。などと考えながら、改めて愚餓に視線を向ける。
貫かれた箇所から未だに出血しており、赤い血溜まりが出来ている。死邪も元は同じ人間だから、俺は人を殺めたのだと考えたが、死者を冒涜するような真似をしたのだから、少しだけ罪悪感は薄れる。
とは言え、殺人なのは変わらないため誇れる気持ちにはなれない。事実、愚餓を仕留めた後にあったのは、罪悪感と後ろめたさだった。
愚餓の行った行為は許されるものではない。しかし、最後まで奴を、心の底から憎むことはできなかった。
死邪も元々は人間。その正体は、邪教神に狂信する四人だと。つまり、異常な忠誠心を兼ね備えた何の罪もない人間。
自分の信じる正義のために、何百年も主人に忠誠を誓った存在なのだ。憎むどころか、感服すらある。
だからといって、全部を許せるわけじゃない。ただ、祈りぐらいはする。
──長い間、お疲れ様。
何百年と主人に仕えた男を労い、視線を外し──。
両眼を見開き、叫ぶ。
「避けろッ!!」
ジンに向かいそう叫び、地を蹴る。
だがジンは負傷のせいで上手く動けず、立ち上がることもできなかった。
背後で、先ほどまで静止していた赤い兵士が、両手剣を大きく振りかぶっていた。よく見ると、他の兵士も続々と動き始めた。
一体なぜ、など考えてる時間などない。
俺は特異点に隠された力──能力向上を発動させた。
邪教神以外に使うつもりなどなかったのだが、邪教神の配下たる死邪が生み出した死兵になら、仲間を助けるためなら使わせてもらう。
両脚に全意識を向け、疾風のような勢いで荒野を駆け抜ける。好敵手の命を断とうとしていた剣を辛くも右籠手で受け止める。
「借りるぞッ!!」
ジンの左腰に付いている小刀を奪い取り、兵士の網目の冑の隙間に突き刺す。無言を貫いていた兵士は短い呻き声──もしかしたら罵り声──を上げながら倒れる。
痺れの残る右腕を抑えながら膝を突き、周囲の状況を見渡す。
愚餓の死から五分。赤い軍勢は以前のような計画性も何も感じさせず、ただ闇雲に剣を振り始めた。集団ではなく個で向かってくるため、負傷した暗黒騎士や衛士でも躱すことはできている。
だがやはり、負傷しているせいか動きが鈍い。何人かは満足に避けることが出来ず、剣先を掠めている。
「こいつら……なんで急に」
死者使役の作用は生きていた……? ならば、なぜすぐに動かなかったんだ?
もしや愚餓は準備していたのか? 自分が万が一倒れた時、一定時間が経った後に赤い軍勢が自分達で動くよう、あらかじめ命令していたというのか。
いや、今はそんなこと考えてる場合じゃない。
この状況をどうすればいい。赤い軍勢は怨念から生まれた存在。ただ普通に倒したとしても完全に消えることはなく、また戦場に戻ってくるかもしれない。
苦しみも痛みもなく、安らかに眠らせてあげなければ、この地獄は永遠に終わらない。
どうすればいい。仲間も守り、赤い軍勢は鎮静化できる。
過去類に見ない阿鼻叫喚の戦場の中で必死に思考を巡らせるも、止める手段が思いつかなかった。
突然背後から突き飛ばされ、地面に倒れ込む。傷だらけの激凍剣が腰から離れ、乾いた土の上に転がる。
激凍剣──恩師の形見に向けて伸ばしたカズヤの右手を、赤い装甲ブーツが踏み付けた。
見上げると、バイザーの奥の両眼に凄まじい憎しみを漲らせた赤騎士が、両手で逆持ちした長剣を高々と振りかざしていた。
もう戦う力は残されていないが、せめて眼は閉じるまいと、カズヤは自分を貫こうとする鋼鉄を凝視した。
キン。
硬質な金属音。オレンジ色の火花。
騎士の剣が、空中で跳ね返った。
「ハァッ!!」
短い気合と共に打ち出された華焔剣が、赤騎士を大きく弾き飛ばした。
カズヤを助け起こしながら、セレナは心配を隠せない声で訊いてきた。
「どうするの……このままじゃ私たち」
「分かってる。だけど……」
言いながら振り向き、交戦する生き残りを眺める。重傷を負ったラギルスは倒れながらも接近してくる赤い軍勢を迎撃するべく部隊に指示を飛ばしている。
セレナの手を借りて立ち上がったカズヤは、尽きかけた気力を奮い立たせて、周囲の状況を確認した。
そして、新たな絶望が黒く冷たい水となって心に忍び込んでくるのを感じた。
二千の共闘軍と一万を超える軍勢の八割以上は、既に戦闘に突入している。と言っても、士気の差か怨念の強さか、赤い軍勢が共闘軍を圧倒している。
ラギルスとジンを含む暗黒騎士団は壊滅状態。天界の騎士キクノや衛士たちも満身創痍。デーモン部隊と獣人部隊は奮闘しており、魔術師隊は治癒術に専念してはいるが、とても撃退できるとは思えない。
どうすれば。
どうすれば──。
焦燥と絶望に駆られ、セレナの腕にすがることしかできないカズヤの耳に。
──カズヤくん。
力強く、温かく、包み込むような、その声。
