鳥籠の花嫁~夫の留守を待つ私は、愛される日を信じていました

吉乃

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プロポーズがなかった私たち

 春の陽が柔らかく差し込むサロンの一角。  
 小鳥のさえずりと茶器の音が、控えめに空気を彩っていた。

 「私、ひざまずかれて、あなたを守ると誓います”て言われたの!」  
 「ええっ、素敵! 本当におとぎ話みたいじゃない!」

 友人たちの笑い声が弾み、テーブルの上のスコーンと紅茶の香りが甘く漂う。  
 カタリーナも微笑みながら耳を傾けていたが、心のどこかがふと、揺れた。

 ──プロポーズ。

 話題の中心は、いつの間にか“結婚を決めた時の言葉”になっていた。  
 最初は他愛ないお喋りのひとつとして聞いていたはずが、  
 気づけば皆がそれぞれに、自分の「特別な一言」を語っていた。

「……カタリーナは? あの方、なんておっしゃったの?」

 一瞬、時が止まった気がした。

 「え……私……」

 言葉が出てこない。

 ──あれ? なんて言われたんだっけ。

 記憶を探ろうとするが、はっきりした「その言葉」が思い出せない。

 式の日取りが決まったこと、家同士の話が進んでいたこと。  
 淡々と進む婚約の中で、レオナルドが何か特別な言葉を口にした記憶は──ない。

 「……なんだか、流れでそうなったのよね」

 苦笑しながら答えたその声が、自分のものとは思えなかった。

 その瞬間、笑い声がふっと収まった。
 サロンに流れていたあたたかな空気が、少しだけ変わるのを感じた。

 一人の友人が、目を伏せたまま紅茶のカップをそっと持ち上げる。
 もう一人は、言葉を選ぶように微笑んだ。

「……そういうのも、あるわよね」
「うん。大切なのは、そのあと幸せになれるかどうか、だもの」

 優しさからの言葉だと、わかっていた。
 けれどそれでも、ほんの少しだけ胸が締めつけられた。

 皆がちゃんと選ばれたと感じている中で、
 自分だけが、選ばれたことに確信を持てずにいるような気がしていた。

 結婚って、一生に一度のことなのに。
 どうして私は、“その言葉”をもらえなかったんだろう。

 笑っているのに、胸の奥が冷たい。  
 皆の言葉はまるで、小さな光の粒のようにきらめいていて、  
 それを眺めている自分だけが、少し違う場所に立っている気がした。

 彼に特別な言葉を求めていなかったつもりだった。  
 けれど、いまこの瞬間、ほんの一言でも──  
 「君を選びたい」と、誰より先に言ってくれる声が、欲しかったのだと気づいてしまった。

 それは、わがままだろうか。  
 それとも、ただの少女の夢に過ぎなかったのだろうか。

 私は、本当に選ばれたのだろうか?  
 あの人は、私と結婚したいと、そう思ってくれていたのだろうか。

 心の奥に、拭いきれない小さな問いが残ったまま――

 

 それは、ある日の午後のことだった。  
 招かれた小さな茶会の席で、レオナルドの数人の友人たちと共に、和やかな時間を過ごしていたとき。  
 カタリーナが少し席を外した直後、会話の流れで、誰かがこんなことを言ったのだった

「それで、プロポーズの言葉は何だったんだ? 君らしく、理知的に決めただろう?」

 レオナルドは少し考えてから、静かに言った。

「……ああ、言ってないな。特には」

 その瞬間、場が一瞬だけ凍りついたのを、カタリーナは覚えている。

 そして、そのあとに返ってきた言葉は、

「でも、彼女は嫌がっていなかったし。……そうなるだろう、と思っていた」

 結婚って、一生に一度のことなのに。
 どうしてあの人は、それを自然の流れで済ませてしまったのだろう。

 ──そうなるだろう、と思っていた。

 きっと、私が何も言わなかったからだ。
 反対もせず、問いかけもせず、ただ静かに隣に座っていたから。
 彼はそれを、了承だと受け取った。

 何度か一緒に時間を過ごす中で、私は微笑みながら相づちを打ち、
 結婚の話が具体化していくのを、何も止めなかった。
 問いただすことも、願うことも、怖くてできなかったのだ。

 それが、「嫌がっていない」と彼が思った理由だった。

 けれど本当は、それはただ頷くしかなかっただけ。
 誰かに選ばれるのを待っていた少女の、小さな沈黙だった。

 それは、悪意のある言葉ではなかった。
 きっと、彼なりに確かめたつもりだったのだろう。

 ──プロポーズはなかった。けれど、私は断らなかった。

 嫌ではなかったから。  
 この人となら、幸せを築けるかもしれないと思ったから。  
 夢を捨てたわけではなかった。ただ、静かに手放しただけだった。


 部屋の窓辺で夜風に吹かれながら、カタリーナは小さく呟いた。

「……私、欲しかったのかもしれない。たった一言でいいから、そう言ってほしかったのに」

 誰にともなく呟いた声は、ひんやりとした風にさらわれていった。
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