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第2章 諍い
高揚
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消えていく実の姿。
それをなす術もなく見送るしかなかった死神は、椅子に座したまましばらく固まっていた。
その後に響いた、何かを殴る鈍い音と手に走る痛み。
自分の拳が机を殴ったのだと自覚するまでに、少し時間がかかった。
自分でも、何に苛立ったのかよく分からない。
しかし、水晶玉の側に打ちつけられた拳がぶるぶると震えているのを見て、自分がこの状況に激しく苛立っていることが知れた。
実の何もかもを悟ったような表情が脳裏にこびりついて、意識に引っ掛かっている。
彼は、生きることを諦めたのだろうか。
……いや、そんなはずはない。
ついさっき、本人が死にたくないと言っていたではないか。
生に執着していた言動は、確かに本物だったはずだ。
彼は死なない。
いや、死ねない。
それは変わらないはずなのに……
自分にそう言い聞かせるほど、意識が矛盾と違和感を訴えてくる。
死神は口を歪めた。
(生きたいと願うなら、どうしてあのような顔をする?)
死にたくないと生意気な口を叩くのに、ふとした拍子に垣間見せる表情はすでに死を悟っていた。
自分は死ねないと言ったくせに、そう言った同じ口で、死を受け入れる自分がいると言う。
生きたいのならそんな自分など認めなければいいのに、実はそんな自分を認識して―――そして、受け入れていた。
死に逆らっている身でありながら、死は不可逆的なものなのだと言った。
さっき消えた時だって、最後まで抵抗らしきものをしなかった。
何もかも、矛盾だらけだ。
実は生きたいと思っているのか、死んでもいいと思っているのか。
あるいは、どうでもいいのか。
そのどれもが正解とはかけ離れているような気がして、死神は苛立たしげにフードの中の髪を掻き上げた。
分からない。
実の考えていることが。
これまで、人間が何を考えているのかなんてことには興味を持ったこともなかった。
どうせ死んで消えてしまうのだから考える必要もないと思っていたし、それ以前に人間が考えることなど手に取るように分かっていた。
事実、自分が人間の思考を読み違えたことは一度もなかった。
しかし、実はどうだろうか。
どこもかしこにも矛盾を抱えていて、その真意が全く読み取れない。
現実として自分は実の感情を見抜いていたし、実自身も自分の指摘が間違っていないことを認めていた。
それでも、何故か釈然としない。
自分が実について理解していることは実本人も認めるほど確かな真実のはずなのに、それを他でもない実が否定しているのだ。
これが、最大の矛盾。
実の諦観をたたえた表情が、自分の確信を揺るがす。
今しがた見た現実を振り払ってまで、自分の考えを貫き通すことはできない。
自分の確信を疑わなかったから実を殺し損なったのだ。
その実体験があるのに、やはり人間だからと実を甘く見るほど自分も愚かではない。
もしも、彼が今までの人間と全く違うなら。
自分が把握してきた人間の思考に、全く当てはまらないのなら。
こんなに苦戦する人間はいない。
彼は何を思い、何に縛られ、そして何のために生きるのか。
誰よりも生きたいと願っているのに、誰よりも死を受け入れている。
その境地に彼が行き着くまでを知りたいと思った。
どんな過去が、現在が、環境が、彼をそんな矛盾した思考に誘うのか。
とても興味をそそられた。
「ふふ……」
唐突に、笑い声が耳朶を打った。
その笑い声の出所を探し、それが紛れもなく己の口だったと分かって、死神は思わず目を丸くした。
(笑っている?)
無意識に伸びた指が、唇をなぞった。
その唇は間違いなく、笑むように弧を描いている。
そして、自分が笑っていることを自覚した瞬間、自分の感情が驚くほど高揚していることにも気付いた。
(私は……楽しいのか?)