ゆっくり、ゆっくりと顔を上げたカズヤが見たのは、ふと不思議な現象だった。
さっきまでは黒っぽい砂利が剥き出しになっていた地面に、白い霧が薄くたなびいている。
薄絹で作られたリボンのようにたゆたいながら、カズヤたちの足許を抜け、後方に広がっていく。
半ば反射的に視線で白い霧を辿った。
そして、その源を視認した瞬間、唇からかすかな吐息を漏らした。
「ああ…………」
もう一度。
「ああ」
霧の発生源は、数メートル離れた場所に横たわる、一本の長剣だった。
刀身は鞘に収まっているが、霧が全体を包み込み、まるで淡く発光しているようにも見える。
「カムイ……さん」
カズヤが、震える声で誰よりも信頼し、愛する人の名前を呼ぶ。
セレナの腕から無意識に離れ、おぼつく足取りで横たわる激凍剣に近づき──。
鞘を左手で、柄を右手で握り締め、持ち上げる。
「カムイさん……」
すがるように──密かに確信しながら、両眼を瞑る。そして、強く念じる。
──俺は、どうすればいいんですか。
みんなを守りたい。でも、彼らを苦しませたくない。
どうしたら……どうしたらいいんですか。
俺は、必死に剣に語った。
カズヤくん。
またもや、自分の名を呼ぶ声が──今度ははっきりと聞こえた。
君は相変わらず優しいね……。
だが君でも、救える命は限られている。
カムイの声は、再び耳許をそよ風のように吹き抜ける。
じゃあ……無理なんですか? 俺には、みんなを救えないんですか。
深い絶望感に囚われそうになる。結局、俺は誰も救えずに終わるのか……。
そんな深い絶望感に呑み込まれそうになった俺を、力強い声が連れ戻してくれた。
──無理じゃない。
君だけじゃ救える命は限られてる。でも、君と僕の二人なら
多くの命を……仲間を救える。
「カムイさん……そうですね」
異世界で一番信頼し、愛した騎士の名を告げ、揺るがない意志で肯定する。
いつしか、脳内世界──暗闇が続く世界に、二本の足でしっかりと立つ彼の姿があった。
一歩前に踏み出し、俺は自分の英雄の瞳を懸命に見据えた。
「あなたの力……使わせてもらいます」
答えは速やかで、揺るぎなかった。
「あぁ、任せたよ、カズヤくん。その力で、多くの人を……命を守るんだ。大丈夫。君ならできる。君は僕の、最高の騎士なんだから」
双方から差し出された手が触れ合った。瞬間、眼前の騎士が白い光の波動となって、俺の中へと流れ込んだ。
そして────。
長いようで短い逡巡から目覚める。
白い霧は、いつしか周囲を取り囲む赤い軍勢の足許に達し、尚も広がっていく。戦闘中の彼らは気付いていないようだが、既に膝の下あたりまでが純白のリボンに呑まれつつある。
ここでようやく、歩み寄ったセレナも異変に気付いたようだった。
まず足許を凝視し、次いで弾かれたように握られた激凍剣を見やる。「この術は……」と呟くも、その先を発せられることはなかった。
戦場全体に、囁くような、詠うような……しかし確たる声が響き渡ったのだ。
リベラシオン。
自分の声と重なる、もう一人の声──。
次の瞬間。
途方もない規模の解放術が、戦場全体を包み込んだ。
白い霧が赤い軍勢の足許を氷漬けにしていく。赤騎士が足許を見る頃には下半身は既に凍結されており、瞬く間に上半身、肩をも凍結、気付くと頭部までを凍り、全身を巨大な氷で覆い尽くされた。
激闘を繰り広げていた共闘軍は、まるで時間が停止したかの如く瞬時に動きを止めた。
一万をも超える赤い軍勢が次々と凍っていく。抵抗する者もいたが、剣を振り上げた体勢のまま氷の彫像と化した。
床に突き立てられた激凍剣を抜く頃には、戦いは終結していた。一万の赤い軍勢が一人残らず氷の彫像と化し、生き残った二千の共闘軍を取り囲むように動きを止めている。
激凍剣は、一年中氷吹雪の吹き荒れる極寒の地《南の凍山》から採掘されるクリスタルから生成された神器。
鉱石自身に意思はなく、なんの特性もない。絶対零度に晒され続け、透明度の高い水晶へと加工されるぐらいが、クリスタルの全貌だった。
創世神が作り上げた神器《激凍剣》は、教会が所持する神器の中で《焔天剣》の次に欠陥品扱いされていた。
理由は単純。解放術が弱すぎるから。
単なるクリスタルから生まれた剣の解放術は、晒された絶対零度を外部に放出させ、相手を凍てつかせる、それだけ。殺傷能力もなく、相手の動きを封じるためだけの解放術。
激凍剣はそれだけの理由で誰も選ばなかった。
たしかに、暗黒騎士との戦闘ではあまり役に立たないであろう解放術ではあるが。
だが今は、逆にそれがいい。痛みや苦しみを与えずに、ただ動きを止めるだけの技──。
振り向き、近くで凍る赤騎士を見やる。顔を俯けており素顔は見えないが、殺意に満ち溢れた気配は失せており、どこか穏やかな気配を漂わせている。
