鳥籠の花嫁~夫の留守を待つ私は、愛される日を信じていました

吉乃

文字の大きさ
5 / 91

静かな誓いと不安

しおりを挟む
式の日の朝、空は見事なほど晴れわたっていた。

 宮廷付の聖堂は白い布と花で飾られ、鐘の音が遠くから鳴り響いていた。
 カタリーナは侍女たちに囲まれながら、鏡の前に静かに座っていた。

「とても……お綺麗です、カタリーナ様」

 侍女の一人が涙ぐみながらそう言ったとき、カタリーナは微笑んで頷いた。

 鏡の中に映るのは、儀礼に沿った純白のドレスを身にまとった自分。
 華やかに髪を結い上げられ、いつもより幾分大人びた自分の顔。

 でも、その目の奥には、ほんの少しだけ戸惑いが揺れていた。

 

 結婚式は、予定通り淡々と進んだ。
 聖堂の奥で神官が聖句を唱え、貴族の列席者たちが静かに見守る中、
 レオナルドは、変わらぬ静けさで指輪を彼女の薬指に通した。

「あなたを、守ると誓いますか?」

 神官の問いかけに、彼は短く「はい」と答えた。

 カタリーナもまた、同じように答えた。

 言葉は交わされた。けれど、彼の目が深くこちらを見ることはなかった。

 あのとき、ほんの少しだけ思っていた。
 ──もしかしたら、式の前にでも、何か言葉があるかもしれない。
 たったひと言でも「幸せになろう」って、言ってくれたら嬉しいな、って。

 でもそんなことを思う自分が、子どもじみているようで言えなかった。

 

 披露宴の席。
 金と白を基調とした大広間には花々が飾られ、長く伸びる絨毯と高い天井が、この日の特別さを際立たせていた。

 笑い声、乾杯の音、奏者たちの穏やかな弦の調べ。
 賓客たちの話し声は絶えず、満面の笑みを浮かべる貴族たちがグラスを掲げていた。

「まあカタリーナ、お美しいわ! 本当にお人形のよう!」
 幼なじみの友人が、目を潤ませながら手を取ってくる。

「これであなたも奥様ね……。きっと幸せになるわ」

 カタリーナは、微笑んで頷いた。
 笑顔は自然に浮かんだけれど、胸の奥の深いところは、少しだけ冷えていた。

 

 義母は、貴婦人らしい優雅さでグラスを持ちながら、周囲に穏やかな微笑を返していた。
 装いは控えめながらも上質で、立ち居振る舞いには年輪を重ねた誇りがにじんでいた。

 彼女は名門の出身で、かつては王家にも連なる一族の姫君だったと聞いている。
 政治家や宮廷関係者を数多く輩出してきた家柄に生まれ育ち、立ち振る舞いひとつにも教養と威厳が宿っていた。

 そんな義母が、遠くからカタリーナに視線を向けたとき、わずかに頷きはしたが
 そこに歓迎の色はなかった。

 ──ああ、私はまだ、この人の中では“他家の娘”なのだ。

 言葉をかけてくることはなく、祝福の抱擁もなかった。
 ただ、形式の中で“息子の選んだ花嫁”として、穏やかに見守っているだけ。

 

 レオナルドの他の親族たちも、似たような空気を纏っていた。

 その多くが政界や学術の要職に就く人物で、常に理性を重んじ、感情を交えない会話を好む。
 だからこそ、カタリーナのように明るく感情を表に出すタイプの女性は、彼らの中ではやや浮いた存在に映ったのかもしれない。

 親族の一人が言った。

「まあ、華やかな方ですね。セレスタ家の雰囲気とは少し違って新鮮です」

 それは褒め言葉にも、皮肉にも聞こえる言い回しだった。

 

 カタリーナは微笑みを返しながらも、自分の中で小さく身を縮めた。

 ──ここでは私は、誰かの妻という肩書きでしか見られていないのかもしれない。

 温かい拍手に包まれながらも、その内側にある沈黙の深さが、少しずつ胸に広がっていった。
 そんな一言を誰かが発した。
 それは褒め言葉にも、皮肉にも聞こえる曖昧な言葉だった。

 

「レオナルド様、やはり立っているだけで絵になるわ。奥様も羨ましいでしょう?」
「ふたりは本当に理想的なご夫婦に見えるわね」
「早くお子様のお顔が見たいものですわ」

 言葉の一つひとつに悪意はなく、むしろ祝福だった。
 けれどその賑やかさの中で、ふたりきりの会話は一度もなかった。

 レオナルドは礼儀正しく、誰に対しても丁寧に応じていた。
 隣にいるカタリーナにも、差し出される飲み物に手を添える程度の気遣いはあった。

 でも、それだけだった。

 

 その場にふたりは“並んで”いた。
 けれど、“寄り添って”はいなかった。

 周囲の視線に背筋を伸ばして微笑むレオナルドの隣で、カタリーナはふと横顔を見上げた。

 少しでも、こちらを向いてくれたら。
 「疲れてないか?」とか、「緊張してないか?」とか……たったひと言でも、何か気遣う言葉があったなら。

 そう思ってしまった自分が、少しだけ情けなくもあった。
 けれど、本当に欲しかったのは、贅沢な言葉や贈り物じゃない。
 “いま、この瞬間”に心を寄せてくれる、ほんのささやかなぬくもりだった。

 

