異世界転生 剣と魔術の世界

小沢アキラ

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第三部・最終章 望む明日

第二十二話

 遠巻きに並ぶ人界軍の衛士や魔術師、天界の騎士たちに、俺は騎士長ヒサカゲの死を告げた。人界軍は一様に目元を赤くしてから一斉に跪き、右拳を胸に当てながら深くこうべを垂れた。
「………………騎士長は、私たち騎士団にとっては、創世神殿の次に忠誠を誓い、また信頼できる御方でした」
 不意に、背後から少しだけ湿った声が響いた。
「騎士団に入団したばかりの頃、騎士長は私に気遣ってくださったのか、毎日剣の稽古をつけてくれました」
 振り向いたカズヤが見たのは、目尻に透明な滴を浮かび上がらせたセレナだった。
 よろよろと前に進み、カズヤの胸を強く摑んだ。
「騎士長は……騎士団全員にとって、かけがえのない存在でした……だから、だから…………」
 発せられた言葉は、もうほとんど泣き声だった。
 女性騎士は特異点の両肩を握ると、土埃で汚れた頬に涙の筋を刻み、相手の肩口に押し当てた。背中が震え、細い嗚咽が漏れた。
「うっ……ううぅぅぅ…………」
 静かに号泣する騎士の背中に、カズヤもまた両腕を回した。両眼を瞑り、きつく歯を食い縛り、乱れた金髪を撫でる。
 もういちど周りを見回すと、二万以上もいた赤い軍勢は、未だ氷に囚われ、身動きが取れずにいる。
 半永久的に溶けない激凍剣の解放術から救い出される方法はもうない。剣自身が折れてしまい、解除ができないのだから。
 赤い軍勢を解き放ってあげるには、邪教神を倒す以外方法はない。このままでは、彼らは永遠に氷の彫像と化してしまう。
 そう──。
 戦いは、まだ終わったわけではないのだ。
 死邪の一人愚餓と、使者使役で使役されていた死兵たちは排除されたが、まだ敵の首魁たる邪教神グーリが残っている。創世神を拉致した彼は、自分を奪いにこちらへ向かいつつある。
 セレナの肩を叩いて体を離すと、周囲の生き残りたちを見渡した。
 大きく息を吸い、言った。
「皆さんはここに残っていてください。創世神の元には、俺一人で行きます」
 共闘軍全体を、静寂が支配する。衝撃と葛藤が全員に逡巡し、中には俺の選択を推奨しているのが伝わってくる。
 みんな分かってるんだ。赤い軍勢に苦戦していた自分たちじゃ、邪教神には敵わない、と。今カズヤと同行しても足手まといになるのを。
 正直なところ、俺も内心では誰にもついてきてもらいたくなかった。
 人界最強の騎士すら倒す邪教神の元に全軍で向かうとなれば死亡者は必ず現れる。
 創世神を助けたい気持ちは理解できるが、なによりもまず、自分の命を大切にしてくれ。それはきっと、創世神も望んでいるから。
 数分の沈黙を肯定と受け取り、カズヤを身を翻すと──。
「同行するわ」
 先程までの泣き顔が嘘のように凛々しい顔つきで、セレナが同行を宣言してきた。
 一瞬驚愕し、次にやれやれとばかりに首を横に振った。
「俺と同行したら、無事に帰ってこれないかもしれないんだぞ。それでも……」
「約束したはずです。亡くなったセレナのために、お前を守り続ける、と」
 瞬間、強烈極まる衝動に襲われ、息を詰める。
 来るな。君には死んでもらいたくない。今だけは指揮官でも騎士でもなく、ただのカズヤとして彼女に訴えたい。
 しかしカズヤは、溢れそうになる気持ちを辛うじて抑え込むと、セレナの金髪に触れた。
「危険だと感じたらすぐに逃げる。……約束、してくれるよね」
「その時は、あなたも一緒ですよ」
 互いに表情を引き締めて頷き、右手を差し出した。
「助けに行こう。手伝ってくれ、セレナ」
「…………ッ…………」
 その言葉で限界だったのか。
 セレナはその手を取り、頬に押し当てた。
 初めて自分を頼ってくれたのが嬉しかったのか、頬に当てた右手を必死に握っている。
 カズヤの左腕が背中に回され、強く引き寄せた。
 抱擁は一瞬だったが、しかし、言葉にできないほど大量の情報が瞬時に二人の魂を行き交うのをカズヤは感じた。
 セレナは、至近距離から視線を合わせながらもう一度頷き、瞳を南の空へと向けた。
「…………見つけた」
「え……?」
 セレナは瞬きしたが、カズヤは答えず、小さく微笑んだだけだった。
 カズヤはもう一度ぐるりと全員を見回し、サヤとワタルに一瞥し、言った。
「じゃあ、行ってくる」
 そして──。 
 自作魔術《炎熱竜鎧》の応用術《炎熱竜の翼》を詠唱し、背中に二翼を装着させる。次に両手で風素を生成し、まずセレナ、次に自分の体を覆い尽くす。
 特異点の力を解放させた途端、周囲の空間に漂う魔素を明瞭に感じられるし、それらを術式なしで素因に変換することも容易い。先ほどの自作魔術の応用も、想像するだけで詠唱することができた。
 セレナの右手を握り締め、風素で保護されてることを確認してから、両翼を大きく仰ぐ。