「これは……カムイ殿の。なんで、カズヤ君が」
地面を覆う霜を踏みながら、懸命にカズヤの元へと歩み寄ったキクノが、両眼を見開きながら激凍剣を見つめる。
「……カムイさんが、力を貸してくれたんです」
ただ簡潔に、そう告げた。そうとしか言えなかった。
自分にも分からない。何故今、この時に剣の声が聞こえたのか。愚餓の使者使役の作用が、剣に眠るカムイの意思すら呼び出したのか。それとも、単なる偶然なのか。
第一、俺は激凍剣の解放術を詠唱できるほど、剣との絆は強くない。一日も欠かさず磨き、強く想い続けてはいたが、それは剣にではなくカムイに向けた想いだ。
──ありがとうございます。
右手で地面に突き立てた白い剣に感謝し、それを支えに体を起き上げる。
背筋を伸ばし立ち上がると、華奢な白銀の長剣に異変が起きた。見た目は無傷、と思えたのはほんの一瞬で、不意にかしゃんとささやかな破砕音が響き、刀身の半ばから下が結晶となって砕け散った。
最後にして最大の解放術を放ったことで、激凍剣の命は等々尽きたのだ。何百年の激闘と一年の安息の果て、英雄の剣は所持者の意思とともに散ってしまった。
折れた激凍剣の柄を、両手で握りしめる。
「あ…………」
密やかな声を出したのは、キクノか、セレナか。
やや遅れて、カズヤもそれを見た。白い剣の柄を、金色に透き通るもう一本の腕がしっかりと握っている。
両眼を見開き、次いでくしゃりと顔を歪める。目尻に涙が滲み、光の粒となって舞い散る。
「…………おやすみなさい」
死してなお自分を見守ってくれた英雄にささやき、目尻の涙を振り払う。その時にはもう、金色の腕は無くなっていた。
***
斬りかかる。
意識が薄れる。
受傷の痛みで覚醒する。
それを何度繰り返したのか、もう解らなかった。
邪教神は、まるで戦いを長引かせようとするかのように致命傷を与えてこないが、無数の傷から流れ出た血液が、そろそろ限界に達しつつあることをヒサカゲは知覚していた。
だが彼は、二百年を超える時の中で磨き上げた精神力を振り絞り、何も考えず、何も恐れず、脳裏でただ一つのことだけを遂行し続けていた。
イメージを固めること。
正確には、敵の未来を決定させること。
邪教神の剣に思考を混濁させられている最中ですら、ヒサカゲは無意識にイメージを固めていた。
──まだだ。
──まだ、その時じゃない。
決着の一撃を正確にイメージしながら、ヒサカゲは愚直な攻撃を繰り返した。時には、挑発的な台詞までをも吐きながら。
「……どうやら……剣技の方は、カズヤの言う通りみたいだな……邪教神よ」
──もう、少しだけ。
「初等修剣士の方が……まだ上手いぜ。そんなんで……本当に神なのか……?」
──早く、見せろ。
「そらッ、まだまだ行くぜ!!」
気合とともに、真正面から斬りかかる。
邪教神の周囲に広がる、青紫色の光に剣が触れる。
意思を吸われて、ふっと思考が途切れる。
気付くと、地面に片膝を突いていて、左頬に増えた傷から音を立てて血が滴る。
──まだ、死ねん。
もう少しだけ保ってくれ。
ゆらりと立ち上がり、ヒサカゲは背後の邪教神に向き直った。
「……飽きたな」
ヒサカゲが作った血溜まりを踏んで、一歩前に出る。
「お前の魂は重い。濃すぎる。舌にこびりつく、そのうえ単調だ。我を殺すことしか考えていない」
平板な声で言葉を連ねながら、邪教神はさらに一歩近づいた。
「消えろ」
音もなく持ち上げられた黒い剣が、粘液質の光をまとった。
ヒサカゲは表情を変えることなく、わずかに奥歯を嚙み締めた。
「へっ……そう、言うなよ。オレは、まだまだ……楽しめる、ぜ」
よろよろと、誰もいない空間に向かって数歩踏み出す。右手の剣を頼りなく持ち上げる。
「どこだ……よ、どこ行きやがった。お、そこか……?」
両眼に虚ろな光を浮かべ、騎士長は剣を振った。
こつん、と剣先で見当外れな場所を叩き、大きくよろめく。
「あれ……こっち、だったか……?」
再び、風切り音すらしない一撃。ずるずると片足を引き摺り、なおも動き続ける。
大量出血により視力を喪失し、思考すらも混濁した──としか思えない姿。
しかしこれは、騎士長一世一代の演技だった。
半ば閉じられた灰青色の瞳は、邪教神の冠をしっかり捉えていた。
十分間の無為な攻撃は、決して無駄ではない。
邪教神が張っている薄い強固な膜の正体までは分からないが、斬撃を放つと同時に王冠に埋め込まれた赤い宝石が煌めくのを、ヒサカゲは見逃さなかった。
自分では邪教神は倒せない。そう気付いたヒサカゲはもう、倒すことではなく弱体化だけに専念していた。
倒せないのなら、次の者に全てを託すのみ。自分にできるのは、次こそ倒せるよう手助けするぐらいだ。
「おっと……見つけた……ぜ」
ヒサカゲは弱々しく呟き、左右にふらつきながら、まったく無人の空間に向けて斬穿剣を振りかぶった。
