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09.政争に明け暮れる者たち(1)
しおりを挟む「全く、あの愚か者めが」
タルシュ侯爵家当主、セベリアノ・デ・グスマン=カルハバルは忌々しげに毒づいた。
一人息子のイグナシオが、事もあろうに貴族学院の卒業パーティーに現れて婚約者のモンテローサ伯爵家令嬢セリアに婚約破棄を突き付けたと聞かされたからだ。しかもその場で彼女に手を上げて、暴行の現行犯で憲兵騎士に拘束されたと連絡が入ったのだ。
もうそうなっては揉み消すことも不可能だ。目撃者は百人単位で存在し、憲兵騎士まで動いたからには王宮にもすでに伝わっていることだろう。
「あれほど『この婚約は一門の命運を左右する大事なものだ』と伝えておったのに、何を聞いておったのかあの愚者は…………」
自主性を尊重して自由にやらせていたことが悔やんでも悔みきれない。後継者として手塩にかけて育ててきて、それに相応しい才覚を発揮して順調に出世の階段も登っていたというのに、何を血迷ったのか。
もちろん、イグナシオが学院でメルカド男爵家令嬢ベリンダを寵愛していたことはセベリアノも知っている。息子にも「学生のうちだけにしておけ」と釘を刺し、本人もその通りに卒業後は関係を断っていたというのに、内心密かに諦めていなかったことに気付かなかった。
諦めていないどころか、冤罪をでっち上げてまで婚約破棄して男爵家令嬢を妻にしようとしていたとは。
さすがに思慮分別はあるものと考えていたが、どうやら思い込みだったようだ。だが今さら気付いたところでもう遅い。
セベリアノはすぐさま動いた。
モンテローサ伯爵家に先触れとして総領執事を送り、主だった一門の各家には招集をかけた。同時に王城にも先触れを出し、不始末の責任を取る旨奏上した。
王家からは即座に召喚があり、セベリアノは直ちに参内して財務官長の辞任とタルシュ侯爵位の一門への移譲、それに領都での蟄居を願い出た。大顕位たる侯爵家、それも現王の王妹を降嫁された身として、この醜聞が侯爵家のみならず王家にも深いダメージを与えると、彼はよく分かっていた。
そう。イグナシオの母、バジリナ・デ・アブスブルコ=ブルバンは現王の王妹、つまり先王の王女なのだ。そして王家の血を受けたイグナシオは、予定通り侯爵家を継いで恙無く過ごしているだけで公爵への陞爵も充分望めるはずだったのだ。
おそらく愚息はそのことを解っていない。解っていれば、このような浅はかな振る舞いなど出来たはずがない。
だがセベリアノを謁見した国王フェルディナンド8世は、そこまでせずともよいと宥めた。王にとってもイグナシオは可愛い甥子だったし、セベリアノの有能さは国内外に広く知れ渡っていたため、そのどちらも失うのは痛いと考えたのだ。
だが、誰も責任を取らぬでは話は収まらぬ。イグナシオに罪を償わせるのは当然のこととして、彼の監督責任者としてのセベリアノの辞意は固かった。
結局、一門から相応しい者を選んでタルシュ侯爵家を早期に継がせることとし、セベリアノ自身は継爵ののちしばらく領都で蟄居することが決まった。そしてイグナシオは廃嫡の上領都の侯爵家本邸で終身幽閉とすることで、渋るフェルディナンド8世にも認めさせた。
王城を辞したセベリアノはすぐさまモンテローサ伯爵家に馬車を向けた。タルシュ侯爵家において侯爵当主に次ぐNo.2たる総領執事を先触れに使ったことが功を奏して、伯爵家ではセベリアノの釈明を聞いてくれるようだ。
「このたびは大変申し訳ないことになった。償いはいかようにもさせて頂く」
セベリアノは応接室に通されて、モンテローサ伯爵エミディオ・デ・ヒメネス=ワレンティアにまみえるなり、立ったまま深々と頭を下げた。伯爵に対する侯爵の態度ではなかったが、互いに大顕位持ちの貴族家は爵位に関わらず対等であるという建前だ。だから加害者側が被害者側に詫びるのは当然のことと言えた。
「王家よりモンテローサ伯爵家を立てて頂いたこと、まずは謝意を申し上げる」
モンテローサ伯爵エミディオは応接室のソファに腰を下ろしたまま立ち上がりもせず、立ったまま頭を垂れるセベリアノにそう言った。そののちに着席を勧め、セベリアノはエミディオの向かいに腰を下ろす。
「…で?具体的にはどうなさるおつもりで?」