  ***

 そしてサヤは、鮮やかな緑色の光に包まれたカズヤとセレナが、南の空へと恐ろしいスピードで飛び去るのを見た。
 見開いた両眼をぱちぱちと瞬きさせてから、サヤは、はぁーっと長くため息をついた。
「まったく……相変わらず無茶苦茶なんだから……」
 隣でワタルが、くすっと笑う。
「本当、毎回驚かせてくれるね……」
 きっと彼にとっても、カズヤは何度も感服させられる存在なんだ。奇想天外で、無茶苦茶で、絶対的な存在。
 ──そして、私にとっても。ユリにとっても
 サヤも、尽きぬ涙に濡れる瞳を、南の空へと向けた。
 
  ***

 俺とセレナの周りを、灰色の雲が凄まじい速さで流れていく。頭上には血のように赤い空、眼下には黒ずんだ荒野がどこまでも広がる。
 空中飛行術とは違い、いまは俺とセレナの体を風素で包み込んで空気抵抗をなくすと同時に、後方の両翼を振り仰いで飛んでいる。飛竜よりは少し劣る速度だが、いまはこれがベストな移動方法だから仕方ない。
 騎士二人の飛竜は先の激闘で負傷しているし、戴天は未だ戻ってきていない。
 戴天がこちらに戻っていると信じるならば、合流するまではこの移動方法を続けるしかない。少なくとも五分程度はかかるだろう。
 この時間を利用して、セレナに言いたいこと、感謝したいことは山ほどある。しかし俺は、手を繋いで右側を飛翔するセレナに意識を向ける暇がない。
 理由は──。
 特異点の力が作用されているとはいえ、背中の両翼から少しでも意識を外すと、途端に翼を維持できずに二人仲良く魔界の空から地面に落下、追突したのち死亡するだろう。
 この肉体が修復不可能なまでに粉砕されれば、邪教神の目的も果たせず世界が無に還ることもないので万々歳だが……。
 そうなれば、邪教神が魔界と人界の両方の民を殺戮して回り、別の形で終末してしまう。
 第一、そんな死に方カッコ悪すぎる。人界と魔界に和平が結ばれ、誰もが自由に未来を選べる世界を創造するまでは死ぬつもりはない。
 いや、別にその世界になったからってすぐ死ぬ必要はないか……。
 ──というか、この体って寿命とかどうなってるんだろうか。人界に降り立って二年半、身長は伸びたし筋肉も増えてるから、一応成長はするから肉体の老化もするのだろうか……?。
 体内に魔石が取り込まれてて、そこから配給される魔素が尽きれば死ぬ、という認識でいいのだろうか? でも魔石は半永久的に魔素を生成する希少品だから配給が止まることはないか。 
 まさか不老不死とかはやめてくれよ。みんながいなくなった世界で生きていく自信なんか、俺には…………
 高速飛行しながら、思わず自分の体についてばかり考えていると。
 その途端に意識の集中が乱され、風素の生成と両翼が消える。強烈な空気抵抗が全身を叩き、錐揉み落下状態に陥る。
 やべっ、と呟きながらもう一度両翼を生やし、安定を取り戻す。しかしほっとする暇もなく、
「……きゃあああああ!!」
 上空から、意外にも女の子らしい悲鳴とともに騎士殿が落下してくるので、両手をいっぱいに伸ばして受け止める。
 危ういところでキャッチに成功すると、大きく見開かれた茶色の瞳と、至近距離で眼が合った。鋭い叱責は、一瞬で飛んできた。
「何を惚けていたんですか!!」
「ち、違うんだ!!」
 ──これでは謝罪ではなく言い訳だが、しかしもう後戻りはできない。
「そ、その、色々考え事してたんだよ!!」
「色々って何よ!!」
「え~と……将来のこととか?」
 俺の不明瞭な言葉を聞いたセレナの顔が──。
 ほにゃ、と綻んだ。ほっそりした両手で俺の頰を挟み、どこか呆れたような、懐かしむような声で言う。
「……あなたは本当に変わりませんね、カズヤ。から一年も経って、少しは大人になったのかと……思っていたけど……」
 突然、セレナの両眼から、透明な雫が溢れた。唇がかすかに震え、掠れた声が押し出された。
「なんだか……嬉しいです。変わらずにいてくれて、本当に嬉しいです。カズヤ……」
 その言葉は俺の胸の深いところまで届き、何か熱いものが込み上げてくるが、どうにか喉で堰き止めて答える。