掛け値なしに最後の一撃となるはずだった。
剣と主に残された命は、双方ともにいままさに尽きようとしていた。
その全てを費やし、ヒサカゲは、神器《斬穿剣》の解放術を発動させようとした。
斬穿剣・絶斬。
斬撃に意思を宿す《意思の刃》とは別の、裏の解放術。
所有者がイメージした未来図──三分先の未来に飛んでいく、時間を超越する刃。
見た目では単に虚空を斬った刃は、三分先の未来へと飛び、未来の敵の体に届く。回避不可能、防御不可能の、あらゆる技や努力を裏切り、未来を絶つ一撃。
ゆえにヒサカゲは、絶斬を使うことを長年忌避し続けてきた。この力を使うのは、人ならざる者と対峙した時のみ。
人ならぬ力を操る邪教神が相手ならば、遠慮はいらない。
飛竜を落とした時、ヒサカゲは、一直線に同じ速度で飛ぶ敵の動きを利用し、三分後に到達する軌道上を正確に割り出し、斬撃を放った。だが、互いに接近しての混戦では、座標特定は飛躍的に困難となる。
もちろん、三分後に到達する地点に敵をおびき寄せることはできる。
ヒサカゲは、勝利を確信したようにニヤリと笑った。
邪教神の眼に、微かな怪訝の色が浮かぶ。
「貴様……何か企んでいるな」
邪教神の問いに、ヒサカゲは太い笑みで返し、答えた。
「悪いが……ここまでだ……」
ヒサカゲは、三分前に放った斬撃波の地点に立つ邪教神を睨み、渾身の斬撃を放った。
斬穿剣・絶斬のもうひとつの特性。
防御不可能。
ゆえに、負の因子も、透明な膜の防御も、この瞬間だけは発動しなかった。
邪教神の首から、深紅の液体が噴き出す。切断面から己の頭部がずれていく間も、邪教神はまるで表情を動かそうとしなかった。薄青い瞳はただ、硝子玉のように虚ろに宙を眺めていた。
落下した頭部が、地面に接する。
王冠が甲高い音を立てて砕け散った。
数秒遅れて、ヒサカゲの右手の中で、命の尽きた斬穿剣がかすかな金属音とともに砕け散った。
更に数秒遅れて、偉大なる最古騎士の命が尽きた。
***
遥か離れた北の空の下──。
乾いた大地に瓦礫となって積み上がる、かつて大門として知られた巨大な遺構の東西では、五千の魔界軍予備戦力と、二千の人界守備軍本隊が、それぞれの陣を張って睨み合っていた。
魔界軍にはもう邪教神の姿はなく、それゆえに彼らが独自の判断の攻撃してくることなど有り得ないのだが、その事情を知るよしもない人界軍もまた動けず、長い膠着状態が続いている。
乾いた風の音だけが響く大門跡地に、一人の副騎士長の姿があった。守備軍本隊を預かる天界の騎士ルキウスである。衛士や魔術師たちには次の戦闘に備えて休息を取らせているが、自分はとても天幕で眠る気になれず、ひとり大門跡まで歩いてきたのだ。
すでに夜の闇は遠ざかり、太陽の光が魔界側の空を赤く、人界側の空を青く染めている。
騎士長ヒサカゲ率いる守備軍囮部隊が、大門を出て魔界南部に向かってから早くも一日が過ぎ去った。彼らの任務がそう簡単に終わるものではないことは解っているが、待つことしかできない我が身がもどかしい。
せめて、部隊の無事なる帰還を創世神に祈ろうと瞑目しようとしたその時──。
ルキウスは、はっと眼を見開いた。
耳許に、唯一無二の上官の声が響いた気がしたのだ。
──すまんな、ルキウス。どうやらもう、会えそうにない。
──人界は任せたぜ。次期騎士団長。
同じ言葉を、ルキウスは、この場所で別れる直前に騎士長ヒサカゲから掛けられた。
緑色の籠手を装備した右手を、心臓部に重ねる。
「騎士長、ヒサカゲ殿。長い……間、本当にッ……お疲れ様で御座いましたっ」
嗚咽を堪え、ルキウスは天を見上げた。
「騎士団は……人界は、我々が守ってみせます……」
***
激凍剣を鞘に納めると同時に、カズヤは感じ取った。
最強の剣士の命が散った瞬間を。
「……師匠」
世界最古の騎士の死を知るも、不思議と涙は流れなかった。
悲しくないわけじゃない。ただ……死を嘆けば、師匠に叱られてしまうだけだ。
ヒサカゲ自身が言っていたじゃないか。
いつか、必ず来る時が来ると。
今がその時。
覚悟はしていた。だから、涙は絶対に流さない。
「これまでずっと……大変だったでしょ、師匠」
瞑目し、右手を心臓部に当て、頭を下げる。
「もう、ゆっくり休んでください」
「ありがとう。お前たちが助けてくれなかったら、今頃俺はここにいないよ」
頭を下げようとする俺を、二人は早口で止めた。
「いいからいいから! お礼欲しさでしたわけじゃないから!」
「体が勝手に動いただけよ。別に、あんたを心配したわけじゃないから」
そう言う二人の顔を交互に見やってから、赤い軍勢に視線を向ける。
指揮官である愚餓を失ったとなれば、彼らはもう動かないのか? 彼らはユリと同じ怨念で出来た存在ならば、死者使役を使えない愚餓を失った場合どうなるというのだ。
