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第2章 諍い
危険を伴う使命
しおりを挟む―――ヒュンッ
「………っ!!」
風が鳴る音と共に、蓮の呪文が途切れた。
なんの予兆もなく起こったかまいたちが蓮を襲い、頬と腕をかすったのだ。
「蓮!!」
蓮の腕から舞った血飛沫に驚愕した紫苑が叫ぶ。
その瞬間、台所にいる全員の視線が蓮に集中した。
「わっ!?」
直後、尚希が狼狽した声をあげる。
急に、実の体から一切の力が抜けたのだ。
慌てて支え直した実はすでに目を閉じていて、呼吸も虫の息に戻っている。
再び抜け殻となった青白い肌の中で、首筋に走った傷口だけが生を感じさせる赤を主張していた。
「逃げられたか……」
そう呟いた蓮が、二の腕を押さえて床に座り込んだ。
「蓮!」
すぐさま、紫苑が蓮の隣に駆けつける。
頬の傷はともかく、腕の傷は相当深いようだ。
傷口を押さえる指の間からは止め処となく血が流れ、真っ白な白衣を瞬く間に赤く染めていく。
「だい、じょうぶ…っ」
気丈にふるまおうとする蓮だが、彼がかなりの激痛に耐えているであろうことは、誰の目からも明らかだった。
「紫苑君、治癒魔法の経験は?」
紫苑に訊ねた尚希の手は、実の首にかざされていた。
そこから零れた柔らかい光の中で、実の首の傷があっという間に消えていく。
「!?」
その光景に目を剥く紫苑。
「拓也。」
その反応で答えは知れたので、尚希はすぐに声をかける相手を変えた。
それに頷いた拓也は蓮の前に屈み、傷口を押さえる蓮の手の上から自分の手を重ねる。
「結構……深いな…っ」
拓也は唇を噛んだ。
当然だが、治癒魔法は傷が深ければ深いほど魔力を使う。
自分の傷を治癒させるならともかく、他人の傷を治癒するのだから、かなり集中しなければならない。
他人の中というのは、それだけで異世界だ。
それが、自分とは属する世界が違う人間ならなおさらに。
拓也は蓮の体の隅々に意識を巡らせ、傷を塞いでいく。
「つっ…」
蓮が呻く。
「体に力を入れないで。できるだけ深く息をして、力を抜いてください。術が……乱れそうになる。」
拓也も眉間にしわを寄せ、苦しそうに歯を噛み締める。
そうして拓也が蓮の傷から手を離したのは、ゆうに五分以上が経過した後だった。
「―――よし。」
拓也は呟き、その場にどさりと腰を落とした。
額に浮いた脂汗を袖で拭う拓也の前で、蓮は驚いたように目を丸くして自分の二の腕を見つめている。
裂けた白衣の下から覗くのは、怪我なんてなかったかのような真っ白な肌である。
痛みもない。
頬の傷も同様だ。
ついでに、手にべったりとついていたはずに血も消えていた。
「お前にしては手こずったな。」
尚希が拓也にそう投げかける。
「ああ。自分でもびっくりだよ。やっぱり、鍛錬は怠るなってことかな。」
疲労困憊の息をつきながら、そう答える拓也。
その時―――
「伯父さん!!」
紫苑が声を張り上げた。
「こんなに……こんなに危険なのか? こんな大怪我をするくらい、死神を相手にするのは危険なのかよ。命懸けじゃなきゃ、あいつを相手にできないのか?」
「あ、ああ……」
紫苑の問いを受けた隆文は逡巡したが、しばらくして諦めたように溜め息を吐き出した。
「ああ……否定はしない。先祖の方々の中には、死神に殺されて魂を奪われた人もいる。」
「なんで…? おれら、そんなこと聞いてないよ? なんで、都合の悪いことは黙ってたのさ!?」
「すまない…。だけど私は、蓮や紫苑が死神と関わる日なんて来ないと思っていたんだ。死神と関わらないなら、そんな危険は知らない方がいい。そう思ったんだよ。勝手な願いなのは、分かっていたけれどね。」
反論の余地もないのか、紫苑の言葉に隆文は静かに視線を下げるだけ。
「紫苑。」
震える紫苑の手に、蓮が自分のそれを重ねた。
紫苑がそちらに目をやると、蓮は優しげな表情で微笑む。
「蓮…」
「大丈夫だよ、紫苑。」
語りかけられ、紫苑は絶句してしまう。
あれだけのことがあったのに、蓮の瞳は依然として光を失っていなかったのだ。
「父さんも気にしないで。さっきのは、僕が油断していたんだ。」
「そんなこと…っ」
紫苑の言葉を、蓮は目だけで制する。
「このくらいのことで音を上げていて、どうやって実君を助けられる? どうやってこの神社を背負っていくっていうんだ。僕は、たとえ今みたいに怪我をするとしても、実君を見捨てるつもりはない。」
「蓮…」
紫苑は何も言い返せず、呻くしかない。
「蓮、怖くはないのか?」
代わりに口を開いたのは隆文だ。
「相手はあれでも神だ。普通に考えて、敵う相手ではないだろう。それを分かっていて死神に挑むのは、かなりのハイリスクだ。怖くはないのか?」
「怖くない。」
蓮は間髪入れずに答えた。
息子の答えが予想外だったのか、隆文は目をまんまるにする。
「自分でも不思議なんだけど、怖くないんだ。死神と闘うのは、九条家に生まれた以上仕方ないこと。僕は九条の人間として、九条の責務と義務を全力で果たしたい。その覚悟は、死神の存在を初めて感じ取った時からできてる。」
その言葉には、迷いも躊躇も皆無だった。
隆文は蓮の態度に思わず破顔し、くすくすと笑い出す。
「そうか…。まったく。お前は間違いなく、根っからの九条の人間だな。私も同じ気持ちだよ。」
「おれは反対だ!!」
和やかになりかけた空気を、突如激しい声が切り裂いた。
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