「……俺は、変わらないよ。ずっと、君の知ってる俺のままでいるよ。心配する必要ないよ」
「だって……なんだか、別人に見えたんだもん。赤い軍勢を一瞬で凍らせちゃうし……空飛ぶし……」
 これには思わず苦笑せざるを得ない。
「凍らせたのはカムイさんのお陰だよ。飛行だって、この体の影響が大きいし、俺ができるんだからセレナもすぐできるようになるよ」
「……できなくていい」
「は?」
「今みたいに、抱っこしてもらうからいい」
 一年間ともに暮らしていた柔らかい口調になっていることに気付き、セレナは泣き笑いの顔でそう言うと、両手を俺の顔から背中へと移し、ぎゅっと抱きついてきた。俺も力強く抱擁を返し、改めて口にする。
「全部終わったら、コドールの村に二人で帰って、戴天と五月雨も一緒に色んな場所に行こう」
「楽しみね……。あなたと一緒に、この世界を旅するのが、凄く楽しみ」
「俺もだよ。……そのためにも、邪教神を倒さなきゃな」
 それが、師匠への弔いでもある。
 彼とは、この戦争が始まる直前、たった一度だけ決闘を打ち合わせた。ヒサカゲはその時すでに、自分の死を予感していたような気がする。
 彼は、二百年にも及ぶ人生の終着点として、ヒヅキを守るための戦いを選んだのだ。
 俺の動作を悟り、セレナは両腕にいっそうの力を込めると小さく啜り泣いた。しかしすぐに嗚咽を押し殺し、訊ねた。
「……創世神様は……無事なの……?」
「さっき確認したけど、まだ生きてる。どうしてか動けないでいるけど、近くの巨大な気配……多分邪教神だろうけど、そっちもいまは何故だが動いてない」
「そう……なら、早く行かなきゃ。騎士長のために」
 そっと離されたセレナの顔は、涙に濡れてはいたが強い決意に満ちていた。俺も、ゆっくりと頷き返した。と、セレナの瞳が、わずかに揺れた。
「でも。いまは……ほんの少しだけでいいから、私のわがままを許して」
 囁きとともに近づいた唇が、俺の唇を塞いだ。
 一緒に暮らしている時、就寝前に接吻することは何度もあった。
 だが今のように、異性として意識しての接吻は多分これが初めてだろう。
 異世界の赤い空の下、黒い翼をゆるやかに羽ばたかせながら、俺とセレナは長い、長いキスを交わした。
 存在が溶け合うほどのめくるめく数秒間が過ぎ、俺とセレナは唇を離した。
「さあ、行こう。邪教神を倒し、創世神を助けに」
「そうね、いつまでもこんなことしてちゃ、創世神様に悪いからね。さ、助けにいこ!」
「ああ。もう一度飛ぶよ」
 ぎゅっとセレナを抱きしめ、再び風素を大量に生成する。緑色の光る風が湧き起こり、二人を包み込む。
 ずっと南の空に待つヒヅキと、近くで動きを止める異質な気配を捕捉し──俺は、飛んだ。
 
  ***

 頭部を切り離されてもなお、邪教神の意識は残されていた。肉体の機能は既に停止しており、五感も稼働していないにもかかわらず、邪教神は喜んでいた。
 自分を殺したことではなく──を除去してくれたことを。
 後に特異点の体を乗っ取るという理由もあるが、自分が使役していた肉体は、元は先代の暗黒騎士団長のもの。
 素晴らしいポテンシャルを発揮してはいたが、所詮は人族の肉体。凍結処理で老化や衰えは防止できても、人族の為せる動きには限界がある。
 だが今、その殻は破られた。
 この一年間。邪教神は乗り移った肉体の完治を待っていたわけではない。
 本来の姿を取り戻すまで、身を隠していただけ。そして今、仮の肉体を失ったことで全ての準備は整った。
 あとは……創世神の首を取り、こちらに向かいつつある特異点を奪取することで果たされる。
 長年の悲願──が。
 遥かに忘れてしまった至極の感情が湧き上がるのが分かる。もう少しで、三百年と続く渇きが失せると思うだけで笑みが溢れてしまう。
 焦るな……その瞬間を、じっくりと堪能しよう。崩壊する世界を眺めながら、水樹和也の絶望に歪む表情を堪能しよう。
 残虐的な歓喜が無限に湧き上がってくる。その瞬間が訪れるのを、今か今かと待ち続けながら、邪教神は静かに瞼を閉じていく。次に眼を開けるのは、本来の姿であることを祈りながら…………。