希望的観測を述べるなら、愚餓の死亡で死者使役の効力が維持されず、静かに成仏してくれるのが一番だ。
だが愚餓が死亡してから三分は経ったが、微動だにしない。もちろん、体が薄れる気配もない。
まさか、攻撃もせず消えることもなく、ただそこに残り続けるとかはやめてくれよ。などと考えながら、改めて愚餓に視線を向ける。
貫かれた箇所から未だに出血しており、赤い血溜まりが出来ている。死邪も元は同じ人間だから、俺は人を殺めたのだと考えたが、死者を冒涜するような真似をしたのだから、少しだけ罪悪感は薄れる。
とは言え、殺人なのは変わらないため誇れる気持ちにはなれない。事実、愚餓を仕留めた後にあったのは、罪悪感と後ろめたさだった。
愚餓の行った行為は許されるものではない。しかし、最後まで奴を、心の底から憎むことはできなかった。
死邪も元々は人間。その正体は、邪教神に狂信する四人だと。つまり、異常な忠誠心を兼ね備えた何の罪もない人間。
自分の信じる正義のために、何百年も主人に忠誠を誓った存在なのだ。憎むどころか、感服すらある。
だからといって、全部を許せるわけじゃない。ただ、祈りぐらいはする。
──長い間、お疲れ様。
何百年と主人に仕えた男を労い、視線を外し──。
両眼を見開き、叫ぶ。
「避けろッ!!」
ジンに向かいそう叫び、地を蹴る。
だがジンは負傷のせいで上手く動けず、立ち上がることもできなかった。
背後で、先ほどまで静止していた赤い兵士が、両手剣を大きく振りかぶっていた。よく見ると、他の兵士も続々と動き始めた。
一体なぜ、など考えてる時間などない。
俺は特異点に隠された力──能力向上を発動させた。
邪教神以外に使うつもりなどなかったのだが、邪教神の配下たる死邪が生み出した死兵になら、仲間を助けるためなら使わせてもらう。
両脚に全意識を向け、疾風のような勢いで荒野を駆け抜ける。好敵手の命を断とうとしていた剣を辛くも右籠手で受け止める。
「借りるぞッ!!」
ジンの左腰に付いている小刀を奪い取り、兵士の網目の冑の隙間に突き刺す。無言を貫いていた兵士は短い呻き声──もしかしたら罵り声──を上げながら倒れる。
痺れの残る右腕を抑えながら膝を突き、周囲の状況を見渡す。
愚餓の死から五分。赤い軍勢は以前のような計画性も何も感じさせず、ただ闇雲に剣を振り始めた。集団ではなく個で向かってくるため、負傷した暗黒騎士や衛士でも躱すことはできている。
だがやはり、負傷しているせいか動きが鈍い。何人かは満足に避けることが出来ず、剣先を掠めている。
「こいつら……なんで急に」
死者使役の作用は生きていた……? ならば、なぜすぐに動かなかったんだ?
もしや愚餓は準備していたのか? 自分が万が一倒れた時、一定時間が経った後に赤い軍勢が自分達で動くよう、あらかじめ命令していたというのか。
いや、今はそんなこと考えてる場合じゃない。
この状況をどうすればいい。赤い軍勢は怨念から生まれた存在。ただ普通に倒したとしても完全に消えることはなく、また戦場に戻ってくるかもしれない。
苦しみも痛みもなく、安らかに眠らせてあげなければ、この地獄は永遠に終わらない。
どうすればいい。仲間も守り、赤い軍勢は鎮静化できる。
過去類に見ない阿鼻叫喚の戦場の中で必死に思考を巡らせるも、止める手段が思いつかなかった。
突然背後から突き飛ばされ、地面に倒れ込む。傷だらけの激凍剣が腰から離れ、乾いた土の上に転がる。
激凍剣──恩師の形見に向けて伸ばしたカズヤの右手を、赤い装甲ブーツが踏み付けた。
見上げると、バイザーの奥の両眼に凄まじい憎しみを漲らせた赤騎士が、両手で逆持ちした長剣を高々と振りかざしていた。
もう戦う力は残されていないが、せめて眼は閉じるまいと、カズヤは自分を貫こうとする鋼鉄を凝視した。
キン。
硬質な金属音。オレンジ色の火花。
騎士の剣が、空中で跳ね返った。
「ハァッ!!」
短い気合と共に打ち出された華焔剣が、赤騎士を大きく弾き飛ばした。
カズヤを助け起こしながら、セレナは心配を隠せない声で訊いてきた。
「どうするの……このままじゃ私たち」
「分かってる。だけど……」
言いながら振り向き、交戦する生き残りを眺める。重傷を負ったラギルスは倒れながらも接近してくる赤い軍勢を迎撃するべく部隊に指示を飛ばしている。
セレナの手を借りて立ち上がったカズヤは、尽きかけた気力を奮い立たせて、周囲の状況を確認した。
そして、新たな絶望が黒く冷たい水となって心に忍び込んでくるのを感じた。
二千の共闘軍と一万を超える軍勢の八割以上は、既に戦闘に突入している。と言っても、士気の差か怨念の強さか、赤い軍勢が共闘軍を圧倒している。