ぽつりと浮かんだ考えは、これ以上ないというほどにぴったりと自分の中にはまった。
そうだ。
自分はこの状況を楽しんでいる。
ここまで気持ちが高ぶるのは初めてかもしれない。
実に散々こけにされて侮辱されたのに、それでも実を相手にすることが楽しい。
今までの狩りも、楽しかったといえば楽しかった。
しかし、何もかもが自分の思うようになったので、張り合いがなかったし、物足りなさがあったのも確か。
だが、今回自分は初めて人間にゲームで負けた。
それを認められず、実の魂を気に入っていたせいもあってその魂を強引に奪ったが、実はそれをも見越して命を繋いだ。
それで自分は、実に二度目の負けを喫したのだ。
正確に表現するなら、実はゲームを延長戦に持ち込んだに過ぎない。
だが、今まで獲物に一切抵抗させたことがなかった自分にとっては、負けと言うには十分だ。
そこでまた、新たな事実に気付く。
思えば、悔しさや憎しみを感じたのは長い間生きてきてこれが初めてか。
そういった感情を抱けるだけ、自分は実を対等な存在として認識し始めているのだろうか。
その答えを、自分は持たなかった。
今分かるのは、自分が実の存在全てを狂おしいほどに欲しているということだけだ。
実の全てを自分の支配下に置き、彼という人間の骨の髄まで知り尽くしてみたい。
そして、これまでの人間のように彼を自分が思うままに操ってみたい。
そこまで行き着けば、もうその人格に興味はない。
後は、魂の輝きを維持するためだけに生きてもらおう。
そんなことを考える自分の気持ちは、宝物を探す子供のように弾んでいる。
「ふふふ……」
実とのゲームに比べたら、今までのゲームなどゲームとも呼べない。
まるで、幼子のお遊戯だ。
初めて実感する張り合い。
それが、こんなにも楽しいものとは。
次は何が起こるのか、どう事態が動くのか。
全てが分からないから今後が気になって、それが楽しみで仕方ないのだ。
そして、その中で自分が何をすればいいのかを模索するのも新鮮でいい気分だった。
「楽しい、か……皮肉なものだな。」
ふと呟く。
そういえば、この狩りを始めたきっかけも人間だったか。
今ではその目的も自分のためのものになったのか、あるいは―――
「まったく…。囚われているのは、どちらなのだろうな。」
ひっそりと告げ、彼はゆっくりと頭上を仰ぎ見るのだった。
それをなす術もなく見送るしかなかった死神は、椅子に座したまましばらく固まっていた。
その後に響いた、何かを殴る鈍い音と手に走る痛み。
自分の拳が机を殴ったのだと自覚するまでに、少し時間がかかった。
自分でも、何に苛立ったのかよく分からない。
しかし、水晶玉の側に打ちつけられた拳がぶるぶると震えているのを見て、自分がこの状況に激しく苛立っていることが知れた。
実の何もかもを悟ったような表情が脳裏にこびりついて、意識に引っ掛かっている。
彼は、生きることを諦めたのだろうか。
……いや、そんなはずはない。
ついさっき、本人が死にたくないと言っていたではないか。
生に執着していた言動は、確かに本物だったはずだ。
彼は死なない。
いや、死ねない。
それは変わらないはずなのに……
自分にそう言い聞かせるほど、意識が矛盾と違和感を訴えてくる。
死神は口を歪めた。
(生きたいと願うなら、どうしてあのような顔をする?)