 底無しの虚構に陥っていた意識が長い時間を経て戻り、創世神ヒヅキは、そっと睫毛を持ち上げた。
 見えたのは、見覚えのない円形柱の上で横たわる自分と、地面に走る剣戟の跡。
 自分の離れで倒れる、二人の人族だった。
「…………ヒサカゲ?」
 ようやく意識がはっきりしてきたヒヅキは、短く呟いた。
 ──そうだ、私、邪教神の飛竜に捕まったんだ。まったく、何て迂闊だったんだろう。
 でも、さすがはヒサカゲだわ。邪教神から助け出してくれるなんて。この人さえいれば、何もかも安心。
 安堵し、上体を起こしたヒヅキは、騎士長の体から流れる悍ましい量の血液に気付き、息を呑んだ。
 逞しい胸元には無数のあなが穿たれ、真新しい刀傷が刻まれている。はだけた胸の下には、恐ろしいほど深く、惨たらしい傷が。
「ひ……ヒサカゲ……!!」
 叫び、ヒヅキは手を伸ばした。
 その指先が、騎士長ヒサカゲの頬に触れた。
 そしてヒヅキは、偉大なる最古騎士にして古き友の命が、すでに尽きていることを悟った。
 それでもヒヅキは往生際悪く、高位の治癒術を騎士長の全身に施した。
 神に近い力を持つ者でさえ──神でさえ失われた命を呼び戻すことはできない。彷徨う魂に肉体を与えることはできても、既に失われた命はどう足掻こうと戻らない。
 それを知っていながらも、ヒヅキは治癒術を止めなかった。周囲の空間魔素が枯渇するほどの勢いで高位治癒術を詠唱し続ける。
 ヒサカゲの傷だらけの体は少しずつ綺麗になっていき、胸元に空いた無数の孔が次々と塞がれていく。
 しかし──。
 重く閉ざされた瞼も、開かれることはなかった。
「ヒサカゲ! 帰ってきなさい!!」
 大きく、無骨な手を華奢な両手で包み込み必死に叫ぶも、答える声はなかった。
 そこでようやく、ヒヅキは現実を認めた。ヒサカゲの死という、長年を共に過ごした旧友を失った喪失感が、今となって胸中をかき乱していく。
 やがて正常な思考が消えてしまい、離れで倒れるもう一つの骸──唯一の身内であり、倒すべき敵を睨んだ。
「……星屑ッ!!」
 専用武器の名を叫び、八枚の光刃が赤い空から降り注ぐ。それらは一斉に邪教神の骸を突き刺さり、死体を四散させていく。
 ──殺すッ!! 殺す殺す殺す殺す殺すッ!!
 肉体を、兄が生きた痕跡を一切残さない!!
 この瞬間初めて、創世神は純粋な殺意と怒りに身を任せていた。旧友の死と奪われた憎悪が、眼前で眠る諸悪の根源を前に爆発してしまったんだ。
 星屑の八枚の光刃が邪教神の亡骸を粉微塵にすると、突如空から哀しみの含まれる雄叫びが響いた。天を仰ぐと、二匹の飛竜──戴天と神立が滞空していた。
 雄叫びを上げていたのは、主を失った神立。隣に滞空する戴天も、気持ちを分かち合うように、低く唸っていた。
 肉塊と化した死体から星屑を抜き取り、眼前に巨穴を掘り出す。墓穴が出来上がると、息を引き取ったヒサカゲを静かに下ろし、土をかぶせておく。
 本来ならば、中都統制教会で彼のお気に入りだった《空中庭園》に埋葬してあげたいのだが、ここからでは何日も掛かってしまう。
 転送魔術は専用の魔道具がなければ使えない。せめて、彼の体が綺麗なうちに埋葬してあげたい。
 全身が土に覆い尽くされるのを確認した途端、またもや涙がこみ上げてきた。
 その場で膝を突き、ヒサカゲの眠る墓に大粒の涙を何滴も染み込ませながら、頭を下げた。
「お前は……お前だけは、失いたくなかった」
 多くの騎士を指揮し、人界軍全体を鼓舞し続ける中、時折見せる子供のような一面。それら全てが、今でも鮮明に思い返せる。
「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい」
 彼の眠る墓に額を擦り付けながら必死に謝罪する。上空の神立と戴天が静かに降り立つと、泣き噦るヒヅキに顔を近づけ、神立は主の眠る墓へ顔を向け、戴天は遙か北の方角に顔を向け、低く鳴いた。
 その声が何を警告しているのか、ヒヅキには理解することができなかった。

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