ラギルスとジンを含む暗黒騎士団は壊滅状態。天界の騎士キクノや衛士たちも満身創痍。デーモン部隊と獣人部隊は奮闘しており、魔術師隊は治癒術に専念してはいるが、とても撃退できるとは思えない。
どうすれば。
どうすれば──。
焦燥と絶望に駆られ、セレナの腕にすがることしかできないカズヤの耳に。
──カズヤくん。
力強く、温かく、包み込むような、その声。
ゆっくり、ゆっくりと顔を上げたカズヤが見たのは、ふと不思議な現象だった。
さっきまでは黒っぽい砂利が剥き出しになっていた地面に、白い霧が薄くたなびいている。
薄絹で作られたリボンのようにたゆたいながら、カズヤたちの足許を抜け、後方に広がっていく。
半ば反射的に視線で白い霧を辿った。
そして、その源を視認した瞬間、唇からかすかな吐息を漏らした。
「ああ…………」
もう一度。
「ああ」
霧の発生源は、数メートル離れた場所に横たわる、一本の長剣だった。
刀身は鞘に収まっているが、霧が全体を包み込み、まるで淡く発光しているようにも見える。
「カムイ……さん」
カズヤが、震える声で誰よりも信頼し、愛する人の名前を呼ぶ。
セレナの腕から無意識に離れ、おぼつく足取りで横たわる激凍剣に近づき──。
鞘を左手で、柄を右手で握り締め、持ち上げる。
「カムイさん……」
すがるように──密かに確信しながら、両眼を瞑る。そして、強く念じる。
──俺は、どうすればいいんですか。
みんなを守りたい。でも、彼らを苦しませたくない。
どうしたら……どうしたらいいんですか。
俺は、必死に剣に語った。
カズヤくん。
またもや、自分の名を呼ぶ声が──今度ははっきりと聞こえた。
君は相変わらず優しいね……。
だが君でも、救える命は限られている。
カムイの声は、再び耳許をそよ風のように吹き抜ける。
じゃあ……無理なんですか? 俺には、みんなを救えないんですか。
深い絶望感に囚われそうになる。結局、俺は誰も救えずに終わるのか……。
そんな深い絶望感に呑み込まれそうになった俺を、力強い声が連れ戻してくれた。
──無理じゃない。
君だけじゃ救える命は限られてる。でも、君と僕の二人なら
多くの命を……仲間を救える。
「カムイさん……そうですね」
異世界で一番信頼し、愛した騎士の名を告げ、揺るがない意志で肯定する。
いつしか、脳内世界──暗闇が続く世界に、二本の足でしっかりと立つ彼の姿があった。
一歩前に踏み出し、俺は自分の英雄の瞳を懸命に見据えた。
「あなたの力……使わせてもらいます」
答えは速やかで、揺るぎなかった。
「あぁ、任せたよ、カズヤくん。その力で、多くの人を……命を守るんだ。大丈夫。君ならできる。君は僕の、最高の騎士なんだから」
双方から差し出された手が触れ合った。瞬間、眼前の騎士が白い光の波動となって、俺の中へと流れ込んだ。
そして────。
長いようで短い逡巡から目覚める。
白い霧は、いつしか周囲を取り囲む赤い軍勢の足許に達し、尚も広がっていく。戦闘中の彼らは気付いていないようだが、既に膝の下あたりまでが純白のリボンに呑まれつつある。
ここでようやく、歩み寄ったセレナも異変に気付いたようだった。
まず足許を凝視し、次いで弾かれたように握られた激凍剣を見やる。「この術は……」と呟くも、その先を発せられることはなかった。
戦場全体に、囁くような、詠うような……しかし確たる声が響き渡ったのだ。
リベラシオン。
自分の声と重なる、もう一人の声──。
次の瞬間。
途方もない規模の解放術が、戦場全体を包み込んだ。
白い霧が赤い軍勢の足許を氷漬けにしていく。赤騎士が足許を見る頃には下半身は既に凍結されており、瞬く間に上半身、肩をも凍結、気付くと頭部までを凍り、全身を巨大な氷で覆い尽くされた。
激闘を繰り広げていた共闘軍は、まるで時間が停止したかの如く瞬時に動きを止めた。
一万をも超える赤い軍勢が次々と凍っていく。抵抗する者もいたが、剣を振り上げた体勢のまま氷の彫像と化した。
床に突き立てられた激凍剣を抜く頃には、戦いは終結していた。一万の赤い軍勢が一人残らず氷の彫像と化し、生き残った二千の共闘軍を取り囲むように動きを止めている。
激凍剣は、一年中氷吹雪の吹き荒れる極寒の地《南の凍山》から採掘されるクリスタルから生成された神器。
鉱石自身に意思はなく、なんの特性もない。絶対零度に晒され続け、透明度の高い水晶へと加工されるぐらいが、クリスタルの全貌だった。
創世神が作り上げた神器《激凍剣》は、教会が所持する神器の中で《焔天剣》の次に欠陥品扱いされていた。
理由は単純。解放術が弱すぎるから。
単なるクリスタルから生まれた剣の解放術は、晒された絶対零度を外部に放出させ、相手を凍てつかせる、それだけ。殺傷能力もなく、相手の動きを封じるためだけの解放術。
激凍剣はそれだけの理由で誰も選ばなかった。