 誰もが祝福してくれるのに、心の奥は不思議なほどに静かだった。

 あたたかな言葉が降り注ぐほど、どこかで「私はいま、ひとりなのかもしれない」と思ってしまった。

 この人となら、幸せになれる。
 そう信じたはずだった。

 けれど、気づかないふりをしていた心の小さな穴に、今日の光がすっと差し込んでしまったのかもしれない。

 結婚式は、ふたりの始まりの日。
 一生に一度の大切な瞬間‥‥そのはずなのに、レオナルドの横顔は、何も語ってはくれなかった。

 けれど。

 それでも私は、信じたかった。
 大丈夫、大丈夫。
 時間を重ねれば、ちゃんと向き合えるようになる。
 あの人なりの優しさに、きっといつかちゃんと気づける日が来る。

 心に浮かんだ不安を、そっと包み隠すようにカタリーナはもう一度、微笑んだ。

しおりを挟む
感想 86

あなたにおすすめの小説

離婚した彼女は死ぬことにした

はるかわ 美穂
恋愛
事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。 もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。 今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、 「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」 返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。 それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。 神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。 大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。

【完結】旦那は堂々と不倫行為をするようになったのですが離婚もさせてくれないので、王子とお父様を味方につけました

よどら文鳥
恋愛
 ルーンブレイス国の国家予算に匹敵するほどの資産を持つハイマーネ家のソフィア令嬢は、サーヴィン=アウトロ男爵と恋愛結婚をした。  ソフィアは幸せな人生を送っていけると思っていたのだが、とある日サーヴィンの不倫行為が発覚した。それも一度や二度ではなかった。  ソフィアの気持ちは既に冷めていたため離婚を切り出すも、サーヴィンは立場を理由に認めようとしない。  更にサーヴィンは第二夫妻候補としてラランカという愛人を連れてくる。  再度離婚を申し立てようとするが、ソフィアの財閥と金だけを理由にして一向に離婚を認めようとしなかった。  ソフィアは家から飛び出しピンチになるが、救世主が現れる。  後に全ての成り行きを話し、ロミオ=ルーンブレイス第一王子を味方につけ、更にソフィアの父をも味方につけた。  ソフィアが想定していなかったほどの制裁が始まる。

年に一度の旦那様

五十嵐
恋愛
愛人が二人もいるノアへ嫁いだレイチェルは、領地の外れにある小さな邸に追いやられるも幸せな毎日を過ごしていた。ところが、それがそろそろ夫であるノアの思惑で潰えようとして… しかし、ぞんざいな扱いをしてきたノアと夫婦になることを避けたいレイチェルは執事であるロイの力を借りてそれを回避しようと…

私たちの離婚幸福論

桔梗
恋愛
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません~死に戻った嫌われ令嬢は幸せになりたい~

桜百合
恋愛
旧題:もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません〜死に戻りの人生は別の誰かと〜 ★第18回恋愛小説大賞で大賞を受賞しました。応援・投票してくださり、本当にありがとうございました! 10/24にレジーナブックス様より書籍が発売されました。 現在コミカライズも進行中です。 「もしも人生をやり直せるのなら……もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません」 コルドー公爵夫妻であるフローラとエドガーは、大恋愛の末に結ばれた相思相愛の二人であった。 しかしナターシャという子爵令嬢が現れた途端にエドガーは彼女を愛人として迎え、フローラの方には見向きもしなくなってしまう。 愛を失った人生を悲観したフローラは、ナターシャに毒を飲ませようとするが、逆に自分が毒を盛られて命を落とすことに。 だが死んだはずのフローラが目を覚ますとそこは実家の侯爵家。 どうやらエドガーと知り合う前に死に戻ったらしい。 もう二度とあのような辛い思いはしたくないフローラは、一度目の人生の失敗を生かしてエドガーとの結婚を避けようとする。 ※完結したので感想欄を開けてます(お返事はゆっくりになるかもです…!) 独自の世界観ですので、設定など大目に見ていただけると助かります。 ※誤字脱字報告もありがとうございます! こちらでまとめてのお礼とさせていただきます。

私のことを愛していなかった貴方へ

矢野りと
恋愛
婚約者の心には愛する女性がいた。 でも貴族の婚姻とは家と家を繋ぐのが目的だからそれも仕方がないことだと承知して婚姻を結んだ。私だって彼を愛して婚姻を結んだ訳ではないのだから。 でも穏やかな結婚生活が私と彼の間に愛を芽生えさせ、いつしか永遠の愛を誓うようになる。 だがそんな幸せな生活は突然終わりを告げてしまう。 夫のかつての想い人が現れてから私は彼の本心を知ってしまい…。 *設定はゆるいです。

妻を蔑ろにしていた結果。

下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。 主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。 小説家になろう様でも投稿しています。

俺はお前ではなく、彼女を一生涯愛し護り続けると決めたんだ! そう仰られた元婚約者様へ。貴方が愛する人が、夜会で大問題を起こしたようですよ?

柚木ゆず
恋愛
※9月20日、本編完結いたしました。明日21日より番外編として、ジェラール親子とマリエット親子の、最後のざまぁに関するお話を投稿させていただきます。  お前の家ティレア家は、財の力で爵位を得た新興貴族だ! そんな歴史も品もない家に生まれた女が、名家に生まれた俺に相応しいはずがない! 俺はどうして気付かなかったんだ――。  婚約中に心変わりをされたクレランズ伯爵家のジェラール様は、沢山の暴言を口にしたあと、一方的に婚約の解消を宣言しました。  そうしてジェラール様はわたしのもとを去り、曰く『お前と違って貴族然とした女性』であり『気品溢れる女性』な方と新たに婚約を結ばれたのですが――  ジェラール様。貴方の婚約者であるマリエット様が、侯爵家主催の夜会で大問題を起こしてしまったみたいですよ?

処理中です...