「婚約の解消は当然のこととして、もちろん侯爵家の有責とさせて頂く。イグナシオのサンルーカル子爵位剥奪と領都での終身蟄居、セリア嬢に一切の瑕疵がないことの喧伝、さらに両家の取引は伯爵家が望むならこれまで同様、いや今以上の便宜を図らせて頂く」
その上で、と言い置いてセベリアノは懐から目録を取り出して、エミディオに提示した。エミディオが開くと、賠償として伯爵家に渡す金品の一覧が並んでいた。ざっと計算しても国家予算のおよそ1割近くになる莫大な額である。
「侯爵の誠意は承った」
エミディオは鷹揚に頷く。正直言えばイグナシオの首級を、と言いたいところだったが、エミディオとて彼が王妹の子であると知っている。行き過ぎた要求は王家を怒らせるし、そこまでしては国家の屋台骨すら揺るがしかねない。
それにセベリアノが提示した賠償額はタルシュ侯爵家の資産のおよそ半分近くにも上る。これほど譲り渡してしまったら侯爵家が弱体化してしまう。
「賠償については、この半分で手を打とう」
だからエミディオは減額を申し出た。それでなくともイグナシオは侯爵家の唯一の跡取りで、彼がこのような事になったからには侯爵位が傍系に移ることになる。能吏で知られるセベリアノと将来を嘱望されたイグナシオの両方とも失うことになる以上、タルシュ侯爵家の家勢は一時的にせよ大きく衰えることとなるのだから、必要以上に弱体化させるのは得策ではない。
温情とも言えるエミディオの言葉に、セベリアノは無言で頭を下げた。ここで揉めるようだとこれからの話にも支障をきたすため、すんなりと賠償交渉が終わったことに彼は内心安堵していた。
「さて、この後の話だが」
「ああ。このまま終わるなどと思われてはかないませぬからな」
「調べはどこまでお済みかな?」
「侯爵家と同程度には進めておりますとも」
ふたりは真顔のまま、顔を見合わせる。
その顔はもう、被害者と加害者の顔ではなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「そうですか。イグナシオは終身幽閉、ですか………」
国王、フェルディナンド8世からタルシュ侯爵家のけじめを聞かされた王妃は、それだけ言ってため息を吐いた。
王妃にとってはイグナシオは血縁者ではない。だが国王の甥ということもあり、小さな頃からよく知った子でもある。夫婦揃って可愛がってきた“甥”だった。
だからこそ、彼が愚かな行動の果てに罰を受けるとあって、心が痛まないわけがなかった。
「できるなら何とかしてやりたいが、こればっかりはのう…」
国王も渋面を隠さない。衆目の面前で行われた犯罪行為を、王家の血縁者というだけで免罪すればどういうことになるのか、考えるまでもない。イヴェリアスは専制君主制ではないのだから、国王と言えども私情だけで法を曲げるなど赦されないことだった。
「正式には裁判を待ってからということになるが、幽閉の前に収監、ということになろうの」
「あの子が………収監ですって!?」
「セリア嬢に手を上げただけではないのだ。冤罪まで被せて彼女の有責での婚約破棄を狙ったそうでな、貴族としては致命的な醜聞になってしまっておる」
「そんな………なぜ………」
王妃は呻き、よろめき、慌てた侍女に支えられかろうじて踏みとどまった。
「…………………陛下」
「なんじゃ」
「タルシュ侯爵とモンテローサ伯爵の召喚を。事の経緯をわたくしも知りとうございます」
「分かった。非公式の場を設けよう」
あの聡明で優しかったイグナシオが、どうしてそんな事になったのか、王妃にはどうしても分からなかった。それほどまでにセリアとの婚姻が嫌だったのか。あるいは、誰かにハメられたのか。
「陛下、もうひとつお願いがございます」
「……………申してみよ」
と言いつつ、国王には王妃が何を言いたいか、ある程度解ってしまっている。
「事と次第によっては、妾が動いてもよろしゅうございますか?」
「あまり、派手に動くでない。だが波風の立たぬ範囲でならば、許可しよう」
我が妻ながら言い出したら聞かない面がある。こうなってしまっては仕方ないと、内心でそう思いながら国王は許可を出した。本当は、貴族同士の政争に王家が介入すべきではないのだが。
まあ、永年連れ添った彼女のことだ。我を忘れて暴れることなどないだろう。
「ありがとう存じます。それではわたくしは、これで」
王妃はそう言って気丈にもたおやかに腰を折ってから、王の執務室を後にして行った。
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