たしかに、暗黒騎士との戦闘ではあまり役に立たないであろう解放術ではあるが。
だが今は、逆にそれがいい。痛みや苦しみを与えずに、ただ動きを止めるだけの技──。
振り向き、近くで凍る赤騎士を見やる。顔を俯けており素顔は見えないが、殺意に満ち溢れた気配は失せており、どこか穏やかな気配を漂わせている。
「これは……カムイ殿の。なんで、カズヤ君が」
地面を覆う霜を踏みながら、懸命にカズヤの元へと歩み寄ったキクノが、両眼を見開きながら激凍剣を見つめる。
「……カムイさんが、力を貸してくれたんです」
ただ簡潔に、そう告げた。そうとしか言えなかった。
自分にも分からない。何故今、この時に剣の声が聞こえたのか。愚餓の使者使役の作用が、剣に眠るカムイの意思すら呼び出したのか。それとも、単なる偶然なのか。
第一、俺は激凍剣の解放術を詠唱できるほど、剣との絆は強くない。一日も欠かさず磨き、強く想い続けてはいたが、それは剣にではなくカムイに向けた想いだ。
──ありがとうございます。
右手で地面に突き立てた白い剣に感謝し、それを支えに体を起き上げる。
背筋を伸ばし立ち上がると、華奢な白銀の長剣に異変が起きた。見た目は無傷、と思えたのはほんの一瞬で、不意にかしゃんとささやかな破砕音が響き、刀身の半ばから下が結晶となって砕け散った。
最後にして最大の解放術を放ったことで、激凍剣の命は等々尽きたのだ。何百年の激闘と一年の安息の果て、英雄の剣は所持者の意思とともに散ってしまった。
折れた激凍剣の柄を、両手で握りしめる。
「あ…………」
密やかな声を出したのは、キクノか、セレナか。
やや遅れて、カズヤもそれを見た。白い剣の柄を、金色に透き通るもう一本の腕がしっかりと握っている。
両眼を見開き、次いでくしゃりと顔を歪める。目尻に涙が滲み、光の粒となって舞い散る。
「…………おやすみなさい」
死してなお自分を見守ってくれた英雄にささやき、目尻の涙を振り払う。その時にはもう、金色の腕は無くなっていた。
***
斬りかかる。
意識が薄れる。
受傷の痛みで覚醒する。
それを何度繰り返したのか、もう解らなかった。
邪教神は、まるで戦いを長引かせようとするかのように致命傷を与えてこないが、無数の傷から流れ出た血液が、そろそろ限界に達しつつあることをヒサカゲは知覚していた。
だが彼は、二百年を超える時の中で磨き上げた精神力を振り絞り、何も考えず、何も恐れず、脳裏でただ一つのことだけを遂行し続けていた。
イメージを固めること。
正確には、敵の未来を決定させること。
邪教神の剣に思考を混濁させられている最中ですら、ヒサカゲは無意識にイメージを固めていた。
──まだだ。
──まだ、その時じゃない。
決着の一撃を正確にイメージしながら、ヒサカゲは愚直な攻撃を繰り返した。時には、挑発的な台詞までをも吐きながら。
「……どうやら……剣技の方は、カズヤの言う通りみたいだな……邪教神よ」
──もう、少しだけ。
「初等修剣士の方が……まだ上手いぜ。そんなんで……本当に神なのか……?」
──早く、見せろ。
「そらッ、まだまだ行くぜ!!」
気合とともに、真正面から斬りかかる。
邪教神の周囲に広がる、青紫色の光に剣が触れる。
意思を吸われて、ふっと思考が途切れる。
気付くと、地面に片膝を突いていて、左頬に増えた傷から音を立てて血が滴る。
──まだ、死ねん。
もう少しだけ保ってくれ。
ゆらりと立ち上がり、ヒサカゲは背後の邪教神に向き直った。
「……飽きたな」
ヒサカゲが作った血溜まりを踏んで、一歩前に出る。
「お前の魂は重い。濃すぎる。舌にこびりつく、そのうえ単調だ。我を殺すことしか考えていない」
平板な声で言葉を連ねながら、邪教神はさらに一歩近づいた。
「消えろ」
音もなく持ち上げられた黒い剣が、粘液質の光をまとった。
ヒサカゲは表情を変えることなく、わずかに奥歯を嚙み締めた。
「へっ……そう、言うなよ。オレは、まだまだ……楽しめる、ぜ」
よろよろと、誰もいない空間に向かって数歩踏み出す。右手の剣を頼りなく持ち上げる。
「どこだ……よ、どこ行きやがった。お、そこか……?」
両眼に虚ろな光を浮かべ、騎士長は剣を振った。
こつん、と剣先で見当外れな場所を叩き、大きくよろめく。
「あれ……こっち、だったか……?」
再び、風切り音すらしない一撃。ずるずると片足を引き摺り、なおも動き続ける。
大量出血により視力を喪失し、思考すらも混濁した──としか思えない姿。
しかしこれは、騎士長一世一代の演技だった。
半ば閉じられた灰青色の瞳は、邪教神の冠をしっかり捉えていた。
十分間の無為な攻撃は、決して無駄ではない。
邪教神が張っている薄い強固な膜の正体までは分からないが、斬撃を放つと同時に王冠に埋め込まれた赤い宝石が煌めくのを、ヒサカゲは見逃さなかった。