死にたくないと生意気な口を叩くのに、ふとした拍子に垣間見せる表情はすでに死を悟っていた。
自分は死ねないと言ったくせに、そう言った同じ口で、死を受け入れる自分がいると言う。
生きたいのならそんな自分など認めなければいいのに、実はそんな自分を認識して―――そして、受け入れていた。
死に逆らっている身でありながら、死は不可逆的なものなのだと言った。
さっき消えた時だって、最後まで抵抗らしきものをしなかった。
何もかも、矛盾だらけだ。
実は生きたいと思っているのか、死んでもいいと思っているのか。
あるいは、どうでもいいのか。
そのどれもが正解とはかけ離れているような気がして、死神は苛立たしげにフードの中の髪を掻き上げた。
分からない。
実の考えていることが。
これまで、人間が何を考えているのかなんてことには興味を持ったこともなかった。
どうせ死んで消えてしまうのだから考える必要もないと思っていたし、それ以前に人間が考えることなど手に取るように分かっていた。
事実、自分が人間の思考を読み違えたことは一度もなかった。
しかし、実はどうだろうか。
どこもかしこにも矛盾を抱えていて、その真意が全く読み取れない。
現実として自分は実の感情を見抜いていたし、実自身も自分の指摘が間違っていないことを認めていた。
それでも、何故か釈然としない。
自分が実について理解していることは実本人も認めるほど確かな真実のはずなのに、それを他でもない実が否定しているのだ。
これが、最大の矛盾。
実の諦観をたたえた表情が、自分の確信を揺るがす。
今しがた見た現実を振り払ってまで、自分の考えを貫き通すことはできない。
自分の確信を疑わなかったから実を殺し損なったのだ。
その実体験があるのに、やはり人間だからと実を甘く見るほど自分も愚かではない。
もしも、彼が今までの人間と全く違うなら。
自分が把握してきた人間の思考に、全く当てはまらないのなら。
こんなに苦戦する人間はいない。
彼は何を思い、何に縛られ、そして何のために生きるのか。
誰よりも生きたいと願っているのに、誰よりも死を受け入れている。
その境地に彼が行き着くまでを知りたいと思った。
どんな過去が、現在が、環境が、彼をそんな矛盾した思考に誘うのか。
とても興味をそそられた。
「ふふ……」
唐突に、笑い声が耳朶を打った。
その笑い声の出所を探し、それが紛れもなく己の口だったと分かって、死神は思わず目を丸くした。
(笑っている?)
無意識に伸びた指が、唇をなぞった。
その唇は間違いなく、笑むように弧を描いている。
そして、自分が笑っていることを自覚した瞬間、自分の感情が驚くほど高揚していることにも気付いた。
(私は……楽しいのか?)
ぽつりと浮かんだ考えは、これ以上ないというほどにぴったりと自分の中にはまった。
そうだ。
自分はこの状況を楽しんでいる。
ここまで気持ちが高ぶるのは初めてかもしれない。
実に散々こけにされて侮辱されたのに、それでも実を相手にすることが楽しい。
今までの狩りも、楽しかったといえば楽しかった。
しかし、何もかもが自分の思うようになったので、張り合いがなかったし、物足りなさがあったのも確か。
だが、今回自分は初めて人間にゲームで負けた。
それを認められず、実の魂を気に入っていたせいもあってその魂を強引に奪ったが、実はそれをも見越して命を繋いだ。
それで自分は、実に二度目の負けを喫したのだ。
正確に表現するなら、実はゲームを延長戦に持ち込んだに過ぎない。
だが、今まで獲物に一切抵抗させたことがなかった自分にとっては、負けと言うには十分だ。
そこでまた、新たな事実に気付く。
思えば、悔しさや憎しみを感じたのは長い間生きてきてこれが初めてか。
そういった感情を抱けるだけ、自分は実を対等な存在として認識し始めているのだろうか。
その答えを、自分は持たなかった。
今分かるのは、自分が実の存在全てを狂おしいほどに欲しているということだけだ。
実の全てを自分の支配下に置き、彼という人間の骨の髄まで知り尽くしてみたい。
そして、これまでの人間のように彼を自分が思うままに操ってみたい。
そこまで行き着けば、もうその人格に興味はない。
後は、魂の輝きを維持するためだけに生きてもらおう。
そんなことを考える自分の気持ちは、宝物を探す子供のように弾んでいる。
「ふふふ……」
実とのゲームに比べたら、今までのゲームなどゲームとも呼べない。
まるで、幼子のお遊戯だ。
初めて実感する張り合い。
それが、こんなにも楽しいものとは。
次は何が起こるのか、どう事態が動くのか。
全てが分からないから今後が気になって、それが楽しみで仕方ないのだ。
そして、その中で自分が何をすればいいのかを模索するのも新鮮でいい気分だった。
「楽しい、か……皮肉なものだな。」
ふと呟く。
そういえば、この狩りを始めたきっかけも人間だったか。
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