盾の間違った使い方

KeyBow

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第72話 アルツハイムと名乗る賢者

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「道を間違えたのか? そんなはずはない……」
 爺さんは目の前の見知らぬ街を前に、ただ呆然と立ち尽くしていた。
 俺と雫は、顔を見合わせる。
 俺は拠点に持ち帰っていた、あの革張りの手帳を思い出した。
「爺さん。あんた、あの手帳の持ち主だったんだろ? 名前は、なんて言うんだ?」
 俺の問いに爺さんは「ふむ」と顎に手を当てた。
「ああ、そうじゃった。わしの名前は……アルツハイム。そう、アルツハイムじゃ」
「あるつ……?」
 聞き覚えのない名前に俺が首をかしげると、爺さんは遠くを見るような目をした。
「うむ。……確か、偉大な魔法使いといわれておったはずじゃ。自分でいうのもなんじゃが、大陸に魔法で儂に敵うものはおらなんだ……そう、記憶しておる」
 爺さんは、自慢するでもなく、淡々と事実を述べるように続けた。
「だからこそ、あの忌まわしき竜の討伐隊を率いておったはずなのじゃが……いかんせん、リッチになる儀式の副作用かのう。記憶がどうも、虫食いでいかん」
 アルツハイムと名乗った爺さんは、困ったように頭をかくと、おもむろに自分の骨張った顔に手をかざした。
 そして、何事か呪文を唱えると、その骸骨の姿が淡い光に包まれる。
 光が消えた後、そこに立っていたのは骸骨ではなく、少しやつれてはいるが、威厳のある初老の紳士だった。
「これで、少しは人前に出られるじゃろう。まだまだいけるはずじゃ!」
 彼はそう言って、杖を片手に、おぼつかない足取りで街の門へと向かって歩き始めた。何がいけるのかよく分からないが、好色じいさんにしか見えないが、そっとしておこう。

 俺と雫は、慌ててその後を追う。
 門の前まで来たが、爺さんはやはり呆然と立ち尽くしていた。
 城壁の石材、門の意匠、その全てが、彼の記憶とは異なっているのだろう。
 その門の前で立ち尽くす、フードを深く被った怪しい老人と、見慣れない服装の若くない男と若い女。
 その組み合わせは当然ながら、門番の兵士たちの注意を引いた。
「おい、そこの者たち! 止まれ!」
 数人の兵士が槍を構えながら俺たちを取り囲む。
「何者だ! どこから来た!」
 誰何された!
 まずい。どう答える? 森の中から来ました、などと言って信じてもらえるか?
 俺が答えに窮していると、俺たちの前に出ていたアルツハイムの爺さんが、確認するように兵士へ問いかけた。
「……兵士よ。一つ聞くが、ここは『アークライト』という街で相違ないかな?」
 兵士たちは顔を見合わせ、呆れたように鼻を鳴らした。
「は? 何を寝ぼけたことを。ここは城塞都市アークライトだ。看板も読めんのか?」
「……そうか、やはりアークライトか」
 アルツハイムは、安堵と困惑が入り混じった顔で頷いた。
 場所は合っている。だが、風景が違いすぎる。
 爺さんは一歩前に出ると、意を決したような威厳のある声を発した。
「わしはアルツハイム。この街の者じゃ。しばし旅に出ておっただけじゃが……どうやら、儂の留守の間に、少しばかり街の様子が変わったようじゃのう」
 その言葉を聞いた瞬間、兵士たちの空気が変わった。
 嘲笑から、疑惑へ。そして、明確な敵意へ。
 年長らしき門番の兵士が、ツカツカと乱暴に歩み寄る。彼の目は不敬な罪人を睨みつけるそれだった。
「……今、なんと名乗った?」
 兵士の声は、低く、そしてドスが効いていた。
「貴様……我が国でその名を……英雄アルツハイム様の名を騙るとは、どういうつもりだ?」
「む?」
 爺さんは、不思議そうに首を傾げた。
「何のことじゃ? 儂はアルツハイムと名乗ったまで。『英雄』などという大層な二つ名(・・・・)を持った覚えはないがのう。周りからは賢者と言われておるが、賢者などと大層な肩書も名乗った記憶は無いがのう」
 爺さんは杖を突き、当然の権利のように兵士を見据えた。
「まあよい。話が通じぬのなら領主を呼んでくれんか? 領主なら儂の顔は分かるじゃろうて」
 その一言が決定打となった。
 兵士の顔から血の気が引き、次の瞬間、どす黒い怒りとなって爆発した。
「――不届き者めがッ!!」
 兵士は激昂し、その槍の穂先を、アルツハイムの喉元に突きつけた。
「よくもぬけぬけと……! 貴様のような薄汚い老人が、あの大賢者アルツハイム様なわけがあるか! その増長、万死に値する!」
「な、なんじゃと……?」
「その御名は四百年前に、かの『奈落のダンジョン』をその身と引き換えに封じ込められた、救国の英雄の御名であろうが!」
 四百年。
 その言葉が雷鳴のように俺と雫、そしてアルツハイム自身の頭に突き刺さった。
「よ、四百年じゃと……? 馬鹿なことを申すな! わしが、あの忌々しいダンジョンに……竜に挑んでからまだ、数年しか……!」
 アルツハイムの狼狽は本物だった。
 だが、兵士たちには、それは自身の嘘がバレて焦る詐欺師の姿にしか見えなかった。
「黙れ下郎! 貴様のような輩は、ただの不審者ではない! 国家反逆罪だ! 者共、捕らえよ!」
 兵士たちが、一斉に殺気立って槍を構え、俺たちを取り囲む。
(……そういうことだったのか)
 俺の脳裏で、全てのピースがはまった。
 何百年も前かもしれない、と雫が言っていた、あの手帳の内容。
 完全に様変わりした、街の姿。
 そして、彼が言っていた「わずか数年」という言葉。
 あれは、時間の流れが違ったわけじゃない。
 爺さんの感覚が狂っていたんだ。……いや、「そう思いたかった」だけなのかもしれない。
 
 街に戻れば見知った顔がいる。領主が、仲間たちが待っている。
 そう信じていたかったのだろう。
 だが、現実は非情だ。
 彼は浦島太郎どころではない。四百年もの時を超えて、誰も知る者のいない「遥か未来」に放り出されたのだ。

 絶体絶命。
 俺は腰のコンバットナイフに、そっと手を伸ばした。
 だがその俺の行動を、隣にいた雫が小さな手で、そっと制した。
 そして、彼女は一歩前に出ると、兵士たちに向かって凛とした、しかしどこか神聖な声で、こう告げた。
「お待ちください。私たちは、旅の者です。我々に害意はありません。どうか、お話を聞いてください」
 その声に、なぜか、殺気立っていた兵士たちの動きが、ぴたりと止まった。
 彼女から放たれる、聖なる気配。
 それは、ただの少女が持つものではないことを、彼らの本能が感じ取っていた。
 俺たちの地上での最初の試練は、四百年という、あまりにも長すぎる時を超えた、最悪の誤解から始まろうとしていた。
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