自分では邪教神は倒せない。そう気付いたヒサカゲはもう、倒すことではなく弱体化だけに専念していた。
倒せないのなら、次の者に全てを託すのみ。自分にできるのは、次こそ倒せるよう手助けするぐらいだ。
「おっと……見つけた……ぜ」
ヒサカゲは弱々しく呟き、左右にふらつきながら、まったく無人の空間に向けて斬穿剣を振りかぶった。
掛け値なしに最後の一撃となるはずだった。
剣と主に残された命は、双方ともにいままさに尽きようとしていた。
その全てを費やし、ヒサカゲは、神器《斬穿剣》の解放術を発動させようとした。
斬穿剣・絶斬。
斬撃に意思を宿す《意思の刃》とは別の、裏の解放術。
所有者がイメージした未来図──三分先の未来に飛んでいく、時間を超越する刃。
見た目では単に虚空を斬った刃は、三分先の未来へと飛び、未来の敵の体に届く。回避不可能、防御不可能の、あらゆる技や努力を裏切り、未来を絶つ一撃。
ゆえにヒサカゲは、絶斬を使うことを長年忌避し続けてきた。この力を使うのは、人ならざる者と対峙した時のみ。
人ならぬ力を操る邪教神が相手ならば、遠慮はいらない。
飛竜を落とした時、ヒサカゲは、一直線に同じ速度で飛ぶ敵の動きを利用し、三分後に到達する軌道上を正確に割り出し、斬撃を放った。だが、互いに接近しての混戦では、座標特定は飛躍的に困難となる。
もちろん、三分後に到達する地点に敵をおびき寄せることはできる。
ヒサカゲは、勝利を確信したようにニヤリと笑った。
邪教神の眼に、微かな怪訝の色が浮かぶ。
「貴様……何か企んでいるな」
邪教神の問いに、ヒサカゲは太い笑みで返し、答えた。
「悪いが……ここまでだ……」
ヒサカゲは、三分前に放った斬撃波の地点に立つ邪教神を睨み、渾身の斬撃を放った。
斬穿剣・絶斬のもうひとつの特性。
防御不可能。
ゆえに、負の因子も、透明な膜の防御も、この瞬間だけは発動しなかった。
邪教神の首から、深紅の液体が噴き出す。切断面から己の頭部がずれていく間も、邪教神はまるで表情を動かそうとしなかった。薄青い瞳はただ、硝子玉のように虚ろに宙を眺めていた。
落下した頭部が、地面に接する。
王冠が甲高い音を立てて砕け散った。
数秒遅れて、ヒサカゲの右手の中で、命の尽きた斬穿剣がかすかな金属音とともに砕け散った。
更に数秒遅れて、偉大なる最古騎士の命が尽きた。
***
遥か離れた北の空の下──。
乾いた大地に瓦礫となって積み上がる、かつて大門として知られた巨大な遺構の東西では、五千の魔界軍予備戦力と、二千の人界守備軍本隊が、それぞれの陣を張って睨み合っていた。
魔界軍にはもう邪教神の姿はなく、それゆえに彼らが独自の判断の攻撃してくることなど有り得ないのだが、その事情を知るよしもない人界軍もまた動けず、長い膠着状態が続いている。
乾いた風の音だけが響く大門跡地に、一人の副騎士長の姿があった。守備軍本隊を預かる天界の騎士ルキウスである。衛士や魔術師たちには次の戦闘に備えて休息を取らせているが、自分はとても天幕で眠る気になれず、ひとり大門跡まで歩いてきたのだ。
すでに夜の闇は遠ざかり、太陽の光が魔界側の空を赤く、人界側の空を青く染めている。
騎士長ヒサカゲ率いる守備軍囮部隊が、大門を出て魔界南部に向かってから早くも一日が過ぎ去った。彼らの任務がそう簡単に終わるものではないことは解っているが、待つことしかできない我が身がもどかしい。
せめて、部隊の無事なる帰還を創世神に祈ろうと瞑目しようとしたその時──。
ルキウスは、はっと眼を見開いた。
耳許に、唯一無二の上官の声が響いた気がしたのだ。
──すまんな、ルキウス。どうやらもう、会えそうにない。
──人界は任せたぜ。次期騎士団長。
同じ言葉を、ルキウスは、この場所で別れる直前に騎士長ヒサカゲから掛けられた。
緑色の籠手を装備した右手を、心臓部に重ねる。
「騎士長、ヒサカゲ殿。長い……間、本当にッ……お疲れ様で御座いましたっ」
嗚咽を堪え、ルキウスは天を見上げた。
「騎士団は……人界は、我々が守ってみせます……」
***
激凍剣を鞘に納めると同時に、カズヤは感じ取った。
最強の剣士の命が散った瞬間を。
「……師匠」
世界最古の騎士の死を知るも、不思議と涙は流れなかった。
悲しくないわけじゃない。ただ……死を嘆けば、師匠に叱られてしまうだけだ。
ヒサカゲ自身が言っていたじゃないか。
いつか、必ず来る時が来ると。
今がその時。
覚悟はしていた。だから、涙は絶対に流さない。
「これまでずっと……大変だったでしょ、師匠」
瞑目し、右手を心臓部に当て、頭を下げる。
「もう、ゆっくり休んでください」
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